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10-6真名

 燐に燈吾を引き渡し、見送った後、案内役の里男二名に挟まれ、芳野嫗の元へ向かう。

 今生の別れになるのかもしれなかった。けれど惜別の(いとま)もなく、かすみも敢えて何も言わなかった。泣いたとて、なんの益にもならない。ただ一度、意識のない夫の髪を梳いた。

 別れ際の燐の言葉を繰り返す──山姫のおくだりさ。


 山姫が下れば、山嵐が起きて里を荒らし、女が消える。


 東の最果て遥野郷の伝承であり、元来、かすみにとって馴染みある話だった。

 妹姫、寒田の兄、オクダリサマ、オクルイ……これらは〈白木の屋形〉で、芳野嫗から聞かされた耳新しい(・・・・)話だ。随分と隔たりがある、というよりも後者は端折られていた、あるいは伏せられていた。

 だから自分らの代の娘宿では山姫を格別に敬いはせず、〝山姫が下りてくる〟と言って男女の逢瀬を揶揄したり牽制したりしてきた。

 それが意図的、いや意図せずともの示し合わせ、同調ならば。

 引きずりながらも己の足で歩く。川慈は安是に着くやいなや、慌ただしくどこか行ってしまった。おかげで牛歩の歩みであるがしようがない。

 方角から行き先は察せられた。芳野嫗宅だろう。てっきり、寄合所あたりに連れられると思っていたのだが。

 筵が並べられた稲田の脇を通る。季節は秋、風は肌寒いぐらいだが、腐敗臭は収まりきるものではない。遠目から見れば整然と並んでいたそれらは、近くでは大小様々な凹凸がある。


 ……足裏が見えない。


 筵は一枚の一辺は四尺にも満たず、大きいものではない。大人ならば足がはみ出しておろうが、折り曲げているのか。

 直感に、稲田へほとんど転がるようにして降りる。突然、道を外れたかすみに、里男らは制止の声を上げる。この足では大した速さが出るわけではないが、腕を回して振り切れば、里男らは容易に怯む。

 筵はざっと見て二十枚ほど。一枚を躊躇いなく捲り、息を呑む。横たわっているのは、地揺れによる倒壊や地割れの犠牲者だと思っていた。黒山を下りてくる時も揺れは断続的に続いていたから。

 けだし、女――女だったものだ。肩から右胸が抉れ、下半身は消えていた。

 その(なり)は、発する臭気は、川慈宅にゆらり佇んでいた佐和と酷似していた。


 ――遊びですかね。はらわたが、こう……


 二輔の言葉と手振りが思い出される。次の一枚も捲る。次も女……ただし、髪が、頭皮が、引き剥がされて生々しく血の滲む肉が露わになっていた。皮膚がだらりと下がり、さらには股がずたずたに引き裂かれている。鋭く太い刃で幾度も斬り付けられたように。酸い物が迫り上がってくるが、飲み下した。

 次々に筵を捲った。腕や脚や腹、失っている箇所は様々だが、どれも女だと思われた。思われたというのは、残った身体つきから類推するしかできないからだ。多くは、胸や下半身、女が女たらしめる部位を剥がされ、抉られ、潰されていた。そして、皆、辛うじて残っている肌には奇妙な赤黒い斑紋が浮き出ていた。

 最初の数人、女らは老齢に達しているかと思った。だが、顔を潰されていない者を眺めていると似た面差しの里女たちが思い起こされる。多分、一人だけならわからなかったろう。

 皆、苦悶の表情を浮かべ、皺が寄っているから老女だと勘違いしそうになったが、おそらくは中年――佐和と同年か、少し上。あまり関わったことはない、かすのみの存在を無視していた女たち。

 すなわち、阿古と同世代、娘宿にいた――


  せのきみ、せのきみ、あのこがほしい

  せのきみ、せのきみ、あのこはわからん


 こだまする娘らの唱和。無論、幻聴、幻視である。

 娘遊びの唄を聴き、娘たちがくゆらせる光を視ながら、筵を掛け直す。

 追ってきた里男らは、女らの骸から目を背け、ただ突っ立っていた。全てを一人で掛け直し、向き直ると彼らは大仰に身を震わせる――心底、恐れているのだ、かすのみ(・・・・)を。

 ならばこそ――疾く嫗の元へ案内せよ、と命じた。

 


 燈吾に良い造りだと言わしめた芳野嫗宅は、屋根が傾いで住居部分を押し潰し、壁には亀裂が走っていたが、全壊は凌いでいた。

 土間には川慈が肩を落として一人座り込んでいた。結局、行先は同じだったのかと拍子抜けする。川慈は里男らにねぎらいの言葉を掛け、寄合所に行かせた。やはり、他の里人は寄合所に集まっているらしい。

 そして、薄闇が忍び寄る土間には川慈とかすみだけが残される。

 以前訪れた時には、物が少ないと感じたが、籠や桶が転がったままで、雑然とした印象を受けた。

 嫗は、と尋ねれば、まだ用意ができていないと言葉を濁らせる。一体なんの用意というのか。戸はぴたりと閉ざされ、奥の間は覗けない。

 川慈は、嫗から声が掛かるから待てと繰り返し、俯き三和土に座り込んだまま。かすみが室内に上がり込もうとすれば、止めに入る。

 馬鹿にした話だった。呼ばれ、夫と離れてまで不自由な足で(おとな)い、待ちぼうけを喰らわされるとは。未だ侮られているのか、それとも。


 夜の帳が下り切る少し前、かすみは川慈と並んで腰掛けていた三和土から立ち上がる。これ以上、無為な時を過ごすつもりはなかった。

 川慈の前に直立し、戸惑いを浮かべる疲れ切った男に、自ら帯紐を解いた。解かまくも惜し――燈吾が結んでくれた紐を。

 安是の女は恋をすると光る。かつて、子どもだった自分はその光を欲し、光りさえすれば、里で認められる、飢えず、蔑まれず、人並みになれると信じていた。なんとも無邪気に。

 多分、自分は全ての安是女から怨まれるだろう。これまでも、この先も、未来永劫。もっとも、今更、凶状が一枚増えたところで、さして分厚さは変わるまい。だけれど、燈吾への光も曇ってしまうというのなら、それは辛いが、選び取る道だった。

 放心したように自分を仰ぎ見る川慈に、艶然と笑む。

 それは一体どこから顕れ、表れるのか。暗紫紅の光は肌を伝い、離れ、浮かび、薄闇に踊る。最初は、か弱く、ぽっとかすかに、いかにもおぼこく。そして妖しく、淫らに、光り(した)らせて。安是女の恋心の具現。


 腰を屈め、呆然とした安是男の口の端を甘く噛み、両の手でこけた頬を撫で包む。あんたは疲れているんだろう。あたしらばかり働かされるなんて堪らない。ちょっとの間、愉しんだって罰は当たらないよ――そう耳に囁きかけた。


 ――この光、鎮められるのは貴方だけ。


 衿を掻き開き、お決まりの口上を述べる。裸身を燃やす暗紫紅の焔。もしか、男には真赤に感じられていたかもしれない。覗き込んだ虚無の瞳に火が映る。あるいは、男自身に灯ったのか。拒絶するでも、引き寄せるでもない男の手を乳房へと導いて。


「………………ならぬ」


 奈落の底から響くような声音だった。奥の間に繋がる戸の隙間から、光と共に漏れ出づる。

 帯状に伸びた鬱金色。駒の満作色とよく似ているが、それよりも仄かに赤味を帯びた光。

 この光には見覚えがあった。〈白木の屋形〉の化粧の間の障子越し、嫗が川慈はおらぬかと声をかけてきた直前に。そして、黒沼で視た万華鏡じみた幻視で。安是女の隠しきれぬ慕情。

 這い出てきた老女の面には、筵の下の女たちが浮かべていたのと同様、赤黒の死斑が浮かび上がっていた。


 否、老女のふりをした(・・・・・)女だ。


 咄嗟、川慈が駆け寄ろうとするのを、かすみは身体で塞ぎ、女を見下ろす形で宣する。


「……私はあんたの真名を知っている」


 同じ凶状持ちならばこそ、気付いた。おしらの方の正統なる後継者、芳野嫗の偽者。ただし、もっとも近しい血縁の。


「あんたは母親を殺し、名を騙った」


 保身のため、己が恋ゆえ、光り昇らせた男欲しさに。


 ――美舟(みふね)


 鬱金の光を立ち昇らせるは、芳野嫗を騙った、その娘。


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