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8-2連理

 今生の別れ。燈吾と共に里を出る。今まで想像していなかったわけではないが、本当に叶うのか。


 横抱きにされたまま、食い入るように様々な光にさらされる夫の横顔を見つめた。暗紫紅の光にも、寒田の蛍火にも、火炎にも染まり、複雑過ぎてその下にどんな感情が流れているのかわからない。自分が安是を捨てるのはむしろ本願だ。だが、彼は、寒田を。


「俺を見てどうする。別れるのはお前の故郷ぞ」


 男の苦笑に出掛かった問いを飲み下した。寒田を捨てて良いのか、などとは愚問だ。慮ったような台詞は余裕のある者がするもの。

 里に未練が残っていようが、答えがどうであろうと、燈吾が欲しい。例え夫の意に反しても。ならば訊くべきではない。燈吾がいてくれるのならそんな不安の種ぐらい、飲み下し、いつか芽生えようとも腹の内で飼い殺してみせる――物の怪の妻なれば。一瞬脳裏を過ぎった、肩口で切り揃えた黒髪の娘をかすみは無視した。

 目に灼き付けておけ、促されて下を見やる。そして足下の〈白木の屋形〉から黒山の際にいたるまでの里の全域を遠見した。

 風に煽られた火の粉が燃え残りとともに降り注ぎ、視界は金粉を撒いているようで、いっそ美しい。湿った、暗い、澱んだ臭気に満ちた、自分が知る安是の里とは様相を異にしている。


「あれは、燃えているのか?」


 不意に言われて、燈吾の視線を辿ったその先、〈白木の屋形〉内の庭をふらつく幽鬼を見つけた。山肌に咲き綻ぶ春告げ花を連想される黄色い光。燃えているのではない。

 ――〈白木の屋形〉の居間には娘宿の娘を暮らさせて目眩ましとしなせえ。なに、美味いもん食わせて、絹の着物の一枚や二枚くれてやれば黙っておりましょうて――


「……駒、」


 高慢な娘頭。なぜ、あんなところで何をしているのか。考えるまでもなかった。捜しているのだ、背の君を。彼女が恋慕する若衆頭である真仁は、かすみが宴にて閨に召し、その後の行方が杳として知れないから。

 駒は自ら率先してオクダリサマの影武者役を買って出たに違いない。いや、もしかしたら二輔に唆されたか。

 と、ほお、とこの場にそぐわない惚けた声音が頭上から響いた。


「お前以外の光を初めて見た。暗紫紅でないのは妙な気もするが、あれはあれで美しいな」


 燈吾の言葉に、思わず睨み返す。だが逆に返された面白がるような眼差しに、わずかに目を伏せた。 


朋輩(ほうばい)か? 別れを告げてくるか?」


 朋輩など一人もいない。挨拶をするならば姉娘である燐ぐらいだが、彼女にしたって別れを惜しむ間柄ではない。


「……駒は、私を見下していた」


 光らぬ女、かすのみ、大量の洗い物、食事抜き。まあ、あんたにゃくだる(・・・)心配はないだろうけど。くっと嘲りを残し、自身は逢引へと走った。

 ほお、と燈吾が再び興味深いような声を上げ、かすみを抱く腕に力を込める。


「俺の妻をか。ならば余計に挨拶せねばな」


 にやり不敵な笑みを佩き、かすみの小さな悲鳴をよそに、燈吾は庭へと舞い降りた。

 地面はさらに炎熱が激しかったが、燈吾は涼しげな顔をしていた。一方の駒は、唐突に降ってきたかすみと燈吾に目を瞠る。

 浅黒いはずの駒の顔色は青白く、幽鬼そのもので、満作の花を散らすがごとく光を放つ。駒でありながら、神々しさを感じさせるほどに。

 だから一瞬油断した。獲物の喉元に喰らいつく獣さながら、素早く、燈吾に詰め寄られるなんて。駒ごときに。

 全身の毛が逆立つ心地で、かすみは割って入る。掴み掛かろうとすれば、逆に詰め寄られた。

 そして、ぽつり溢す。見開かれたまなこで、真仁は、と。

 真実を口にできるはずがなかった。燈吾が殺し、小色が隠し、自分が〈白木の屋形〉の池に沈めたなどと。

 知らない、と視線を逸らせば、泣き出しそうな顔をしたのは一瞬、つまらないものを見るような一瞥を残し、かすみを押し退けて歩き出す。

 別段、乱暴でも、荒っぽくも、憎しみが込められていたわけでもない。それでも、かすみはよろけた。いや、自ずと駒を避けようとして足がもつれたか。

 いつもの威勢や傲慢さは鳴りを潜めている。燈吾には駒に見下されていたと告げたが、実のところ、お互い様だった。実の伴わない娘頭。誇れるのは口先と家柄のみ。それに気付きもしない生粋の愚者。真仁に選ばれるのは駒かもしれないが、真実心を通わせているのは叶であろうと。

 他の娘も、同じ考えだったろう。取り巻きはいたが、友はいなかった。

 駒はゆらゆらと歩く。燃え盛る炎に臆せず、むしろ、引き寄せられるように。あるいは、すでに背の君が彼岸にいると悟っているのか。


 次にかすみがとった振る舞いは、自身、説明がつけられなかった。憐れんだわけではない。

 強いて言えば、そこに先の自身を垣間見たからかもしれない。燈吾を喪った先の己。

 幾分距離の開いた駒と燈吾の間に立ちはだかり、長く裾引く満作の背に言い放った。


「真仁は死んだ。私が殺した」


 届かなかったかと訝った頃、駒は振り返った。茫洋とした視線がかすみに定まる。そこからの挙動は速かった。髪と光を振り乱し、奇声を叫び、目を吊り上げて――夜叉。

 懐に隠し持った短筒を構える隙はなく、長い腕が喉元へ伸ばされる。けれど夜叉すら、神速には敵わない。

 囲うようにして燈吾はかすみの腰を引き寄せ、夜空を手繰り寄せるがごとく、軽々と壁を、枝を疾駆した。


 とんだ置き土産だ、苦笑含みの声に、けれどかすみは返答できなかった。抱かれたまま彼の肩に顔を押しつける。

 何を憂う必要がある? 阿古を殺し、佐合を殺し、他にも安是男が幾人も死に、佐和が喰い殺され、寒田長を騙った直松らが撃たれ死んだ。真仁とて、些細な一幕に過ぎない。

 そも、安是など皆死にすれば良いと里を呪っていた、その呪いが一部成就されたのだ、喜ばしいではないか。笑い飛ばせば良いはずなのに、矛盾の情動が渦巻く。


「他に心残りはないか」


 髪と一緒に背を撫でられ、燈吾の肩口に、目や鼻から出る水気をいやいやをするように擦り込ませる。心残りなどない、悪夢に追われることはあろうが、残すはずない。


 ――一刻も早く、安是を離れて。


 承知、燈吾は呟きに端的に応えた。

 燈吾はかすみを抱えたまま、炎を跨ぎ、里人を置き去り、〈白木の屋形〉の塀を越え、黒山を背にして(はし)る。尋常ではない速力で、里は、安是の光は、〈白木の屋形〉の火炎は、遠ざかっていった。



「山を下り、宮市へ出て、仮宿を見つけたら、まずは祝言をあげるぞ」 


 しゅうげん。思ってもみないことを言われて首っ玉に齧り付いたまま繰り返す。わずかに顔を上げれば、燈吾の口元には満更でもない微笑が浮かんでいた。


「それから、夫婦(ふたり)で海を見に行く」


 信じられない思いだった。まだ山中ではあるが、あれほど自分を呪い縛り付けていた里をこんなにも容易く抜け出せられるなんて。この勢いならば、海とて遠くはない。まさに〝比翼〟、二人なら自由に空を謳歌できる。


 ――まあ、俺たちの場合、初夜はとうの昔に済ませているから色々順番がおかしいがな。


 軽口に、お返しとばかりに胸板を叩いた。ああ、祝言をあげるならあれが必要だ。燈吾が思い出したかのよう言う。


「もちろん、あれ(・・)は忘れずに持ってきただろうな?」


 あれ、と言われてすぐにわからなかった。あれだ、あれ。まさか置いてきたのか? 燈吾はブナ木立の中で足を止める。


「黒打掛だ、婚礼にはかかせないだろう?」


 ああ、とようやく得心がいく。それは安是の習わしだ。特殊な染めがされ。思慕の光を初夜まで覆い隠す、母から娘へと受け継がれる一枚。だが、あれは二輔の茅屋に置いてきた。持ち出してしまえば、逃げ出すと宣言しているようなものだから。

 形見の品としては他に無いが、染料に必要な材料も手法は知っている。まったく同じは難しいが、落ち着いた先でまた染めれば良いだろう。

 それに、最近ようようわかってきたが、思慕の光はよほど昂ぶっていなければ、意識して押さえ込めないわけではない。今のように逃走が優先となれば構っていられないが、普段の生活ならば、多少漏れはすれど、火事と間違われるほど光りはしないはずだ。閨ではその自信はまったくないが。ともかく今後において、どうしても必要なものではない。もちろん、燈吾が繕ってくれた着物だ、かすみ自身惜しくはあるが、身の無事には替えられなかった。

 心配症な夫にそう説こうとするが、彼はひどく渋い顔をしていた。木々の間、射し入る月光でも見て取れるほど。何故そこまで拘るのか。地面に下り、見上げ、燈吾と呼び掛ける。


「あれは俺が妻の証にとお前に買ってやった(・・・・・・)一枚だろう」


 刹那、息が止まった。


 ――だのに置いてきてしまったのか。まあ、突然さらった俺も悪い。だが、俺が織り上げた(・・・・・・・)唯一無二の一枚だ、逃げ出す心づもりがあったなら肌身離さず持っていてほしかった――


 すぐさま、夫の言葉に反応できなかった。


「あれは夫婦になるには必要だ、どうしても、どうしても、どうしても、どうして……? いや、やはり、捨て置けん」


 途中、自問自答になり首を振るった夫を見据える。

 四夜目の宴の後、この世の者とは思えない美しさと禍々しさを撒き散らしていた背の君。彼は、未だ。

 怒っているのではないぞ。蒼白になり黙したかすみを、しょげていると勘違いしたのか赤黒の毛を梳いてくる。その骨張った手は黒沼で出逢った頃から変わらず優しい。


「俺が戻って取ってくる、お前はここで待って――」


 (いいえ)、と遮る。その手を取り、自身の頬に押し当てた。もう片方の手は彼の額にやる。


 頭は痛くないかと問えば、ああ、うん、平気と、どこか気抜けたふうに頷く。月光は、さきの渋顔とは対照的な、子どものようにいとけない素顔を浮かび上がらせる。胸を掻き毟りたくなるほどの愛おしさが募った。どうして、手放せるだろうか。


 ――かすみ燃ゆ 焔の娘 我が妻よ 夢も現も 君とあらん


「〝比翼連理〟なのでしょう、私たちは」


 いつかの歌を詠み、微笑みかける。

 燈吾は空を謳歌する〝比翼〟でありたいと言った。だが、むしろ、まさしく。


「戻りましょう。黒打掛が必要なら、一緒に」


 安是を燃やし、寒田を殺し、どれほどの犠牲を払おうと。

 業火の海も、針の谷も、山姫棲まう黒山も、貴方とならば、越えてみせる。

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