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7-5嫁御

 わっしが〈白木の屋形〉に入ったのは三十余年前、三十も半ばのことでさあ。

 その頃の〈白木の屋形〉を取り仕切る巫女は、芳野嫗の先代、芳野嫗の母親に当たるお人でした。当時は五十手前、嫗と呼ぶのは憚られ、里人は〈白木の屋形〉にちなんで〝おしらの方〟と呼んでおりました。

 芳野嫗もそうだが、安是の女は聡い。安是男は下手をすりゃすぐ僻み根性を発揮するが、おだてりゃ働く。おしらの方はその性質を熟知していて、里長らよりもずっと上段に座し、安是を俯瞰し、掌握してなすった。


 ある日、おしらの方は、わっしを呼び出しなすった。そりゃあもう、ちびるぐらいに緊張しましたさあ。その頃、わっしは里を出よう、なんもかんも捨ててやり直そうと準備を整えておりました。継ぐ家も田も畑もなければ、嫁も子もいない。手先は器用だったんで、修繕や手仕事を請け負っておりましたが、未練はあらなんだ。

 だもんで、その企てがばれちまったんだと……仕置きを受けるのではと恐々(きょうきょう)としとりました。

 それが、出向いて、茶を出され、菓子を供され、言うに限っておしらの方は嫁をもらわないかと持ち掛けてきたんでさあ。

 前にも申しましたが、わっしはかたわ(・・・)で、(なり)は小さく、見てくれも悪い。実際、誰にも光を昇らされたことがない。惨めな思いで、生き呪いながら暮らしておりました。

 だから、申し上げたさあ。嫁をもらったところで光らねば、わっしも嫁も肩身の狭い思いをする、と。結局、骨の随まで安是男、自分に光り濡れん女子(おなご)を嫁とは思えん、見栄張りの小心者で、そのくせ驕り昂ぶっておった。まっこと、安是男の(さが)は厄介でさあ。もしも里を出たとしても、結局、光らぬ女子とは添えなんだでしょう。

 だけんど、おしらの方は、心配には及ばんと仰る。そうして連れて行かれたのは〈白木の屋形〉で、ふいに思い出したんでさあ。残酷なもので、その時まで忘れておりました。その三年ほど前に、黒沼問いが執り行われたことを。

 そして、〈白木の屋形〉の一室で二十半ばの安是娘に引き逢わされたんでさあ。すでにオクダリサマからオクルイとなっていた、わっしの嫁御――(ねい)に。 

 

 二輔は煙管の吸い口から唇を話し、眉間に皺を寄せて苦そうに煙を吐き出す。先日、池に真仁を落とした時は火を点けなかったが、今日は早々に吸い出していた。

 かすみと二輔は、茅屋の裏庭、柿の木の下にいた。二輔は薪割り用の切り株に腰掛け、かすみはその前に立っている。陽が高くなり、徐々に空気は暖められ、野外はいっそ心地良かった。柿の実は艶やかに重たげに実り、惜しげも無くその身を枝先で揺らしている。


「すでに、オクルイになっていた……?」


 信じられない思いで二輔を見つめる。すでに狂っていた。

 言葉は通じず、糞尿は垂れ流し、食料を食い荒らし、家屋のいたるところに爪を歯を立てる――脳裏に甦るのは最も身近だった狂女だ。あれを、嫁にした。どうして、と問おうとして、答えは自ずと浮き上がる。安是男の性。安是女の誉れ。すなわち安是の呪い。光。

 寧は光った。佐合が恋い焦がれていた女を光らぬがゆえどうしても受け容れられなかった理屈とまったく同じで、二輔は寧を受け容れた。


 ――ちょうどあれと同じ色でしたさあ。二輔は煙管の先で陽に照り映える柿の実を指す。


 寧は二輔に笑いかけたのだという。あたたかで、あまく、とろける光をしとどに垂らし。

 それが、おしらの方が教え込んだ猿芝居だとしても、どうして拒否できようか。 


「……おしらの方は、おまえに、光を餌にして狂女の世話をお前に押しつけたということ」

「端的に言えばそうなりまさあな。おしらの方は、他にもこの婚姻に関して条件を出された。〈白木の屋形〉で暮らし、可能な限り外とは接触を断つこと。寧との婚姻は親兄弟にも秘密にすること」


 果たして、人生の半分以上を投げ出して見合うものだったのか。早くは無いが、十分にやり直しができる年齢であったろう。なれどかすみはその問いを発しなかった。今更意味がなく、二輔は選んだ後なのだから。


「だけんど、おしらの方が考えなさっておったのは、そんだけではなかった。あん人は本当に聡明な方で、安是の在り様を変えようとなさっておった」

「……安是の在り様」


 呟きが疑念の声色を帯びる。おしらの方は芳野嫗の母親だという、そんな女が。疑いが表情にも出たのだろう、煙を吐き出し、二輔は苦笑する。


「そも、寧の時の黒沼問いは拙速でさあ。油屋一行が道中で人あらざる者に襲われたと里に逃げ込んできたのが発端だったが、実のところ、宮市の賭博場で下手打って借金の(かた)に荷を奪られたことを隠蔽したく嘘八百を並べ立てたんでさあ。わざわざ仲間内で自作自演の怪我まで負わせて」


 だが、安是人は、人あらざる者が現れたと聞けば、すわ〈寒田の兄〉と怯え勇み浮き足立つ。山姫を、オクダリサマを(こいねが)う。多数の里人らの意志により黒沼問いが否応なく行われる。さながら火が付けば、一瞬のうちに燃え広がる野火のごとく。


「遥野郷の伝承が悪用されちまったわけでさあ。後ろ盾がないから喰いもんにされちまう。後々になって、おしらの方が、油屋の元締めと話しをつけて明らかにしたそうですがね」


 ならば。黒沼問いを行い選ばれなかった娘らは沈む。山姫をくだらせた――依り代となったオクダリサマは、狂女(オクルイ)となる。本来ならば必要の無い犠牲。里の安寧のための供物。一体、誰に捧げられたのか。


「おしらの方は三年かけて〈寒田の兄〉が現れないのを確かめ、そうして決意なすった。都からの追っ手も久しく途絶え、外敵から里を護るため山姫をくだらせる意味はすでにない。ならば安是と寒田の和合をはかり、〈白木の屋形〉を閉めると」


 安是と寒田の和合――いつか良人が語ってくれた寝物語が過ぎる。三十年以上も前に、やり様は異なれど燈吾と同じ大望を抱いていた安是女がいた。だったら、だったら、なぜ。

 木々の枝葉から覗く空は青く澄み美しかった。風もなく、里人の呪詛も叫びも聞こえず、数日前の嵐も惨劇も全て悪夢だ冗談だと言わんばかりに。

 ――寧との婚姻の条件はもう一つありましてなあ。二輔はひとりごちるように呟く。これが(かなめ)とおしらの方には言い含められておりました。


「寧と添い遂げること。〈白木の屋形〉を閉めるため、わっしは寧の看取りを託されたんでさあ」


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