5-6告白
小色は瞳を丸くして、短筒の先を見つめていた。いかにも不思議そうに、かすみが酷いことをするなど夢想すらしていないふうに。
もしも小色が自分と同じ半生を送ったならば、今と同じでいられたろうか。詮無き妄想だが、時折、そんな物思いに囚われる。
かすみは引き金を引いた。小色は逃げない。金属が叩かれる音は一瞬弾けた後、すぐさま霧雨に覆われ、静寂が支配する。
かすみは短筒を脇に置き、手の平を突き出した。
「中身を返して」
……嫌です、と。
しばし間を置いた後。小色の声は人気無い屋形に浮き上がった。そしてつぶらなまなこを伏せ、溜息のように漏らす。
「〈寒田の兄〉を撃つおつもりならば」
明け方前の庭で二輔に護身用の武器を所望したが、老下男は手回しの良いことに、その日の午後には届けてくれたらしい。
警戒していたのは小色ではなく、真仁の件が露呈した時の駒と叶であった。なれど、まったく疑いがなかったわけではない。
だからこそ二輔には品を届ける際、細工を施すよう指示しておいた。風呂敷で包み、固く結んだ結び目に墨で縦に線を引く。描かれた線がずれていたならば、誰かが結び直した証となる。これは娘宿で荷の使いをする時にする手だった。
「真仁を納戸に隠したのは、おまえ?」
小色は顔色を無くし、
「オクダリサマへの非礼の数々伏してお詫び申し上げます! あれは正気を喪っているのでございます、どうかどうかご寛恕ください」
と、安是人の誰よりも実を込めて叩頭した。そして顔を伏せたまま言う。
「わたくしは、寒田の出にございます」
「……寒田の娘」
たんなる繰り返しだった。いくつか予想していたうちの可能性の一つ。寒田女と接するのは初めてで、物珍しさ以外に意味は無い。しかし、小色は責めと受け取ったのか口早に言葉を重ねる。
――決してオクダリサマを騙すつもりはありませんでした、けれど、寒田者と知られたら安是にはいられなくなります、やむを得ず素性を隠しました、でもやましいことは何一つありません、理由があるのです――
必死と呼ぶに相応しい様相だ。そして、今一度、深く叩頭し、顔を上げ、かすみをひたと見据える。その眼差しは誰かを彷彿させなくもない。
「昨夜現れた〈寒田の兄〉は、実の兄、燈吾にございます。〈妹の力〉――寒田の呪いを解くため、あにい様をお救いするため、わたくしは安是へ参りました」
寒田の暮らしは貧しい。
稲田は狭く米はいくらも穫れず、痩せた土地で飢えをしのぐため稗や粟を作り、冬の寒さは身を寄せ合い、薪や炭は節約する。
〈妹の力〉と〈寒田の兄〉の凶行により、山姫の怒りを買った寒田は黒山の恩恵に預かれない。主家たる安是からの黒ヒ油や現金、米などの融通はあったが、それで追いつくものではなく、また量は年々減少していた。特に寒田の里長が代替わりしてから顕著で、寄り合いで訴えたとしても、寒田長に安是からの施しが減ったと言われてしまえば、黙するしかない。
代々の土地や家を捨て、里を出る者も多かった。
過去、安是でも寒田でも、里からの出奔は厳しく禁じられていた。先祖である落人は都の追っ手を逃れて遥野郷へと逃げてきたのだから。しかし、寒田はそもそも落人の家来衆が寄り集められた里、落人の血縁を根絶やしにしたいというのなら関係がない。特に新都への遷都以後、寒田では出奔自体は黙認される向きがあった。
一方、相も変わらず、寒田で忌避されたのは、末の娘だ。末娘は〈妹の力〉が宿るやもしれぬ災いの種。ほとんどが血縁にある寒田では、ひとたび〈妹姫〉が生まれてしまえば、兄妹でなくとも力が及び、どれだけの〈寒田の兄〉が目覚めるかわからない。
抑えきれなければ、安是は山姫を下らせ、今度こそ寒田は壊滅させられるだろう。上の者は、下を顧みないのが世の常だ。
小色は寒田百姓の末娘だった。いや、末娘となってしまった。母は難産の末、弟を死産で産み、産褥熱で帰らぬ人となった。七つを前にした小色を憐れみ、母が無理を重ねたのは疑いない。寒田ではよくある話だ。
その後、目に見えて、耳に響いて、肌に露わに、父と兄らには疎まれ、蔑まれ、邪険にされた。
――こいろ、このいろ、このやろう。男児らは、節をつけて小色をからかった。
それでも自分は恵まれていた。寒田では女子が産まれると、顔も確かめぬまま谷川へ流すことが多く、何より、自分には味方がいた。
たった一人、六人兄妹の三番目の兄が。陰に日向に小色を守り、育て、慰めた。〈妹の力〉など迷信だと唾棄し、男児らの首根っこを掴まえ、里長に直訴すると憤ってくれた。そんな兄の様子は、嬉しくも同時に恐ろしかった。いつか悪いものを呼ぶのではないかと。
十になり小色は、宮市の髪結いへと奉公へ出る。寒田の生き残った他の末娘と同じく。迷惑をかけずに済むと安堵する反面、兄と離れるのは辛かった。そんな気持ちを察して、兄は半月に一度は手紙を寄越し、季節の変わり目には逢いにきてくれた。折々の着物や小物、そして見識を広めるため出歩く人だったから珍しい土産物を持って。無論、一番嬉しかったのは兄自身だった。
けれど数年経ち、便りも、土産も、足も、徐々に遠のいた。たまにやってきて小色が雀の涙の給金をやりくりしてもてなしても、心ここにあらずで、姿を消してしま う。最後の三月はまったく音沙汰が無かった。
兄には兄の暮らしがある。そう自身を律したものの、やはり気に掛かり寒田へ文を送ったのが一月前。兄は遊学へ出たきり、帰ってきていないとの返答だった。
兄が約束を違えたことはないが、同時にそういうこともあるだろうと心積もりしていた。自分がいつまでも子どもではないように、兄は男盛りで縛り付けてはおけない。
そう言い聞かせながらも不安が胸を覆い、ある意味で悪い予感は当たる。髪結いの師匠が、若い職人と駆け落ちしたのだ。
客を引き継ぎ髪結いで生計を立てるには、半端な見習いである小色にとって髪結い仲間の手前難しく、かといって当てがあるわけではない。
気もそぞろに訪れた宮市の斡旋所で、小色は知った顔を見つけた。
幾度か寒田の里長を尋ねてきたことがある安是の面々。無論、彼らは寒田娘の顔など覚えていなかったが。
このまま知らんふりしていれば、里と関わらねば、己を苛んできた者たちと、妹の呪いと決別できる。なれど。
そして、と。小色は息を継いだ。
「わたくしは寒田者であることを隠し、オクダリサマ付きの下女になったのでございます」
化粧の間は障子戸を開け放ったままにしてあり、遥野郷の山々が水衣を纏い、薄青く霞んでいる。あと数日もすれば、秋は深まり、衣は赤や金の錦と召し替えられるだろう。
視線を室内に戻せば、小色が正座する脇になにやら赤い筒がある。目新しく、なれど、どこか見覚えがある。不意に記憶が結ばれた。
万華鏡、あるいは百色眼鏡――草庵でこっそり覗かせてくれた家族の土産にと買ってきたというそれ。極彩色の小部屋の覗き穴。かしゃり、かしゃり、と水晶の羽根を砕くような儚い音は、この小さな玩具が鳴らしていたらしい。
万華鏡の持ち主、燈吾の身内、妹……あにい様。
胸を押す息苦しさを覚えたのも束の間、かすみは小色に向き直る。もしも彼女が燈吾の妹ならば、短筒について多少の知識があり、中身――弾を抜き出す術を知っていてもそう不思議ではない。かすみ自身、寝物語として燈吾から短筒について聞き齧っていたのだから。女の身でも扱える得物であると。
「脅し用の贋物よ」
傍らに置いた黒金に視線を落とし、呟く。そして再び手を差し出せば、小色は胸元から鈍色の椎の実めいた五粒を取り出し、かすみの手の平に乗せた。
「あてがあるというの?」
小色の嘆息分上乗せされているのか、椎の粒はずしりと重く感じられ、懐にしまいつつ尋ねる。
兄を救うという気概は結構だが、ただ安是で下働きをしていたところでどうともできまい。
しかし、予想に反して小色は生真面目な顔で頷く。
「〈妹の力〉について、あにい様はよく考えを巡らせておりました。末娘であるわたくしの苦難を憐れんでのことです」
真っ直ぐな言葉と眼差しに、感情が渦巻く。だが、今は聞きたい欲求が勝った。
「あにい様は、〈妹の力〉が不安や恐怖、鬱屈を背景として個から全体へと伝播する、集団的な興奮・恍惚・没我症状の一つなのではないかと考えておりました。前の御世で世直し踊りが東全土で老若男女問わず流行ったことはご存知でしょう。規模も程度も違いますが、同じような現象ではないかと申しておりました。
寒田においては、親から子へと連綿と受け継がれる伝承や言い聞かせ、減る一方の安是からの援助や不作による生活苦、また帝が代わられたのに変わらない里の暮らし。そういった諸々が重なり、妹姫や〈寒田の兄〉が目覚めたのではないかと推察されるのです」
小色の真剣な面持ちとは裏腹に、かすみは意気を挫かれた心地だった。自分としては山姫をくだらせる方法を知りたいのであり、弁舌をふるってほしいわけではない。
だが、ですから、と前置きされて放たれた次の一言には、心が動いた。
「あにい様を新都へお連れします」
「……新都へ?」
「新都には西つ国の学問を修めたお医者様がいらっしゃいます。目に見えるものだけでなく、心を専門になさっている方もいるとか。心医様に診ていただき、〈妹の力〉を祓って――否、治していただくのです」
――新都への旅費は貯めたお給金があります、足りなければ行く先々で髪結いの真似事をします、何をしてでも新都へお連れして、腕の良い心医様を訪ね、治療していただき、わたくしはあにい様にご恩を返す所存で、お世話し――
「無理よ」
勢い込んで展望を述べる娘に、かすみは冷厳と言い放っていた。
「燈吾は私の夫だから」
半開きになった口が、はくはくと丘に上がった魚じみて開閉する。けれど何も言い出せず、小色は俯いた。その拍子に、傍らに置かれた万華鏡が揺れ、かしゃり音を立てる。
「……オクダリサマには兄が失礼を働きました。なれど兄は病気なのです、まず治療をせねばなりません」
「なら、私が新都へ連れてゆく」
「そんな、畏れ多くも安是のオクダリサマにそのような真似はさせられません。兄も恐縮します。兄には休養が必要です。どうぞご理解くださいませ」
唐突に理解が至った。小色の必死の形相と弁舌と献身、それらに対して苛立つ己の心持ちに。
「燈吾を好いているの?」
ぱぁっと。白い頬に花が咲く。秋を告げる死者送りの花の鮮烈な慕色。それは如実に小色の胸の裡を語っていた。




