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「さて、まずはご苦労だったな」

 髭を蓄えた海軍軍令部総長は労いの言葉をかける。しかし逆光のためにその表情は判然とせず、それが心からの言葉なのか判断しきれない。

「私は指示に従っただけです」

 数か月前に死んだはずのその男は相手の感情など意に介していないかのように眉一つ動かさず答える。

「謙遜するな。素晴らしい手際だった。現に有馬寛治が生きていると思っている者は誰一人としていない」

 青年は総長の口角が心なしか少し上がったように見えた。ただでさえ厳しく鬼と呼ばれる男が手放しで称賛する姿は普段を知る者が見ればどれ程異例なことかよくわかるだろう。

「お褒めに与り、光栄です」

 しかしその賛辞を受けてもなお表情は一切変わらない。その無感情さは有馬寛治という人物からは大きくかけ離れている。

「やはり君はこの任に相応しい」

 老獪な軍人は今度は誰が見てもわかるほどの笑みを浮かべる。その笑みは数か月前、不意に青年の前に現れた時と同じものだった。



「君が有馬寛治かね?」

 唐突に呼び出されたと思いきや、海軍軍令部総長と面会することになった有馬寛治はほとんど混乱状態であった。

「はい」

 辛うじてその短い返事だけを絞り出す。

「土御門晴賢ではなく?」

 にやりとした笑みを浮かべながら放たれたその一言で若い将校の思考は完全に停止する。

 彼は海軍兵学校に入ってから、いやそれ以前からその名で呼ばれた経験はほぼ無かった。

 だがそれも当然である。ほとんどの人間が養子に出される前の名など覚えてはいまい。ましてその理由が経済的な困窮であるならば、思い出したくもないはずだ。

「海軍の多くは君を有馬寛治として重宝したいと思っているだろう。だが私は君を土御門晴賢として使いたいと思っている。つまり、何十人といる兵学校の首席ではなく、唯一最強の陰陽師として君を認識しているということだ」

 陰陽師。それはかつて政権の中心に深く根ざした存在であった。しかし時代は移ろい、明治に入ると陰陽道は迷信とされその地位を追われることとなる。

 本家は華族として今なお力を維持しているが、晴賢の生家のような末端の分家では無論そんなことは叶わない。それゆえに若くして圧倒的な才能を示していた晴賢も陰陽師としての道は閉ざされることとなった。だが。

「なぜいまさら私の力を……」

「今、我が国は危機的状況にある。先の大戦を戦勝国の側に立って終わらせた我らは必然的に英米をはじめとする列強と渡り合っていかねばならん。しかし我らはやつらと比べ、情報戦の面において圧倒的に弱い。加えて内部での不穏分子を叩く必要まで出てきている」

 苦々しいその口調からは苦労が滲み出ている。

「そしてそいつらの中でも特に厄介なのが他国の魔術師、あるいは国内の反体制派の呪術師たちだ。奴らは簡単には尻尾を掴ませず、しかも常人では相手にならん」

「だから私の陰陽師としての力を利用したいということですか」

「その通りだ。内部の人間でこれほどの実力を備えていてかつ信頼もおけるのであれば利用しない手はない」

 その方が響くと判断したのか躊躇うことなく本心を包み隠さずに伝える。

「私が呼ばれた理由はよくわかりました。しかしながら治安維持は海軍の管轄なのでしょうか」

 兵学校で学び、縦割り式に慣れた青年はどこか納得がいかないといった様子で尋ねる。

「これは治安維持ではない。いわば隠れた戦争だ。我々海軍は否が応でも海外と向き合い続けなけらばならん。だがその土台が揺らいでいては元も子もない。まして陸軍の連中などに任せてはおけん」

「ですが私のような新兵ではその重大な任が務まるか……」

「経歴は重要ではない。何よりも既に事態は急を要している」

「どういうことでしょうか」

「先のワシントン会議ではあらかじめこちら側の受け入れられる最低のラインを米国は知っていた、としたらどうだ」

 それは若き将校にとって衝撃的な内容であった。1922年に開かれたワシントン海軍軍縮条約によって日本は保有艦の排水量を対英米6割にすることが決まっている。これが決められた当時、海軍内では一部の強い反発があったのは言うまでもない。

 この件は後にアメリカの暗号解読機関によって日本の情報が筒抜けであったと言われている。

「実を言うと会議の前に一部の書類が盗難された。我々も総力を挙げて調査に当たったが現場には何ら物的証拠が残されておらず、後に残ったのは謎だけだ。ただでさえ暗号解読や諜報の面で既に水をあけられている今、魔術師たちが国内で好き勝手にされては我らは手足をもがれたに等しい」

 総長はそこで言葉を切ると、目の前の少尉の肩を掴む。

「だからこそ今すぐに君の力が必要としている」

 その気迫を感じ取った青年は少しの逡巡の後、意を決して口を開いた。

「わかりました。この命にかけて必ずやお役に立ってみせます」

 初老の軍人はその答えを聞くと、満足そうに頷いた。

「その決断に感謝する。そして受け入れてもらったのであればこれを渡さねばな」

 そう言って一冊のノートの様なものを取り出す。

 海軍軍令部特務局新設要綱という文字の上に大きく機密と刻まれたその書類こそ海軍肝いりの計画の青写真であった。

「全て頭に叩き込んだ後に焼却処分しろ。そしてもう一つ、情報戦である以上顔と名前の知られた有馬寛治のままでは困る。故に卒業後は有馬寛治という人間として一旦この世を去れ。やり方は任せる」

 この瞬間、有馬寛治、いや土御門晴賢はその運命が決まることとなる。



 そして今、数か月ぶりに顔を合わせた二人は初めての任務について話し込んでいた。

「単刀直入に言う。米国大使への襲撃未遂が起こった。君にはその調査と犯人の確保を行ってもらう」

至らないところが多々あると思いますが、楽しんでいただければ何よりです。

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