【お師匠様!! 猫です!!】
そこは、火の海だった。
家が燃えていた。
畑が燃えていた。
人が燃えていた。
魔物が高らかに唄っていた。
地獄だった。
魔物に食われそうだった私は、その瞬間、赤い海が見えた。
それが魔物の血で。
自分の体が魔物の血に塗れたことを理解することは出来なかった。
「お前だけが生き残ったか」
そう話かけたのはこの世界では稀な黒髪の女性。
黒地に銀の縁取りがなされたローブを着たその女性は、私にそっと手を伸ばした。
それが、私の最初の記憶。
たった6歳ですべてを奪われ、記憶をも失った私の。
*****
「起きなさい、アリス」
それはもう、条件反射と言っても過言ではない。
バッと起き上がった私は、しかし、目をぱちくりとさせた。
寝ている場所は王宮にある自室だ。
慣れ親しんだ布団の感覚は、まるで何もなかったかのようにも思える。
ただ、感じる少しの違和感に首を傾げた。
「起きたようだな。馬鹿弟子よ」
そんな私を現実に引き戻したのはお師匠様の声だった。
大陸では珍しい黒髪を片側だけ結い上げており、王宮魔法使いのローブを羽織っている。
私と同じ金色の瞳は血縁関係を思わせるには十分で。
まるで1人で夜空を体現するような彼女の名前はメルベール・スティ。
私の伯母であり育ての親兼師匠でもある。
「ーーーっ」
声を出そうとしたが空気のみが漏れた。
どれほどの間私は寝ていたのだろう。
とても喉が乾いているせいなのか声がでない。
1ヶ月かそこらだろうか。
強力な魔法をその身に受けた記憶はあるのだが。
仕方ないとお師匠様に念話を繋ぐ。
【姫様はご無事ですか】
魔法使いはいつ何時も冷静であれ。
それが師匠の教えだ。
教え通りに内面の動揺を押し殺してそう問いかける。
あのあと襲撃はあったのだろうか。
陛下より【色】を拝命された騎士と魔法使いが勢揃いしていたのだ。王家の方々に何かあったとは考えにくい。
「あぁ。どこかの馬鹿が肉壁になったおかげでご無事だよ」
【よかった】
ほっと息をつく。
その瞬間、目に映ったのは自分の手だった。
手、というよりも体と表現した方が良いだろうか。
ふにっとした桃色の肉球。
紅色の髪の毛ではなく、ふさふさの体毛。
そして縮んだ体。
【はへ?】
「漸く気付いたか。馬鹿者」
これは幻か。夢現か。
私はお師匠様に頭をこつんと叩かれるまで、自分の肉球を開いたり閉じたりしていた。
【お、おおおおおおっお!】
「落ち着け」
【お師匠様!! 猫です!!】
「そうだな」
【もふもふです!!】
気にするところはそこなのか?
と、お師匠様は残念なものを見る目で私を見ている。
そんなお師匠様を気にも留めずに私は興奮しながらもふもふと連呼した。
「人体変化の魔法は禁呪だ」
【もふもふふもっふ!】
「かけたものはその命を代償にかけたから解呪にも時間がかかる」
【え、なにこれ尻尾!? なんかもぞもぞする!】
「下手をすれば一生そのままの可能性もーーー」
【尻尾追いかけるの楽しいかもっ】
「聞け!! 馬鹿者!!」
【ひゃん!】
お師匠様の怒鳴り声に私は尻尾を股の間に入れる。
いいじゃないですか。お師匠様。
私だって混乱しているんです。
お師匠様は、はぁ~っと深い溜め息を着いた。
「今【色付き】の魔法使いがそれぞれ解呪の方法を探している。かなり古い魔法のようでな。お前でも心当たりはないか」
その身に受けているのだからわかることは多い。
冷静になって考えてみると起きたすぐに違和感なく、そして念話も出来ている。
つまりは現在の状態が私にとても馴染んでいるということ。
けれど精神的な影響はどうなのか。
揺れるしっぽを追いかけ回すのは楽しかったので、猫としての精神汚染は受けているように思う。
魔法というのは継続するには核となる魔法陣が必要になる。
また呪いに分類される魔法には魔法陣が刻まれた宝石なんてのも定番だろうか。
自分の意思で体内の魔力を循環させてみる。
すると、いつもと違う違和感を一箇所感じた。
【お師匠様……】
たらりと嫌な汗が流れたような気がした。
【魔核に魔法陣があるみたいです】