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執着の監獄

 横向いた魔王が、ぶたれた頬に手をやった。再生した瞼から銀の瞳が細く覗き、剣呑な色を湛えていた。

 離れようとする彼女に伸ばした指を、フィエルンは勢いよく払い除けた。


「触らないで!」


 シュヴァイツは今度こそ目を見開き、払われた手をそのままに立ち竦んだ。


「エスタール!」


 駆け寄ったフィエルンはエスタールの背中に、ためらいがちに触れた。


「ああ、酷い傷」


 暖かさと共に嘘のように痛みが消えていき、彼は息をついた。


「…………フィエルン」

「ごめんなさい、私がどうかしてたの。本当にごめんなさい」

「なぜ謝るんだ?」


 身体を起こしたエスタールは、咽び泣く彼女の手を握った。


「私がテネシアの記憶に引き摺られて気を抜いたからこんなことに」

「助けてくれたじゃないか。それより君は無事か?酷い目にはあってない?」


 こくり、と彼女が頷き、それが嘘ではない様子を見てエスタールはホッとした。


「こちらへ来い」


 低く唸るように魔王が呼び、こちらへと歩いてくる。


「嫌よ」


 エスタールの肩に手を置き、フィエルンは自らの身体で庇うようにして魔王を睨んだ。


「私が離れたら、またエスタールを殺そうとするのでしょう?フィエルンとしての私から大切な人を奪って孤立させたとしても、私はテネシアのようにはシュヴァイツを見たりしない。私はフィエルンなのだから、それを否定するあなたの元へなんか行けない」


 彼女の言うことは尤もだ。だが事はもっと単純なのだろうとエスタールは思った。


 腕に刺さったままだった聖剣を魔王が引き抜く。ジュウウと肉の焦げる音がして火傷を負った手でそれを荒々しく投げ棄てた。

 その手をこちらへ向けるが、彼女を迎える為ではなかった。

 手から黒い光が迸り、エスタールめがけて撃たれた。フィエルンは避けることなく光の盾を巡らせて防ぐと、名を呼んで引き寄せた聖剣を手に取った。


「フィエルン!」


 次々と押し寄せる魔王の攻撃を聖剣が斬っていく。何の体勢を取らなくても、時には念じれば力が形作られ攻撃を放つ。

 速い!

 今まで型を取る程度だった彼女とは思えない。人間離れしたスピードで両者が戦うのを、エスタールは目で追うのが精一杯だった。


 これが聖女と魔王の戦いなのか。

 攻撃の威力の凄まじさから風圧が襲う中、エスタールは泣きながら戦う彼女を見た。


 本当はとても辛いのだろう?


「もうやめて!」


 飛びすさったフィエルンが剣を突きつけて間合いを取った。


「……………始めたお前が何を言う」


 ジャキ、と鋼鉄の乾いた音がして、標準を定めた飛空挺の大砲が火を噴いた。

 シュヴァイツはフィエルンを見たまま、砲撃を背に受ける直前に闇を形成すると、それを吸収してしまった。泥に沈んだ小石のように何の爆発もなく何も無かったように。

 数発打ち込んでも同じだったから錯覚ではないようだった。


「20年、死んだお前を抱いていた。お前が塵になってから数十年眠っていた。次の魔王を求めて同胞共に肉体をバラバラにされようが死ぬことはなかった。当然だ、お前にしか今までもこれからも殺せないのだから」


「シュヴァイツ」


 口元を手で覆ったフィエルンが震える声で名を呼ぶ。


「お前を忘れないため……………なのに、よくも言えたものだ。始めたのはお前からだ」

「ごめんなさい」


 身勝手な執着だと、エスタールは眉を潜めた。


「なんて………」


 哀れな男だろう。形は違えどフィエルンも魔王も未だ足掻いて苦しんでいる。


 だけど譲れない。


「フィエルン、こっちへ」


 エスタールが呼ぶと、助けを求めるように彼女が振り向いた。


「エスタール」


 軽く両手を広げると、彼女が力なく歩いて来た。


「俺の方へ来い」


 フルフルと首を振るフィエルンを見て、魔王は上空へ片手を伸ばした。黒い煙のようなものが壁のように広がり、そこからさっき吸収した砲弾が現れた。


「やめ………!」


 ドンッ、と火柱を上げ、飛空挺が傾いだ。


「神官長様!」


 固唾を呑んで見守っていたジェスが悲痛な声を漏らした。


「来い!」


 黒煙を昇らせ落下していく飛空挺を背後に、銀の瞳は鋭くフィエルンを射抜いた。


「フィエルン」


 唇を噛み締めたエスタールは、動けない彼女に自分から近付くと抱き締めた。


「脅しても心は手に入らない。本当に分からないのか魔王?」


 答えを求めた訳ではない。ただ彼女を渡せないから口にした。同情からかもしれない。


 魔王から隠すようにエスタールに両手で包まれていたフィエルンが、顔を埋めたまま告げた。


「行けない、シュヴァイツ。今の私はあなたの元へは行けない」






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