光の神殿
赤岩が剥き出しの切り立った崖をエスタールは見上げていた。外郭は巨大な一枚岩にしか見えないが、実は内部は空洞で一つの都市がすっぽりと収まる広さを誇っている。ただそれは、入ることを許された者だけが知ること。
馬を降りた彼が、事前に聞いていた通りに石畳に記された印の上に立つと、頭上から誰何の声が掛かった。
フードを取り払い、疲労の滲んだ顔を上向ける。
「エスタール……………イグニッド王国第二王子、聖剣を授かりし者、聖女の婚約者」
声は岩壁に反響して下から上へ伝わっていく。
ややあってから滑車の回る音がして、上から人が5、6人乗れる大きさのゴンドラが下がってきた。中に男が一人操作していて、エスタールを見て礼を取った。
「神官長様がお待ちです。こちらへ」
エスタールは少し怪訝な顔をしたが、そのまま男の案内に従いゴンドラに乗り込んだ。カラカラと鎖が鳴り垂直に上がっていくと、赤い地面に木々の緑が映えて見える。この近くに住居は見当たらず物寂しい風景が広がっていた。
「さあ着きました」
促されて降りた所は岩の頂上のはずだが、平たく整備されていて幾つものゴンドラが備えられていた。何より目を引いたのは、中央に巨大な船のようなものが配備されていることだ。
「飛空挺か」
イグニッドでも小型を数挺持っていたが、これは数千人収容できる大きさだ。無駄な装飾はなく武骨な構えで整備作業をしている人が見えた。
「ええ、移動手段がここでは限られますから」
出入口がないのは防衛の為。古代には闇の神を祀る者、異教徒、盗賊、何より魔物の侵入を防ぐ為だったという。
各所にある光の神を祀る神殿の総本山であるのがここ『岩砦の光』だ。本来はこの世に生まれた聖女を保護養育する役目も担う。
エスタールは初めて訪れたが、正直門前払いも覚悟していた。イグニッド王国が神殿に引き取られるはずだった聖女を奪った。一国が神殿の権利を無視したのだから、当時は勿論強い抗議があった。
だが引き取って一年ほど経った頃、イグニッドに伝わる聖剣を第二王子であるエスタールに継承するようにと言ってきてからは沈黙を貫いてきた。
鉄籠のような乗り物で下の階へと降ろされ、途中から階段を使う。自然の岩穴や窪みをそのまま居住区にしているので、蟻の巣のような複雑な構造になっている。
やがて水の音が聴こえたと思ったら、光が射す吹き抜けに出た。岩に開いた巨大な穴からは青い空が見え、その下には豊富な地下水によりもたらされたエメラルドグリーンの池があり、横から小さな滝が幾筋も流れていて子供達が水遊びをしていた。
神官達、ここの維持管理をする技術者や警備をする者とその家族。及び孤児院や神官養成学校の者達、およそ三千人が暮らしているという。
まるで別世界だと子供の笑い声を耳にエスタールは思った。外では幾つも国が滅んでいるというのに。
池の側を回り、向かい側にある岩壁にくり抜かれた通路で奥へと歩く。どういう作りになっているのか、途中には畑や牧場も整備されていて自給自足できる機能が備わっている。
もうどこをどう通ったか分からなくなった時に、ようやく一つの扉の前に辿り着いた。
「お入り下さい」
思ったよりも小さく簡素な部屋。50代ぐらいだろうか、一人の女が茶を入れていた。
「ようこそ、エスタール殿」
白金の髪を纏め、短い白のベールを後ろへ垂らしたその女が神官長だと察し、エスタールは片手を胸に置き礼を尽くした。
「神官長殿にご挨拶申し上げます」
「堅苦しいのはいいわ。ローネンシアと呼んで下さって結構ですよ。まあそんなことは貴方にとってどうでもいいことね」
エスタールにソファーを勧めたローネンシアは、彼の向かいに座った。彼女の横には長い髪を一つに束ねた若い男の神官が立ったまま控えている。
「お茶をどうぞ。ジェス、貴方も飲んでいいのよ」
「………………ありがたく」
一口飲んで青い顔をしている神官を、エスタールは知らないふりをした。
「来ると思っていたわ。イグニッドのことは聞いています…………さぞお辛いでしょう」
ローネンシアは幅広の袖を横に流すと優雅な所作で茶を飲んだ。そしてゆっくりと顔を向けた。
「はい、もう我が国は国として成り立つことも儘ならないでしょう」
「王家の方々は、ご無事ですか?」
「母と妹は、母の実家であるベネスラ公国に身を寄せています。父と兄はイグニッドに残っています」
「そうですか」
「フィエルンが拐われました」
重い空気が垂れ込める。寝食もそこそこにやって来ただろうエスタールは座っているのもやっとの様子で、ローネンシアはそんな彼を痛そうに見ていた。
「私はフィエルンを、聖女を魔王から救い出す方法を探しに来ました。光の神の教えを説く貴女なら何か御存知ではありませんか?どんな小さなことでもいいのです」
「そうね、私が知っていることは話しましょう。ですが私達『岩砦の光』は聖女を救出するつもりはありません」