2.
「驚いて、ブレーキも踏めなかったよ」
そう言うと、ある三十代の男は、牢屋の中で笑った。
運送会社に勤めていた彼は、四年前、解雇されると同時に鉄格子の向こうに閉じこめられた。
「ふつうに道を走ってたら、上から女の子が落ちてきたんだ。俺のトラックは空中で女の子にぶつかった。ブレーキを踏んだのはその時だ。人を跳ねたからじゃない。フロントガラスにヒビが入ったからだ」
男に悪びれる様子も無く、そう語った。それは彼が四年間、幾度と無く繰り返した言葉だった。そうして挑発的に、自嘲気味に、不快なセリフを吐く男は、あたかも非難を浴びる事で、自分でも理解しきれない不幸と罪悪感から救われようとしていたように思う。
「五年くらい前だね、あの子がおかしくなり始めたのは」
ある女学生は、学園の鞄を下ろしながら言った。
「背中が痛い、背中が痛い、って。どうしたの? って聞いたら、羽根が背中を突き破ろうとしてる、だってさ」
彼女は大人ぶって、その不可解な話をさも平然と語った。
「あの子、病気なんだね。自分が空を飛べるって、信じてるんだ」
空を飛ぼうとして車に跳ねられた天使を思い出し、彼女何か殺伐とした笑みを浮かべた。