番外編6 父はずっと『まて』をしています
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「なっ、何を言い出す。突然・・・
ここを出ていくなど・・・、侯爵夫人でいられることに何の不満があるんだっ!
だ、ダメだっ!離縁など、するわけがないっ!いや、出来ない。
みっともないだろっ!」
さっきまで赤い顔をして憤慨していたのに、いまでは色は一気に冷め青白くなっている。
吊り上がった鋭い視線の瞳は変わらないようだけど、そこには力がない。
端的に言えば、うろたえている様。
珍しい姿。
婚約してからこの方、この人の余裕のない姿など初めて見る。
「顔も見たくないとおっしゃったのは、そちらでございましょう?
最後ですので、それだけは従いましょう。
不愉快なわたくしによく似た子供たちの顔を見るのもよろしくないでしょうから、わたくしと共にでていきますわ。」
「なっ・・・」
不愉快と言われた、わたくしの顔。
幼いころは祖母に似て美人になると言われていても、平民から貴族の夫人になった美人の祖母には良くない噂もあって言われてもあまりうれしくなかった。
けれども、婚約が決まって氷のように冷たい貴公子と言われているあの人からかけられる言葉は優しく、折々に紡がれる『美しい人』という言葉に自分のこの顔が好きになった。
例え最初は容姿にだけ惹かれられたのだとしてもこの先一緒にいて、わたくしのいいところをもっと見つけて好きになってくださると思っていた。
わたくしが噂と違って、優しいあの人を好きになったように・・・
そうよわたくしは、あの人のことをだんだんと好きになっていたのよ。
他の人の前では冷たい顔しか見せていないけど、わたくしの前ではわかりにくいけど口元が緩むように微笑む時があった。
いつのころだったかスマートにエスコートをされているとき、ちょっとした段差に躓きかけたときに抱きとめてくれた顔を見ていつもと違う照れて頬を染めるときもあった。
嬉しかった。
わたくしだけが他の誰も知らないあの人知っていると思ったから。
愛し愛されていると思っていた。
だから結婚して、子供たちができて本当に幸せだと思っていた。
でも、それが偽りで作られたものだという現実にわたくしの心は砕けてしまった。
見たくないと言われた、顔。
周りの大人たちの囁きが蘇る。
幼い子供にはわからないだろうと、目の前で交わされる祖母への嘲笑。
その後についてくるのは、「そっくりな顔」「男を唆す女の顔」「顔だけの令嬢」そんな言われない中傷。
幼心に大人たちが意地悪を言っているのは分かるが対抗する術を持たないわたくしは、内向的になっていった。わたくしが人見知りになった原因。
それを救ってくれたのが、会うごとに愛しそうに囁いてくれたあの人の『美しい人』という言葉。
何とか様になっていた淑女から、立派な侯爵夫人と呼ばれるために一杯努力した。
それも、あの人の為。
誰に何を言われても、あの人が褒めてくれるのならばと気にならなくなった。
なのに・・・
なのに・・・
あの人からもう、傷つく言葉を聞きたくなく何かを言われる前に黍を返してその場から立ち去ろうとした。
「っまて!」
鋭い声と共に力強く掴まれる腕。
思わずイタッと声が出るほど強く掴まれた。
その声に怯んだのか、すぐに離された手を引き寄せ今度こそ部屋を出た。
後ろからあの人の名前を呼ぶ声が聞こえたが、振り向くことはしない。
掴まれたところがじんじんと痛みを訴えたが、それも気にならないほどだった。
わたくしは、子供たちの部屋に駆け込むように入り、きょとんとした目でこちらを見るレティを思わず抱きしめた。その横では、待ちくたびれたらしいエドがクッションを枕にラグの上でおもちゃを握りしめて眠っていた。
かわいい子供たち。
生まれたときから、わたくしによく似ていると美しく成長するだろうと嬉しそうに言ってくれていたのも嘘だったのだろうか。
それとも、わたくしのように顔だけの女と言われないようにと頭の中で算段をつけていたのだろうか。
どちらにしても、この子たちとはなれるつもりは毛頭ない。
「おかあしゃま、いたいいたい?」
抱きしめて動かないわたくしに気遣う声を掛ける、幼いレティ。
こんなに小さな子供に心配をかけるなんて母親失格だわ。
辛うじて涙は出てこなかった。ただ、胸が痛いほど、苦しく締め付けられていた。
わたくしは、腕を緩めてレティを安心させるように微笑みを向けるが、レティの視線はわたくしの顔ではなく腕を気にしていた。
「ここ、いたい?」
そう手を伸ばすのは、さっきあの人に掴まれた腕。
そこは握られた部分が赤くなっていた。
確かに強く掴まれたからこれはあとで腫れるかもしれない。
認識するとジンジンとした痛みに顔を顰めてしまう。
それでも幼い子に心配かけたくない一心で、大丈夫よと微笑んだ。
赤くなった腕にレティの小さなふくふくとした手のひらが添えられる。そしてわたくしが転んだ子供たちによくやっている「いたいのいたいいのとんでいけぇ」と舌ったらずな声でさすられた。
「っ!」
わたくしは目の前のことが信じられなかった。
小さな手が赤くなったわたくしの腕に触れると、そこが淡くぽわんと光り、痛みもすべてなくなっていた。
勘違い?
いいえ、確かに赤くなっていた腕、痛みを自覚していた。
それが、すっかりなくなっていた。
「・・・どうして」
「おおっ、まさか!レティシアが・・・聖女?」
わたくしが驚きにレティを呆然と見つめ、信じられないことに呟きが口からこぼれたとき大きな声が室内に響いた。
わたくしを追いかけてきたらしい、あの人が厳めしい顔に驚きと喜びを浮かべた見た事の顔で立っていた。
わたくしの運命は、その日にすべて変わってしまった。




