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番外編5 父はずっと『まて』をしています


「ヴィンセント家に都合の良い婚約者がわたくしだったのよ。」


そう言って微笑む、母上の顔は寂しそうだった。

細く白い指が繊細な作りのカップにかかる。

ソーサーから持ち上げられた白磁のカップには優美な花模様が描かれている。

綺麗な曲線を描く、カラー。

寂しそうにしながらも、花のように凛として美しい母。

一人の女性として愛されていると、思って嫁いできたんだろう。


「喧嘩をした時に言われたわ『丁度いい家柄で、見目が良く連れ歩くのに良かったから』ってね。

ええ、聞いた時はかなりショックで落ち込んだものよ。でもね、貴族の結婚なんてそんなものだし、わたくしが一人で勝手に夢を見ていただけなの。そういう少女の夢見る年頃だったのよ。

真実を知ってもきちんと大人になろう、貴族らしい求められる侯爵夫人でいようと思っていたのよ。貴方たちもいたもの。貴方たちがわたくしの、(よすが)でしたのよ。」


でも、あのことは・・・それでも許しがたいの・・・


諦めた面持ちで反していた母の顔が一言、声音を変えて話し出す。








何でもない日だったのよ。

そのころの貴方たちが絵本を取り合ってよく喧嘩をしていてね。似たような絵本が他にもなかったか、屋敷のライブラリーを探っていたの。

ライブラリーの一角は、わたくし専用にしてもらっていて、嫁いできたとき持ってきた書物やお祝いに頂いた子供向けの絵本とか置いていたの。

その時に偶々あの人がいて、一緒に絵本を選んでいたのよ。


なんでかしらね。

あの時あの人は、あの本を手に取って見つけてしまったの。


わたくしが忘れてしまっていた、初恋の思い出を・・・


絵本の書棚に一緒に入っていた、マナーの教本。嫁ぐときの荷物に一緒に入っていたのね。“貞淑な貴婦人のススメ”という本。あれはわたくしのおばあ様から受け継がれてる書物なの。でも開いて読んだことは無いわ。でもわたくしってば忘れていたのよ。その本の間に一輪の花を挟んでいたことを・・・


あの日、出会った初恋のザリエル伯爵子息との思い出の花だったのに・・・





「何だこれは?」


あの人に背を向けて、絵本を一冊一冊吟味していたところに、硬い声がかけられた。

あの人の機嫌のいい声どころか、声自体を聴くことが少ないので特に何も思うことなく振り向いた先には古臭い書物を開き手に一片の紙切れをもって睨まれていた。


「なんですの、それは?」


一見栞と思われるそれは、特に書庫にあってもおかしくはないというのに、あの人の眉間の皺はより深くなる。

わたくしの言葉に、無言でその栞を力いっぱい握りしめると()()をこちらに投げてきた。

見るからに怒りの形相で投げつけてきたというのに、()()はわたくしの足元にポトリと力なく落ちた。

掌よりも小さな栞は、あの人に握りつぶされたことで皺がついていた。

落ちたそれをまるで仇のように憎々し気に睨み付けたまま、微動だにせず何も言わないので不思議におもいながら仕方なくそれに手を伸ばした。


古いものだとわかる、その栞は拾い上げると一輪の花が張り付けられていた。そして、幼い字で書かれたそれを見て、思わず「まぁ・・・」と小さな声をもらし、口元が緩む。


それはあの王宮でのお茶会の日に、もらった初恋の人からの花。


どうして忘れていたのかしら・・・

栞の花が何なのかと思い当たれば、あの日のことが鮮明に思いだされる。

まるで王子様のように優しく微笑まれたこと、他愛のない話にも優しく頷き会話を広げてくれたこと、花が好きというと手折って差し出された一輪の花。普通ならば、気障ったらしいと失笑するようなことでも物腰が柔らかなザリエル子息はスマートで絵になった。

大輪の花よりも小さくとも可憐な花が好きというと、真っ白なデイジーを差し出された。

白いデイジーの花言葉は『無邪気』

今までそんなことをされたことがなく、夢見心地で帰ったあと仲の良いメイドに話して思い出に栞にしてはどうかと言われて普段開かれることが少ない分厚い書物に挟んだことを思いだした。


その後すぐに、ヴィンセント侯爵家からの婚約の話があって、そのままになっていたようだ。

栞には、あの時の浮かれた気持ちのまま文字が綴られていた。

今となっては、幼い初恋の思い出だ。


「こんなところに・・・」


「何が、『王子様」だ。

あの場には、本当の王子殿下がいたというのに偽者に踊らされてみっともない。

だから、お前は愚かなんだ。」


思わず、えっ?と覗えば、怒りに燃えた瞳はそのままであるが、顔には明らかに嘲りを含んだ表情をしていた。

この押し花の栞は、わたくしの中で懐かしい幼いころの話。もうすでに思い出となった話。

だというのに、なぜかこの人はいまだに目を怒りに燃え滾らせている。


「ふんっ、あの小童のどこが王子だ。

多くの女性を口説くだけ口説いて、本命は他国の王女様だと?

腹黒い考えでもなければ、身分違いも甚だしい。たかが伯爵の身分で異国の姫君をもらい受けようなどと、我がヴィンセント侯爵家がお前のような女で我慢してやったというのに・・・

陛下の目がなければ、もっとふさわしい身分の者がいたものを・・・

また、あいつに負けるなど・・・」


まだ、何かぶつぶつ言っているが聞こえなかった。

ただ一言が、頭の中でぐるぐると回っていた。

『我慢してやった』?・・・でも、わたくしのことを『美しい人』と・・・『女神のようだ』と・・・

そう言ったのは、誰だったの?


呆然とするわたくしを他所にあの人の口からは、さらにわたくしを打ちのめす言葉が出てきた。

打ちのめすと言っても、今思えば大したことでは無いかもね。

わたくしは恋乞われて結婚したと勝手に思っていただけで、あの人からすれば政略だっただけの事なの。

婚約期間の優しいあの人は、幻だったのよ。

あの時代前陛下は、貴族同士の婚姻で一番重視していたのは権力の偏りなの。権力を大きく持つ高位貴族を警戒していたの。例え代々王家からの信頼の厚くてもね。高位貴族同士の婚姻には慎重で、ヴィンセント侯爵家も注視されていたわ。

ヴィンセント家は過去に王女の降嫁が何度もある名家。その家に嫁ぐ家柄がまた権力のある貴族だと問題が生じるの。

わたくしの生家は都合がよかったのよ。

それなりに歴史もあって、権力はたいして持ち合わせていないけど落ちぶれてもいない。悪評もなく、かといって目立つような良い評価もない。唯一あったのが、美貌で知られた祖母似のわたくし。

家柄も釣り合いの取れる伯爵位ならば、これ以上の好条件はなかったそうよ。

陛下にもお伺いをたてて承認もされた、ヴィンセント家に都合の良い婚約者がわたくしだったのよ。


あの人の気持ちなんて関係ない・・・、いえ、違うわね、ある意味では強く関係していたのよね。


「あいつがあの時、お前を気にかけていたからと思っていたのに、あいつの思い人を奪ってやったと思ったと言うのに・・・。やっと勝てたと思ったのに・・・。でなければ、こんな、たかが、伯爵の、それも面白みもない、顔だけの女など・・・貧乏くじを引いたものだ。

はぁ、忙しいというのに、不愉快だ!

ああ、もうお前の顔なんぞ見たくもない。」


そう言われたとき、わたくしの心は完全に折れてしまったのよ。

わたくしは、ザリエル子息の目に留まったと勘違いされたから、あの人に見出されただけ。

そうでなければ、路傍の石も同然だと言われたのよ。

わたくしってば、周りから美しいと言われて天狗になっていたのね。

だってわたくしは、自分の顔に自信があったのよ。婚約期間中もあの人は『美しい人』とよくいってくれてたから。でもわたくしの姿かたちなど関係ないの。あの人にとっては、ザリエル子息から奪えるならば、下町の食堂の女将であろうときっと『美しい人』っていって口説くわ。現実に興味の欠片もなかったわたくしにも優しい言葉をかけてくださったもの。


「・・・・・・そうですか、でしたら結構ですわ。

貴方様のご身分にふさわしい奥様をお迎えくださいませ。

わたくしは、いつでも子供たちを連れて出ていきますわ。」


折れてしまったわたくしの心でしたが、それでも幼い子供たちがわたくしを強くしてくれたの。普段なら、あの人に口答えなどしようとも思わないのに、この時は怒りに任せてスルスルと口から言葉がこぼれる。


「好きどころか、本来なら目にも留まらぬものです。長らく無駄な時間を使わせまして申し訳ございませんでしたわね。今の陛下なら、貴方が望む方との婚姻を許可されるのではないでしょうか?

わたくしたちの婚約したころとは、変わりましたわ。どうぞ、わたくしに気兼ねなく。」


出会ってから、大人しく淑やかであれと言われた父の言葉通りの従順なわたくししか知らないあの人にとって、まさか反論どころでないことを言い返されるとも思ってみなかったのだろう、今まで見たことのない姿を見た。




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