『まて』をさせられました 41
◆エドワード視点◆
「エドワード様、陛下の許諾がされたこちらの書類にサインをください。」
そう言ってクラウディアに合図されてメイドがトレーを持って近づいてきた。
それは婚約解消の書類。陛下の許諾のサインと印がされた正式なもの。
俺はやっと自覚した恋心を告げた途端、失恋した。
遅すぎたのか・・・
クラウディアのかわいらしい唇が、俺の頬に触れた。
そう気が付いたのは、触れた柔らかく温かいものが離れた時だった。
目の前のクラウディアは、頬を染めて嬉しそうに口元がムズムズして笑うのを我慢しているようだった。その顔もかわいらしいが、それよりも今の状況だった。
触れたのは本当に俺の頬だったのかと、そこに触れたがただ俺の肌があるだけで実感がなかった。
そんな呆けた俺に次々に投げかけられた質問。
ぼんやりと思いつくまま口にしたが、
「それじゃあ、・・・婚約は解消しますか?」
その言葉に、はっとして強く拒否を表した。
後は切々と思いを口にした。そして気が付いていなかったことに気が付かされた。
父上は単独で婚約を解消できない。
何故、こんなことに思いがいかなかったのか・・・
クラウディアを愛しく思う時には、婚約を破棄させると言った父上の顔が浮かぶ。
それがいつもセットだったから、そこで考えることを放棄していた。その放棄していたことにも気が付いていなかった。
恐ろしかった。
あの頃の父上は、何でも出来る人だと思っていた。
仕事もそうだし、母上のこともそうだった。
いつの頃か、父上と母上が言い合いになり父上は母上に顔も見たくないと言ったのを聞いた。それからすぐだった、母上が領地に籠り以来何があっても王都のタウンハウスに来ることはなかった。
何があったかは知らないが、仕事でも家庭でもすると言うと必ずその通りになってきた父上。その権力も実行力もある人だったから・・・
知らず知らずに刷り込まれたことで、父上が婚約を破棄すると言えばそうなると無意識に思っていたようだ。
我慢しなくていいということは?
初めてクラウディアを見た時はあまりのかわいらしさに、妖精だと思っていた。
笑いかけられる笑顔に心が躍った。気遣うような優しい声に癒された。
疲れた時に、いつもクラウディアに会いたい、声が聞きたいと思っていた。
それは、つまり──────
「好きだっ!」
気が付くとクラウディアの小さな両手を握りしめて、言葉が突いて出た。
小さな手を握っていないと逃げていくのではないかと心配になる。
レティから聞いた俺の行動は最低なものだ。
我慢しているのは俺だけだと、相手を気遣ってなかった。
今更謝っても許されないかもしれない。
でも、この思いは伝えないといけない。
10年間我慢という言葉で押し込めて、閉じ込めた思いは噴水のように飛び出して止まらない。
切々と言い募る俺は、追いすがる情けない男だろう。
でも、気が付いたのなら言わずにはいられない。
10年間言えなかった言葉は、好きや愛しているでは足りないくらいだった。
俺の告白に涙を流して微笑んでくれる。笑顔が眩しい。泣かせたのがつらいが、喜んで泣いてくれているようで嬉しい。その涙を今度こそ俺が拭おう。そう、思っていた時だった。
「エドワード様・・・、私、ずっと、10年間ずっと貴方が好きでした」
俺の手から両手を引き抜いて、告げられた答えは過去形の告白。
好きでした。今は?今はどう思って・・・
聞きたいが、聞くのが怖い。
彼女は、今日俺に会った時なんと言った?
「私は『まて』をもうやめます。」
そう言われた。
『まて』なんてさせたつもりはなかったが、結婚出来るまで我慢をしていたと言うのならそう思われても仕方がない。
この後の言葉を聞くのが怖い。
まだ目尻に残る涙を自ら指で拭うと、気配を消して控えていたメイドが静々とクラウディアの横に立つ。その手にはいつの間にか用意されたのか、紙が載ったトレーを持っていた。
ズイッと差し出された書類を見て、告げられたクラウディアの顔を比べ見る。
今までのことを思えば、謝っても許されない。
10年という長い時間、我慢を強いてきた俺にはそれに否ということは出来ない。
出来ない・・・
出来ないんだ。
これにサインをしてしまえば、俺はクラウディアとの繋がりをなくすことになる。
そんなのは、
「嫌だっ!」
出した声は、さっきクラウディアが気付かせてくれた時も言ったが、今はそれ以上に切羽詰まった状態だ。
今までとは違う。
この書類には陛下のサインがされた正式なものだ。
俺がサインをすれば、間違いなくクラウディアは決まった機関へ提出をしてしまう。俺との繋がりが全くなくなる。
それこそ、父上の目の黒いうちはザリエル伯爵家と関わるのを阻止されるだろう。
それよりも何よりも、クラウディアへの恋慕を自覚した俺は、一瞬でもそんなことはしたくない。10年分の償いはしていく。今まで出来なかった、クラウディアの望むことを何でもする。
だから、婚約を解消するのだけは許してほしい。
俺の言葉にも、笑みを浮かべたまま静かにトレーと一緒に置かれたペンを手に取り俺に向けて差し出した。
すがすがしい笑顔。色々吹っ切れたのか、憂いが全くない笑顔。
「い、嫌だ・・・クラウディア・・・」
嫌だと首を振り、震える声で拒絶する。
彼女の差し出すペンを見て、クラウディアの顔を見る。
変わらない笑顔の顔で、ペンを差し出して動かないクラウディア。まるで俺の拒否の言葉が聞こえていないみたいだ。
「クラウディア、本当にすまなかった。今までの償いは何でもする。
だから、婚約の解消だけは、本当に嫌だ。
本当に悪かった。俺は」
「エドワード様。」
ため息交じりで呼ばれた声に、縋る視線を向けるがその鼻先にペンを突き付けられた。
「時間はいくら謝っても戻りません。
今更、何を言われても私が一度記憶を無くしたときに見た、日記を読んで感じた悲しみは変わりません。私は最初から、解消をしようと思いました。お父様が解消を侯爵に相談したときは完全に無視されたんです。でも婚約はいずれ破棄するつもりのようで、よく分からない行動をされていてもしかしたら嫌がらせなんじゃないのかなとも思いました。
エドワード様も連絡が取れない、解消したいのに動けないジレンマ。王妃様が味方をしてくださって陛下の許諾を取ってくださったんです。
分かりますか?
このことを、すべて陛下も知っていらっしゃるんですよ?
このまま、貴方がやっと私への好意に気が付いてくださったからといって、この書類を破棄は出来ません。」
そうだ陛下のサインがあると言うことは、何故婚約解消の話に至ったのか知っているということで・・・
俺のことはいい。
何をどう聞いたのか、気になるがクラウディアの瑕疵にならないか心配だ。
「私は、貴方にけじめをつけてほしいんです。」
そう真剣な目で、笑顔を消した顔で告げられた言葉は、まさしく最後通告だった。
「今までのことを反省して悪かったと思うのなら、償いをしたいと言うのなら、この書類にサインをしてください。」
そう言われて俺は、ガクッと膝を力なくついてしまった。
確かに、償いをすると言った。
悪かったと反省している、クラウディアの願いをなんでも叶えたいと思う。
その願いが、婚約の解消。
胸を掻きむしるほど苦しい。気が緩むと涙がこぼれそうになる。
悔しい。
なぜ、父上の思惑通りにしか動けなかったんだ。
後悔しても、今更だ。
分かっているが、情けなくも縋りたい。
ゆるゆると頭を上げて、懇願するようにクラウディアの顔を、瞳を見つめる。
俺のこの顔が好きというのなら、姑息だがこの顔をフル活用しよう。
俺のこの綺麗な顔。
見上げる角度がどのくらい効果があるのか、分からないがクラウディアが10年好きだと言ってくれたのだから、きっと何かしら。効果があると願いたい。
「頼む、クラウディア。もう一度、俺にチャンスをくれないか?」
意識して瞳をうるませて見上げたそこには、頬を真っ赤にしたクラウディアが、「狡い・・・」と顔を押さえていた。




