一食目 ーー どういうことだよ、これは? ーー (1)
嵐とは、突然起きるものなのか?
突然すぎるからこそ、耳を疑ってしまう。
一食目
1
それはある日の夜のこと。
午後十時を回っていた。この時間、珍しく一家四人が顔を合わせていた。
父親はソファーに腰かけビールを飲み、つまみのピーナツを食べながらテレビを見ている。
姉は風呂上りで、濡れた髪をバスタオルで拭きながら、お茶を飲んでくつろいでいる。
僕も何気に父親の向かいでソファーに座り、スマホを操作していた。ピーナツを片手に。
テレビでは漫才のバラエティーが流れていた。笑い声がドッとこぼれた。
いや、笑えない。
僕はキョトンとして背筋を伸ばしてしまう。
「ーーえっ? お母さん、今なんて言ったの?」
テレビの笑い声が静まったとき、姉が上擦った声で聞いた。
ダイニングのテーブルの椅子に座り、趣味の間違い探しの本を眺めていた母親に向けて。
ーーえっ? と聞き間違いだったのかと僕も疑い、眉間にシワを寄せ、顔をそちらに向けた。
一斉に注目が集まるなか、テーブルに開いた本を閉じ、フウッと息を吐いて肩を揺らした。
「だから、面倒になったのよ。毎日、お弁当を作るのがね」
「いや、ちょ、ちょ、ちょ。どういうことよ。それ?」
バンッとコップをテーブルに置いて責める姉。信じられない、と目を大きく開いて。
「だからね、あなたたちのお弁当を作るのを止めるって言ったのよ」
「嘘でしょっ」
「ーーハァッ?」
声を荒げて体を逸らす姉につられ、僕も立ち上がると声が漏れる。
「ちょっ、何、言ってんのさ、母さんっ」
瞬時に身の危険を悟り、スマホをテーブルに放ると、僕も母親の座るそばに詰め寄った。
「ちょっ、それって冗談でしょ? 何かあったの? もしかして包丁で指でも切った?」
突然の宣告に僕ら子供二人に動揺が走った。姉は必死に動揺を堪えながら、宥めるように温厚な声で聞き、母親の手先を気遣う。
姉の心配をよそに、母親は軽くかぶりを振ると、僕ら二人の顔を見比べ、目を細めた。
その姿に安堵し、二人して詰め寄っていた顔を逸らした。
ったく、たちの悪い冗談だよ、まったく。
「もう、疲れちゃったのよね。毎朝作るのがね~」
嘆くように呟く母親。思わず僕と姉は顔を見合わせてしまう。
マジ?
と無言の問いかけを交わしている間に、母親は椅子に深く凭れた。
「だってそうでしょう。あんたたち、作っても文句ばっかり言うじゃない。こっちだって作り甲斐がないじゃない」
「文句って、そんなこと言ってないじゃん」
「何、言ってるの。文句言ってるでしょ。恵那は脂っこいのが嫌だって言うし、貴樹は汁がこぼれるのが嫌だって。結構疲れるのよ、そういうのを考えて作るのも」
またしても声を荒げる姉を遮るように、母親が訴える。最後には「そうでしょ?」と問いかけるように。
顔は笑っていた。普段怒っているときは笑っていても、目尻が吊り上がっているが、今はそれがない。
だからこそ、本心を読み取ることに混乱し、僕は下唇を噛み、唸ってしまう。
「ちょっと、お父さんからも何か言ってよ。冗談は止めてって」
僕が感じていた不安を姉も抱いていたのか、テコでも動こうとしない母親に呆れ、父親に助けを求めた。
これまで静かに酒を飲み、テレビを見て笑っていた父親が「ん?」と体をこちらに向けた。
手にはコップ。目は虚ろ。ダメだ、完全にあれは酔っている……。
「だから~、お母さんに言ってよ、変なこと言わないでってっ」
話が耳から抜けていきそうな様子に、僕は呆れてしまったが、姉は逃げずにテーブルを叩いて怒鳴った。
まだ諦めていないようだ。
「う~ん。母さんがそう言うんだったら、それでいいんじゃないか?」
「ハァッ」
ダメである。
もうアルコールが父親を覆っているようで、話は入っていきそうにない。期待はできない。
「だったら、恵那が自分で作ればいいだけだろ?」
それは一番触れられたくなかった部分、もっとも後ろめたい部分であるはず。
弁当を作ってもらっている、と。
それとも天下の宝刀とも呼ぶべきか、酔いの回っているはずの父親から放たれた。
さすがの姉も下唇を噛んでしまう。
「そうじゃない。貴樹でもいいわよ。昔は料理するの好きだったでしょ」
助けを求めたはずであったが、父親は逆に母親の肩を持ち、そこに母親も僕に標準を向け、鋭い矢を放ってきた。
……そりゃ、そうだけど、いつの話だよ。
僕は反論できず、顔を伏せて唸ってしまう。
嘘だろ?
冗談だろ?
はぁ? いや、はぁっ?
あり得ないだろ、そんな拒否って。