誤解
剣はラッセルの手から離れた。今、彼は無防備だ。
追撃しようと足に力を込めたそのとき――俺の全身が震える。足がすくんで動かない。
ラッセルから放たれた圧。形容しがたいそれが、俺が前に進むのを阻んでいる。
彼は武器を失い、俺が有利な状況にいるはずだ。それなのに、踏み込んだらやられると思わせられた。
ためらったのは、一瞬。
だがその間に、迷いが生まれる。相手に殺意を感じたとはいえ、直前の俺は間違いなく彼を殺す気だった。相手の無事など一切考えていなかった。彼の行動は何かの間違い、あるいは俺の勘違いだったのではないか?
俺の行動は、正しかったのか? とっさに<質量操作>を使ってしまったが、それでよかったのか?
考えている間に、攻撃する機は失ってしまった。ラッセルは再び剣を魔術で生成して手に持っている。
「やっぱりな」
ラッセルが一言つぶやく。
はめられた。彼は、俺が<質量操作>を使わせるように仕向けたのだ。俺が隠している魔術を使わざるを得ないように俺を追い込んだのだ。
しかし、相手の思惑がわかっていたとしても、あの状況では使うしかなかった。彼の殺意は本物だった。そうだとしか思えなかった。
ラッセルは、今ので俺を魔人だと確信したはずだ。
彼の誤解をどうやって解けばいいのだろうか?
この場で口封じするのは得策ではない。彼を殺したりなんかしたら、それこそもう弁明はもう二度とできないだろう。俺は指名手配されて、帝国すべてが敵になり復讐どころではなくなってしまう。……そもそも俺がラッセルに勝てるかどうかという最大の問題は、棚に上げているのだが。
「今の魔術……お前、魔人なんだろ?」
ラッセルが俺を見つめる顔は、恐ろしいほどに何の感情も浮かんでいない。
俺が反論を言いかけたそのとき、ファニーナが大声で横から割って入った。
「ディルグは、魔人ではありません! 魔人の襲撃から学校を守った立役者なのに、魔人であるはずがないでしょう!」
ラッセルは動じない。
「わからんぞ? そうやって俺たちを油断させるためかもな。魔人を撃退することで信頼を得て、堂々と魔術を使えるようにするための策かもしれない。絶対にないと、断言できるか?」
一方ファニーナは、ラッセルの言葉を受けて目に見えるほどに狼狽していた。
「う…………そ、それでも!」
「――俺は、ディルグと嬢ちゃんの関係は詳しくは知らん。……だが、ファニーナ。お前はディルグに騙されていたんじゃないか? 彼の言葉は偽りだったんじゃないか?」
いや、彼女視点から見ても、俺が魔人であるという結論には至らないはず。……はず、だよな?
ファニーナは口をつぐんで押し黙っている。まさか、な。
客観的に考えて、ラッセルの言い分にはかなり無理がある。
仮に俺が魔人だとして、リスクとリターンが釣り合っていない。俺が注目されて、魔人だと疑われるかもしれないリスク。周りの目を気にせず<質量操作>を使えるリターン。たいしてリターンもないのにリスクを負うくらいなら、初めからほかの学生に紛れてスパイをする方がはるかにましだ。
感情的にも、ファニーナは俺のことを悪く思っていないはずだ。
だから、彼女はラッセルの言うことには耳を貸さない、と信じたい。俺のことを信じてくれていると思いたい。
ファニーナは無言で俺とラッセルの間に入り、彼に向かって剣を構えた。
彼女はラッセルの言うことより、俺のことを信じてくれた。
「……へえ。大英雄第二位である俺に逆らうことが何を意味するのか分かってるのか?」
ラッセルは、予想外だったのか目を大きく見開いていた。
「私も、大英雄です。……あなたは間違っています」
ファニーナは彼を前にして、そう言い切った。
彼女の背中は、少し震えている。
正直、彼女と二人がかりでもラッセルに勝てるかどうかは疑わしい。彼はまだ半分も本気を出していないだろう。全く底が見えない。
緊迫した雰囲気のなか、時間だけが過ぎていく。
最初に動き出したのは、ファニーナだ。
突進の勢いを載せた彼女の突きは、ラッセルによって上手くそらされ、躱されてしまう。
続く剣戟も、彼に軽くあしらわれている。彼女は両手で剣を握っているが、ラッセルは片手で彼女の剣を受け止めている。
技術と身体、いずれもラッセルに大きく分があった。同じ大英雄でも、彼とファニーナの間には大きな差がある。
ラッセルとファニーナの打ち合いの間に、俺は回り込むようにして彼に近づく。
ラッセルから見て左側面、剣の持ち手ではない方から仕掛けた攻撃は、彼の余裕を打ち崩すには至らなかった。ファニーナが突き飛ばされ、俺の剣がラッセルの剣によって受け止めれられる。
俺が上から押しこんでいるのに、彼の剣はびくともしない。
剣を引いて、再び攻めるが隙が無い。<質量操作>を発動するタイミングがない。ラッセルには、ファニーナを警戒する余裕すらある。
「ほらほらどうしたあ! さっきのを使ってみろよ!」
「うるっさい!」
彼が繰り出す重い一撃を何とかそらす。が、続く蹴りに対応できない。もろに食らって、地面から足が浮く。
わずかな浮遊感の後に、衝撃が全身を襲う。すぐに立ち上がるが、追撃は来ない。
ファニーナが、ラッセルに斬りかかっていた。
ラッセルは彼女に対応しながらも、魔術を発動させる。
5本の金属の槍が、襲い来る。狙いは甘く、直撃するのは2本だけだ。
剣を振って2本の槍を払い、前に進む。
ラッセルから妨害が来るが、<質量操作>で無効化する。ちらりとこちらを横目に見る彼の目が、見開く。
<加速>と<質量操作>で瞬時に距離を詰め、がら空きの胴体に<質量操作>の一撃をたたきこむ!
ラッセルはファニーナの攻撃にかかりっきりで、俺の攻撃に対応できないと思われたが、彼はニヤリと笑みを浮かべた。
「甘えよ」
剣を振り下ろしてすぐ。<質量操作>で剣を軽くした直後で、まだ十分に力が込められていないときに彼の腕が差し挟まれる。ラッセルが振るった腕は、俺の手首とひじの間に激突して、常識外の膂力で俺の動きを止めた。
その間にも、ラッセルはファニーナの剣を払って、剣の柄で彼女の頭を打った。
ゴン、と鈍い音が響き、頭に衝撃を受けた彼女が崩れ落ちる。
ラッセルが俺に向き直り、振り向きざまに剣を突き出す。剣先が見えないほどの速度のそれを、紙一重でかわす。カウンターを狙おうとするが、手に力が入らない。先ほどの彼の腕との激突で、ひじから先はしびれてまともに動かせない。
剣を持つ手に力が入らない状態では、彼の攻撃をしのぎ続けられるはずもない。数合もしないうちに剣が弾き飛ばされ手から離れる。
無防備な俺に、ラッセルの剣が振るわれる。……これは、防げない。
しかし、致命の一撃はやってこない。剣は俺を切り裂くことはなく、彼の手が空振る。
振りぬいたラッセルの手には剣が握られていない。俺に当たる直前で魔素に戻って消えていた。
理解ができない。集中力が途切れた? いやあり得ない。まだ大した魔術を使っていないし、彼の精神が疲弊しているようには見えない。
頭を押さえながらこちらを見つめるファニーナの顔も驚きで埋め尽くされている。
当のラッセルは、我慢できないといった様子で、突然笑い出した。ひりつくような雰囲気は完全に消え去っている。
「ははははは……いや、冗談だよ。今までのはね。別に君が魔人だとは疑っていないよ?」
「は?」
「え?」
ファニーナと俺の声が重なる。彼女は目が点になっている。俺も似たような表情だろう。
「こうでもしたら、君が本気になってくれると思ってな。やっぱり、俺に隠し事をしてただろ? おまけに、少し驚いたがファニーナの嬢ちゃんもかかってきた。いや、だましていてすまなかった」
そういって再びラッセルは笑い出した。
今までのは、演技だったということか? それにしては、殺意が本気だった気がするが……。
今の彼からは、殺意のかけらも感じられない。彼の言葉は、本当なのだろうか。
ファニーナは、うつむいてため息をついていた。どんよりとした空気を醸し出している彼女には、声がかけづらい。
「……いや、俺を殺そうとしてませんでしたか?」
ラッセルが繰り出す攻撃は、直撃していれば大けがは必至だった。
「君なら、何とかしてくれると思っていた。もし当たりそうになっても、その時は寸止めしていたさ」
調子よく言うが、本当かどうか疑わしい。
俺がジト目でにらんでも、彼は一向に気にしていない。
「そんなに怒るなよ。悪かったからさあ。なんならお詫びでも――」
「そこにいたんですか! ラッセル!」
よく通る声が、訓練場に響いた。
声を放った人物は、20代後半くらいの女性だった。軍服をきっちり着こなし、体を棒が通っているかのように背筋が伸ばされている。
眼鏡をかけた鋭く怜悧な目は、ラッセルに向けられていた。
背筋が凍るような視線を向けられてなお、彼はひょうひょうとしていたが、少し困っているような表情も浮かべていた。
「駐屯地から勝手に抜け出して、どこで油を売っているかと思ったらこんなところで遊んでいたんですね。イーレン魔術学校から連絡が来たんですよ? 大英雄第二位が突然やってきたと。あなたはどれだけ他人に迷惑をかける気ですか! そこのお二人は大丈夫でしたか?」
「え? ああ、いや、別に」
心配する言葉をかけられたが、優しい口調ではなく、依然厳しい口調だった。大丈夫かどうかは正直疑問だったのだが、彼女の目に射すくめられて何も言えない。
「そうでしたか。うちのバカがすみませんでした。深くお詫び申し上げます」
彼女が深く礼をする。
「バカはないでしょ、バカは」
ラッセルが遠慮がちに言うが、一蹴される。
「うるさい! バカだからバカと言っているのです。さあ、帰りますよ! やるべきことが山積みなんですから」
彼女は大股でずかずかとラッセルの方まで歩いていくと、彼の襟をつかんで引っ張って連れて行った。彼はなされるがままだ。ラッセルにも苦手なものがあるのか。
帰り際、ラッセルは俺とファニーナの方を向いて手を振っていた。
もちろん俺とファニーナは手を振り返さない。
ラッセルたちが完全に見えなくなったころ、俺はため息をついてその場に座り込んだ。
ファニーナがラッセルのことを苦手だと言った意味が、よく理解できた。