襲撃⑵
「このように運動量は質量と速度の積と等価であり――」
教諭が黒板に運動量の定義式を書きだす。
俺は今物理の授業を受けている。初歩的なことを一からやっているので退屈だ。
明日は休日だ。何をしようか。先週は森での探索と特異種の討伐をこなしたから、明日は図書館にでも行って読書をしようか。最近はいろいろなことがあって疲れていたので、自分から本を読む機会がなかった。もっと魔術についての知見を深めなければ。
二日前に、師匠からの手紙が来た。本来は入学するころに手紙が到着する予定だったらしい。だが、手紙のことを失念していて出すのが遅れたと手紙に書いてあった。
おそらく魔術の研究に没頭していたのだろう。それか書物を読み漁っていたか。
手紙には、師匠にしては珍しく弟子を心配する言葉が書かれていたのだが、到着が遅れたせいで微妙に状況とかみ合っていなかった。二日前に読んだときは思わず笑ってしまった。
「私がいなくてもしっかり魔術の習得、修練に励みなさい」
実際、魔術を学ぶには良き師が必要不可欠だ。師が魔術を行使するのを見て、それを真似して練習するのが魔術を学ぶ際の基本なのだ。名門であるイーレン魔術学校には、師匠に劣らない、いや師匠以上に魔術に長けている教師もいるはずだ。しかし、一年生では教師に直接教えを乞うことは難しい。
とりあえずは、今までに師匠から教わった魔術をより素早く、正確に行使できるようにする訓練と、読書をすること。そして、剣術の訓練。今、俺にできるのはそれくらいだ。
そんなことをつらつらと考えていると、頭に違和感を感じた。この感覚は、大規模な魔術が発動するときのものだ。一体だれが?
突如、講義室が激しく揺れだす。同時に轟音が鳴り響く。
机にしがみついて、揺れに耐える。
一瞬地震かと思ったが、音といい揺れ方といいどうも地震ではないらしい。何か巨大なものが校舎にぶつかったように思える。十中八九、この揺れと音の原因は頭に違和感を感じた際の魔術だろう。
これだけの規模の魔術を起こせるものは限られる。イーレン魔術学校、ひいては帝国に敵意を抱くものの仕業ならば、誰が考えられる?
周辺国はみな帝国に友好的だ。東の方では帝国をよく思わない国もいるだろうが、わざわざ攻めてくるのは考えづらい。ここ数百年帝国は他国に侵略していない上に、西からくる特異種に対処している帝国を攻めても、自分の首が絞められるだけだ。
そもそも、イーレン魔術学校は広大な帝国の中央よりやや西に位置している。少数精鋭ならば秘密裏に襲撃することは可能だが、軍の重大な拠点でもないここをわざわざ襲撃する意味がない。
ならば、強大な力を持った犯罪者か? 現在、そのような凶悪な犯罪者の情報は耳にしていない。今日、新しく出てきたかもしれないが、可能性は限りなく低い。
もしかすると、特異種だろうか。帝国内部に特異種が2体、それも同じ場所にいたなんてことは考えたくない。だが、1体いたのならばあるいは、とも思えてくる。
とにかく、校舎の中は危険だ。いつ崩れるかわかったものではない。
当然、教師も同じ結論に至っていて、
「な、なんだかわからんが攻撃を受けているようだ。いつ建物が倒壊してもおかしくない。諸君らは私に続いて外に出なさい」
授業を受けていた一年生たちは、慌てつつも押し合いなどにはならず教師に続いて列を作っている。
かろうじてパニックになることは避けられているようだ。伊達にこの学校に学びに来たわけではないようだ。
だが、皆不安な顔をしている。当たり前だ。前代未聞のこの事態に、教師でも恐怖を顔に浮かべている。俺も、多少はそんな顔をしているだろう。俺も、怖い。しかし、先週特異種と相対したことを思えば、幾分か気が楽になる。
あれほどの困難は、そうそう来ないはず。そう自分に言い聞かせる。
普段無表情のカミラも、怯えの色は隠せていない。ヴィクターは、意外にも平気そうだった。
「ヴィクターは怖くないのか」
学生の列に続きながらヴィクターに問いかける。
「……怖いよ。内心では震えているさ。怖がりすぎて表情に出ていないだけだよ」
「そういうもんか」
今でも、断続的に校舎への攻撃が続いている。床が小刻みに揺れ、気を抜くと転んでしまいそうだ。
ファニーナの方を見ると、彼女は思いつめたような表情をしている。まさか。
「おい、ファニ」
ファニーナが駆けだす。学生の合間を縫って教師のもとへと詰め寄る。
「先生! 私がこの揺れの原因を調査してきます。敵であれば……排除します」
やはり、彼女は一人で戦うつもりだ。先週のことがあったのに、俺に共闘を持ち掛けないのは遠慮か、それともそんなことを考えているだけの余裕がなかったのか。
「何を言ってるんだね!? 大人や上級生に任せておきなさい」
「先生、私は……大英雄です。この状況は見過ごせません」
「君が!?」
教諭は今初めて知ったらしい。驚きの声を上げている。彼女の言葉を疑っていないということは、大英雄が一年生の中にいるという噂自体は耳に入っていたか。
「……わかった。大英雄だというのならば、君に任せよう」
教諭は特に引き留めもせず、そうつぶやいた。大英雄であるということは、そういうことだ。それだけ、強さに信頼がおかれている。
外に出る。
外では、巨大な氷の槍がばらまかれていた。先端がとがった氷塊は校舎を穿ち、破壊の限りを尽くしている。
氷塊が放たれているところに目線をやると、人が一人だけ立っていた。男だ。たった一人の男がこの惨状をつくり出している。
男がこちらに気づく。獲物が現れたといわんばかりに、氷の魔術の矛先をこちらに向ける。
放たれた氷の槍は俺たちに直撃することなく、炎の熱で蒸発して消えた。ファニーナが俺たちを守ったのだ。
ファニーナは男の方へと駆けていく。
俺も彼女に加勢するべきだ。そう思うも、恐怖で一瞬足がすくむ。魔術の規模、発動速度からして、あの男はおそらく先週戦った特異種よりも強い。それも、かなり。
直接攻撃された一年生たちはついにパニックに陥っていた。我先にと氷の魔術を放った男から遠ざかろうとしている。俺はためらっているうちに人の波に押され、抜け出すことができなくなっていた。
やっと人の群れから抜け出すと、先頭を走る学生が金属の槍で貫かれるのが見えた。次々と槍の餌食になっていく。
一年生も応戦しようとするも、実力が違いすぎる。半端な防壁は貫通され、魔術の発動にもたついている間にくし刺しにされる。
金属の槍を放った方を見ると、今度は人間ではなかった。
人型の異形。自然にはあり得ないような外見。
あれは……特異種だ。
今、いったい何が起こっている?