<加速>の応用
昨日は更新できなくてすみません……
今回は第3話以来の、魔術の説明回です。
「さて、そろそろ魔術をはじめて習う者たちも<加速>を行使するのが様になってきたころかと思うが」
壇上に立つのは、魔術基礎を担当するサミュエル・キューザック教諭。相変わらずだらしない格好でいる。
また眠くなってきた。あくびをこらえつつ、教諭の話を聞く。
<加速>は物体に力を働かせる基礎魔術だ。すべての魔術の中で、<物質生成>と1、2を争うほどよく使われる。<投槍>や<反射>も、<加速>を応用した魔術といえる。
「今日は少し特殊な使い方を身につけてもらおう。今までは物体に対して魔術を使用していたが、今回は空間に対して魔術を使用してもらう。実演してみせよう」
サミュエル教諭の広げた掌に無数の小さな金属片が生成される。
「魔素の働きを、よく見ておくことだ」
つかんでいる金属片を、手から放す。重力に従い落下する金属片は、サミュエル教諭の膝のあたりで急激に減速して、ぽとりと地面に落ちた。
金属片が減速した場所には、活性化した魔素が水平に一面に張り巡らされているのが見える。
「今のをちゃんと見てたか? 今落とした金属片すべてに力を働かせることは難しいが、こうして空間に対して魔術を使用することで、すべての金属片に対応することが可能になる。……そこの君、何か質問があるのか?」
サミュエル教諭が俺の方を見ている!
授業に集中していなかったことがばれたか?
サミュエル教諭の目線に従い後ろをちらりと見ると、ヴィクターが手を上げていた。一瞬ドキッとしたが俺のことではないようだ。考えてみれば、サミュエル教諭は学生が居眠りをしていても一向に気にしないような性格だ。
動揺したことで、眠気はどこかに吹き飛んでいった。
ヴィクターは立ち上がると、こう質問した。
「はい。教諭は空間に対して魔術を発動させるとおっしゃりましたが、空気中の気体分子に対してはどう働くのでしょうか。魔術を設定した空間を通る気体分子に絶えず力が働くのでしょうか」
サミュエル教諭は顎に手を当て、「いい質問だ」と言ってうなずくと、質問の答えを話し始めた。
「答えから言うと、働かない。空気中の気体分子は基本的に考慮する必要がない。例えるなら、そうだな。先ほど俺が展開した魔素、あれは網の目のようなものだ。隙間だらけなんだよ。金属片程度の小ささなら問題ないが、微小な気体分子のほとんどは何事もなく通り抜けてしまう。目に見える影響はない」
「では、気体分子には干渉できないということですか?」
ヴィクターが続けて質問する。
「昔はそうだった。だが、今は違う。前の例に倣うなら、網の目を隙間なく細かくすればいい。こんな風に」
教諭の頭の前に、活性化した魔素が展開される。魔術が発動し、教諭の髪の毛が揺れる。気体分子が一方向に加速されることで、風が起こっているのだ。
「今のは一年生にはちょっと難しいかもしれんが、できる奴はできるだろう。今から空間に対して働く魔術を練習してもらうが、基本が完璧にできる者は挑戦してみろ」
ファニーナが特異種の風の魔術に対して使った<反射>。あの魔術は今教諭がしてみせた応用と同じものだ。実戦で、大規模で難度の高い魔術を危なげなく成功させる実力。魔力もさることながら、彼女は一年生の中で最も魔術に長けているだろう。
「さあ、実戦だ。空間に対して、<加速>を発動してみろ。ちゃんとできているか確認する方法は何でもいい、好きにしろ。だが、魔術の設定を誤ると、けがをしたり周りに害を及ぼす危険性があることは想定しておけよ。いちいち俺が対処するのはめんどくさいからな」
師匠が言うには、空間に対して魔術を発動するのは、物体にするのとは勝手が違っていて、はじめて習う者はつまずきやすいらしい。俺は得意な方だったから、使えるようになるのに特に支障はなかったが、一般的にはそうでもないとのことだ。
今回の授業は少し荒れそうだ。
一年生たちが練習し始めて少し経った頃。
案の定、魔術を失敗する学生が続出していた。
働かせる力が大きすぎて、物体が跳ね上がり頭にぶつける者。意気込んで分子にまで魔術の適用範囲を広げたはいいものの、力の調整を間違い、精神が一気に疲弊してしまう者。講義室はちょっとした騒ぎになっていた。
貴族も平民も関係ない。少しできる貴族はより難しいものに挑戦していて、失敗している。基本がまだしっかりしていないのに粋がるから、そうなる。……師匠がいなかったら、俺もそうなっていただろうが。
師匠は俺に基本を徹底させた。それこそ過剰だと思えるほどに。魔導士であり、剣術が苦手な師匠は魔術の習得を優先させた。剣術に関してはそれなりにできるくらいだが、魔術は<質量操作>を抜きにしても、一年生の中でファニーナの次くらいにはできる自信がある。
サミュエル教諭は静観していて、動かない。けが人でも出ない限りは、何もする気がないのだろう。
周囲の騒ぎをよそに、俺は危なげなく魔術を成功させる。
隣にいるファニーナ、カミラも成功している。問題なのはヴィクターだ。後ろを見ると、苦戦はしているようだが、大失敗は侵していないようだ。慎重に進めている。あの様子なら大丈夫だろう。
「ディルグ。あなた、ちょっと信じられないくらい上手くない?」
ファニーナが、こちらの魔術の様子を見てそう言う。
「そんなに言うほどか? まあ、俺の得意な魔術の一つではあるけどな」
<反射>を使って風を押し返したファニーナも相当な腕前だろう。
「ええ。発動までが速いし、気負いがない。あなたの固有魔術ほどじゃないけど、十分異常だわ」
確かに師匠にはこの魔術の扱いについては褒められたし、驚かれた。それども師匠にやや届かないくらいなのだが、魔導士である師匠が特別なのだろうか? まあ、そうなんだろうが。
「私も、そう思います」
カミラもファニーナに同意のようだ。
「私もこれには結構自信があったんだけどね」
残念そうにファニーナが言う。
「いや、ファニーナだって十分すごいだろ」
本心からの言葉だったのだが、ファニーナはジト目でこちらを見つめてきた。
「へーなにそれ嫌味? ディルグってそんな陰湿なことをする奴だったのね」
「は? いや違うよ。誤解だ!」
「どうだか」
ファニーナの口元が笑みの形を作っている。こちらをからかっているのだと、ようやく気付いた。こいつ。
「ディルグは、そんなことをする人だったのですか?」
カミラからも追撃が来る。表情に乏しいから冗談か本気かわからない。
「いや、違うから!」
なぜか必死になってカミラに事情を説明することになった。
今日だけは、サミュエル教諭が授業に集中しない学生を注意しない人で良かったと思った。