ハルメニア様のお導き
ガベイが仲間になったが、ノーマン達は実はこれからの目的が無い。
いや、実際には要石を捜すという命題はあるのだが、黒い石はどこにあるのか皆目不明で動けない。フォルモーサスにある黄色の石に関しては、フォルモーサス王のノーマンに向ける殺意が冷めるまで後回しにせねばならない。
ノーマンはフォルモーサスの依頼により、ギルドの支店に賞金首としてのポスターが貼られている有名人となっているのだ。現在は悪党の巣ともいえる無法地帯のリャンにいるので、とりあえず追手の手がかからないが。
笑えるのが、ポスターのノーマンが全く本人と似ていない、という点だ。
ギルドに依頼すれば、お抱えの画家によって本人そのものの細密画が得られる筈である。
それなのに、ギルドに貼られているポスターはひとっつもノーマンの特徴を捉えていないというもので、そのポスターを見つけた私とディーナが見咎められるぐらいに大笑いしてしまった程だ。
「ふふ。また思い出しちゃった。あのノーマンの顔。あのお姫様はノーマンをあんな顔に見えていたのかしら」
「やめて、ディーナ。私も思い出しちゃったわ。どこぞの舞台俳優かしらってぐらいのハンサムさんだったけれど、ノーマンじゃ無いわよね。どうしてあんなにノーマンと違う顔にしたのかしら」
「たぶん。近衛連隊長の逃亡と姫が純潔じゃ無いって知れ渡ってしまったから、急いでスケープゴートを仕立てて収束するつもりなのでしょう。あの顔は元近衛連隊長の顔です」
宿屋の部屋のテーブルには、私とディーナともう一人以外に、ノーマンとドゥーシャもついていた。彼らは地図を開いて次の移動を静かに話し合っていたが、ドゥーシャが何事も無いような調子で私達の会話に言葉を挟んできたのだ。
何事も無い感じだが、私には認められない内容だ。
「それって、罪も無い人が殺されるって事かしら?」
「ああ、フォルモーサスもベザールと同じく王族以外は虫けらな国なのですね」
ガベイも口を挟んで来たが、意地の悪いディーナが指先を軽く振って見せてガベイを黙らせた。
ディーナは調教という言葉が好きだったらしく、ガベイが仲間になって二日だが、彼は完全にガベイを指先だけで操れるようになってしまっている。
「ちょっと可哀想じゃない?」
「まあ、ティア、あなたは私達以外の男の生死なんかで悩む必要も無いのよ」
私はガベイの身の上を言ったのだが、ディーナには私の言葉がポスターの会話の続きとしか受け取らなかったようだ。
だがそのことで、ディーナが自分のガベイの扱いを非人道的とはピクリとも思っていないようだということを私は理解はできた。
「そうですよ、大丈夫。奴はノッド・レイリーです。ノーマンが隊長になる前に出撃先で子供を乱暴して殺していた男です。普通に処刑してしまって構わない人間です。それどころか、まだ生かしておいていたことにこそ驚きです」
部屋に入るなり私達の会話に参加してきた男は、宿屋の厨房のオーブンを使ってチーズ焼きを作ってきたアシッドだ。
オーブンの天板サイズのラザニア皿の中では、季節の野菜がチーズに埋もれてぐつぐつと音を立てている。
私はアシッドの焼いたチーズ焼きの香しさに急いで席を立ち、すぐに食べられるようにと彼の手伝いをする事にした。
「あ、リガティア。皿の用意よりもテーブルに鍋敷きを頼む。この重いのを早く置いてしまいたい」
「あら、そうね」
私はいそいそとテーブルに大きな鍋敷きを置いた。
アシッドはすかさずそこに彼のチーズ焼きを置き、私は今だにぐつぐつとマグマのようになっているチーズにうっとりとしながら、いち早く食べたいと皿を急いで取りに行った。
「ああ、アシッドは本当に得難い人物よ。私がワインを開けるわ」
「本当に。わたくしはこの子こそを頂いておけば良かったわ」
私達は全員が招かれざる客の声が聞こえた方へと振り向いて、そこには当たり前だが蜂蜜色の金色に輝く美しい女神のような女がいた。
魔女ではなく女神と称えられる彼女は白を好み、今日も真っ白のドレスを身に纏っているという姿だった。
彼女はうふふと笑いながら勝手に椅子に座り、私は運ぶ皿を一枚増やした。
「何の冗談ですか?」
ノーマンの声は友好的とは言い難い低い声で、ハルメニアの隣に腰かけた私までも背中がぞくっと震えるぐらいだった。
彼の声には違え様もない殺気も籠っていたが、実はノーマンの低い声が格好良いとはしたなくも私が感じてしまっただけでもある。
しかし、ハルメニアは全く何の感慨も抱かなかったどころか鼻で笑ってノーマンをさらに煽った後に、借金の取り立て、とノーマンの背中を冷やす事を言い放った。
「ディーナ。まずハルメニア様にワインを差し上げてくれ。ああ、よくぞいらして下さいました。俺も相談したかったのですよ。ええ、金は出来ましたが、これを一時に返すのではなく、数回に分けてお返しする事であなたにより多くの金子を受け取って頂けたらと思っておりましてね」
「まああ、それは素敵だこと。ではトイチにしましょうか」
「トイチとは?」
「うふ。こんな二日三日で二千万バイツも稼げるあなたですもの。分割をご希望でしたら十日で一割の利子は如何かしらってね」
バンと大きな音を立ててノーマンは天板に両手を叩きつけて立ち上がり、ハルメニアに対して大声で罵った。
「この業突く張りが!」
ハルメニアは怖がるどころかコロコロと笑い転げて、私は完全に遊ばれているノーマンに座りなさいよと両手をパタパタさせて合図をした。
「だって、リジー! こいつは君をこんな姿にもしたんじゃないか!」
「こんな姿って、可愛いじゃ無いの。それにね、私はリジーを子供に戻す必要があると常々思っていたの。この子は生き残るために子供でいられなかったわ。子供の時に得られなかった幸せをこの姿で手に入れることでこの子は完全になれると、ねえ、そう思いません事?」
驚いた事にハルメニアが相槌を求めたのはドゥーシャにであり、彼は私が泣きながら告白したあの日を覚えているからか、なんと静かに頷いて同調したのだ。
そして、ドゥーシャの頷きに対してノーマンは何かを感じたのか、彼は私を思いやるような視線を向けてきた。
――あなたの涙を拭うのは陛下でなくてはいけません。
私に恋をしていると告白したノーマンに私は要石を回すと誓ったのだから、彼に私の涙を拭わせてはいけない。
「ええと。じゃあ、子供になるわ! 私は今すぐアシッドのチーズ焼きが食べたいの! この熱々のこの状態を食べてしまいたいのよ!」
私のあからさまな子供のような大声に乗ってくれたのは、アシッドだ。
「ああ、最高だ。俺はリガティアのこの可愛らしさになんだって作ってあげたくなる。さあ食べましょう。俺のチーズ焼きを食べてくれ! デザートだって焼いてある。ラム酒に付け込んだ干しブドウいっぱいのケーキだ!」
私はアシッドに恋してしまいそうだと吐息を飲み、その一瞬のせいで私の台詞は狡猾な魔女に取られてしまった。
「まあ、最高だわ!」
「ええ、最高ね。ワインをどうぞ。ティアはお水で申し訳ないけれど」
妖艶なるディーナがハルメニアと私の脇からワイングラスを差し出し、ハルメニアはディーナに一歩も引かない妖艶さでそれを受け取った。
妖艶さなど元の身体でも一ミリも出せない私は子供になり切って水入りのグラスを受け取り、だが、テーブルについている男達全員からの憐みを持つ視線を受けたことで自分が情けないとがっくりと頭が垂れてしまった。
「ふふ、リジー、あなたは可愛いで行けばいいのだから落ち込まないの。デイモン、ありがとう。ええ、皆様、お食事のお仲間に入れて下さってありがとう。こんな素晴らしい食卓にご一緒させていただくのですもの、わたくしが手ぶらで済ますわけは無いでしょう。さあ、リジー、あなたには新鮮なレモンがいっぱいのお紅茶をあげる」
ハルメニアは大きなガラスポットをどんとテーブルに置いた。
琥珀色の液体の中には薄く切ったレモンとミントの葉がたっぷりと入っている。
私はこのアイスティーでハルメニアの所業を許せるくらいに喜んでおり、でも、琥珀色の液体は葉っぱを閉じ込めた琥珀の指輪の映像も呼び起こした。
「リジー。気をしっかり持って、せっかくのご飯をまずは食べましょう。それからあなたは思い出すの。自分が生まれた家を。そして皆さんの次の目的地をあなたの生まれ育った家に決めるの」
気はしっかりと保てなかった。
だって、絶対に戻ってくるなと母様は私に叫んだのだもの。




