魔法陣
ノーマン達は行動が早かった。
私を人質と引き離すや私をぽおんと宙に放りだし、彼等は人質を抱えて金に交換してくると宿屋を飛び出して行ったのだ。
彼等にぬいぐるみのように放り投げられた私は、ドゥーシャに受け取られて床に落ちないですんだ。だが、私は私を大事にしたいと唱える彼ら全員、誰一人として信用してはいけないとしっかりと心に刻んだ。
私は大きく息を一つ二つ吐き出して気持ちを落ち着けたが、落ち着いた事で今の状況が分かってさらに混乱した。宙に放り投げられた恐怖から、私は猫のようにして爪を立ててドゥーシャにしがみ付いていたと気が付いたのだ。
「ああ、ドゥーシャ、あの、ごめんなさい。助けていただいてありがとう。あの、強く掴んでしまっていたみたいで痛かったでしょう。ごめんなさい」
ドゥーシャは私にふっと笑って見せたが、私を離すそぶりは見せなかった。
「ええと、もう大丈夫ですから降ろして下さる?」
「いいえ。降ろしたらあなたは彼等を追っていくでしょう。私とあなたはここに居残りです。いいですね。ここに居残ると約束して下さるのなら降ろします」
「安心なさって。枕かぬいぐるみのように私を適当に放り投げる男達なのよ。私がノコノコついて行くわけ無いじゃないですか」
「ちゃんと私が受け止めましたよ。あなたはぬいぐるみでも大事なぬいぐるみです。適当には投げていませんからご心配無く」
ドゥーシャの声も胸板も小刻みに震えているが、これは彼が笑いをこらえている証拠でしかない。そういえばドゥーシャこそろくでなしノーマン隊の脳みそだったと、私は思い出した。
「もう! あなた方は。それで、ノーマン達は慌てたようにして外に行ってしまいましたけれど、交換の日時は明日の三時では無かったかしら。捕虜交換には下準備が必要なものですの?」
「債権の売り渡しですよ。三千万バイツ以上の儲けがある債権だと売りに行ったのですよ。ああ、二千万で買って貰えれば御の字ですが、それだと儲けが無いですね。あなたは本当に男泣かせだ」
「あら、損をする手段を選んだのはノーマンこそなのに、それがどうして私のせいになるの?」
私の質問に愚問だという風に、はあ、と嫌見たらしく大きく息を吐いた大男は、私をこれから言い聞かせをするのだという風に椅子に座らせる。
私は彼の自分への扱い方に、自分が本気で幼い子供になったような気がした。なんだか、お父さんがするような、ドゥーシャの振る舞いなのだ。
私は私をそんな気にさせたドゥーシャが、私に何を言い聞かせようとするのかと上目遣いに彼を見上げる。
ああ、この私が大人に叱られる子供のような気分で脅えるとは情けない。
情けない心持になった私に対して、テーブルを挟んで私の対面となる椅子に腰を下ろした男は、テーブルに肩肘をついて私を見下ろすようにして見つめていた。なんだか、やっぱり父親くさい。
ついでに彼が少々呆れているような顔付なのが癇に障る。
「言いたい事がおありならおっしゃって」
「――あなたが彼等を煽ったのでしょう」
「煽ったって、人聞きの悪いことを」
「あなたはあの王子様とおしゃべりに花が咲いていたでは無いですか。陛下もディーナも物凄く苛立っていたってわかっていますか?」
さも私が悪かったという風にドゥーシャは私をぎろりと睨み、私は確かにこの宿屋に来てからはガベイとばかり喋っていたと自分に認めた。
ガベイは園芸に関してとても興味を持っている人だと知り、私は彼自身が温室めいた部屋を作って様々な植物を育てているという話に興味を抱いたのだ。
「僕の国は略奪ばっかりだ。もうすこし、そう、小麦じゃなくても腹に溜まるものが食べられれば荒んだ気持ちは落ち着くと思ってね」
「だったら、ハルメニアを襲う事こそあなたの意に反していると思わなくて?」
ガベイは情けなさそうに目を伏せて、考えが浅かった、と呟いた。
「そうね。浅かったわ」
「ああ、本気で最悪だった。兄や弟に出兵させたら、あの辺りの村で略奪や虐殺も起こる。情けない王子の僕が負けて国に戻るのは当たり前だろうけれど、ハルメニアに我が領土でも根付く植物の苗を一つでも貰えたらと思ってね」
焦げ茶色の頭はがっくりと下がり、私は哀れな王子の頭をそっと撫でようと手を伸ばしたそこで、終了となったのだ。私はノーマンに抱き上げられ、別室へと、そう、先程迄皆でああだこうだと話し合っていた場所に連れ込まれたのである。それから、ぽーんと放り投げられての今、だ。
「ガベイは国に戻っても大丈夫な人なの? 彼はとっても平和主義で、国では役立たずだって思われていたって」
ドゥーシャは返事の代りに、私の目の前に羊皮紙の束をどさりと置いた。
「何、これは?」
「羊皮紙です」
「そんなのは見ればわかるわ。私に一体何をさせるおつもり?」
「もちろん。魔法陣の錬成です。あなたは子供の姿になる前から、自分へ好意を持つ人間には簡単に心を許していましたね。ええ、私はあなたのその行動を、自分に好意を持った者を操るための振舞いだと卑しく穿っていました。ですが、ええ、全く違うと分かった今は、私の思い違いであった方が良かったと思うくらいです。あなたは純粋で人を信じすぎます」
「ハルメニアと同じことを言うのね。で、ええと。それと魔法陣が何の関係があるのかしら?」
尋ね返した私に対して、彼の薄い青色の瞳はじっと私を見据える。私はほんの数秒で、とっても居心地が悪い、と彼から目を逸らすしかなかった。
「さあ目を逸らさないで。以前のあなたは大魔法使いという虎だったから無防備でも安全でしたが、力を失った今のあなたは子猫同然です。身を守る術をできうる限り用意してください。私達は武力に関しては自信がありますが、魔法には絶対に対処できない普通の人間でしかないのですよ。魔法がそこで行われたならば、私達はあなたを守る事など何もできないでしょう」
静かに言い切った彼は、とん、と、インク壺と羽ペンを私の目の前に置いた。
私は羽ペンを取り上げると、羊皮紙に円を大きく描いた。
描きながら、魔法陣が頭に何も浮かんでこないとペンを置いた。
「どうしました?」
「描けないの。目的があって、この魔法を使いたいって考えれば魔法陣は浮かぶわ。でも、何もない今では一つも魔法陣が頭に浮かんでこないの」
「では、使いたい魔法を考えてみればいいじゃないですか」
「考えたら発動してしまうでしょう。ええ、忘れてしまっていたけれど、そうよ、魔法陣はそういうものだったのよ。だから発動前にしか描けないんだわ」
でも、ガベイの提案を聞いた時には出来ると感じた。
あれはどうしてなのだろうか。




