奪うのはいつだって男
ハルメニアの領地が欲しくて堪らないのは、恐らく世界中の誰もが、である。
温室は、植物を研究して育て上げる目的の、実は研究施設だ。
そんな何処の国にもない施設は勿論だが、彼女の領地という大農園では、領民の誰もがお腹を空かせることも無く、新鮮な野菜がいつだって口にできるのだ。
野菜だけじゃない、肉だって食卓に上がる。
雑草や害虫の害の対処として、農園に鳥や羊も放されているからだ。
きっとここは、神が約束する花しかない天国よりも魅力的な楽園だろう。
アルデア(鷺)大陸には数多くの国があるが、共通しているのは庶民以下の貧しい食卓のありようだ。固いパンと野菜の屑が浮かんでいるぐらいのスープを一日に一食だけでも食べられれば、その日は良き日というのが庶民の大部分の食事情なのである。ならば、三食お腹いっぱい食べられるハルメニアの領地は、きっと誰もが天国と感じる事だろう。
けれどもこの世界は、作るよりも奪う事にばかり思考が向かう権力者が多い。
確かに穀物の耕作に向いていない土地もあるだろうし、ハルメニアが作り上げた温室一棟建てるだけでも貴族のコテージ一軒分ぐらいの金が掛かる事だろう。
しかし、貴族の本宅ではなく、単なるコテージだ。
コテージとは、田舎に建てるこじんまりとした小規模で小ぎれいな建物のことではないか。
どうして権力者達は兵士を戦に出す判断をするのに、ハルメニアから教えを乞うてそれよりも簡単で安く済むだろう温室の建設という方法を考えないのだろうか。
権力者達にとっての兵士の命は、金貨、いや、銀貨にも劣るというのか。
私はハルメニアの領地を目指して隊列を組んでいるキャラバン姿の兵士の姿を見つめながら、この映像に映る兵士達をたった四名だけで蹴散らす事を請け負ったノーマンへと思考が動いた。
彼は部下の誰のことをも、金貨よりも貴い、と知っている男だ。
貧しさも、人の痛みも知っている男だ。
それならば、誰よりも王の座に就くべき人間では無いのか。
私はやはり彼等の手助けをしようと思い立ち、椅子から軽く腰を浮かせた。
「だめよ、リガティア。あなたは今日は何もしないで、私とこの水晶玉の中を覗くだけにすると約束したでしょう」
「でも、ハルメニア。相手は百人近くいるでしょう」
「教えたでしょう、物事は正確によ。敵は八人隊列が八個に指揮者が一人。敵総数は六十五名。そこから人質兼荷物持ちにされた近隣の村人達の二十四名を引きますと、では、本当に戦える兵士は何名でしょう。確かに、たった四人で四十一名を襲撃するには大きな数の差ですけれど、ここは高山。そろそろ低地の兵隊さん達が息切れしてくる所よ。ましてや足場のしっかりしない細い山道。戦い方次第では何とかなるはずでしょう」
「でも、たった四人よ」
「ええ、たった四人。彼等は盗賊。キャラバンの大荷物を一つだけかっさらって逃げればいいの。さあ、あなたは人を信用して待つという事を学ぶべきよ」
それでも私は再び腰を下ろす事は出来ず、だが、動かないことを望まれている私は水蒸気で作り上げられた水晶玉を再び覗き込むしかなかった。
ただし、ティーテーブルの真ん中に浮かぶ球の中で映し出されている光景、槍も矢も飛んできていないにもかかわらず敵の隊列が混乱している様子に、私は純粋に驚かされる事になった。
「どうして! ノーマンは何をしたの?」
ラクダ達は右往左往とパニックを引き起こし、ラクダを押さえようとシェルパたちは奮闘している。いいえ、奮闘する様子を見せながら、一人二人と隊列から逃げ出しているじゃない。
でも、逃亡すれば兵隊による報復があるはず。
私は今まさに逃げ出したもう一人を目で追う。すると、彼に追いすがろうとする兵士の一人が、走り出したところで大きく転び、転んで挫いたらしき足を抱えて大声をあげ始めた。
「まあ、怖い。短い矢を使ったのね」
「短い、矢?」
「ええ。ボウガンを渡したの。引き金を引けば女だって強力な威力の矢を射ることが出来る恐ろしい武器。もともと普通の矢よりも短いものを使うけれど、彼等はそれをもっと短くしたのね。なんて恐ろしい。いいこと、リガティア。男達はその気になればどんなに残虐な事も出来る種なのよ」
私の両肩には温かいハルメニアの両手が置かれ、私は彼女に癒されてこの領地に滞在した数日の事を思い出していた。
どうして私がこの天国のような世界を飛び出したのかも。
私はハルメニアのような考え方も出来ないどころか、彼女の思想や考え方に自分が取り込まれそうで怖くなったからだ。
今だって、彼女に守られたいと心のどこかで呟いていない?
私は自分を生んだ母を知らないのに、ハルメニアの温かさを感じる度に母の面影が見える気がするのだ。
怖い。
「ホホホーホホホホー」
奇妙な雄叫びに、私はハッとなる。
今の雄たけびは、ノーマンの作り声だ。
私は助かった気になりながら、今一度水球の中を覗く。
ノーマンは、おかしな文様が描き込まれた長方形のお面を被っていた。そして、私から奪った真っ黒なローブを羽織っている。そんな奇妙ないで立ちをした彼は、兵隊達の隊列の中に無防備にも飛び込んだところだった。
私はただただ目を丸くするしかない。
いで立ちが奇妙なだけでなく、ノーマンの動き自体が変だった。
物凄いスピードで滑るように動いている。それだけでも恐怖だろうが、ノーマンは三メートルはありそうな不気味な巨人の姿となっているのだ。
「ホホホーホホホホー」




