旧友
「で、君はそのままわしの家に来たと。まあ、ゆっくりしておいで。君が我が家に来てくれるのはいつだって大歓迎だからね。」
「まあ!ありがとう。イーサン。」
私は城の大きくて居心地の良いサロンのソファに沈み込むようにして座っており、さすが賢者の選んだ家具は一味違うとお行儀を忘れる程に寛いでいた。
中型の犬くらいの大きさの猫が、まるで布団のようになって私の上にだらりと乗っているのだ。
「ああ、このまま眠ってしまいたい。凄いわ、よその家なのに五分でだらけてしまいたくなるくらいに居心地がいい。」
「ハハハハ。ずーといてくれてかまわないよ。うちの孫も喜ぶ。」
イーサンが、孫、の所で目尻を物凄く下げたその丁度に、たかたかと軽快で若々しい足音が私達のいるサロンに向かってきた。
「ああ!リガティア様!遊びに来てくださったのですね!」
薄茶色の髪は金髪では無いのに金色の髪の毛以上に艶やかに天使のように輝き、美しいと評判だった母親譲りの顔立ちは美少女と言っていいほどに可愛らしく、そして、真っ青な瞳には茶目っ気だけでなくイーサンの薫陶をうけているせいか理知的な光も同居している。
物凄く天使のように可愛い少年は、イーサンを神様のように崇めて慕い、イーサンこそ全身全霊を掛けて彼を可愛がっているので、彼はいつも幸せ一杯そうな顔付をしているが、今は私を見つけたことでさらに幸せになったという風に綻ばせてくれた。
そんな十三歳になったばかりの可愛らしい元王子様は、まだ五歳ぐらいの子供のようにして私に飛びついて抱きついて来た。
「みゃあ!」
私に抱きついて来たのは元王子様、ベイル・ローエングリン様であるが、彼と私に胴体を挟まれた格好となった化け猫は抗議の声を上げた。
「ああ、ごめん。フェイフェイ。」
ベイルは私に抱きつきながらも器用にフェイフェイの白いフカフカの毛皮を撫でており、この器用さに私は忘れたい誰かを思い出しそうだった。
だからなのか、私はベイルに普段しないことをした。
いつもは頭を撫でてあげるだけだが、今日はぎゅうと抱き締め返したのだ。
フェイフェイが再び抗議の声を上げる程に。
「あ、あの、リガティア様!」
あら、ベイルは真っ赤になって私から飛びのいてしまった。
私を抱き締めても私に抱き返されるのは嫌なのかしら。
「僕は男の子です!赤ちゃんじゃあありません!」
「あら、ええ、そうね。私に抱きしめられるのは嫌だったのね。私は落ち込んでいたから、あなたを抱きしめたくなったの。ごめんなさいね。」
私は再びベイルに抱きつかれ、フェイフェイは抗議の声を再び上げた。
「ごめんなさい!いくらでも抱きしめてください。僕はあなたをいくらでも慰めます!」
私は笑いながら彼を抱き締め返し、彼にありがとうと言った。
「いえ、これくらい。」
「いいえ。抱きしめられるのが嫌いなのに、ありがとう。」
「いえ!違う!あなたに抱きしめられるのは嬉しいです!けど!ああ!僕は何て言ったら良いのか!」
ベイルは自分の頭をわしゃわしゃとかき乱すと、そのまま彼の何でも知っているお爺様に抱きついた。
やっぱり五歳児のようだ。
「これこれ。では、リガティア様のためにお茶を入れてくれるかな。」
「はい!」
ベイルはイーサンから離れるとイーサンが用意していたお茶を淹れる後を受け持ち、イーサンは笑いながらケーキだけを持って私の前の椅子に腰を下ろした。
「どうぞ。わしの焼いたケーキで良ければ。」
「ああ。本当に癒しだわ。私はベイルとあなたに会う度に心のささくれが消えてなくなるの。」
「ワハハハ。わし達こそ、だよ。リジー。辛いのだったら一緒に住もうか?わしの金蔵は君の一生だって抱え込めるよ。君に三食昼寝付きの生活を与えよう。」
「ふふ。わたくしだって、あなたとベイルを抱え込めるほどの金蔵はございますのよ。まあ、あなたほどでないかもしれませんけれど。」
「でも君は真っ黒なローブで自分自身を隠して、人々の為に荒野を一人で歩きたいのだね。」
「まあ、あなたの語る私は格好がいいわね。でも、そんな良いものものじゃ無いのよ。ええ、告白しますとね、初恋の人を待っていたの。また一緒に冒険をしようかって言ってもらえる事を待っていたのよ。でも、彼はもう二児の父のようだし、私のせいで亡くなった親友の死もまだ許して貰えないみたいだし、私は思いきる必要があるのね。」
「それはアルフレッド・シュメラーゼルですか!僕がそいつに決闘を申し込みますよ!」
ガチャンと乱暴にティーテーブルにカップを置いたベイルは頬を真っ赤にして怒っており、私はこの可愛い男の子に心が解されるばかりだ。
「シュメラーゼルは騎士では無いから決闘を申し込めないし、私の想い人はそんな小物じゃないからそんなことは考えないで。それから、いいこと、シュメラーゼルの名前は二度と出さないで。あの野郎は私に負けた腹いせにくだらない噂をばらまいている糞野郎なんだから、わかった?」
ベイルは怒っていた真っ赤な顔を、今度は恥ずかしいの方で真っ赤に染めた。
「すいません。あなたの事情に立ち入るなんて。」
「もう!あなたは私の弟同然だわ。怒ってくれて嬉しいくらい。ええ、あなたに告白しますとね、私の想い人はジークィンド・クレイモア。バルモア国の次期王様ね。ふふ、凄いでしょう。一緒にゴンドラの竜を退治した仲間なのよ。でもね、その恋心ももう消えたから良いの。」
ベイルは呆けてしまった顔になると、床にぺしゃりと腰をついた。
「ああ、そうだった、あなたのゴンドラの竜退治はジークィンド・クレイモアの英雄譚の一つだ。ああ、彼だなんて!伝説の勇者じゃないですか!僕は太刀打ちできない。ああ、僕はどうやっても彼に勝てない。」
「あら、今だって勝っているわよ。うん、もう少しすると、もっと彼なんて消し屑ぐらいに思える程にあなたは素敵な人になる。あなたは今のあなたのままで良くてよ。」
私は落ち込む姿も可愛らしすぎる少年の肩をぽんぽんと撫でてやり、実は彼にはこのまま大きくならないで欲しいと思ってしまった自分がいた。
ああ、この子はなんて可愛いの。
「ワハハハ、そうか、君の恋はあの小僧だったのか。あいつは剣の腕はいいが、あいつの英雄譚はあいつの親友がいてこそじゃ無かったかな。」
焦げ茶色に焦げ茶色の瞳を持つチョコレートの化身のような勇者の親友は、戦いが終わったと気を抜いてしまった魔女を庇ってドラゴン砦の岩盤に倒れた。
財宝の前には古代魔術の罠が必ず残っているものなのだ。
彼はクリスタルの矢で射抜かれて血まみれで横たわり、そんな姿なのに彼はとてもハンサムで、そして、私に抱きしめられて嬉しいと笑い、私をずっと好きだったと告白したのだ。
「あなたを愛していました。あなたの記憶に残れるのならば、俺は本望です。だから、泣かないで。俺の為に泣かないで。」
彼の望む通りに私の心に彼は一生残るだろう。
「ええ、そのとおりね。猪突猛進の彼だけでは一番最初のクエストでお終いね。彼の親友のバルマンがいてこそね。バルマンは状況を読むのが上手くて、怖くて足が竦んでしまう所をジークが補填して、」
「そして君が大魔法で彼等の補助か。最高のメンバーだったんだね。」
「ええ、そうね。最近お姫様の奪還何てクエストをしたのよ。その時に私は初恋も思い切れて、そうね、あの連帯感を求めていたのかもしれないって、自分がジークに拘る気持ちもよく分かったのよ。結局私はまだ冒険者の端くれなのよ。誰かと一緒に冒険の旅に行きたいのだわ。」
「四時間だけ。」
「そう、四時間だけ。」
私とイーサンは笑いあいながらお茶を口に含んだ。
「では僕と今度パーティを組んでください。魔城の近くの村、ベイレンが強盗団に襲われているらしくて、僕は彼等を助けに行こうと準備していた所です。」
「もう!お茶を吹き出す所よ。あなた、ベイレンなんて遠くまで一人で出かけていたの?」
ベイルはぷくっと頬を膨らませた。
「魔城の城下町ってぐらいに近いじゃないですか!リガティア様は僕を赤ちゃん扱いしすぎです!確かに、あなたは五百歳位の方かもしれませんけれど。」
いいえ、私は十九歳だけど、あなたは私にとっては五歳児なの。
とは口に出せないので、肩を竦めるに止めた。
真実を知っているイーサンは腹を抱えての大笑いだ。
伝説の賢者でもあり伝説の剣士でもある彼は、何でも見通す事ができるのだ。
こういう人を老獪な爺というのであろう。
「リガティア様!」
「あら、パーティを組むのならば、相手を様抜きで呼んでからでしょう。対等な仲間なんですから。」
ベイルはぼんって音がするぐらいに真っ赤になると、カチンと音がするくらいに真っ直ぐに姿勢を正して、それからおずおずと私に右手を差し出した。
「り、リガティア、僕と一緒になって下さい。」
それは結婚の申し込みだと茶化そうと、いや茶化していいのかと私は悩んでしまったところで、イーサンが大声で笑って場を和ませてくれた。
「こら、ベイル。一緒に冒険に行きましょう、それでいいんだよ。」
「あ、そうか、ああ。いけない。ええと。」
「リジーで。」
「え?」
「リジーとあなたも呼んで良くってよ。」
「あああ、あの。」
私はソファから立ち上がると、私にとって初めてのことをしていた。
「ベイル。わたくしと冒険に出ませんこと?」
「り、リジーさん。」
「ふふ。この大魔女エレメンタインが自分からパーティを誘うのは初めてですのよ。受けて下さるかしら?」
「はい、ええ!はい!行きます、行きます。どこにでも行きます!」
いえ、近所のベイレンまでですけどね。




