87回 やって来たのを生かして帰すわけにもいかない 2
何者かが接近してくる──。
その一報に、警戒態勢に入っていた者達が、臨戦態勢になっていく。
ユキヒコの直観に確証がとれたのだ。
さすがにここまで来て暢気にしてるような奴はいない。
適度に緊張を抜いて、体が硬直しないようにしてる者はいる。
だが、何も無いだろうと都合の良い考えに陥る愚か者は皆無だ。
どのゴブリンも、やってくるであろう敵に備えていく。
そんなゴブリン達が控える町に向かい、ゴブリンが走っていく。
最初の監視所から駅伝方式で走ってくる伝令だ。
監視所で確認した情報を書留めたものを走ってもってくる。
それを中継所で次の走者に渡して、素早く情報を渡していった。
街道から離れたところを迂回していくので、距離自体は道を進むよりは長くなる。
しかし、歩いてる相手に比べれば走ってる方が早い。
しかも数十メートルの間は全力疾走なのだ。
伝達速度は比べるべくもない。
数キロほどの距離を100人ほどで中継した書留は、20分と経たずに町にもたらされた。
「10人か」
受け取った情報を見て、ユキヒコは頷く。
鳴子だけでは詳細が不明だった内容が、書留によってはっきりとする。
これにより敵の事が更に詳しく分かった。
ただ、さすがに敵の状態などは分からない。
監視をしていたゴブリン達にも、詳しい事は分からなかっただろう。
それに、詳細な情報をしたためていたら、時間がどれだけあっても足りない。
とりあえず敵の数が分かるだけでも充分である。
それ以上を求めたら切りがない。
もしここで詳細な情報を求めたら、今後もっと酷い状態に陥る。
わずかな時間で少しでも情報を得ようと、監視をしてる者達は無理をするだろう。
その結果、潜んで監視をしているという事が相手に露見する。
そうなったら相手に余計な警戒心を抱かせる。
対策も考えていく事だろう。
悪い結果にしかならない。
そこまでいかないにしても、相手の事を探ろうと時間をかけてしまう。
それは情報の伝達を遅らせる。
正確な情報は確かに欲しいが、それは限られた時間の中では無理な話だ。
ならば、限られた時間で集められるだけの情報を得られればそれでよい。
何も情報が無いよりも遙かに良い。
また、情報が遅れて到着し、対応策を練る時間が無くなるよりも遙かに良い。
今回、ゴブリン達はそんなユキヒコの考えをしっかり汲み取ったかのような行動をしてくれた。
褒めて感謝する事はあっても、叱責するような事は何一つ無かった。
「ご苦労だったな」
そう言って、全力疾走してきたゴブリンを労う。
彼等は己の役目を忠実に果たしてくれた。
それを叱責するような愚かな事はしない。
やった事にはしっかりと礼を言わねばならない。
大げさに言えば信賞必罰である。
それは、こういった小さな事であっても疎かにしてはいけない。
こんな事で相手の意欲や信頼を損なう事もあるのだから。
逆に、こうした事でも言うべき事を言えば、それだけで役目についていた者達は喜ぶ事もある。
労働意欲などはこういうところから少しずつ生まれていくのだ。
そんな彼等に、次の仕事を与える。
「それじゃ、これを」
素早くしたためた書留を持たせる。
内容自体は大したものではない。
だが、見張りについてる者達に伝えねばならない内容ではあった。
「これは、中継所と監視所の者達に伝えてくれ」
そう言ってユキヒコは、新たな伝達事項を走者に渡した。
受け取ったゴブリンは、頷くとすぐにまた走り出した。
『見張りと中継、ご苦労である。
おかげで次の対応に入れる。
今後もこのように仕事をこなしてもらいたい。
引き続きの監視、今後も頼む』
渡した書留の内容はこの程度のものである。
だが、こういった事も必要になる。
ユキヒコの考えを伝える為に。
相対する走者だけを労ったのでは意味がない。
現地にはりついてる者達にも意志は伝えねばならない。
また、一度仕事を終えたばかりの者達である。
これで仕事が全て終わったという気分になりかねない。
そうでなくても、敵があらわれたのだ。
次はどうすればいいのかという気にもなる。
その場から離れて、合流した方が良いのか。
それとも更に監視を続行するのか。
現場の者達の中には、そういった疑問を抱く者も出てくるだろう。
それらに対して、次の指示を与えねばならない。
だからこそ、引き続きの監視を伝えておいた。
これを監視所に至る中継所全員に伝えねばならない。
でなければ指示が行き渡らない可能性が出てくる。
そうならないようにしておく必要があった。
実際、ユキヒコからの書留を受け取った事で、監視所も中継所も引き続きの作業に戻る事になった。
また、ささやかではあるが労いの言葉も現場にはりついてるゴブリンに喜んで受け入れられた。
上層部の者達も自分達をしっかり気に留めてくれてるのだと。
それが彼等の勤労意欲にも繋がっていく。
こういう所でユキヒコは手を抜かなかった。
自分が下っ端にいたから、何が不安になるかが分かっているからだ。
例えこれが些事であったとしてもだ。
さすがに全ての出来事に対応はしてられない。
やれる事には限界があるからだ。
だが、可能であるならば些事を疎かにするような事はしない。
小さな事から手を抜く事で、大きな問題を生み出す可能性があるからだ。
少なくとも今回は、この考えが正しかった事を示していた。




