233回 恐れは現実となりあらわれる 2
ヒサカゲのところで起こった事が、広範囲で発生していた。
住人の避難がどうしても遅れる。
そもそも避難したとしても、それを受け入れる場所もない。
農民などは土地を失うので同時に職を失う事にもなる。
職人や商人も活動の基盤を失う事になる。
職人は作業場がなければどうにもならない。
商人も在庫を置いておく店などは必要だ。
いくら手に職を持っていても。
元手があればどこででも始められるにしても、
作業に必要な場所を失ったら、活動を大きく縮小せざる得なくなる。
それでも、戦地となる場所に残すわけにはいかない。
長くは無理だが、当面の生活の援助くらいはしておかねばならない。
その出費は莫大なものになる。
それでも良心的な領主は、避難対象の者達の生活が成り立つように取り計らった。
悲惨なのはそうでない所である。
避難勧告はしても、生活の保証はしない。
そんな者も中にはいる。
したくても出来ないほど余裕が無いなら、それもやむを得ないだろう。
だが、単に出費を惜しむだけの者もいる。
そういった所に住む者達は、失う覚悟で避難をするしかなかった。
あるいは避難もままならず、その場に残るしかなかった。
もっと酷いのは、避難を促す事すらしない者達だった。
自分たちの安全は確保するが、それ以外は置いてけぼり。
戦地となる、敵が押し寄せてくる地域の住人を放り出していく。
そんな輩も存在した。
手間のかかる避難を放棄する。
そして自分だけが助かる。
そんな事を考える者も中にはいた。
その結果、避難が遅れた者達を護衛するために兵力を割かねばならない事もあった。
更に最悪なのは、撤退中の軍すらも避難してない民衆を放置する事だった。
守らねばならないのは分かるが、そんな事をすれば敵の追撃を受ける。
それが分かってるから民衆を放棄していく。
結果、残された民衆が敵の攻撃を受けていく。
当然そんな領主や司令官は厳罰を受ける事になる。
守るべき対象を放棄しているのだから当然だろう。
中には権力闘争の派閥の力で守られる者もいるにはいたが。
今回の件はそれでも守り切れない、かばいきれない程の問題に発展していった。
それはそうだろう。
救いきれない部分はどうしても出てくる。
それらを助けられなかったら、やむなき事とするしかない。
だが、救えた者達を放棄するのは話が違う。
それは責務の放棄であり、統治者・支配者の任務の廃棄である。
これを許したら統治者・支配者としての資格を無くしてしまう。
民衆の信頼を失う。




