16回 思い出────未来は漠然としていて、でも昨日も今日も明日も変わらないと思っていた
前線拠点で凄惨な儀式が続く。
生き残った男は拷問によって瀕死になっていく。
あと少しで死ぬというところまで追い込まれ、そして生け贄とされていく。
苦痛の果てに霊魂そのものの消滅となっていく彼らは、最後の最後まで悲惨だった。
女はそうではないが、終わることなくゴブリンの相手をさせられる。
それはそれで地獄のような苦痛だろう。
自殺防止のための猿ぐつわもあって、舌をかみ切って死ぬことも出来ない。
殺される事こそないが、生きている事もまた地獄のような苦しみ。
いったいいつまで続くのかと襲われてる女達は思った。
それこそ果てることなく続くという未来を、彼女たちは知らない。
「よしよし」
それを見てユキヒコは満足そうに頷く。
「これで少しは土産になるかな」
「大丈夫だろ、これだけやってくれたなら」
隣にいるグゴガ・ルが太鼓判を押す。
彼にしてみれば、むしろここまでやるのかと言いたいところだった。
「けど、なあ────」
「なに?」
「なんでここまで出来る?」
素朴な疑問。
普通ならまずしないような凄惨な行為。
それが出来る、こういう発想が出てくる。
その理由が知りたくなるのも無理は無い。
「言いたくないだろうけど。
あんたの事を知るためにも聞いておきたい」
その言葉に、
「なるほど」
ユキヒコは短く頷く。
「まあ、大した話じゃないさ」
その声にグゴガ・ルは意外そうな顔をする。
話してくれるとは思っていなかったから。
そんなゴブリンにユキヒコは、
「いい加減、言わなきゃならないだろうしな」
その時が来たか、と思いながら口を開く。
いずれ言わねばならない事だとは思っていた。
本音を言わない相手を信じる事は出来ないのだから。
ゴブリン達とてそれは同じだろう。
ましてユキヒコは裏切って寝返ってきたのだ。
そんな人間を信じるには、ある程度の事情を把握しておく必要もある。
何を理由に裏切ったのか。
その理由如何で信頼出来るかどうかも変わってくる。
どうしようもなくくだらない理由だったら。
この先、同じようにくだらない理由で裏切るだろう。
やむにやまれぬ事情があるなら。
その事情が解消されない限りはともに歩むことが出来るだろう。
そういった事をゴブリン側も確かめたいのだろう。
その気持ちはユキヒコにも分かる。
「まあ、大した話じゃ無いけど」
そう言って口火を切る。
「女に捨てられたってだけの、つまんない話だ」
それは、今から数年前。
まだ、ユキヒコが義勇兵になる前の事。
出身地の村でごく普通に暮らしていた時の話になる。
「おーい」
呼びかける声がした。
もうそんな時間かと思いながら仕事の手を止める。
「おう、昼飯か?」
「分かってるなら早く来なよ」
「はいはい」
畑仕事を中断して、呼び声の方へと向かう。
見慣れた顔の見慣れた相手が弁当を持ってきていた。
「ほら、手ふき」
「はいよ」
慣れた動きと手つきで二人とも動いていく。
生まれてこのかた、同じ村で同じように暮らしてきた。
そう言ってよければ幼なじみと言えるだろう。
同じ村で生まれた同年代の子供は全てそうであるが。
その中でもこの二人は仲の良い方であった。
「はい、おにぎり」
「ありがとよ、ユカ」
ユカ、と相手の名前を呼び、おにぎりを手に取る。
歩きながら頬張るユキヒコは、ユカと並んで手近の木陰に向かっていった。
「今日はどれくらい進んだの?」
「ぼちぼちかな。
あと少しで半分は終わるよ」
「おー、がんばってるねえ」
「まあな。
やらねえと文句言われるし」
そう言って肩をすくめる。
「それに、もうそろそろこんな事もしてられなくなるし」
「そっか…………」
そこで二人は口を閉ざした。
おにぎりを食べる時だけは別として。
「ねえ」
しばらくの沈黙のあとでユカが口を開く。
「やっぱり、行くの?」
「そうなるな。
気は乗らないけど」
水筒(竹筒)の水を飲んでユキヒコは返事をする。
「田んぼや畑は兄ちゃんがやるし。
俺たちが食ってくには町にでるしかない。
さもなきゃ──」
「──義勇兵」
「そういうこと」
小さくため息を吐くユキヒコ。
その隣でユカも表情を曇らせた。
この世界、基本的に生まれた場所で人生を終える。
村で生まれたなら、そこで育って働いて、そして死んでいく。
特別な事ではない、それがが普通である。
基本、仕事は親から受け継ぐものであり、それ以外の仕事などまず滅多にない。
一応、丁稚奉公などで別の仕事に従事する事もあるが。
そういった働き口もさほど多くは無い。
なにより、そういった仕事で得られる賃金はほとんどない。
衣食住だけ提供されるのが普通だ。
それに加えて、多少の小遣いが出れば恵まれてるといえる。
これがこの世界の普通である。
そういう水準の世界だった。
現代日本とは社会の在り方というか水準・程度がそもそも違う。
比べるのがそもそも間違いであろう。
そんなわけで、基本的に生まれた場所が終の棲家になるのが普通だった。
村や町の違いなどはあっても、この部分は変わらない。
だからこそ小さな範囲で全てをこなす事になる。
衣食住の全て、生活、そして人生を。
男女関係だって当然含まれる。
ユキヒコとユカも、そういった関係の一つだった。
畑仕事を一旦止めて昼飯を食べてる二人。
この二人も例外ではない。
村に生まれた同年代の男女である。
割と仲が良いのもあって、そのまま一緒になる事がなかば周知の事実だった。
だったら一緒にさせてしまおう、というのが村の大人達の考えでもある。
どうせ同じ村の中でくっつかねばならないのだ。
だったら、仲の良い者同士のほうが面倒が少なくて良い。
そう思っての事だった。
無下に二人を引き剥がすような事はしない。
むしろ、仲の良い二人を応援するような雰囲気があった。
それならばと、二人で一緒にいるように仕向けてもいた。
村の大人達の思惑は、こういった所に多少は出ている。
ただそれも、二人の意志を無視してるわけではない。
そうなるよう誘導してるのではなく、もともと仲の良かった二人を後押ししてるという方が正解だろう。
生木を引き裂くような真似をするつもりはなかった。
このまま二人をくっつけてしまおうというのは、当然の成り行きだった。
その方が楽だから、という理由もある。
年頃になってから、あらためて誰と一緒にさせるかを悩むよりは良い。
それで問題がないなら、そのまま一緒にさせてしまえというだけの事だった。
気が合う、そりが合うなら、そのまま一緒にさせてあげよう、という思いやりもあった。
当事者であるユキヒコとユカも、それが当たり前と思っていた。
それ以外の考えが無かったとも言える。
村で生まれ、村以外を知らず、村の中の常識で生きていく。
それ以外の情報がほとんど無いから、それを疑う事もなかった。
もちろん、外からの情報が全く無いとは言わない。
ただ、その機会が少ないし、子供の二人が耳にする事は少ない。
時折来る行商人から外の事を少し聞くくらいだ。
そして、そういった話が人生に関わるような事もほとんどない。
強いていうならば、常態化してる魔族との戦争くらいだろうか。
長引く戦争のせいで、若い者が兵隊にとられる事はある。
戦場の状況次第だが、跡継ぎ以外の者が徴兵されるのも珍しくは無い。
その為、これだけは村の者達も敏感になっている。
次は誰がつれていかれるのかと。
さすがに跡継ぎなどまで取られたりはしない。
そんな事をすれば、後々まずくなる事は国や貴族も理解している。
だが、そうでない者ならば遠慮無くつれていく事もある。
特に戦況が好ましくない時などは。
あるいは逆に、戦況が良く、更なる戦線拡大をもくろんでる時は、
そうした時は、強引に人をつれていく事もある。
その際、適性があれば正規軍に。
そうでなければ、(名目上は)個人の意志によって参戦する義勇兵に。
それらに成るのが通例となってきていた。
例えすぐに連れられていく事はなくても、適用年齢になった者は徴兵検査を受ける事になる。
なので、村の者達も「外の事」と無視するわけにもいかなかった。
その時期にユキヒコも近づいてきている。
ここが難しいのだが、兵隊に若者がとられていくのも問題である。
しかし、若者が居続けることもまた問題なのだ。
たとえ兵隊にならなくても、村に居続けるのも難しい。
徴兵されれば人手不足に泣くが、今の村はそこまで切羽詰まってるわけではない。
となれば、跡取りなどはともかく、それ以外は持て余す事になる。
四番目の子供であるユキヒコにとって、これは無視できない問題だった。
ユキの方もそこは似たようなものだ。
五番目の子供という事で家に居続けるわけにもいかない。
嫁の宛てがあるならともかく、そうでないなら身の振り方を考えねばならない。
共にそんな悩みを抱えるながら先の事を考える。
急激に人を取られるのは困る。
しかし、増え続けて養いきれない人数になるのも困る。
そんなわけで、村からはある程度定期的に人減らしが行われる。
運がよければ働き先に奉公に。
あるいは、教会で下働きでも。
それが駄目なら、常に人を募集してる軍隊に。
そういった身の振り方を求められる。
「どうなるんだろ」
「どうなるんだろうね」
ならんでおにぎりを食べながら先の事について考える。
実際どうなるかは分からなかった。
どれになってもそれなりに大変だろうとは思う。
死なないという点では奉公や教会が一番だろう。
しかし、これでは稼ぎがほとんどない。
生きてはいけるが、生きていくだけで人生が終わってしまう。
となれば軍隊がマシなのかともなる。
魔族との戦争があるので、死ぬ可能性はある。
普通に考えれば一番厄介なところでもある。
だが、ここには他にない利点もある。
何にせよ実力主義なので、生まれ育ちなどは問われない。
犯罪歴などがあるならともかく、出世は努力と才能次第だ。
家柄や門地などが問われることはほとんどない。
ある一定以上の指揮官などには求められるが。
そうでない平民庶民でも、ある程度の出世は出来る。
なので、生き残ることが出来れば稼ぎはよくなる。
少なくとも、ユキヒコの耳にはそういう話も入っている。
「どうなるんだろ」
「どうなるんだろうね」
繰り返しこう言いたくなるのも無理はない。
「軍に入った方がいいのかな」
「でも、かなり厳しいらしいよ」
「そうなんだよな。
そうなると義勇兵かなあ。
出世はそんなに出来ないらしいけど、危険な所に送り込まれることはないっていうし」
「その方がいいんじゃないかな。
死なないのが一番なんだし」
「だよなあ」
ここも悩ましいところだった。
徴兵検査にて一定以上の能力が測定されれば、軍隊に入ることになる。
そこを通過できなかったものがなるのが義勇兵だ。
しかし、それだけに義勇兵は主要な戦線に配置される事はあまりない。
比較的安全な地域か、後方での支援任務が多いという。
優秀なものは戦場に出る事もあるというが、そんなものは極めて少数だという。
それでも魔族との戦争にかりだされることに変わりはない。
戦闘で死ぬ可能性もある。
だとしても、それは正規軍よりも少ない。
となると、
「やっぱり義勇兵かなあ」
「そうなっちゃうのかな」
話はそこに落ち着いていく。
どのみち、このまま行けば兵隊になるしかない。
食い扶持を減らす為に、村では長男や次男以外の子供は村から出される。
嫁にいける娘以外も同じだ。
徴兵・兵役という名前の、体の良い間引きとも言える。
だが、そうしなければ食い扶持が増えて一家が困窮する。
家族全員が飢える可能性もある。
多すぎる子供を兵隊に出すのは、村や家族が生き残る為の手段でもあった。
この二人も例外ではないというだけだ。
村にいられる時間はそう多くはない。
だから色々と考えてはいた。
村に入ってくる数少ない情報から。
「義勇兵か……」
ぼそっと呟く。
志願者による軍勢。
落伍者の集まりと言われる。
そのため、良い噂は聞かない。
嘲笑混じりに、「ああ、義勇兵ね」と語られる事もあるくらいだ。
だが、戦場に出ないというのは大きな利点だ。
それでいて、一応は軍隊の一部だ。
能力や才能を示せば出世の道もあるにはあると聞く。
徴兵検査で合格が出なければ、そこに行くのもよいかもしれないと考える。
むしろ、戦場に放り込まれる正規軍よりは、安全な義勇兵の方が良いとすら思える。
「やるしかないのかな」
徴兵検査が近づくにつれ、そう考える事が多くなっていった。
「ねえ、本当に義勇兵になるの?」
ユキヒコの呟きに、ユカが尋ねてくる。
「まあ、それしかないかなって思ってる」
「大丈夫かな」
「さあな」
こればからいはなってみないと分からない。
伝え聞く話だけではかれるものではないのだから。
「けど、出世するならそこしかないだろ。
戦場に出ないで済むならってのもあるし」
「だよねえ」
なんにしたって、死にたいと思う者はいない。
たとえ軍隊に自ら志願して入ったとしてもだ。
ユキヒコが狙ってるのは、比較的安全で、なおかつ食い扶持にありつく道である。
隣に座ってるユカと所帯を持てるように。
そのための稼ぎとして義勇兵を考えてる。
「やるしかないよ。
兵隊になれるかも分からないけど」
「そっか……」
娘の方もそう言うと黙り込む。
難しい事が分かるわけではない。
だが、少年が何か考えがあるのだろう、悩んでるのだろうという事は分かる。
「出来るだけ何とかしてみるよ」
「うん」
何をどうするのかはユカには分からない。
だが、自分達の事を考えての事だというのは何となく分かった。
実際、ユキヒコは色々と考えていた。
徴兵検査に合格して軍に入れば、確実に娘と引き離される。
一人一人の要望を軍が汲み取る事はないからだ。
個人の事情を考慮する事無く、訓練結果などを参照にして配置を決める。
膨大な人間を管理するのだから、そうなっていってしまうのは仕方が無い。
余程特別な手蔓でもなければ、要望が通る事などない。
そんな事もユキヒコは漏れ聞いていた。
だから、多少は自分で色々選べるという義勇兵になる事を考えていた。
(出世だよなあ)
そこが一番の問題だった。
そのためには、正規軍では困るというのもあった。
これも話しに聞くだけだが、そこのお偉いさんは、貴族や武家で占めてるという。
建前上は実力主義であるが、やはり一定以上の立場はそうではない。
これにはしょうがない事情もある。
有る程度以上の教養や教育水準のものでないと、指揮官はつとまらないからだ。
特に軍の作戦立案といった、戦略に関わる部分などでは。
そうなると、専門の大学卒業くらいの能力が求められる。
平民庶民でそんな教育を受けるものはほとんどいない。
なので、どうしても上層部は教育を受けてる貴族や武家などに限られてしまう。
例外となると、平民庶民でも裕福な家に生まれ、教育を受ける機会があった者くらいだ。
そんな正規軍では出世はのぞめない。
義勇兵だとこのあたりの事情が変わってくる。
基本的に義勇兵の出世に上限と言うものはない。
志願者によって成り立ってるから、出自を問わないと言うのが建前だ。
ただ、実際は貴族や武家がやってくることがほとんどないからである。
これは正規軍より劣るとみなされてることによる。
さすがに義勇兵の上層部などはそうではないが。
それ以外では平民庶民が要職につくこともあるという。
これが義勇兵の持つ利点の一つではあった。
功績を挙げねばならないが、これが出来れば出世は可能だった。
(そうすりゃ、ユカと暮らしていけるかも)
そんな事をユキヒコは考えていた。
他にも、有る程度の自分の意思が反映されるというのもある。
たとえば配属先などだ。
正規軍と違い、義勇兵の場合は割と融通がきく。
本人の希望と受け入れ先の承諾があれば、配属先をある程度は選ぶ事が出来る。
もちろん全てが希望通りになるわけではない。
だが、正規軍よりは自由になる余地があった。
それを利用して、ユカと一緒にいられる場所を探そうと思っていた。
「ま、先の事は先の事だ」
頭に浮かんだことを、そう言って一旦止める。
「それより、こっちだ。
今日中にあっちの畑は片付けておかないと」
「そうだね。
がんばらないと」
ユカも頷く。
この先どうなるのかという不安はある。
それについて色々と考えてしまう。
しかし、今は目の前にある仕事を片付けねばならない。
悲しいことに、結構な作業が残っているのだ。
将来への不安よりも、まずは目先の問題だった。
「そんじゃ、夕方まで頑張ってるから」
「うん、母ちゃん達に言っておく」
そう言って二人は別れる。
「昼飯上手かったよ、ユカ」
「ありがと。
午後も頑張ってね、ユキヒコ兄ちゃん」
兄ちゃんが『にーちゃん』と聞こえる呼び方を聞いて、
「おう」
と応じる。
「お前を食わせていけるようにな」
「うん、そうだね」
ユカも笑って応じる。
「早く祝言あげられるようにね」
「ああ、まかせろ。
畑も、義勇兵もどっちもがんばってやる」
前者はほぼ不可能なので、実質後者だけが選択しである。
だが、既にユキヒコはやる気になっていた。
祝言。
それはほぼ確定事項であった。
ユキヒコが食えるようになったらそうしようと決まっている。
ユキヒコとユカの家でもそういう話になっている。
また、村の中でもそういう話でまとまっている。
本人達も了承してる事だ。
だから、それを前提にした話になっている。
だからこそ、ユキヒコは食っていく方法をどうにかして築かねばならなかった。
「……がんばらないとなあ」
苦笑というか苦悶のため息を吐く。
まだまだむしらねばならない雑草は多い。
それを目の前にするとどうしても気持ちが沈んでしまう。
兵隊になるのと目の前の作業、どちらが大変なのかと考えてしまった。
いつも変わらない日々の一幕。
昨日と同じ今日を迎えてるはずだった。
しかし。
後にユキヒコは後悔する事になる。
この日、ユカを見送ってしまったことを。




