15回 襲撃────敗者に与える聖なる仕事、全ては女神の望むままに
「だったら、今すぐ罰でも下せばいいだろ」
「なに?」
「いずれとか、後でとか、そういうのいいから。
今すぐ罰でも下せばいいんだよ」
天罰やら神罰やらを口にしてる女神官に突きつける。
「本当にそんなもんがあるなら、今すぐ救えばいいんだよ。
そもそも、こんな風になる前にどうにかするべきだろ」
「貴様!」
「それをしないでいる、信徒のあんたがこんなになっても助けない。
そんな奴に何が出来るってんだ?」
「……何を言ってる?!」
女神官からすれば信じられない言葉だった。
「貴様、神を試すつもりか」
神官として決して認めてはいけない発言だった。
神に従い、神の意思に従うのが神官だった。
少なくとも女神イエルの神官達はそうした傾向がある。
そんな神官達にとって、女神を避難するような言動などありえない事だった。
まして神を疑い、その教えに疑義を挟む事など、背教どころの騒ぎでは無い。
教会に身を置く神官ならば、それを決して見逃さず、相手をたださねばならない。
それが口頭であるのか、拳によるのかは状況次第になるが。
何偽よ、教義は教義として受け入れる。
それに沿って生きていく。
それが神官である。
これが出来なければ神官は勤まらない。
教義が社会に溶け込んでるこの世界ならばなおのことだ。
それらは既に常識にすらなっている。
教義がない世界なんて想像すら出来ない。
そんなものがあるとすれば、それは全てが崩壊した状態という事になる。
規律も礼儀も失われた野蛮性にあふれる世の中でしかない。
そう考えるのが女神イエルの神官というものだった。
ユキヒコの言葉は、そういったものを想起させるに充分なものだった。
崇拝を真っ向から否定してるのだから。
「この野蛮人」
女神官は、ユキヒコに侮蔑を込めた人物評価を下す。
彼女からすればそう言うしかない。
「自己紹介ご苦労さん」
ユキヒコはユキヒコで、そんな女神官に適切と思える評価を返した。
そんな女神官の髪を引っ張りながら、ユキヒコはその場から離れていく。
「じゃあ、何かあったら呼んでくれ」
「ああ、分かった」
返事をするグゴガ・ルに手を振ると、広場を後にする。
向かう先は、手近にある小屋の一つ。
当然ながら、髪の毛を掴まれた女神官もユキヒコに引っ張られていく。
手足を縛られてるのでまともに動く事も出来ないまま。
「い……ったい……」
悲鳴があがる。
だが、ユキヒコはとりあわない。
それどころか、無言で蹴りを入れる。
その痛みで引きずれてる者は口をかみしめる。
相手の気にくわない事をしたらどうなるのかを、その行動一つで理解していく。
それでも痛みで悲鳴が漏れる。
その都度ユキヒコは軽く足蹴にしていく。
相手へのいたわりや思いやりは全く無い。
「グゴガ・ル」
「なんだ?」
「そろそろ呼んできてくれないか。
あんたらの神官を」
「ああ、分かった」
グゴガ・ルは近くに控えていた者に呼び出しにいかせる。
頷いた部下はすぐに走り出していった。
そしてユキヒコに向き直り、
「本当にやるのか?」
「もちろん」
尋ねて、すぐに返答をもらう。
短い最終確認である。
だが、それで十分だった。
事に関わる問答はとっくに済ませている。
それでも気持ちや考えが変わらないのかを確かめただけだ。
ユキヒコがやろうとしてる事を止めるつもりはない。
グゴガ・ルとて、ユキヒコがやろうとしてる事に異論があるわけではないのだから。
呼び出された神官は、しばらくすると姿を見せた。
外見上は他のゴブリンと大きな違いがあるわけではない。
だが、首から提げた神の紋章が刻まれた首輪を下げている。
それが他のゴブリンとの違いを物語っていた。
その神官にユキヒコは、
「それじゃ、やってくれ」
と頼んだ。
頷いた神官ゴブリンは、すぐに女神官の方に向かっていく。
「なにをする……」
不穏な気配を感じたのか、女神官は問いただしてくる。
手足を縛られ膝をついてる彼女に、ユキヒコはもう一回蹴りを入れた。
今度は顎に。
頭をのけぞらして女神官は倒れた。
そんな彼女に、
「良いことだよ」
とだけ告げる。
「なんでこんな事を……」
倒れた女神官は、疑問を漏らす。
どうして同胞に対してここまで出来るのか。
男に加えられる残虐な所業。
女がされている悲惨な行為。
それらを目にすれば言いたくもなる。
まして、ユキヒコの事は知らないわけでもない。
彼女もこの拠点にいた者である。
義勇兵と行動を共にする事もあった。
そんな彼女からすれば、ユキヒコは仲間の一人であった。
一緒に仕事をした事もある。
ユキヒコより後にやってきた彼女からすれば先輩であった。
とはいえ、それほど頻繁に接していたわけではない。
話をするのは仕事の時くらい。
同じ拠点にいても義勇兵と神官とでは、どうしても接点が減ってしまう。
なので、親しい間柄というほどではない。
だとしても、全く接点が無いわけでもない。
一緒に行動していた時には、色々と話をする事もあった。
野外における活動で、様々な注意ややり方を教わる事もあった。
そんな事があっただけに、ユキヒコの態度が不可解であった。
「あなたも義勇兵でしょう」
かつて一緒に活動していた事をもとにそう言う。
しかし返ってくるのは、
「だからなんだ」
にべもない返事である。
「そういうのをやってはいた。
だから何だ?」
「…………」
女神官は絶句する。
あまりにも強烈に拒絶されてるのを感じて。
頭が一瞬停止する。
思考が働かない。
なぜそこまで冷淡になれるのかが分からない。
(どうして?)
つい先日までは一緒に戦った仲間だったはずなのだ。
にも関わらず、今のユキヒコはそんなそぶりがまるで見えない。
初めて出会った人のような。
あるいは、対立する敵のように思えてしまう。
それは多少なりとも接点のあった者に向けるものではない。
(なんでそんなに?)
わけが分からなかった。
女神官の疑問をよそに、ユキヒコは進んで行く作業を見つめる。
神官ゴブリンによる神への祈祷。
女神イエルではない、ゴブリン達の神。
それに向けての祈りがあがっていく。
それは儀式であった。
祭壇があるわけでもない。
神殿であるわけでもない。
宗教を感じさせるものは一切無い。
しかし、それらよりももっと大事なものはあった。
神への崇拝、敬虔さというものが。
それを神官ごぶりんはしっかりと醸し出していた。
それがあるからこそ何もないこの場所は、ゴブリン達の神への祈りの場所になっていった。
それは女神官も感じていく。
彼女も女神に仕える者だ。
崇拝する神は違っても、神聖な何かを感じ取る力はある。
だからこそ何かが起こってるのが分かった。
巨大な力が働いてきているのを。
それはまさしく神々の介入によるものだった。
神官ゴブリンの祈りに応えてやってきた神。
その神は、神官の前にいる者に着目する。
自分とは違う何かに仕える者。
そして、自分に捧げられた供物。
それを捧げるために呼び出された神は、躊躇うことなくそれに手の伸ばした。
その者が持つ霊魂を奪うために。
生け贄の儀式。
生命そのものを捧げる奇跡である。
神々に霊魂を捧げ、そして糧とする為に。
それを行えば神は力を得る事が出来る。
その恩恵は奇跡という形で発現する。
その代償に捧げられた命は消える。
神に取り込まれ、消化されていく。
自我や己というものを失い、永久に消滅する。
輪廻転生といった事すら出来なくなって。
死んでもなお次がある、という可能性がその瞬間に消滅する。
そのことを女神官は察した。
神官であるが故に、贄を捧げるという行為についての知識はある。
だからこそ彼女は恐怖した。
己が消えてしまう事に。
もう二度と生き返らない事に。
完全に自分が消滅してしまう事に。
「────いやああああああああああ!」
悲鳴があがる。
それはその場にいた者達全員の耳と心をうった。
それほどに悲痛な響きを伴っていた。
「いや、いや、いやあああああああ!」
霊魂が肉体から抜き取られ、それが吸収されていくのを。
自分という存在が崩壊していくのを実際に感じていく。
奪魂、
収魂、
吸魂、
そして、エナジードレイン。
呼ぶとするならそういった事になるだろう。
それが女神官に施される。
その行き着く先を悟り、女神官はただ泣き叫ぶ。
何の意味もないと分かっていても。
「いいねえ」
それを見ていたユキヒコは笑顔で呟く。
「無理してやってもらって良かったよ」
存在の全てを消滅させられていくのを見ながら。
心の底からそれを楽しんでいる。
「でも、泣き叫ぶのは駄目だよな」
語りかけるような調子で目の前の惨劇に注文をつける。
「あれでもイエルの信徒かよ。
最後の最後まで意地を示してもらわないと」
「……そういうもんか?」
隣にいるグゴガ・ルが尋ねる。
その質問に特に意味はなかった。
何か知りたかったわけではない。
だが、その時は何となく気になった。
ユキヒコが何を言いたいのか。
何をしたいのか。
それを少しでも知りたかったのかもしれない。
そんなグゴガ・ルにユキヒコは、
「そりゃそうだろ」
と答えた。
「教えに従って何でもするんだから」
「…………」
「そんな横暴を通すなら、最後まで押し通してもらわないと」
それは妙に力強く、確信に似た何かを感じさせた。
何故そうなのかは分からなかったが。
そんな二人の前で、女神官は朽ち果てていく。
体が水分を失ったようにひからびていき、骨と皮だけのようになっていく。
骸骨のように変わっていくその体は、悲惨な末路を感じさせるに十分だった。
実際、それは辛い死に方であっただろう。
男達が施されてる拷問の果ての死よりも。
痛みによる苦しみも辛いものではある。
だが、霊魂が失われる痛みはそれをはるかに上回る。
そんな事をされてる女神官は悲惨というしかない。
まして、生きながらひからびていくのだ。
どれほどの苦しみなのかは、なった者にしか分からないだろう。
そんな女神官にユキヒコは声をかける。
「そんなツラすんな。
これも女神様の思し召しだ」
酷薄な言葉である。
そんな事は絶対にないと分かる言葉だ。
しかし、かまわずユキヒコは続ける。
「女神に従ってここまで来たんだ。
これおも思し召し、イエルの望んだ事だろうよ。
せいぜいそれに従って死んでいけ」
どこまでも冷酷で冷淡な言葉。
その締めくくりに、
「それも仕事のうちだ」
女神官にたたきつける。
その声を最後に、女神官は意識を失った。
霊魂を完全に消滅させて。
それを見ていた者達は、全員声を失った。
命ある者として、決して受け入れられない最後。
それを目の当たりにしては、平静を保っていられない。
義勇兵もゴブリンも、等しく怖気を覚えた。
静寂が拠点の中に訪れる。
「分かったか、おまえら」
そんな中で一人、ユキヒコは声をあげる。
「俺達にたてつくとこうなる。
イエルに従って動くならな」
周りにいる者達をその声に、我知らず耳を傾ける。
「選べ、これからを。
俺達に従って生きるか。
イエルに従って、霊魂ごと消滅するか」
それは最悪の選択だった。
義勇兵達にとってはどちらを選んでも地獄でしかない。
しかし、どちらがより良いのかは考えるまでもない。
頭ではない、魂の部分で悟っていく。
消滅するくらいなら、苦痛を味わう方がいいと。
存在そのものが消えるよりは、そちらの方がまだマシだった。
誰もが何かを諦めて苦痛を受け入れていく。
「あ、ただし」
そこに注釈がつく。
「男はもう駄目だから、神に捧げる。
どうせ長くはもたないからな。
それまで、せいぜい痛い思いをしていてくれ」
様々な苦痛を受けてる男達は、ユキヒコのその言葉に絶望した。
「女の方は、そのままゴブリン達を楽しませてやれ。
そうすりゃ、命だけは助かるからな」
女達はそれを聞いて安堵した。
最悪である事に変わりはない。
だが、女神官や男達のように生け贄にされる事は無い。
それが分かっただけでも十分だった。
この先がどれだけ地獄であろうとも、女神官のようになるよりはマシだった。
「もちろん、ゴブリン達の子供も生んでもらうぞ。
そこまで含めて、お前らの使命だ」
そういう事になったとしてもだ。
そう語るユキヒコの背中をグゴガ・ルは見ていた。
様々な思いを抱きながら。
仲間としてはとても頼りになるのは分かっている。
その智慧ともたらしてくれる情報によって、拠点すら攻略出来た。
それは非常にありがたい。
だが、この拠点での所業は目を覆いたくなる。
仮にも味方であった者達が相手だ。
にも関わらず、そこには一切の容赦がない。
それはゴブリンであるグゴガ・ルからしても苛烈なものだった。
グゴガ・ルも戦場を渡り歩いてきた。
その中で色々なものを目にしてきた。
仲間が悲惨な殺され方をしてる所も。
逆に敵を倒して、残虐な最後を迎えさせた所も。
それは戦場においてはさして珍しいものではなかった。
それにグゴガ・ルもいつしか慣れていった。
それでも、ユキヒコの態度にはいささか疑問を抱く。
仲間だった者達にここまでの事が簡単にできるものなのかと。
グゴガ・ルも多少なりとも仲間意識は持ち合わせてる。
だからこその疑問だ。
「……どうしてここまで出来る」
そんなグゴガ・ルの思いをよそに、ユキヒコは目の前の光景にめを向ける。
そこではゴブリン達と女達による宴が繰り広げられていた。
悲鳴と歓声の両方が入り交じっている。
それを耳にしながらユキヒコは声をあげていく。
「これも女神イエルの思し召しだ」
それを誰がどれだけ聞いているのか。
女は悲惨さに。
ゴブリンは喜びの中で。
共に目の前の事に集中している。
とても他に目や耳を向けてる余裕はない。
それでもかまわずユキヒコは続ける。
「イエルはお前ら女に聖女である事を求めてる」
聖女。
女神イエルに選ばれた女達。
奇跡を授かりそれを行使する神職の一つ。
女神イエルの教えを受ける者達にとっては憧れの一つでもある。
その役目は、勇者と行動を共にする事。
勇者の伴侶として。
ユキヒコは目の前の女達に、その役目を説いていた。
お前らは聖女であると。
「勇者はお前らの目の前にいる」
誰の事なのかなど説明する必要もない。
女達に襲いかかってるゴブリン。
「それこそがお前らの勇者だ」
義勇兵達の敵である存在。
それが勇者であるとのたまう。
「彼らは紛れもなく勇者だ。
勇敢に戦い、戦果をあげた。
今、ここが陥落してるのがその証拠だ」
武功という意味では、確かに勇者だろう。
「だからこそ、ゴブリン達と共に歩め。
それが女神イエルの求めてる所。
勇者と共に歩むこと」
随分と無茶な事を言っている。
しかし、それに逆らう者はいない。
「そんなお前らは間違いなく聖女だ」
はっきりと宣言する。
答えがないのは分かっていても。
「励めよ。
聖女諸君」
何処までも冷淡な声。
そして、消える事のない笑みが顔に。
「お前らにそうさせてるイエルの為に」
どこまでも酷薄な声が辺りにかけられていった。
「…………あの時のようにな」
それだけは小さな声。
そのささやきは誰にも届かない。
しかし、確かに発せられた。
深い恨みと共に。