2承――約束
第二話です。まだまだ話はのんびりしています。
「……」
ローシーズは呆気にとられた。目はすこし伏せがちに据わっていて、口は開いてはいないものの笑みとは反対側に歪んでいる。勿論この顔はクロウズに見えていないが、醸し出す雰囲気を察したか彼が片手を上げて挨拶した。
「やあ、ロシー」
クロウズは彼女の反応に愉しげに笑っていたけれど、ローシーズは到底笑えない。何故なら、彼の背中にはとてもおおきな荷物が背負われていたのだから。
くん、と鼻をひくつかせた。精霊の鋭い嗅覚が荷物の中身を感じ取る。
「……お酒?」
「流石、わかるんだな」
「ええ、……えっ?」
一瞬流しかけ、ローシーズは違和感に眉根を寄せた。だがクロウズは微笑みながら話を続けるから、違和感はやがてどこかに消え去る。
「ええと、つまり」
ローシーズは頭の中で彼の話を纏めた。見えないけれど、頭痛がするとわかりやすく素振りで示しながら溜息を一つ吐く。
「お花見をしたいということかしら?」
頷くクロウズに、続けて問いかける。
「何故、ここで?」
「……わからないか」
変わらず笑みを描く口元とは裏腹に静かな口調の彼。その変化は、ローシーズにわかるはずだろうと言外に言っているようで。全く覚えのないローシーズはただ当惑するばかりだ。わからないわ、と答えて仕舞えば、彼は悲しむだろうか。けれど、他に何と答えていいか。
「ごめんなさい」
彼はやっぱり悲しそうで、だが「大丈夫だ」と言ってニヤリと笑う、笑顔を作る。
「君の花が、とても綺麗だから」
「わたしのじゃないわ!」
ローシーズは反射的に叫んでいた。驚くクロウズに、弱々しい声ながらも「わたしのじゃないわ……」ともう一度繰り返す。
この花は、この樹は、ローシーズそのものだ。ローシーズはこの樹に宿る精霊なのだから。けれども、それは彼が知らないはずの事実だ。
だから、それが彼の優しさだとしても。ローシーズだけは、それを肯定してはならなかった。
何故なら彼女は『神秘』だから。
「……ロシー、その」
クロウズは口をモゴモゴと動かせて何か言おうと懸命に脳を働かせるが、言葉はない。顔にもう笑みはなく。後悔に彩られた青は、それでもローシーズにはやはりとても綺麗に見えた。
「ねえ、クロウズ!」
あえて明るく、ローシーズは切り出した。
「お花見って何をするのかしら!」
無邪気さを装うように。
「わたしも一緒にしたいわ」
だが顔だけはうまくつくれない。それでも彼に見えていないから、いい。
不安で泣きそうな、ぐちゃぐちゃの心内を示したかのような表情なんて、見えなくていい。
そうやって偽って、壁を作って距離を取り。境界線の向こう側の彼に壁越しの声をかける、ローシーズはそういう関係しか築けないのだから。
明るい声だけを出し続ける。そして「ねえ、いいわよね?」と強請ってみせる。何も気にしていないと、先ほどのことは『なかったこと』なのだと、態度で示す。
「…………ああ、そうだな」
何度も言い募って、やっと強張った顔のクロウズが頷く。そのまま伏せた顔は、位置の関係でローシーズから見えなくなった。彼は表情を隠したかったのだろうか。
見せてほしい、と思った。あの、綺麗な青を。
彼の揺れる瞳を。
「君は、花見を知らないのか?」
ローシーズに悪戯っぽく問いかける彼は、すっかりいつものペースを取り戻していた。嬉しいけれど、この流れはわたしが揶揄われる流れだわ、とローシーズはほんの少しだけ拗ねる。声も自然とつんと尖ったものになる。
「知らないわ……」
「勿体ないな、そんな綺麗な花がすぐそばにあるのに」
クロウズの危ういところを歩く発言はもう無視しよう、とローシーズは決意する。幾度も動揺していては彼の思うツボだ、たぶん。
彼の中でどうやら『ロシー』の正体はほぼ決まっているようだけれど、それはローシーズが正体を現していいということではない。疑惑と確定は違うのだ。
クロウズによると『お花見』はそのまま言葉通りの意味で、花を見ながら飲み食いして喋って楽しく過ごすこと、らしい。背負った荷物は食べ物や飲み物だと彼は言うが、ローシーズの嗅覚はしっかりとその中身を判別しており、酒とそのつまみ類のみだとわかっている。
「……ただお酒が飲みたいだけでなくて?」
「お花見だ」
きっぱりと真顔で言い切るクロウズ。ローシーズはそれに半眼で相槌を打った。どうしても彼はそういうことにしたいようである。
そんなにお酒っていいものだったかしらと呟けば、彼が「ああ」と吐息のような声を漏らした。
「そうか、君は、……」
ローシーズのいるであろう場所を見上げる彼の青が、細くなる。空気に溶けるちいさな言葉はそれでも精霊の聴覚からは逃れられなかった。
――君は、十八まで生きられなかったから。
『ねえ、君って、誰の事を言ってるの?』
ローシーズはそんな言葉を叫びたい衝動に駆られたけれど、唇をぐっと噛み締めて堪える。それは聞いてはいけない事なのだろうと、青に浮かぶ感情を見て思うから。
からん、と氷が揺れる。顔を見せぬようにと気遣いながらも受け取った手の中のグラスが汗ばんで、ローシーズの手を濡らしてゆく。
「……随分準備がいいのね」
「君の分も用意してきたからな」
ローシーズは嘆息する。色づいたグラスは明らかに女性用で、言いたいのはそういうことだったのだけれど。
――あなたはわたしよりも、構うべき女の子がいるのではないの?
言えないことばかりが胸の中で渦巻く。
「ねえ、」
笑みを作る。ぐるぐると重い胸中など無視して。当たり障りのない話題を、と探したそれを彼に問う。
「あなたは、どうしてここでお花見をしようと思ったの?」
けれど。自分の心でさえわからないのに、他人の心など――障りがあるかなど、わからないのが当然だった。
彼は目を瞠って、それから自嘲するように口角を上げる。青はどろどろと深く暗く。
「彼女と、……俺の婚約者だった女の子と約束したんだ」
そこで一回言葉を切ると、今日持ってきた花束を見つめる。
「いつか、一緒にお花見をしよう、って」
きっと彼は、そのひとを愛おしく思っていた。それは他人であるローシーズにすらわかる事実だった。――たぶん、そのひとが「大好きだった人」ね。
いつか彼が言っていたこと。『大好きだった人への謝罪』である花束。――ああ、羨ましい。
ふと、ローシーズは閃く。
彼がローシーズに重ねているのは、そのひとなのではないか、と。『十八までしか生きられなかった』、『婚約者だった女の子』。
想像はさらに飛躍した。――もしかしたら、本当に、わたしはそのひとなんじゃないの……。
「ロシー?」
だがクロウズの怪訝そうな声に、そんな空想は吹っ飛ぶ。
「なんでも、ないわ」
遠い昔に。
少女と少年は若木の下、約束をした。
閲覧ありがとうございました。
【3転――独り】は5/29(火)朝6:00に投稿します。