多重人格
「あーあ、アンタのせいで始発まで時間潰さなきゃならなくなったじゃない」
先程コンビニで買った無糖の缶コーヒーを一気に飲み干した後で、麻利亜さんは僕を睨み付けた。
「すみません」
外出の時にはいつもつけている黒縁のメガネのフレームが何故か少し曲がっていて掛けづらかった。
「だけど、どうして僕が暴走してるって分かったんですか?」
僕の記憶は依頼人にキスされる瞬間に途絶えていた。
自分でも分かっていたんだ。
あのままあの場にいたら、きっと、僕のもう1つの人格ショウが現れると言うこと。
分かっているなら抑え込めばいいと思うのだが、それがうまくいかないから、ああも簡単に破滅的性格のショウが現れてしまう。
「そんなの勘よ、勘」
女の勘と言うやつなのか?
いやいや、勘でそんなことまで分かる訳ないだろう。
しかも、麻利亜さん瞬きの数が多くなってるし。もう空になっている缶コーヒーに口つけてるし。
明らかに怪しい。
「何よ?疑ってんの?誰のおかげで普通の生活が送れると思ってんの?」
そう言われると何も言えなくなってしまう。
そうだ、麻利亜さんのおかげで僕は生きていけるんだ。
記憶を失い、一文無しの僕を拾ってくれた命の恩人には逆らえない。
「いえ、何も無いです」
「分かればいい、あーあ始発まで何して時間潰そう、明日も朝早いのに…今日の依頼人に謝りに行かなくちゃだし…」
ブツブツ言う麻利亜の愚痴は止まらない。
「だいたい、多重人格って何?記憶喪失で多重人格、更にアイドル?何の漫画の主人公だって話よね?しかも、サイコメトリーのスキルとか…、コケる漫画の典型的なパターンよね?本当は記憶ぐらいあるんじゃない?」
かなりディスられてる。
そんなこと言われても…。
本当に記憶が無いのだから仕方ない。
「もう一人の人格を引き出すには、異性が好意的に責めること」
麻利亜さんはそう言うなり、僕の襟元を掴み、僕の唇に自分の唇を近付けた。
「ま、ま、麻利亜さん?」
「いいから、黙って。ねぇ、キスしない?」
「え?え?え?」
突然の事で頭が真白になる。
キス?これは…またショウが出てきてしまうのでは?
だが…。
唇が触れるギリギリのとこで、麻利亜さんは体を離した。
「何で、私の色仕掛けには落ちないのよ‼私のこと女と思ってないでしょ」
そうだった…、思い出した。
以前、僕のこの多重人格を直そうと試みた時に、麻利亜さんが強引に僕に迫って来たことがあったけど、失敗に終わったのだ。
麻利亜さんはくるりと背を向けると、車道に出てタクシーを止め、
「記憶喪失の多重人格男は始発までそこにいなさい」
と捨て台詞を残して行ってしまった。