08話 暴力
最初に動いたのは剣を持った1匹のゴブリンだった。
ゴブリンは刃こぼれしまくりの刀身を長い舌でベロッと舐めると、奇声を発しながら駆け出した。
それが合図かの如く、四方からゴブリン達が動き出す。
俺はジェリーさんを自分の腹の下に隠し身を丸くした。
『ひぃいい!! 狼さん、これ凄いヤバいですよぉ!!』
半泣き状態で叫ぶジェリーさん。
止めてくれ、俺も泣きたい、叫びたい!!!
ゴブリンの1匹が俺に向けて剣を振り下ろした。
錆び付いているからかその刃は俺の肉を切り裂くことは無い、しかし、鈍い痛みが前脚に走る。
あまりの激痛に泣き出しそうになるのを抑え、前脚を振るってゴブリンを追っ払う。しかし、その背後から槍を持ったゴブリンがその槍を放り投げた。
胸へと突き刺さる槍の先端……そんなに深くは刺さっていないが、赤黒い血が流れた。
『ガウ!!(くっそ、いてぇ!!)』
奥歯を噛み締め痛みに耐える。
しかし、ゴブリンの猛攻は停まる所を知らない。
休むこと無く頭部へと叩き付けられる棍棒。
一瞬、視界が揺らぎ倒れそうになったが、踏ん張る様にして押し停まる。
このゴブリン共を連れて来た犬共に恨みの籠った視線を向ける。やつらは多勢に無勢の中、傷だらけになりながら応戦していた……が、やはりこの多さだ。徐々に押されつつあり、どう見てももうすぐ殺されてしまいそうであった。
『ニク、ニク、ニク!!! オオキナニク、タベル、タベル!!!』
驚きであるゴブリン共はどうやら人語を解すようだ。
しかしまぁ、その喜々とした呟きから察するに話し合いなんかで解決する見込みはゼロだろうが。
そんなことを考えていると、俺の背中に上ったゴブリンが思いっきり棍棒を振り下ろした。
『……キャイン!!!(……グハ!!!)』
あまりの痛さに意識が朦朧とし出す。
まるで、リンチ……いや、まるでもクソも無くリンチだはこれ。
血がにじみ出した視界で上を見上げると、木の上からこちらを見下ろしていた数匹のゴブリンがなにやら縄の様なものを取り出した。その様子を見た他のゴブリンが一斉に俺達から距離をとる。
いきなり止んだ猛攻、嫌な予感がした。
目の前には満身創痍の犬達が未だ果敢に立ち上がっている、その1匹がゴブリンに飛びかかろうとした瞬間。木の上のゴブリン達が一斉に縄を放り投げた。
身体に巻き付く無数の縄。
手足の自由が奪われ、首が締め付けられ、とてつもない力で顔を地面へと引き摺り降ろされる。
身体の自由を完璧に奪われた俺と犬共……その様子を武器を持ったゴブリン達が卑下た笑みを浮かべ見ていた。
その様子を見て、沸々と何かがこみ上げて来る。
あぁ、コイツら……まじクソが!!!
『コロス、コロス、コロス!!!』
あの時の感覚が蘇り、そんな言葉が頭を過る。
クマに襲われたあの時の感覚だ。
怒りの衝動とは裏腹に、心地よい眠気により徐々に意識が薄くなる……身体の自由が無くなって行き、形容し難い感情が支配する。
頭の中で声が響いた。
『目の前の敵をコロセ』
◆
一瞬の出来事だった……抑えてつけていた縄が引きちぎられ、巨狼が立ち上がったのは。
突然立ち上がった巨狼……その様子は先程までとは違い、神々しく、近寄り難く、おぞましい雰囲気を醸し出していた。
しかし、ゴブリン達にそれを察する脳は無い、ほとんどのゴブリンはいきなりの巨狼の反撃に面食らっていただけであった。
その中で1匹だけ、1本繋がっていた紐を懸命に引張り続けるゴブリンがいた。
巨狼はそのゴブリンを紅い瞳で見下すと、思いっきり縄を引張った。その勢いで宙を舞うゴブリン……巨狼はゴブリンに空中で噛み付いた。
『ギ、ギギャアアアアアアアア!!!』
ゴブリンの小さい身体に巨狼の大きな牙が突き刺さる。
あまりの激痛に地獄の亡者のような叫びを上げるゴブリンを、他のゴブリンは見上げるしか無かった。
口に咥えたゴブリンを甚振るかの様に、何度も何度も歯を噛み締める巨狼。その度に夥しい量の血液が噴出し、数回悲鳴を上げた後、とうとうゴブリンは動かなくなった。
巨狼は咥えていたゴブリンが絶命したのを確認すると、地面へと吐き捨てる。
地面に転がったゴブリンの死体は、腹の部分がグチャグチャになっており、その顔は恐怖と苦痛に歪んでいた。
『……ギ、キ、キキィイイイ!!!』
その様子を見た棍棒を持ったゴブリンが、仲間の死に怒りを爆発させる。
こめかみに青筋を浮かべ、その得物を振りかざし巨狼へと駆け出していく。その突撃に一拍遅れて、追随するかの如く8匹のゴブリンが続く。
巨狼はその様子を楽しく無さげに眺めながら、大きく息を吸い込んだ。
『ウァオオオオオオオオオオン!!!』
冷気を纏った巨狼の遠吠え。その声は大地を揺るがし、空気を振動させ突風すら生み出した。駆け出したゴブリン達は一斉に動きを止める。否、動きを止めたのでは無い……彼らの足が氷ついていたのだ。
いきなりの現象にゴブリン達はパニックになった。
最初に駆け出した棍棒を持ったゴブリンも、凍りついた自分の足を懸命に棍棒で叩き割ろうとしていた。
しかし、その氷が割れることは無い。ゴブリンは産まれて初めて感じる死への恐怖に震え上がった。
ゴブリンをひとつの大きな影が覆う、見上げると巨狼がゆっくりと歩いて来ていたのだ。
『キ、キィ……』
ゴブリンが鳴くと巨狼はゆっくりとその大きな前脚を上げる。
グチャ……
巨狼の前脚で踏みつぶされるゴブリン。
首があらぬ方向に捻り曲がり、内蔵をまき散らしながら、まるで水風船の様に破裂した。
その様子を見ていた同じく身動きのとれないゴブリン達は一斉に混乱へと陥った。
しかし巨狼は、そんなゴブリン達の動きを気にも止めず、ゆっくり散歩する様に歩きながら1匹ずつ様々な方法で、周りを取り囲むゴブリン達に見せつけるかのように殺して行く。
あるゴブリンは首を喰いちぎり、あるゴブリンは全身を爪で引き裂き、あるゴブリンは全身を氷像へと変え命を奪う……
その様子を遠巻きに見ていた残りのゴブリン達は、いっぴきいっぴきと後ずさり、転がる様に森の奥へと逃げ出した。
巨狼はその様子を確認した後、紅い瞳を細め口元を歪めてから駆け出す。
森の中を逃げ惑うゴブリン達。
最早、彼らの手には武器は無く、必死に傷だらけになりながら逃げていた。
本来、ゴブリンは生存本能といったものが乏しく、格上の相手に対しても蛮勇ともとれる行動をとる。これは、ゴブリン自身の死への恐怖心が低いためであるが……いま、彼らは死への恐怖で頭が支配されていた。
巨狼はまるで遊ぶかの如く、追いついたゴブリンを1匹ずつ始末して行く。
その度に森中にゴブリンの断末魔が響き渡り、残りのゴブリン達を焦らせた。
そもそも身体の大きさと身体能力に圧倒的な差がある、ゴブリン達が全て殺されるのにはそう時間が掛からなかった。
最後の1匹を始末した後、巨狼は巨木の近くへと戻ると、まるで崩れ落ちるかのように地面に倒れた。
目は閉じられ、即座に規則正しい寝息を立て始める。
あれ程の惨劇を繰り広げておいて、その寝顔には動物ならではの一種の愛らしさがあった。
その寝顔を確認すると、いつのまにやら姿を消していたスライムが木の上からそっと降り立った。
巨狼の直ぐ側まで移動すると、そのつぶらな瞳を三日月型に歪める。
『いい子ですね、狼さん。まだ力をコントロール出来てないようだけど、今はゆっくりと休んでください……私の大事な大事な切り札なんですから、ちゃんと傷を癒してくださいね?』
スライムは微笑むと残されたゴブリンの死体を始末し始めた。