06話 お願いごと
まるで俺の頭に直接語りかけて来る様に、声色の穏やかな女性の声が響いた。
咄嗟に声のした方へと頭を上げる。
しかしそこにあるのは巨木の太く逞しい枝と、青々と茂る葉っぱだけであった。声の主の姿はどこにも見当たらない。
空耳か?
とも思ったが、そんなことは無いだろう。
少なくともあの木の上には果実を恵んでくれる人が居て、果実が落下した直後なのだから、先程の声も空耳などではなく、その人物の声である可能性は極めて高い。
では、やはり果実を恵んでくれる人物はこの木の上にいるのか……
緊張の面持ちでじっと木の上を見つめていると、また声が響く。
『すこし待っていてください、私も姿を隠すのを止めますのでぇ……』
そう聞こえると、丁度一番背の低い枝の葉が揺れた。ガサゴソと葉を揺らし何かが動いているようで、枝や葉がすれる音が聞こえて来る。
音の大きさからしてそれほど大きな生物ではないようだ……少なくとも、先程見た犬よりは小さいサイズの動物なのだと思う。
じっと様子を見ていると、枝の上からまた声が聞こえて来る。
『うぅ……やっぱりここ足場悪いな。次はあそこの枝を伝って……ウォッと!!!』
何かが折れる音が聞こえると、枝の上から折れた細い枝と、球状のなにかがボトッと落下して来た。
訝しみながらことの成り行きを見守っていた俺は、一拍おくれて『……バウ!!?(落っこちやがった!!?)』と叫び、木の上の隣人の安否を確認しに行く。
こんな所で食料源を失う訳にはいかない。だって、俺はまだまともに餌をとる術を身につけていないのだから、まだ養ってもらわねば困る!!
内心冷や汗である。真面目に死活問題なのだ。
すこしばかり警戒しながら、急いで駆けつけるとそこに居たのは……
『イテテぇ……すいません、お見苦しい所をお見せしてしまって……』
透き通る青いジェル状の物体。大きさはサッカーボールくらいだろうか、丸い形をしている。
ほとんど水分で出来ているだろう身体には、つぶらな瞳が2つ平行に並んでおり、その容姿は愛らしいのひと言に尽きるものがある。
そんな愛らしい瞳が俺の方へと向けられた。
照れたように目を細めるその物体……否、生物の名前を俺はよく知っている……
『バウ!!?……(スライム!!?……)』
『はぁい、私、スライムのジェリーと申します、こんにちわですぅ……イテテ』
スライムに痛覚なんかあるのかと突っ込みそうになったが、これが俺とジェリーの出会いであった。
◆
スライム……ねばねばした液状物・粘液などを意味する英単語である。
しかし、日本人、それもゲームをこよなく愛する人種の人間が”スライム”と聞いて思いつくのは、ゼリー状の不定形モンスター……それは、RPGゲームやファンタジーを題材にしたゲームなどで馴染み深いアイツ等のことだと思う。
そんな、RPG界のメジャーリガーみたいな生物に出逢えて内心喜んでいる自分が居る。
やべぇ、かわいい、触りたい……
とはいえ、そんな生物は俺の知る限り現実世界に存在しない筈である。
無論、顕微鏡で観察しなければならないほどの微生物は別だ。俺が言っているのは人間に物理的な打撃を与えることの出来る大きさのスライムを指している……つまり。
『バァウ……(なんとなく気付いていたけど、ここは地球じゃないのね)』
それはつまり、この今俺が居る世界がスライムという魔物が存在して良い世界……つまり、異世界であることを指していた。
なんとなく察していたことではあるが、実際に突きつけられてみると頭を覆いたくなる事実である。
そりゃそうだ、ここは異世界だ解っていた。
だって俺、こんな大きなサイズの狼さん見たことねーもん。
攻撃時に爪が赤く光るクマさんなんて知らないもん。
つか、俺が狼さんになっている時点でファンタジーだしな……ぶっちゃけ、もう一周回って自分の居る世界のことなど考えないようにしていたしな!!
現実から目を背け、見ない様にすることもまた強さ……自分でも呆れる程の現実逃避スキルである。
項垂れる俺を、スライムさんことジェリーさんは心配そうに覗いて来た。
そのつぶらな瞳は丸っまるで、黒目が大きく愛らしい。
その辺り、あの世界で一番有名なスライムとは差別化出来ているな……とか、本当にどうしようもないことが頭を過った。
『えっと大丈夫ですか?』
心配そうに語りかけられ、その声で思考が現実へと引き戻された。
そうだ、今は目の前に居るスライムさんに集中せねば……
頭を縦に振ると、ジェリーさんは安心した様に目を細めた。
『よかったぁ。怖そうな方でなくって……正直いうと、狂鬼熊をあんな簡単に殺してしまうから、怖い狼さんなのかと思いましたぁ』
バーサークベア?……
ベアといえば熊のことか?
俺が最近接したクマさんと言えば初日に会敵しちゃったクマさんしか知らない。
そうか、あのクマさん狂鬼熊っていうのか。
ひとりで納得していると、ジェリーさんの話はそそくさと地面を這って、落ちていた洋梨を俺の前へと移動させた。
そして、どうぞどうぞと言わんばかりに促してくる。
空腹だったので果実に齧りつくとジェリーさんはニッコリと微笑む。
『私、スライムなのでとっても弱くって……だから、狼さんに話しかけようにも怖かったら嫌だなぁって思って、ここ数日観察させて頂きましたぁ……ゴメンなさいね?
一日、観察してみてご飯が食べれていない様でしたので、ここ数日は、こうやってずっとご飯を落とさせて頂いてたんです。不信な行動をしてしまい本当に申し訳御座いません……』
シュンと縮こまるジェリーさん。
その様子を見て俺は完璧に警戒の色を解いた。
なんとなくその様子を見ていたら、確かに不信な行動だが、警戒するのが馬鹿らしくなったのだ。
『実は、こんな回りくどい方法で狼さんとお話ししたかったのには理由があって……』
ジェリーさんが語り出すのを待つ。
あまり急かすつもりは無いし、この姿になって初めて出来た話し相手だ大事にしたい。
そんな俺の様子を見て、ジェリーさんは意を決したかの様に語った。
『私を……どうか、人間の国の城へと連れて行って欲しいのです』
唖然としたのも束の間、近くの茂みが大きく揺れた。