13話 森を抜けて
早朝の森は、物音を立てることを忌避させる程に神聖で、昼間とはまるで別の場所のように感じられる。
吹き抜ける風は心地よく、揺れる葉は森全体の脈動のように波打ち、森がひとつの生命体の様に蠢く。
その様は現代人が忘れた自然そのものの息吹に他無く。こんな大自然を見たこともない俺でさえ、生命体的な懐かしさに打ち拉がられた。
心の奥底で感動が響き渡る。
ここに来て俺は、再度自分が異世界転移していることを痛感した。
まぁ、そんな感動は次の瞬間にはどうでもよくなった。
隣から仄かに漂って来る肉の臭い。それは、肉の焼ける香ばしい臭いとかでは無く、血腥い野生の臭いである。こんな素晴らしく心地よい朝に嗅ぐには似つかわしくない臭いだ。
しかし、その臭いに幾許かの空腹を刺激される……その事実が俺の安っぽい人間としてのプライドに触り、形容し難い感情がこみ上げる。
グゥーーー
朝の空腹が容赦なく迫り来る。時刻は早朝、朝ご飯の時間だ。俺でなくたって腹は空くだろう。
ヤバい、肉喰いたい……
横目でチラリと見ると、そこには生肉を前にお座りする二匹のワンコの姿。
名前はクレアとライアン。
ジェリーさんいわく、若干大きい方がクレアでメス、小さい方がライアンでオスらしい。
涎を垂らした二匹の大型犬の視線が俺へと注がれる……
……そう、この二匹は俺が飯を食べ始めるのを待っているのだ。
しかし、俺は二匹の視線に答えることは出来ない。生肉喰いたく無いし、ゴブリン肉はもう二度とごめんこうむりたいからだ。
だが、だがしかし、腹は減った……
『お待たせしましたぁ!!』
そこにやって来る救いの女神、我らが飼い主ジェリーさん(スライム)である。
ジェリーさんは頭の上に大きな葉っぱを乗せ、そえを葉っぱのお皿にして、香ばしい臭いを発するなにかを乗せている。
ジェリーさんは目を細めると、その料理を俺の前へと置いた。
『なかなか捕まえるのに苦労しましたけど、どうにか捕まえることが出来ました!! 焼き加減はいい感じになっていると思いますよ? どうぞ、お召し上がりください!!』
お皿に目を落とすとそこに乗っていたのは、今の俺ではひと口サイズにも満たない小さな焼き魚。
そう、ジェリーさんは昨日の俺の姿を見て、泉で魚を獲って来てくれたのである!!
骨と少しばかりの肉がついた本当に小さな魚だが、それを見ただけで俺は涎を落としてしまい、瞳が潤んでしまう……俺に獲ってこれは感動ものの話しで、その事実に涙腺が崩壊しそうになったのだ。
やっと、やっと、マトモな食事にありつける!!……ヤバい、ジェリーさんに飼い主を越えた愛情を抱いてしまいそうだ。
俺は泣き出しそうになるのを抑えつつ、頭を振り料理へと向き直る。
『バァウ!!(頂きます!!)』
急ぐように頂きますを済ますと、直ぐさま魚を頬張る。
口内に広がる焼き魚特有の臭いと、噛み締める度に広がる焼きたての旨味。
その味は決して美味しい訳では無く、何方かと言えば骨が多く食べにくい部類だろう。しかし、今の俺にとっては何物にも代え難いご馳走であった。
それが合図だったかのように隣の二匹も食事を始めた。
二匹で仲良く肉を分け合っている。
その姿にそこはかとない羨ましさを感じるものの、その肉の正体がゴブリンであることを思いだし正気を保つ。
そう、あの肉はゴブリンだ。俺は人間、食べちゃダメ、絶対!!
ただ無心を心がけ、ジェリーさんが出して来てくれた洋梨風の果実に齧りついた
◆
静寂に支配された早朝の森を、一匹の巨狼と二匹のワンコ……ガルヴォルフが駆け抜ける。ジェリーさんは俺の上に乗り道案内をしてくれている。その姿が異様に可愛く、つい顔が綻んでしまった。
俺達は朝食後、直に昨日の約束を果たすため人間の城へと出発した。何故、朝方に出発したのかというと理由は2つ、夜の森を突っ切るのは危険が伴うのと、ジェリーさんいわくゴブリンの活動時間が概ね昼以降らしいからだからだ。
俺達が拠点にしていた場所の周辺にはゴブリンはいなかったものの、この広大な森のどこに潜んでいるか解らない以上、警戒をするのは当然のことである。
ぶっちゃけ、もうリンチとかされたくねーしな!!
ジェリーさんもその意見には賛同してくれたものの、ひとつ気になることを呟いていた。
『でも、このプニルの森はグリーンゴブリンのテリトリーじゃない筈なんですよぉ。はぐれの個体が数匹居るのはまだ頷けるんですが、あれだけの統率のとれた集団となると……おかしいなぁ』
やはり、この森にはあんなに多くの群れを成すゴブリンは存在しない筈らしい。
まぁ、このことに関しては俺も思っていたことだ。クマさんと出くわした日以降、数日この森を歩き回ったがゴブリンに遭遇したことなどないからだ。やはり、なにか変なことらしい……動物学者でもゴブリン専門家でもない俺には至極関係ないけどねっ!!
それよりもここの地名が解ったことがまだ大事だ。
どうやらこの森は『プニルの森』というらしい。なんとも柔らかそうな名称である。しかし、この名称を聞いて感じたことはそれくらいしかなく、やはり俺にとってはどうでもいいことだと既に思い始めている。
自分でも切実に思うのだが、俺はこんなので大丈夫なのだろうか?
なんか、こう……他の人なら狼になって数日で、俺みたいに色々割り切ったりはしないんだろな……自分の持つ性質に言い知れぬ感情を抱いてしまった。きっと俺は犯罪係数とか計ったら、色相やばいことになっているに違いない。きっとデストロイだ。
ジェリーさんいわく、俺の足なら城がある街まで三日程らしい。
なんとも気の遠くなる長旅の予感だが、この世界を良く知るチャンスである。この世界の街とかに行って見るのも良いかも知れない。
少しウキウキした気分になっている自分が居るのに気付いた。
まぁ仕方ないだろう、これが異世界転移の醍醐味ってヤツなのだ。知らない世界を旅するのは心躍るものがあるし、その街での出会いに期待しちゃうのは仕方ないよね?
最近、異世界のイメージがゴブリン肉で支配されそうになっている、訂正訂正。
数時間、移動と休憩を繰り返し先に進むとやっと森の出口が見えた。
森の道は歩き難かったが、ゴブリンやその他の危険生物に出逢うことはなく安全に進むことが出来たのは僥倖か? まぁ、生き物に出会い無さすぎなのは気になるが……
『この森の先にはプニル村という村があります。この森の玄関口になるように作られた本当に小さな村ですが、今日はその村の周辺で野宿しましょう。人間が多い場所の近くにはゴブリンも来たがりませんからぁ』
ジェリーさんの提案に俺は静かに頷いた。
野宿というフレーズが気になったが、まぁ、狼だし仕方ないよな……普段の生活も野宿みたいなものなんですけどね!!
しかし、初めて異世界に来て人間の村を見る、俺がこんな姿でなければ観光したいものだ……?
鼻に突く臭いを感じ立ち止まる。
それは、後ろの二匹も同じだったようで俺の前に出て静止した。二匹は俺より臭いに敏感なのか、野生の感ってやつで何かを感じ取ったのか、牙を剥き出しにし喉を鳴らしながら森の抜けた先を睨んでいた。
ジェリーさんが不思議そうに訊ねた。
『どうしたんですかぁ?』
俺はジェリーさんの問を無視し、ゆっくりゆっくりと森の外へと歩を進める。
徐々に臭いが濃くなって行く、ここまでくれば俺でも臭いの正体が解った。
森を抜けた先、平原の少し向こうにそれは見えた。
本当に小さな集落のような村が見える。
常時は、小さな木造の家が建ち並び、農業かなにかを主産業にする長閑な村なのだろう……しかし、俺の目の前に映る村の姿はそうではない。
大空に灰色の煙を立ち上らせ、燃え盛ると炎に焼かれ、人間の悲鳴と異形の嗤い声を轟かす姿であった。