私とバイクについて語りまくっただけの話 (怪しい母外伝)
『怪しい母の怪しいひとり言』にて、思いのほかバイクについての反響があったので書いたのですが、バイクに興味の無い方には、全く面白く無いシロモノなので独立させました。
私とバイクとの出会いは、750ライダーという漫画だった。まだ小学生だったのだが、そこに描かれていたホンダのCB750Fに一目惚れしたのだ。
漫画の話の内容は全く覚えていないのだが、万年前から二番目だった虚弱児は、必ず手に入れようと心に誓ったのである。
その頃だったと思う。田舎にある従兄弟の家には、ホンダのスーパーカブがあった。配達等に使われる実に優秀なバイクなのだが、HONDAのロゴをキラキラした目で見つめていた私に、従兄弟が囁いた。
「乗ってみる?」
当然である。こっそりとたんぼのあぜ道まで押して行き、エンジンをかけ、颯爽と5メートルくらい走ったところで、たんぼに落ちた。何時もは穏やかで温厚な祖父に、従兄弟と二人でこっぴどく怒られたのは言うまでもないが、例え5メートルだろうと、走った事に感動そして大興奮した。
中学生になった頃には、私の中で免許を取るのは当然な事となっていた。バイク誌を熟読し、少しずつ上向いてきた体力と身長に密かに安堵しながら、じっくりと計画を練った。
何の? 親対策である。オートバイ=不良と云うレッテルを剥がさねばならない。今では女性のライダーも多く見られる様になったが、当時は違っていた。暴走族全盛期だった事もあり、親対策は中々進まない。高校生になっても、同様だった。
16歳の誕生日当日は、定期テストの真っ最中だったが、お陰で午後から空いていた。とりあえず、原付からでも取りたい。試験勉強そっちのけで交通標識を猛勉強して、一発で免許を手にしてきた。
親は、私が自分の小遣いで免許を取得してきたので、あまり煩く言われなかった上、貯金でスクーターなら、買っても良いと言う。まあ、一番速い物を選んだ。JOGと云う、当時スクーターでは最速だった。安定感もあり、文字通り私の通学の友となり、コーナリング等のテクニックを磨いた相棒でもあった。
因みに私は、免許取得以来、無事故無違反である。
あるのだが、スクーター時代に二度程〈あわや〉を経験している。一度目は雨上がりの夜のコーナーだった。マンホールでコーナリングの最中に後輪が横滑りした。真後ろにバスがいて焦ったが、スピードが出ていなかったのが幸いして、立て直す事ができた。
もう一つは、やはり夜。バイトの帰りに、何処からか猫が飛び出してきた。とっさにハンドルを切ったが、私以外誰もいなかったので、対向車線にはみ出して難を逃れた。私の先輩と同級生が二人共、これで片方の耳を失っている。当時、原付にヘルメットの義務はなかったのだ。
私は生き物は大方好きだが、私の愛鳥をリビングに入り込んで食べ、引いてくれとばかりに飛び出して急停止する野良猫は嫌いだ。猫自体は好きである。アレルギーで飼いたいとは思わないが。
怖い思いはしたものの、バイクに対する思いは冷めなかった。それからも教習所代とバイク代をコツコツと貯金して、社会人一年目の二十歳で念願の免許を習得できた。最短で習得したが、教官がやんちゃの入った高校生位の子に、見習えと言っていたのは未だに誇りたい思い出だ。実は高校の同級生にギア付きの50CCに乗っているのがいて、ギアとクラッチの操作は習得していた。
余談だが、その同級生は女性である。彼女は、その後アマチュアレーサーとしてバイクと親密な関係を結んでいく。
さて、親はいい顔はしなかったものの、成人であり、違反も事故もない私を止める事は無かった。だが、この家を出るまで買うのはやめてくれと懇願された。
私は当然すぐにでも欲しかったが、家に面した道路からは庭まで1メートル程の高低差があり、庭にバイクをあげるのが困難であるのはわかっていた。駐車場が無かった我が家は他の場所に乗用車を停める場所を借りていた。私としても、JOGを夜中にロックしてカバーもかけていて、盗まれた経験をしているので、独立資金を貯め、安心して駐輪できる場所が見つかるまで自分のバイクを手にする事はできなかった。
それに親の気持ちも分かっていた。当時原付免許を取ったばかりの愚弟が、黙って私の二代目の相棒である、チャンプに乗って、鎖骨と肋骨数本を折る大怪我をしたのだ。チャンプは前輪ディスクブレーキだった為、急ブレーキをかけた愚弟はジャックナイフ状態、つまり前輪がロックされ後輪が大きく浮き上がった状態になって、前方に投げ出された。とっさに取った受け身で、首の骨は免れる事ができたらしい。
初心者には無理だから絶対に乗るなと言っていた私が、命に別状が無いのを確認後、愛車を粉々にされ、怒り狂ったのは当然である。
念願のバイクをすぐに買えなかった私は、当時付き合い始めていた伴侶が新車を買ったので、古いのを借りてツーリングに行っていた。人によって、ギアチェンジのタイミングは違う。長く乗られたバイク程、その癖は顕著に出る。早く自分のバイクが欲しかった。
独立資金が貯まり、ついでに結婚までして探しに探した賃貸物件は、もちろん車を停めてもなお2台のバイクを置ける駐車場のついた小さなマンションである。
こうして、私がようやく手に入れた相棒は、KAWASAKIのZZR250である。
免許を習得した頃から、カワサキのバイクのエンジン音に惚れ込んでいた。当時、Ninjyaと云うバイクがあり、これを買うつもりでいたのだが、残念ながら購入直前に製造中止になってしまい、後継として発売されたのがZZRだった。400CCに匹敵する車体の取り回しは大変だったが、抜群の安定感と操作性の良さを持った、ツーリングには最適のバイクである。あれから20年経つが、これの750CCは未だに見かけるので、人気も高かったのだと思う。加速度と制動距離の長さはイマイチだったが、この最初で最後のバイクの相棒が私は今でも大好きである。
ちなみに伴侶はスピード感を重視していた為、燃費が悪く、ツーリングには不向きな2ストロークのバイクであった。パンパンと軽いエンジン音には、げんなりしたし、シグナルグランプリでは勝てなかったし、コーナリングの直後の加速も負けたが、ツーリングの後のダメージの少なさは断トツで私の方が少なかった。
ツーリング中、散々自慢されていた私が、帰宅後筋肉痛に呻く伴侶をせせら笑ったのは言うまでもない。
私は一人でバイクに乗るのが好きである。良く知っている道をただただ走らせる時、ふとした瞬間にバイクと一体になる事がある。コーナリングをスムーズにこなせたと感じたり、エンジンの回転数が変わる瞬間に合わせたギアチェンジが上手くいった時だったり。アドレナリンが上がり、至福感に包まれる。周りの音は聞こえなくなり、ひたすら相棒のエンジン音に浸る。人馬一体という言葉があるが、同じ様な物だと思う。
バイクは見ている方向に曲がっていく。ハンドルを意識して切る事はしない。見ている方向に自然と重心がかかり、曲がっていく。バイクを運転するのに状況判断は欠かせないから、周囲を確認するのは当然だが、カーブだけは、視線を少し前方に固定する。ここでよそ見をすると、事故る。特に右カーブには、気を使う。必要以上のスピードは出さない。その方がスムーズに曲がれ、ドリフト状態にならない。公道で、レースをする事に興味は無いのである。
土曜出勤で晴れた時はバイク通勤していたが、半日業務の後は良く走らせに行っていた。鎌倉から湘南位が多かったが、帰り道に朝比奈峠と云う所があり、コーナーを楽しむ事もできた。街中では渋滞も多く、信号も多いので、この土曜出勤が晴れ限定で大好きだった。
しかし、知らない所に行くツーリングの時は別だ。複数で行く。それぞれのスピードもテクニックも違うので、要所要所で待ち合わせ方式だが、知らない道というのは緊張する。山道が多くなりやすいツーリングは、それだけ事故の危険性も高まる。だからこその複数である。
実際、日光の時は私が、雨に打たれて熱を出した。ユンケル飲んで根性で帰ってきたが、誘導してくれる伴侶のバイクをひたすら追いかけた。それしか見てなくて、伴侶のバイクに突っ込みかけて無茶苦茶怒られたが。制動距離の違いで目測を誤ったのだ。
だがそんな至福なバイクとの蜜月の終わりは四年で訪れた。子供ができたのだ。当然乗れなくなったが、手放すつもりは当初無かった。しかし、その頃スピード大好き伴侶が乗っていた乗用車は2ドアで、チャイルドシートに乗せるのが非常に面倒だった。そこで新車を買うことになったが、余分なお金等無かった私達はバイク2台を売って、頭金を作るしか無かったのである。
二人目が三歳になって、足がわりに買ったのが、今の125CCのスクーターである。タンデム(二人乗り)でき、駐輪場にギリギリ停められる物にした。子供用の小さなヘルメットを被せ、タンデムベルトを自分に括り付ける様に一緒に巻いて、サッカー教室に行ったり病院に行ったり。便利だが、スクーターはスクーターであって、私にとっては、安全な原付といった感じだ。
私が中型免許(400CC以下)を取得した当時、大型の限定解除は運転免許試験場での一発実技しか無かった。あの重いバイクの取り回しを一度でこなす自信は持てなかったし、平日そんなに会社を休む訳にもいかず、諦めるしかないと思っていた。
だから教習所で実技試験が取れる様になった時、伴侶と二人で狂喜した。したのだが、ヘルニアになって、それどころではなくなってしまった。
伴侶は未だに取りたいらしい。引退後、サイドカー付きでツーリングに行こう等と言っているが、運転するのは私ではないだろうから絶対に嫌である。
以前ツーリング中に老夫婦がこれをしていた。サイドカーに納まった老婦人がこちらに向かって手を振ってくれる。無論こちらも返したが、運転している御老人の誇らしげな姿は格好良かった。
どうやら同じ事を思い出したらしいが、スクーターでさえ、どちらが使うかで揉める私達である。ヘルニアを楯に運転させては貰えないだろうし、自分がサイドカーに納まっている姿等、考えてもいないに違いない。
夏には、バイク焼け(グローブをするので、手首から指先までが白くなる)をし、冬は体の芯まで冷えて骨が痛くなる。身体を守る物もなく、危険はつきものだ。それでもバイクが好きである。前述の高校の同級生は体に金属板が幾つも入っているらしい。それでも会うと必ずバイク談義だ。奇しくも同い年同じ日生まれの子供がいるが、子供の話をする事は滅多にない。
今はどうだか分からないが、ツーリング先でバイク同士がすれ違う時、お互いに挨拶を交わす。一瞬のサムズアップだ。それも走っているとき限定で。元気で。事故るなよ。そんな一瞬の交流だ。
そうしてすれ違った人がどんな人かは、ヘルメットに包まれ謎である。相手も同様だ。時には、ねずみ捕りの情報を交わす事もある。一瞬のパッシングと首で。伝わるかは分からないが、それでも伝え合う。それはバイクが好きと云うだけの仲間であるからだ。そんなものだ。
だからこそバイクを大事にすることなく、集団で走り回る暴走族は大嫌いである。最近はスクーターでちょこちょこしているが、やっぱり嫌いである。
あのバイク漫画を見た日から随分な年月が流れたが、未だに捕われ続けている。体に伝わる振動も耳にする度に歓喜が込み上げるエンジン音も、私は全て忘れていない。失敗も喜びも死ぬまで持っていく宝物なのである。