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僕たちは、笑いながら失い、泣きながら得る  作者: マグロアッパー
一章 右手にバカ、左手に美女
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04.動物解放戦線


「それで、えっと……アナタはただ、ユウマに絡まれてただけってこと?」


 事の顛末を伝え、質問に根気よく答えると、彼女は少しずつ生気を取り戻した。


「えぇまぁ……そういうことになります」


 思わず敬語になってしまう。遠くから眺めているだけで満足だったのに……。


「ん? な、なに?」

「い、いえ、な、なんでもないです」


 こうして話せる日が来るとは、思ってもいなかった。

 不思議な衝動にかられ、彼女の瞳を盗み見た。


 ――何かが常に始まろうとしているが、まだ何も始まっていない。


 そんな現代特有な奇妙な停滞感の中、あるのかどうかさえはっきりしない、希望のようなものを不意に感じた……ような気がした。


 それは殆ど言葉にするのが難しい感慨だった。自分でさえ、どうして彼女の瞳の中にそんなものを見つけたのか、まるで分からない。


 既に立ち上がっていた彼女はそれから、「はぁ、もう本当にびっくりした」と安堵の中で微笑んだ。化粧ポーチから手鏡を取り出し、「う~、ウォータープルーフにしておくんだったぁ」と、大きな目をパチパチと手鏡に向けて瞬かせた。


 また、これは予想していた通りなのだが、隣に並んだ彼女はヒールもあってか、僕と身長が殆ど変わらなかった。いや、むしろ……。


「いや、それは違うぞ! 俺が誘うと、マコトはすぐに決意を秘めた男の目になって、『なぜ今やらない? 今、動物を解放しなくてどうする? すぐだ、すぐにここを出て動物を解放するぞ。四十秒で支度しろ!』と、勇ましいことをだな――」


「脚色しないでよ。ひとっことも言ってないからね、そんなこと」


 先程までオロオロしていた大久保君も、彼女が泣きやんだ途端、またこうして訳の分からないことを言い始めた。


 そんな彼を、呆れたように見つめながら、彼女は口を開く。


「それでユウマ、あなた、一体何をしようとしてるの?」

「ん? あぁ、知れたことよ。動物園の動物を解放する!」


 彼女はどこか遠くを見るように、目を細めた。


「動物園……ね」

「あぁ、動物園だ」


 二人の間に、無言の時間が流れる。共有されている想い、或いは過去の情景、もしくは感情が、二人の間を行き交っていることだけは、なんとなく感じ取れた。


「でも確か動物園の動物って、動物園の財産でしょ? それを勝手に逃がしたら、犯罪になるんじゃないの? それに……そんなことしたら、お祖父さんとお祖母さんが悲しむわよ。いいの?」


 至極まっとうな彼女の言説に、僕も大きく頷いて賛同の意を示す。しかしどうしてお父さんとお母さんじゃなくて、お祖父さんとお祖母さんなのか、その点が少しだけ気になった。


「マサカド……」

「だから、マサカドじゃないって言ってるでしょ!」


「男には、やらねばならない時があるんだ」

「無視なの? ねぇ無視?」


「そう、それが正に今!」

「あぁ、もう面倒くさいなぁコイツ」


 その遣り取りを眺めていると、二人は長年の知り合いで、相当に親しい仲だということが分かった。


 そして何となくだけど、二人は男女というくくりではなく、一人の人間として、それぞれを大切に思い、尊重し合っているのだとも。


 不意に隙間風のような淋しさが吹き付けた。

 残念ながら、僕にはそんな間柄の人間は、一人としていない。


 地元――といっても、大学から一時間以内の距離だが――には、友だちもそれなりにいるけど、僕と友だちの間にある関係性は、もっとドライで、お互いの利害や損得を超えて助け合うという次元にはなかった。


 僕には僕の世界があり、友だちには友だちの世界がある。

 それは、決して、本当の意味で溶けあうことはない。


 でも、これは全然おかしい話じゃない。

 多分……現代人にとっては、普通のことなんだ。


 しかし目の前の二人から、そんな割り切った関係性は感じられなかった。


 それは幼馴染や、兄妹の間で育まれた関係性のようでもあった。絆にも似た想いは、二人の関係性の中で芯となり核となって、彼らに兆す危機や困難に対して、お互いの損得を超えて立ち向かう力となる。


 そんな気がして……それが何だか、僕には堪らなく羨ましく思えた。


「と・に・か・く! そんなことしたら警察に捕まっちゃうわよ。そんなの絶対駄目なんだから。いい? 忠告したからね」


 そう言い置くと、


「それじゃ、講義があるから」


 ハイヒールで更に長く伸びた足を翻し、彼女は背を向ける。


 その言葉に、僕もクラスメイトとの約束があったことを思い出した。でも……果たしてそれは、そんなに大切な約束だっただろうか。


 それが僕には、どうしても思い出せなかった。


「待て! マサカド!」


 大久保君の力強い呼び声に、彼女は肩を怒らせて振り向く。


「だから、マサカドじゃないってば! もう! 大学生にもなったんだから、いい加減、その呼び方やめてよね」


 すると大久保君は次の一言で、僕と彼女を困惑の海に放り投げた。



「よ~し決めた! マサカド。お前、俺たちの仲間になれ」

「は? 仲間って……。犯罪集団の仲間に!? 私が?」



 彼女は困惑に目を見開き、形の整った人さし指で、自分を指した。僕もまた大久保君の言葉に驚いたのだが……同時に、燃え上がるような興奮をも感じた。


「犯罪集団ではない! 動物解放戦線だ!」

「……ようするにそれ、犯罪集団でしょ?」


 身も蓋もない彼女の指摘に、さすがの大久保君も一瞬口をつぐんだが、


「違~う! 動物解放戦線だ!」と吠えた。


「はぁ、私だって忙しいんだから。そんなことに付き合ってられないの。っていうか、動物園から動物を解放するだなんて……そんなの無理にきまってるでしょ?」


 彼女は心底呆れているといった思いを隠そうともせず、大げさに溜息をつく。


「意外! それは忙しいっ! おいおい、大学生は暇と相場が決まっているだろ。嘘をつくな、嘘を!」


 だが大久保君は彼女のそんな思いを斟酌することなく、スタイリッシュなポーズで彼女を指さした。気のせいか、ズキューンという効果音すら聞こえてきそうだ。


「大学生の皆が皆、ユウマみたいに暇じゃないの! モデルの仕事、再開したの知ってるでしょ? だからそんなに時間ないんだってば! お分かりかしら、ひ・ま・じ・ん、さん?」


「なんだとぉ! 誰が暇人だ、誰が!」

「アナタよ、アナタ!」


 『モデル』という言葉を耳した瞬間、彼女の姿を月刊誌から探した時のことが思い出された。彼女がモデルの一人を務めている『VERRY』は、愛知県では比較的有名で、大学の図書館にも常備されている。


 僕は同じ学部の女の子たちが噂していたあの日、説明会が終わると、その足で図書館に向かい、目を皿のようにして雑誌から彼女の姿を探した。


 でもそれは、恋心からじゃない。そんな恐れ多い物を、僕が彼女に抱ける筈がなかった。きっと僕は、大学ではないどこか遠くにある、彼女の世界を覗きたかったんだと思う。


 世の中には、平均を超えた容姿や、才能を持った人たちが、確かに存在している。それは、テレビや新聞等を通じて僕に知らされる。


 普通ならその人達の世界と僕の世界は、完全に独立し、触れ合うことすらない。だけど、大学というモラトリアムの中では、同級生と言うだけで、その人達と一つの接点を持つことが出来る。


 彼女の姿は、比較的直ぐに見つかった。栄に出来た、新しいセレクトショップの特集ページに、普段よりも少しだけメイクの濃い彼女が載っていた。


 僕は彼女の名前が知りたくて、そのページを隅々まで探った。するとスタイリストの名前と共に、事務所名付きで彼女の名前が小さく記載されていた。


「大体なんだお前! まさかマサカドという名前で活動でもしてるというのか? ふ、そいつぁ面白い冗談だな!」


「そんな名前で活動する訳ないでしょ! 『こんにちは、セントラルモデルのマサカドです』って、戦略プロモーションが斬新すぎるわよ!」


「ならMASAKADOか?」

「それ、ローマ字にしただけじゃない。あぁ、もう! いい? 私の芸名は――」


「YURINAさん……」

「……え?」


 その時、僕は彼女の名前を不意に口にしてしまった。

 口論をしていた二人は、驚いた顔でこちらを見た。


「あ、あなた……私の芸名、よく知ってるわね」


 口にした後、すぐに後悔が襲って来た。彼女は一瞬、嬉しそうな顔を見せたけど、直ぐに眉根を寄せて、でもどうして知っているのと、怪訝な瞳で僕を見た。


「あ、あの……同じ学部の子が話してて、『VERRY』でアナタがモデルやってて、名前がYURINAって……だから」


 苦し紛れにそれらしい嘘をつく。雑誌でばかりでなく、その後、事務所の名前を検索エンジンで探し、アナタの宣伝写真も見たとは、口が裂けても言えなかった。


「え? お、同じ学部の子!? ……って、あなた、学部どこなの?」


 その質問に少しだけ傷つきながら「経済学部」と、何の感情も交えずに答えた。


「あっ、ごめん……そうだったんだ」


 すると彼女は驚くと共に、僅かに淋しげな表情を浮かべた。


「マコト、お前、経済学部だったのか? なんだ、もっと早く言えよ」

「そういえば大久保くんにも言ってなかったね」


 不思議と、彼と初めて会った日が、遠い過去の情景のように見えた。


 出会って一日も経ってないにも関わらず、その間に、あまりにも僕の平均的な日常を揺さぶる事件が起きすぎた。そしてそれは、今も起きようとしている。


「まぁとにかく、そんな訳でモデルの仕事が忙しいの。ふふん、凄いでしょ。彼だって私のこと知ってるのよ? その内、有名人になっちゃうかもね。その時は、マネージャーとしてこき使ってあげてもいいわよ」


 彼女は得意そうに、大久保君をからかうように言う。


「ほぉ……なるほどな。マサカド、お前有名人なのか?」

「いや、別に今はそんなに……って、ユウマ、あなた何考えてるの?」


 彼女に釣られて大久保くんの顔を覗き見ると、そこには、何かたくらみを秘めた人特有の、含みのある笑みが浮かんでいた。


「マサカド、お前、俺たちの仲間になれ」

「はぁ……だから嫌だっていってるでしょ。本当、人の話を聞かないんだから。あといい加減、マサカドって呼ぶの――」


「これを見ても、そんな口が叩けるかな」


 大久保君は彼女の話を遮ると、携帯の画面を、彼女にだけ見えるように掲げた。彼女の白い顔が、じわじわと朱に染まる。


「え、あ、あ、あなた! こここ、これ、どうして? なんで携帯に?」

「あぁ、マサカドを脅したり、タカったり、ユスったりする時に必要となると思ってな、携帯の写真で撮っておいた」


 平然と恐ろしいことを口走る彼を前に、思わず肝が冷える。彼女といえば、わなわなと体を震わせると、やがて弾かれたように大久保君に襲いかかった。


「信じられない、死んじゃえ! 死んじゃえ! もう、バカバカバカバカ!」


 細く長いしなやかな両手で、大久保君をポカポカと叩く。


「ふ、ふはははは。ちっとも痛くないぞ、ふははははは」


 それを胸で悠然と受け止めながら、大久保君は笑う。

 やがて彼女が叩きつかれると、大久保君は悠然と、勝者の笑みで告げた。


「マサカドよ、いわゆる『観念して、大人しく言うことを聞け』というヤツだ。これをネットの海にばらまかれたくなければ、俺 たち(・・)の仲間になってもらおうか?」


 僕の肩にいきなり手を回す。結果、僕は半ば抱かれたような形となった。


 僕は仲間になるなんて、一言も言ってないのだけど、彼の中でそれは決定事項なのか、「だよな! マコト!」とギラギラとした目で同意を求められる。


 結局、僕は「はぁ」と曖昧に返答する位しかできないのだが、それを大久保君は肯定と受け取ったようで、


「さぁ、マサカド! 俺たちの仲間になるがいい! フハハハ!」


 再び、不穏な笑い声を轟かせた。


「知らない」


 しかし彼女は、大久保君の脅迫を前に、不貞腐れたようになってそっぽを向いた。マンガチックに、頬を膨らませてさえいる。


「ほぉ? なるほど、なるほど。あぁ~、なんだか、無性に意味もなく、ネットの掲示板に画像を張り付けたくなって来たぞ。お、そうだ! その前に……なぁマコト、この画像見るか?」


 大久保君は悪ガキそのものの笑顔のまま、少し前の携帯機種を僕に掲げて見せようとする。僕は半笑いながらも、その画像に対する興味が隠せそうになかった。


 彼女が慌てるような写真って……まさか、その……。

 だが彼の動きは、彼女の一言で止まった。


「う~~~~、あ~~~~、もうもうもう! わ、分かったわよ!」


 彼女は、恨みがましい顔で大久保君をねめつける。


「ほぉ、何が分かったのだ?」


 しかし大久保君は彼女の言葉に満足していないらしく、僕を解放すると、腕を組み、悪役然として微笑む。


「くぅぅぅ、本当アンタ、いい性格してるわよ」


「褒めるな」

「褒めてない!」


 彼女は溜息をつき、心底悔しそうな顔を浮かべながらも、ついにこう口にした。



「はぁ……その、動物解放戦線だっけ? それの仲間になってあげるわよ……もぅ! これでいいんでしょ?」



 その一言を前にした瞬間……僕の日常が急速な速度でもって変わろうとしていることに、僕はようやく気づいた。



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