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僕たちは、笑いながら失い、泣きながら得る  作者: マグロアッパー
一章 右手にバカ、左手に美女
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03.マサカド


「という訳で、呼び込みを始めたんだが、さっぱり駄目だ。はっはっは!」

「はぁ……そうですか」


 僕はまた、例の図書館脇のベンチに大久保君に連れ込まれていた。

 渡された一枚のコピー用紙に目を向ける。


『動物!』


 そこには、達筆な字でそう書かれていた。ご丁寧にエクスクラメーションマークまでついている。が……正直、訳が分からない。


 これを手渡された人は、合理的な思考体系をもつが故に、混乱し、訝しみ、やがて一つの結論を得るだろう。「あの男はアホだ」と。


「理解を得られないのは、正直悲しい」


 この文章で、何をどう理解しろというのだろうか。僕には大久保君の思考体系の方が悲しかった。春だというのに、木枯らしめいた乾いた笑みで応じる。


「だが同志というのは、『量』よりも『質』じゃないか? 俺はそう思う!」


 するといきなり、ガッと肩に手を回される。


「えっと……僕は大久保君の恋人でも何でもないんで、そういうことを気軽にやられるとですね、非常に困るというか、何と言うか」


「そう! 俺には、お前がいる!」


 困惑の中で訴えた言葉は、大久保君の耳には届いていなかった。

 僕は思わずため息をつくと、俯き、身を縮こませる。


 なぜ男から、愛の告白にも似た力強い言葉を囁かれているのかまったく訳が分からず、この身の不幸を嘆いた。平均的な日常が恋しかった。


「なぁ、そうだろ! そうだろマコトォ!」

「いや、本当勘弁してほしいって言うか、肩に手を回すのだけは……って――」


 瞬間的に口を噤む。コツコツと、ヒールがタイルを打つ独特な音に気付くと共に、誰かがこちらに近づいて来ようとしている気配を感じた。


 人目に着かないベンチで、男が二人。


 対照的な気質を持つことが外見から察せられる彼らは、親しげに寄り添い、片方の男はもう片方の男の肩など抱いて、愛の告白にも似た言葉を囁いている。


 客観的な情景を思い浮かべると、当事者である僕すら混乱してしまうような、身の毛のよだつ光景だ。


「ん? どうしたマコト?」

「え、あ、いや」


 口を閉じた僕は項垂れ、祈るような心持で通行人が通り過ぎるのを待った。


「あれ? え……? ちょっと……えぇぇぇぇえ!?」


 だがその願いも虚しく、通行人はありありとした困惑の声を上げる。それはヒールの音に予感した通り、女性のものだった。


 ――多分……というか絶対勘違いされた。


 その考えが、僕の思考と体を重くした。しかしその直後、顔さえ見られなければ僕の大学生活に支障はないと考え、自分のお腹が見える程に、深く顔を隠す。


「おぉ! なんだ、マサカドじゃないか」


 が、こともあろうに大久保君は、肩に手を回したまま困惑の主に声をかけた。


 ――え? マサカド?


 その呼び方に違和感を覚える。靴音を聞き間違えていなければ、近づいて来たのは多分一人で、声から察するに、それは女性だった筈だ。


 顔を隠したまま、マサカドと呼ばれた人の足元を盗み見る。


 一目で高価なものと分かる綺麗な紫色のハイヒールと、そこに収まる、抜ける用に白い足の甲が見てとれた。やはり一人で、それに女性で間違いなかった。


「だからマサカドじゃ! って……ね、ねぇユウマ、あんた、何してんの?」


 マサカドと呼ばれた女性の声は、戸惑いに震えていた。


「何をしているかだと? 見て分からんのか? 口説いている!」


 大久保君は、彼女との言葉のキャッチボールを面倒くさがるように、言葉の剛速球を投げた。僕は彼の言葉のチョイスのまずさに、体を震わせる。


 確かに、勧誘することを口説くともいう。だけど、なぜこのシチュエーションでそんな誤解を招く使い方をするのか? 理解に苦しみ、一人無言で悶えた。


 その中で、まさか……と、うすら寒い予感を覚えたが、いやいやいやいや、そんなことはない、そんなことがあってたまるかと、必死でその考えを打ち消す。


「く、口説く? ちょ、えぇぇえぇ!? お、おおお、相手は男の人でしょ?」


「ふむ? それがどうした? ふははは、男こそ俺のパートナーに相応しい」

「あ、あんた、そそ、そんな趣味が……。ね、ねぇ、本気なの?」


 平和の地に爆弾を落とされたような状況の中、彼女の思考はもつれ、混乱していることが口ぶりから察せられた。大久保君も、いっそ清々しい程に誤解を与え続けている。完全な誤爆だ。絨毯爆撃並みの誤爆だ。


 咄嗟に顔を上げ、事情を説明しようかとも思った。しかし、その前に気味悪がられて逃げられると云う、漫画のようなシチュエーションが頭をつくと、僕は黙ったまま、頭を腹に抱えた。


「おぉ! 本気も本気。大マジだ。俺はこいつと、いくところまでいくぞ!」


 僕の肩に回された大久保君の手に、力が込められる。


 マサカドと呼ばれた女性も、突如として友人が性癖を暴露したばかりか、まさか目の前で、『いくところまでいく』等と宣言されるとは思はなかったのだろう。


「へ、へぇぇぇぇ。あは、あはははははは、あははははははは」


 彼女は壊れた玩具みたいに、自嘲めいた笑いをその場に散らかした。


 誤解が不和を呼び、不和が悲しみを呼び、悲しみがまた、新たな誤解を生む。噛み合わない会話により、一つの悲劇が生まれようとしていた。


「マサカド? おい大丈夫か? お前……まさか、ひょっとして」

「へ……?」


 そんな中での、大久保君の気遣いにも似た、一つの閃き。


「ひょっとして、地面に落ちてるもんでも食ったんじゃ――」

「って!? た、食べるわけないでしょ! アホ! アホユウマ!」


 が、それもとっても残念な形に終わってしまう。

 

「なんだと!? 誰がアホだ! 誰が!?」

「あ、アンタに決まってるでしょ!? わ、私は、私は……くっ、うぅうう」


 そうやって口論を続ける内に、彼女の口調には湿り気が帯び始め、やがて――


「もう、なんで、なんでこんなことに……うっ、うぅぅ、うわぁぁぁぁぁぁぁ」


 嗚咽を漏らすと、声を上げて泣き始めた。


「え……?」


 突然のことに困惑し、僕は頭を上げた。膝から崩れ落ちたような格好で、女性が地面に両膝をつき、泣いていた。その姿を認めると、僕の目は見開かれ、印象や思考は一度に混乱するようになる。心臓が常ならぬ速度で脈動を始めた。


 大久保君はいつの間にか僕の肩から手を外し、立ち上がっていた。狼狽が見て取れる態度で彼女に近づき、おろおろとした声音で声を掛ける。


「マサカド? なんだ、おまえ、どうした?」

「う、うるさい! もう、ユウマの馬鹿ぁ! 馬鹿、馬鹿、馬鹿ぁ!」


「マサカド、泣くな。泣くなって、ほら、どうしたんだ?」

「あ、あっち行ってよ! も、もう、知らない!!」


 彼女はしゃくりあげ、わんわんと声を上げ、さめざめと涙に暮れていた。雑誌から出てきたような大人びた格好の女性が、子供のように。その傍らには、子育て慣れしていない父親のような、困惑しきった表情の大久保君がいる。


 僕はと言えば、彼女の姿に眼を奪われ、痺れたように動けなくなっていた。


 ――僕は彼女を知っている。


 画面の向こうのアイドルを知るように、限りなく一方的に。いや、この場合、雑誌の向こうのモデルを知るように、の方が正しいだろう。




♯ ♯ ♯ ♯ ♯




 入学式の翌日。その日は朝から、学部ごとに時間をずらし、大教室で単位に関する説明会が行われることになっていた。


 コンサートホールみたいに段差がついた教室の一番後ろの席に、僕は座る。そこで髪の毛を染め、化粧を施した同じ学部の女性徒の横顔を、一人で眺めていた。


 ひょっとすると僕の大学生活は、あぁいう女の子に振り回され、ぬか喜びをしたり、泣いたり笑ったり、怒ったりしている内に終わってしまうのかもしれない。そんなことを、漠然と考えていた。


 彼女たちは、一様に御洒落で可愛いかった。だがそれ以上の感想は出てこない。


 でも多分、外から眺めているから彼女たちの魅力が分からないだけなんだ。現実に接し始めると、女性に免疫のない僕は直ぐに彼女たちの魅力に翻弄され、きっと恋だ、愛だの言いながら、平均的な大学生活を送ることになるんだろう。


 そんな風に説明会が始まるのを机に頬杖をつき、欠伸を噛み殺しながら待っていると、教室中央の扉から入って来る一人の女性徒に、自然と目が向いた。


 大きなチョコレート色の革鞄を肩からさげた彼女は、やはり髪の毛を染めていた。でもその髪質は、明らかに他の女性徒のものと違って見えた。


 肩下まで伸びた長い髪は、昔祖母に見せてもらった絹糸のように滑らかで、まるで一本一本に、生命がたっぷり及んでいるようだった。


 不意に、どこかでそんな髪を見た気がした。

 そして一つの閃きが生まれると、余りに陳腐な閃きに、思わず苦笑した。


 ――あぁ分かった、CMだ。


 シャンプーのCMで、彼女のような滑らかな髪の毛を見た覚えがあったのだ。


 彼女はやがて、教室前方に席を見つけたのか、その場から歩き始める。背筋を伸ばした彼女は、長い手足を持て余しながら、頭の重心を動かさず、綺麗に歩いた。


 すると僕以外にも、彼女に視線を向け始める人が現れた。一番後ろの席に座る僕は、そのことを察する。男女問わず、沢山のつむじが彼女に向き始めたのだ。


 スタイルがいいと言うだけで、人はついつい視線を集めてしまうものだ。それは何ら不思議なことじゃない。事実、彼女はスラリと手足が長く、身長も女性にしては高かった。ヒールと相まって、ちょっとしたモデルのような……。


 ――え? モデル……?


 教室は、静かに燃え立った。彼女が一番前の席に鞄を置き、腕時計で時間を確認した後、売店か何処かに向かう為、顔を教室全体に開いたところで。


 彼女のスタイルに目を奪われていた僕たちは、彼女の妖精のような肌の白さに、ハッとなった。その白さは、深雪の中にあっては白く透けるようであり、暗がりにあっては、青く映えるようだった。


 次いで整った顔立ちを目にすると、思考が停止した。


 顔が冗談のように小さく、薄化粧で淡く光ってさえいる。散りばめられた顔のパーツは完璧な調和を保ち、美しく佇んでいた。


 杏子を割ったような唇。一つの装飾のような小さな鼻。凛とした眉は高潔ですらあり、品を描いた瞼と睫毛に、あれが血の通った生き物なのかと現実を見失う。


 そして二つの瞳は、終末の日に湖畔に浮かぶ黒い太陽みたいに、心を落ち着かなくさせる美しさを放っていた。一つの欠落のように、目が離せない。


 見る者の琴線を震わす飛沫をそこら中にまき散らしながら、彼女は教室の扉を閉めた。彼女が席を離れてからその瞬間まで、教室は喧騒を失っていた。


 しかし七色の帯をたなびいた、彼女の美しさにたゆたう息吹は、その後ストンと静かに落ちると……重い溜息に変わる。


 ――完璧さと云うのは、ただ黙って眺めることしか出来ないものだ。


 そんなことを、無意識の内に皆が悟ったんだと思う。彼女のことなど見なかったように、また喧騒がそこかしこで生れた。でも僕は彼女が去った後も何かに打たれたように、微動だに出来なかった。


 美しさに心を奪われると云う意味を、初めて知った気がした。


 それ以降も、大学生活の始まりと言うことで、様々な説明会が頻繁に行われたが、彼女の周囲は決まっていつも、ぽっかりと席が空いていた。


 彼女はいつも一人だった。周りもそれを望んでいたし、彼女もそれを望んでいたように思える。彼女は、その美しさのあまり、隔離されていたのだ。


 多分、皆が、彼女を恐れていたんだと思う。


 ある女性徒が、愛知県のデートスポットやトレンドを紹介する月刊誌に、彼女がモデルとして登場していることを早々と見つけ、話題にしたことがあった。以降、彼女は完全に、違う世界の住人として扱われるようになった。


 よく漫画やドラマだと、アイドルやモデルの娘がチヤホヤされるシーンがある。


 ――だけど、あれは嘘だ。


 僕たち一般人は、いつも自分の世界を守ることに必死だ。それが少しでも脅かされそうになると、途端に世界を閉じる。


 そうやって、自分たちの世界の均衡を必死に守っている。

 特に、女の子はその傾向が強いんじゃないか……。


 説明会などが開かれる度、一人で佇んでいる彼女を遠く眺めながら、僕はそんなことを考えていた。




♯ ♯ ♯ ♯ ♯




「ユ、ユウマのバカァ! もう、嫌い、大嫌い!」

「なんだ、どうした? 誰かに苛められたのか? 大丈夫だ、大丈夫だから」


 そんな彼女が今、感情をむき出しにして泣いていた。


 泣く姿すらも美しい彼女を見ていると、その姿を鏡とし、自分の容姿の凡庸さが思い出される。ふと、僕は女性徒たちの彼女を恐れる気持ちが分かった気がした。


 完璧な美を覗くものは、その瞳に映る醜悪な自分を見て、愕然とする。

 確か、どこかの神話にそんな話があった。


 事実、彼女という完璧な美を通じて垣間見える自分の姿は、笑ってしまう位に特徴が無い。でも僕は、そんなことなら嫌という程に、よく知っていた。


 ――そう、安部礼司だ。


 やがて僕は、彼女の誤解を解けるのが、この場には自分しかいないことを悟った。ならばやることは一つだ。じっとりと手にかいた汗を、ジーパンで拭う。尻込みしながらも立ち上がり、彼女に近づくと、震えた声で話しかけた。


「あ、あの……た、多分、誤解してると思うけど。僕と大久保君は、別に特別な仲って訳じゃないんだよ」


 そこで彼女は大久保君との口論を止め、「え?」と、きょとんとした瞳を僕に向ける。大久保君も僕がその場に突然介入したことに、驚いている様子だった。


 注目が集まる。口をからからに乾かせながらも、僕はそれから――


「その、大久保君が『動物園の動物を解放する』とか言い出して、ほら? 聞こえなかった? 『動物ぅ』っていう大久保君の声。あれ、その為のメンバーを集めようとしてて、それで僕も勧誘されてたんだ。……あ、えっと、だから、口説くってのは、そういう意味で、いくところまでいくってのも、多分、僕とその活動をやり遂げるって意味で、その、えっと……」


 自分の口べたを情けなく思いながら、しどろもどろになって説明した。その時ばかりは、大久保君も口をつぐんでいた。


 彼女はしゃくり上げながらも、僕の話に黙って耳を傾けてくれた。至近距離で見る彼女は瑞々しい肌に飾られ、遠目で見るよりずっと綺麗だった。


 僕が全てを語り終えると、鼻を啜り、大きな鞄からポーチを取り出す。コットンみたいなもので、涙で溶けたマスカラを拭いた。


 その間もぐすぐすと鼻をつまらせていたけど、その作業が終わると、彼女は大きな瞳に平凡な僕の顔を写し、こう尋ねる。



「そ、それって……それって、本当?」と。



 その姿のあどけなさは、多分、クラスメイトの誰一人として知らない。


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