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僕たちは、笑いながら失い、泣きながら得る  作者: マグロアッパー
一章 右手にバカ、左手に美女
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01.安部礼司



「動物園の動物って、かわいそうだよな!?」



 僕が彼と出会ったのは、大学生になったばかりの頃。大学の門前で、桜の花びらが空に知られぬ雪のように、静かに舞う季節。


 その日は快晴だった。朝からキャンパスに射し込んでいた強い日差しが午後には自ずと薄れ、時にはまるで、灯火(ともしび)のように淡く見えさえしたことを覚えている。


 僕が進学した大学は、愛知県の県庁所在地である名古屋市から地下鉄で三十分程度の場所にある。県内の私立大では、比較的偏差値の高い部類に属していた。


 正直言って、僕がこの大学に進学できたのは、何かしらの偶然の産物だと思っている。なにせ僕と言えば、中学、高校と、テストでは必ずと云っていい程、学年の平均点を取り続けてきた。神様の悪質な冗談みたいに。


「鈴木! 数学の点数って六十九点だよな」

「う、うん」

「やっぱりか。前回より、上がってんな……」


「ねぇねぇ鈴木君! 理科の点数って、七十二点だよね?」

「理科? えっと……そうだけど」


「ほら! やっぱユミ、赤点じゃん!」

「えぇぇ! そんなぁ!」


 その能力(?)はちょっとばかり有名になっていて、テスト返却後にはクラスメイトから重宝された。僕のプライバシーを、どこか彼方にすっ飛ばして。


 そして悲しいことに、その神様の冗談はテストばかりでなく、身長や体重、座高、果ては五十メートル走のタイムや握力と、あらゆる領域に及んでいた。


 結果、ついたあだ名が「安部礼司(あべれいじ)」。

 英語で平均を表す、「average」をもじったものだ。


 あるラジオ番組に、そんなキャラクターが登場するらしい。その番組の愛聴者だった担任がつけてくれた。中学二年の頃だ。


 だから今でも、駅のホームなんかで地元の友だちに会うと「鈴木誠」という名前は忘却の彼方に置き去られ、安部くん、安部くん、と呼ばれている。


 でも僕は、その平均的な生を享受できたことに少なからず喜びを覚えていた。


 この十八年間、特に幸せという訳でもないけど、不幸でもなかった。

 それなりに恋もしたし、同じように失恋もした。


 多分、大学でも同じようにして、日々は過ぎていく。

 それでいいし、それがいい。


 極端なことは好きじゃなかったし、何より極端が向こうからやってこなかった。


 そして最近では、これはひょっとすると神様の悪質な冗談なんかではなく、神様のプレゼントかもしれないと思い始めていた。景気が悪化し、普通が普通じゃなくなる中で、その思いは一層強まった。


 だから大学で、まさか平凡な日常を超えた出会いが僕を待ち構えているとは、思いもよらなかった。




♯ ♯ ♯ ♯ ♯




 その日、午前中に履修登録を済ませた僕は、知りあって間もないクラスメイトとキャンパスを散策していた。同じ経済学部に所属し、レクリエーション等を通じて何となく仲良くなった、僕と一緒で何てことのない男子生徒。


 その最中、バイトの面接があることを忘れていた彼が、慌ててその場を去る。


「ごめん、それじゃまた明日な!」

「あ、う、うん。またね!」


 そうやって一人になった僕は、思案した揚句、学校の中央にある図書館へと向かうことにした。


 大学の図書館には、本の他に沢山の雑誌が置いてある。実家暮らしでバイトも始めておらず、彼女もいない。暇な大学生が時間を潰すには、格好の場所だった。


 春の麗らかな陽光が、キャンパス内に植えられた木々の緑を淡く照らす。仰ぎ見る空は雲一つなく快晴。遠くで響く学生たちの笑い声も、何処か心地いい。


 そんな安穏として満たされた気分で、六階建ての大きな図書館の入口を視界に収め、歩を進める。残り十メートルたらずで自動扉へと至るという――正に時。



 彼は避けられぬ運命のようにして、突如、僕の前に立ちはだかった。



「動物園の動物って、かわいそうだよな!?」



 突然の出来事に、僕は「え?」と、間抜けな声を上げ、声の主に目をやる。


 目の前には、身長が百七十センチ後半と思われる筋肉質な男が一人。ゴールキーパーのように両手を一杯に広げ、僕を威嚇していた。


 長くも短くもない髪は、パーマでもかけているのか不均一に波打っている。服装も何処か垢ぬけ、一年生にはない、洒脱な雰囲気を感じさせた。顔も精悍に引き締まり、日本刀のような鼻の峰は形が良く、それだけで女性にモテそうだ。


 だが、顔の中央には二つの悪意。見るものを竦み上がらせる三白眼が、ぎらぎらと燃えるように生気を放つ。少し大きめの口は片方につり上げられ、不気味に微笑んでさえいた。


「動物園の動物って、かわいそうだよな!?」


 そして口から紡ぎ出されるのは、わりかしセンチメンタルな言葉。


 脳はそれらの情報をトータルし、瞬時に「危険」と判断すると、いつでも逃げられるよう、交感神経を昂らせた。しかしそんな働きに気付かない僕は、男に対して言いようのない空恐ろしさを覚え、思わず後ずさる。


「動物園の動物って、かわいそうだよな!?」


 答えに窮していると、三度(みたび)、男から同じ質問が発せられる。


「えっと……サークルの勧誘ですか?」

「動物園の動物って、かわいそうだよな!?」


 勇気を振り絞って尋ねてみるも、何故か言葉が通じない。

 ひょっとして、何かしらの罰ゲームでもやらされているのだろうか。


 …………よし。


 意を決し「それじゃ」と右に男を避け、そのまま通り過ぎようとする。


「動物園の動物って、かわいそうだよな!?」


 その試みも虚しく、回り込まれてしまった。

 なら今度は、左にと男を避け――


「動物園の動物って、かわいそうだよな!?」


 再び回り込まれる。

 それなら、踵を返して――


「動物園の動物って、かわいそうだよな!?」


 反復横飛びで回り込まれる結果に。

 

 ――に、逃げられない! なんだ? なんなんだ、この状況は!?


 そこで僕の印象や思考は、奇妙に移ろいがちになり、現実を現実として上手く認識出来なくなった。男に絡まれる理由が、全く思い当たらない。


 今まで散々平均的な生を享受してきた癖に、何の間違いか、少しだけ偏差値の高い大学に入学することが出来てしまった。その揺り戻しが、奇妙な形で現実に表れているのだろうか。思考はそんな風に、訳体の無いことを考えさせる。


 僕がそのように煩悶を抱える一方、気付けば男は腰を落としていた。新しい玩具を見つけた子供……というか、新しいマズい遊びを覚えた悪ガキのように、三白眼に楽しげな、挑むような感慨を灯している。


 ――え? 何だ……? その楽しそうな表情は……? 


 その瞳を見た僕は、言いようのない奇妙な腹立たしさを感じてしまう。


 ――絶対に逃がさないって訳か……なるほど。馬鹿にして!? 分かったよ、やってやろうじゃないの!?


 そして、それから二度三度、三度四度と同じことを繰り返した。


「うおぉ!」

「動物園の動物って、かわいそうだよな!?」


「クソッ!」

「動物園の動物って、かわいそうだよな!?」


「ならぁ!」

「動物園の動物って、かわいそうだよな!?」


 が、結果は同じで、後には僕と男の荒い息が残された。


「ど、動物園の動物って……かわいそう、だよな……」


 男は途切れがちな息の中で、まだその質問を止めない。僕はと言えば、昼食後の血糖値が上昇した体に汗さえ浮かべ、肩を落としたまま息をついていた。


 人生の内には、何であんな馬鹿なことをしてたんだろう……と、後になって思わず省みてしまう経験が間々ある。


 まさに、その時の僕がそんな心境だった。ただの意地の張り合いに代わっていた奇妙な遣り取りを思い、自分のことながら呆れ返っていた。


「あの、動物園の、動物が、どうか、したんですか?」


 このままでは埒が明かないと観念した僕は、息の上がった呼吸の中で男に尋ねる。すると男は眉を上げて驚きを示した後、不敵に口の端を歪めたかと思えば、


「ふ……ふ、ふはははははは!」


 と、漫画なんかで見る悪役が、世界に大げさな笑い声をまき散らすように、平和なキャンパスに不気味な声を響かせた。


「なにあれ?」

「さぁ、演劇部か、なんかじゃね」


 通行人の視線を感じ、今度は冷や汗をかく。


 やっぱり、話しかけるんじゃなかった。

 後悔の水位が、ひたひたと上昇し、気付けば膝まで浸かっていた。


「よくぞ、よくぞ聞いてくれた! 同志よ!」


 男は世の事情に無関心とでもいう態度のまま、天上の神にでも見せるかのように、演技がかった大げさな身振りで声を張り上げる。


 その間にも通行人は、僕たちを奇異な物を見る目で苛む。僕の後悔の水位は上昇を止めない。気付けば肩まで浸かっており……。


 ――つまり、あれ? ひょっとしてもう抜けられない?


「あの、話がさっぱり見えないんですが……」


 僕は平均的な大学生らしく、他人の視線の中に居心地の悪さを覚え、早く話を打ち切ろうと思い、そう促した。


 だが男は一連の遣り取りから推察される通り、僕の話なんか聞く筈もない。自分の世界の中で勝手に物語を進行させると、前後の脈絡なく、突如として叫んだ。


 僕を囲む世界を、すっかりと変えてしまうことになる言葉を。




「よ~~~し! 今日からお前は、俺の仲間だ!」

「なかまって……は? え、僕? えぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!?」




 その時、二人の間に温かな風が吹いた。


 吹きあげられて舞う一片の紙屑みたいに、自分の行方すら掴めないまま、ただ人生の大きな流れの中で揺蕩(たゆた)っていた僕の人生は、その日を境に大きく変わる。



 この世に終わらないものがないように、変わらないものは何一つとしてない。



 僕は彼と知り合い、沢山の笑いに包まれながら、あるものを無くした。

 そしてまた、沢山の涙に包まれながら、あるものを得た。




 だが当然ながら……。

 その時の僕は、そのことを、まだ知らない。

 



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