第9話 若い議員達
翌朝。
桐島美咲が起きてきたのは七時だった。
昨夜の帰り道、二人はほとんど話さなかった。アパートに戻っても、美咲は自分の部屋で天井を見つめたまま、なかなか眠れなかった。
田島さんに、残された時間がある。
そしてその時間は、私が傍にいることで延びる。
おじいちゃんは、それを知っていた。
朝の光の中で、美咲はリビングへ出た。
剛造はすでに机に向かっていた。
いつも通りだった。コーヒーを飲みながら、ノートに何かを書いている。昨夜の話など、まるでなかったかのように。
「……おはようございます」
「ああ」
「田島さん、昨夜の話、大丈夫ですか」
剛造はペンを止めずに言った。「何が大丈夫じゃないんだ」
「だって、自分の残り時間を聞かされて」
「やることは変わらん」
美咲は剛造の背中を見た。
「……そうですね」
「コーヒーを淹れてくれ。それと、今日の予定を聞け」
美咲はため息をついた。
この人は本当に、前だけを向いている。
それが、少し眩しかった。
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「今日は若手議員グループと会う」と剛造は言った。
「どこで接触するんですか」
「藤堂が繋いでくれた。三人いる。全員、御堂の派閥に嫌気がさしている」
「名前は」
「中村誠、三十八歳。北関東選出、二期目。元地方銀行員だ」剛造はノートを見ながら言った。「鈴木隼、三十五歳。大阪選出、一期目。元教師。そして――」
剛造は少し間を置いた。
「桐島と言う」
美咲は固まった。
「桐島……」
「桐島賢一、四十二歳。新潟選出、三期目」剛造は美咲を見た。「お前の親戚か」
美咲はしばらく考えた。
「……父方の従兄です。あまり付き合いはないですけど」
「そうか」
「田島さん、わざと選びましたか」
「藤堂が選んだ。だが俺も、その名前を見たとき悪くないと思った」
美咲は剛造を見た。「なんでですか」
「桐島という名前が、この件に関わっていくのは自然なことだ」剛造は静かに言った。「桐島五郎が設計したプロジェクトなら、桐島の血が動かす方がいい」
美咲はしばらく黙っていた。
「……おじいちゃん、そこまで考えてたのかな」
「わからん。だが、俺はそう思う」
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待ち合わせは、永田町から少し離れた小料理屋だった。
個室に通されると、三人の男が待っていた。
中村誠は背が高く、誠実そうな顔をしていた。元銀行員らしく、数字に強そうな印象だ。鈴木隼は小柄で、目が鋭い。元教師らしく、相手をよく観察する目つきだ。
そして桐島賢一は――美咲の顔を見た瞬間、目を丸くした。
「美咲か?」
「賢一さん」
「なんでここに。記者やってるって聞いてたけど」
「色々あって」
賢一は美咲と、隣に立つ剛造を交互に見た。
「この方が」
「田島です」と剛造は言った。「よろしく頼む」
三人は顔を見合わせた。
藤堂から「信頼できる人物を紹介する」とだけ聞かされていたのだろう。目の前に現れたのが、老人とも壮年ともつかない不思議な風貌の男だったことに、戸惑いが見えた。
「田島……さん?」中村が言った。「失礼ですが、どのようなお立場の方ですか」
「元政治家だ」
「今は」
「浪人中だ」
三人は再び顔を見合わせた。
「藤堂先生から、大変信頼できる方だとお聞きしましたが」鈴木が言った。「具体的に、どのようなことをお話ししたいのでしょうか」
剛造は三人を見渡した。
「あなたたちの選挙区の話をしたい」
「選挙区の」
「中村さん、北関東の某市だな。製造業の空洞化で雇用が減っている。農業も後継者不足だ。先月、地元の工場が一つ閉まった。知っとるか」
中村の目が動いた。「……知っています。ただ、具体的な対策が」
「工場の閉鎖は、円安による原材料費の高騰が引き金だ。しかしその前に、十年かけて下請け構造が崩れていた。問題は表に出た部分じゃなく、その下にある」
中村は口を開けた。
「鈴木さん、大阪の教育現場は今、教員不足が深刻だな。特に中学の理数系。原因は待遇だけじゃない。書類仕事が増えすぎて、授業の準備ができないという構造的な問題がある」
鈴木の目が鋭くなった。「……それは、どこで」
「数字を見ればわかる」
剛造は桐島賢一を見た。
「賢一さん、新潟の農業の話は、美咲から聞いた。あなたは地元農家の声を三年間集めてきたが、党内で予算がつかない。その理由がわかるか」
賢一は少し考えてから言った。「……御堂幹事長の意向、でしょうか」
「そうだ。農業予算が増えると、外資の農地買収が難しくなる。御堂にとって農業の疲弊は都合がいい。あなたたちが予算を取れないのは、政策が悪いからじゃない。構造的に取れないようになっとる」
三人は沈黙した。
中村が口を開いた。
「田島さん、あなたは一体何者ですか」
剛造はその質問に、すぐには答えなかった。
しばらくして、静かに言った。
「お前たちが知る必要はない。ただ、一つだけ聞く。この国を変えたいか」
三人は顔を見合わせた。
「変えたいです」と中村が言った。「だから政治家になりました」
「変えられると思うか」
沈黙。
鈴木が言った。「……正直、今は自信がありません」
「そうか」剛造は言った。「正直な答えだ。自信がないなら、俺が貸してやる」
賢一が口を開いた。「田島さん、あなたを信じていいんですか」
「信じなくていい」剛造は言った。「ただ、一緒に動いてみろ。動いた結果を見て、信じるかどうか決めろ。政治家は言葉じゃなく、実績で判断しろ」
三人は、また顔を見合わせた。
今度は、最初とは違う顔だった。
何かが、動き始めた顔だった。
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料理が運ばれてきた。
会話が、少しずつ柔らかくなった。
剛造は三人の話をよく聞いた。選挙区の問題、党内の力学、国民の声。一つ一つに、丁寧に答えた。
美咲は隣で手帳を取りながら、その様子を見ていた。
この人はこうやって人を集めてきたんだ。
昭和も、令和も、同じやり方で。
食事の終わり際、賢一が美咲に小声で言った。
「美咲、あの人……本当に何者なんだ」
「色々あって、一緒に動いてます」
「信用できるのか」
美咲は少し考えた。
「信用できるかどうかより」美咲は言った。「この人と一緒に動いていると、なぜか日本が変わる気がしてくるんです」
賢一はしばらく美咲を見た。
「……お前がそう言うなら」
「うん」
「わかった」
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帰り道、美咲は剛造の隣を歩きながら言った。
「田島さん、あの三人、動いてくれると思いますか」
「動く」剛造は言った。「目が変わった。人間は目を見ればわかる」
「どんな目でしたか」
「諦めていた目が、諦めるのをやめた目になった」
美咲はそれを手帳に書いた。
「田島さん」
「なんだ」
「賢一さんを選んだのは、やっぱりおじいちゃんのことが関係してますか」
剛造は少し間を置いた。
「お前の祖父が設計したプロジェクトなら、お前の一族が動かす方が筋が通る」
「筋が通る、か」
「政治は筋を通すことだ。理屈じゃなく、筋だ」
美咲はその言葉を書き留めた。
「田島さん、一つだけ聞いていいですか」
「なんだ」
「おじいちゃんのこと、どう思いますか。勝手に転写して、私を設計に組み込んで」
剛造はしばらく黙って歩いた。
「桐島五郎は」剛造はやがて言った。「俺が知る限り、誠実な男だった」
「それは昭和の話ですよね」
「誠実な人間は、昭和でも令和でも誠実だ」剛造は言った。「あの男がこのプロジェクトを設計したのは、自分の利益のためじゃない。国のためだ。お前のためでもある」
「私のため?」
「お前に大事な役目を与えた。それはお前を道具にしたんじゃなく、お前を必要としたということだ」
美咲は足を止めた。
「……必要とされた」
「そうだ」
美咲は空を見上げた。
冬の夜空に、星が一つ見えた。
「おじいちゃん」と美咲は小さくつぶやいた。「ありがとう」
剛造は何も言わずに歩き続けた。
ただ、その足が、少しだけゆっくりになった。
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その夜、御堂慎一郎は報告を受けた。
「田島が若手議員三名と接触しました。中村誠、鈴木隼、そして桐島賢一です」
御堂は目を細めた。
「桐島賢一……美咲の親族か」
「従兄にあたります」
御堂はしばらく考えた。
「桐島の血が、また集まってきた」御堂はつぶやいた。「五郎さん、あなたは本当に、隅々まで設計していた」
「どうしますか」
御堂は少し間を置いた。
「中村と鈴木は、今のうちに手を打て。ただし」
「桐島賢一は」
「触るな」御堂は静かに言った。「あの男を動かすのは、別の方法を使う」
「別の方法、とは」
御堂は答えなかった。
窓の外を見た。
夜の永田町。
「田島剛造……あなたの時間は、思ったより残っていない」
御堂は静かに言った。
「急ぎましょう」
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