第7話 美咲の記事
朝の光が、中野のアパートに差し込んでいた。
桐島美咲はパソコンの前に座り、画面を見つめていた。
カーソルが点滅している。タイトルは打ち込んである。しかし本文が、なかなか進まなかった。
昨夜、鎌倉から帰ってきてから、美咲はずっと考えていた。
祖父・桐島五郎。
藤堂の家に飾られていた写真の中で、祖父は笑っていた。田島剛造の隣で。昭和の永田町で。
おじいちゃん、あなたは何をしていたんだろう。
そして私に、何をさせようとしていたんだろう。
「書けんか」
剛造が背後から声をかけた。コーヒーを二杯持って、美咲の隣に座った。
「……書けないわけじゃないんですけど」美咲はカーソルを見たまま言った。「頭の中が、整理できていなくて」
「昨日のことか」
「はい」
剛造はコーヒーを一口飲んだ。
「美咲」
「なんですか」
「今わかることと、今はまだわからないことがある。今わかることだけ考えろ。わからないことを今考えても、答えは出ん」
美咲は剛造を見た。
「田島さんは、怖くないんですか。自分が蘇った理由も、体に何が起きているのかも、まだわからないのに」
剛造は少し間を置いた。
「怖いとか怖くないとかじゃない」剛造は言った。「やることがある。それだけだ」
美咲はその言葉を、しばらく噛みしめた。
それからキーボードに指を置いた。
「……書きます」
「ああ」
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美咲が書いた記事のタイトルはこうだった。
「なぜ日本人は三十年間、豊かになれなかったのか――ある政治評論家の視点」
内容は剛造の言葉をもとにしていた。
GDPと賃金の乖離。内部留保と株主配当の拡大。非正規雇用の増加。地方の過疎化と農業の崩壊。外資によるインフラ買収。そしてその根っこにある「金が国内を回っていない」という構造的な問題。
美咲は剛造の言葉を、できる限り平易な文章に落とし込んだ。難しい経済用語は使わない。農家のおじいさんでも、コンビニでバイトをしている学生でも、読めばわかる言葉で書いた。
記事の最後にこう締めた。
「政治は難しいものではない。誰が得をして、誰が損をしているか。その答えを正直に言える人間が、政治家になればいい。それだけのことだ」――ある政治評論家の言葉より
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記事を会社のウェブサイトに投稿したのは、昼過ぎだった。
最初の一時間、反応はなかった。
二時間後、SNSでシェアされ始めた。
三時間後、コメント欄が埋まり始めた。
「これ、ずっと思ってたことだ」
「なんでこんな当たり前のことを誰も言わないんだ」
「この評論家、誰?もっと読みたい」
「永田町の人間に読ませたい」
夕方には一万シェアを超えていた。
美咲はスマホの画面を見て、目を丸くした。
「田島さん、見てください」
剛造はスマホを受け取り、数字を確認した。
「一万か」
「地方紙の記者が書いた記事で、これは異例です」
「中身がよかったんだろう」
「田島さんの言葉がよかったんです」
「お前が翻訳した」
美咲は少し笑った。「翻訳、か。そういう言い方もできますね」
剛造はスマホをテーブルに置いた。「コメントの中に、永田町関係者はいるか」
美咲は画面をスクロールした。「……匿名だから断定はできないですけど、気になるコメントがあります」
画面には、こんなコメントがあった。
「財政の話は正しい。だが解決策が書いていない。この評論家は解決策を持っているのか」
剛造はそのコメントを見た。
「これは永田町の人間だ」
「なんでわかるんですか」
「批判の仕方が違う。一般人は感情で批判する。政治家は論点を絞って批判する。これは論点を絞っとる」
美咲はそのアカウントのページを確認した。フォロワー数が多い。投稿内容は政治系ばかりだ。
「……本当に永田町の人かもしれない」
「返信しろ」と剛造は言った。
「え、何て」
「解決策は持っている。直接話したければ連絡を、と書け」
「それ、罠かもしれないですよ。御堂の関係者だったら」
「御堂の関係者なら、それはそれで使える」
美咲は剛造を見た。「……田島さん、怖いな」
「政治だ」
美咲はコメントへの返信を打ち込んだ。
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その夜。
御堂慎一郎は側近から報告を受けた。
「SNSで拡散している記事があります。桐島美咲という記者が書いたものですが」
側近がタブレットを差し出した。
御堂は記事を読んだ。
読み終えて、タブレットを置いた。
「桐島美咲」と御堂は言った。「動き始めたか」
「削除申請を出しますか」
「するな」御堂は言った。「今削除したら、かえって注目される。泳がせておけ」
「しかし、このまま拡散すると」
「拡散させろ」御堂は静かに言った。「ただし――監視を強化しろ。美咲の行動を全て把握しておけ」
「わかりました」
「それと」御堂は付け加えた。「田島に接触している若手議員がいれば、リストアップしておけ」
側近が下がると、御堂は一人になった。
引き出しを開け、「Project Legacy」と書かれた古い封筒を取り出した。
その中から、一枚の古い写真を取り出した。
昭和の集合写真だ。
田島剛造。藤堂義雄。そして――桐島五郎。
御堂はその写真の中の桐島五郎を、指でそっとなぞった。
「桐島博士」と御堂はつぶやいた。「あなたの孫娘が、動き始めましたよ」
御堂は写真を封筒に戻した。
そして、もう一枚の書類を取り出した。
タイトルには「転写個体の意識安定化プロトコル」とある。
御堂はその一行を指でなぞった。
意識の安定には、定期的な「補完信号」の送信が必要である。補完信号の送信者は、転写元と強い感情的紐帯を持つ人物が望ましい。
「感情的紐帯……」
御堂はその書類を閉じた。
目を細め、静かに言った。
「美咲さんが傍にいれば、田島はより長く安定する。しかしそれは……私にとっても、都合がいい」
御堂の口の端が、かすかに上がった。
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翌朝。
美咲のスマホに、一通のDMが届いた。
匿名アカウントからだ。
「話を聞かせてほしい。明日の夜、指定の場所に来てほしい。場所は添付の通り。一人で来ること」
美咲は剛造に見せた。
剛造はそれを読み、しばらく考えた。
「行くか」と美咲は言った。
「行く」
「一人で来いって書いてあります」
「お前が一人で行け。俺は別の入り口から入る」
「……そういうことができるんですか」
「昭和の政治家は、そういうことが得意だ」
美咲は剛造を見た。
「田島さん、一つ聞いていいですか」
「なんだ」
「このDM、御堂側の罠だと思いますか。それとも味方からだと思いますか」
剛造はしばらく考えた。
「わからん」
「ええ」
「わからんから、行く。わかってから動いていたら、政治は間に合わん」
美咲はため息をついた。
「おじいちゃんも、そういう人だったんだろうな」
剛造は何も言わなかった。
ただ、コートを羽織りながら、小さく目を細めた。
桐島五郎。お前の孫娘は、本当に骨がある。
お前が選んだのは、正しかった。
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その夜、都内のある場所で。
白髪の老人が、電話を受けた。
「記事が拡散しました。DMも送りました」
老人は静かに言った。「そうか。田島は動くか」
「おそらく」
「美咲は」
「一緒に行くようです」
老人は目を閉じた。
「……五郎さん、見ていますか」
老人は窓の外を見た。
令和の夜景が広がっている。
「あなたが設計した通りに、すべてが動いています」
老人の目に、静かな光が宿った。
「あとは――田島さんが、自分の限界に気づく前に」
老人は言葉を切った。
しばらくして、続けた。
「すべてを打ち明けなければならない」
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