第20話 国会前夜
国会質問まで、あと三日。
鎌倉の別荘に、林田誠司、中村誠、桐島賢一が集まった。
テーブルの上に、データが広がっている。
財務省の資料。アーク・キャピタルの帳簿。御堂の資金管理団体との繋がり。通信インフラの売却契約書。
全部揃っていた。
「これだけあれば十分です」と林田は言った。「国会で出せば、御堂は言い逃れできない」
「質問の順番は」と剛造は言った。
中村誠が手元の原稿を出した。「最初に通信インフラの問題から入ります。国民が一番わかりやすい話題から始めて、次にアーク・キャピタルとの資金の繋がり、最後に御堂の口座との直接の証拠を出します」
「いい順番だ」剛造は言った。「感情を入れるな。数字だけで話せ」
「わかりました」
「声は落ち着けて、ゆっくり話せ。慌てると相手に隙を与える」
「はい」
「最後の証拠を出すとき、御堂の顔を見ろ。目を逸らすな。それだけで、国民に伝わる」
中村は頷いた。
賢一が言った。「田島さん、私は何をすればいいですか」
「お前は中村の後ろにいろ。何があっても動くな。ただし、中村が崩れそうになったら、隣から支えろ」
「わかりました」
林田が言った。「美咲さんの記事は、質問の二時間前に出ますよね」
「ああ」美咲は言った。「準備できています。あとはタイミングだけです」
剛造は全員を見渡した。
「全員、準備はいいか」
全員が頷いた。
「三日後、俺たちは動く。御堂は必ず潰しにくる。しかし動じるな。準備してきたことを、ただやれ。それだけだ」
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夕方、林田たちが帰った後。
剛造は縁側で一人、海を見ていた。
美咲がコーヒーを持ってきて、隣に座った。
しばらく無言だった。
「田島さん」と美咲は言った。
「なんだ」
「顔色が悪いです」
「そうか」
「昨日より、悪い」
剛造は海を見たまま言った。「問題ない」
「また」
「本当に問題ない。三日持てばいい」
美咲は剛造の横顔を見た。
「三日持てばいい、って……そういう言い方をするんですね」
「正直に言った方がいいだろう」
美咲は少し間を置いた。
「田島さん、怖いですか。今」
剛造はしばらく黙った。
「やり残すことが怖い。三日で全部終わるかどうか、わからん」
「終わります」美咲は言った。「絶対に終わります」
「根拠は」
「田島さんが準備したから」
剛造は小さく鼻を鳴らした。
「お前は楽観的だな」
「田島さんを信じているだけです」
剛造はしばらく海を見た。
「美咲」
「はい」
「一つだけ聞いていいか」
「なんですか」
「お前は、俺が消えた後、どうするつもりだ」
美咲は少し考えた。
「記者を続けます」
「それだけか」
「それと……田島さんのことを、書き続けます。田島さんがやったことを、田島さんの言葉を、ちゃんと残します」
「なぜ」
「誰かが覚えていないといけないから」美咲は言った。「田島さんが言ってたじゃないですか。お母さんの写真について。誰かが覚えていてやらないといかん、って」
「俺は言っていない。黒岩が言った」
「同じことです」
剛造は少し間を置いた。
「……そうだな」
「田島さんのことは、私が覚えています。ずっと」
剛造は海を見た。
その目が、かすかに揺れた。
「……ありがとう」
美咲は少し驚いた。剛造が素直に「ありがとう」と言うのを、初めて聞いた気がした。
「どういたしまして」
二人は並んで、冬の海を見続けた。
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その夜。
剛造が眠りについた後、美咲は一人でいた。
手帳を開き、この数週間で書き留めた言葉を読み返した。
剛造の言葉が、びっしりと並んでいた。
「政治は農業と同じだ。丁寧にやれば、必ず実る」
「信じることと動くことは別だ。政治家は信じていなくても、利があれば動く」
「賢い人間が間違った方向へ進むと、馬鹿が間違うより何倍も質が悪い」
「逃げることと、動き続けることは別だ」
「怖くない……嘘をついた。怖い。やり残すことが、怖い」
美咲は手帳を閉じた。
これだけの言葉を残した人間が、消えてしまう。
それが、どうしようもなく惜しかった。
おじいちゃん、あなたはこの人を選んで正解だった。
美咲はパソコンを開き、記事の最終稿を確認した。
完璧だった。
あとは三日後を待つだけだ。
画面を閉じようとしたとき、スマホに通知が来た。
須藤からだった。
「明日、お会いできますか。田島さんにも、美咲さんにも、お伝えしたいことがあります」
美咲は少し考えてから、返信した。
「わかりました。明日の午前中でいいですか」
すぐに返信が来た。
「はい。実は……プロジェクトの最後の設計について、お二人に話しておかなければならないことがあります」
美咲は画面を見た。
プロジェクトの最後の設計。
胸の奥で、何かが動いた。
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翌朝。
剛造が起きてきたのは、いつもより遅かった。
六時ではなく、七時だった。
「珍しいですね」と美咲は言った。
「少し眠れなかった」
「大丈夫ですか」
「ああ」
剛造はコーヒーを受け取り、一口飲んだ。
そのとき。
剛造の手が、止まった。
美咲を見た。
その目が、一瞬だけ——
「…………」
何かが、揺れた。
美咲の顔を見て、剛造は言った。
「……美咲か」
美咲は息をのんだ。
「はい。美咲です。田島さん、わかりますか」
剛造はしばらく美咲を見た。
それから、目を閉じた。
開けた。
「……ああ。わかっとる。すまん」
美咲はテーブルに手をついた。
「田島さん」
「問題ない」
「問題あります」
「三日持てばいい」
「田島さん!」
美咲の声が、震えた。
剛造は美咲を見た。
その目に、いつもの鋭さが戻っていた。しかし美咲には見えた。その鋭さの奥に、疲弊が積み重なっていることが。
「……すまん」剛造は静かに言った。「心配をかけた」
「心配して当然です」
「そうだな」
美咲は深く息を吸った。
「今日、須藤さんが来ます。プロジェクトの最後の設計について話があるって」
剛造は少し間を置いた。
「……そうか」
「田島さん、もしかして知っていましたか。最後の設計のことを」
剛造は窓の外を見た。
「五郎の手紙に、少しだけ書いてあった」
「どんなことが」
剛造はしばらく黙った。
「須藤が来たら、一緒に聞こう」
美咲は剛造を見た。
その横顔に、初めて見る表情があった。
覚悟と、それと同じくらいの――惜しむような何かが、混在していた。
田島さんは、知っている。
自分がどうなるかを、知っている。
美咲は手帳を開き、何も書かずに閉じた。
令和の朝が、静かに明けていた。
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