第2話 ヤクザと再会
夜の新宿・歌舞伎町。
かつて昭和の時代、この街は別の顔をしていた。もっと猥雑で、もっと人間臭くて、それでいてどこか活気があった。今はLEDの看板が煌々と輝き、外国人観光客がスマホを片手に歩いている。
「変わったな」
田島剛造はコートの襟を立て、路地裏へと入った。
隣を歩く桐島美咲は、緊張で顔が強張っている。
「本当に大丈夫ですか。竜神会って、関東でも指折りの組ですよ」
「知っとる。俺が紹介してやったんだ、最初の事務所の場所を」
「……それ、自慢していい話じゃないですよね」
「政治家と任侠は、昔から持ちつ持たれつだ。綺麗事だけで国は動かん」
剛造は迷いなく路地を進んだ。美咲はスマホで地図を確認しようとしたが、剛造はすでに正確な方向へ歩いている。
「なんで場所わかるんですか」
「昔、何度も来た。道は体が覚えとる」
美咲は剛造の背中を見た。
迷いが、まるでない。
この人は本当に、昭和からここへ来ているのだろうか。
おじいちゃんが言っていた。「その人が現れたら、傍にいてあげなさい」と。
美咲はその記憶を振り払うように、足を速めた。
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竜神会の事務所は、雑居ビルの三階にあった。
看板はない。ただ、入り口に立つ二人の男が全てを物語っていた。スーツを着ているが、目が違う。品定めをする獣の目だ。
剛造は立ち止まり、男たちを正面から見た。
「黒岩に会いたい。田島と言えばわかる」
男たちは顔を見合わせた。
「アポはありますか」
「ない。だが黒岩は会う。俺の名前を伝えれば必ず会う」
男の一人が無線機を取り出し、何かを話した。しばらく待つ。
やがて無線機から声が返ってきた。男の顔色が、かすかに変わった。
「……どうぞ」
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三階への階段を上ると、廊下の突き当たりに和室があった。
障子を開けると、奥に老人が座っていた。
年齢は八十を超えているだろう。髪は白く、顔には深い皺が刻まれている。しかし背筋は真っ直ぐで、目だけが異様に鋭かった。
黒岩勝――竜神会三代目組長。
その目が剛造を捉えた瞬間。
老人は、驚かなかった。
美咲はそれに気づいた。
普通、死んだはずの人間が目の前に現れたら、腰を抜かすはずだ。しかし黒岩は震えもせず、叫びもせず、ただ静かに剛造を見た。
まるで――
待っていたかのように。
「……やっぱり、来たか」
低い声だった。
美咲の胸に、小さな疑問が刺さった。
やっぱり?
「ああ」と剛造は言った。「久しぶりだな、黒岩」
「生きとったんか」
「死んだ。だが戻ってきた」
黒岩はしばらく剛造の顔を見続けた。それから、ゆっくりと目を閉じた。
「……座れ」
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茶が運ばれてきた。
美咲は部屋の隅に座り、二人の老人のやりとりを息をつめて聞いていた。
「本物かどうか、確かめさせてもらう」黒岩は言った。「昭和四十八年の秋、俺とお前が二人だけで会った場所はどこだ」
「新潟の料亭・松乃家だ。二階の奥の間。床の間に鶴の掛け軸があった。お前は鯛の刺身を残した。魚が苦手なくせに見栄を張りやがった」
黒岩の目が細くなった。
「……その夜、俺がお前に頼んだことは」
「組の跡目争いで、お前の息子を守ってほしいと言った。俺は警察に話をつけた。その代わり、お前には新潟の港の整備に口を出すなと言った」
長い沈黙。
黒岩は茶碗を置き、深く息を吐いた。
「……本物だ」
それだけ言って、老人は目を閉じた。
「何があった」と黒岩は言った。「なぜ戻ってきた」
「俺が知りたいくらいだ」剛造は言った。「気がついたら令和の路地裏に倒れとった。体は若くなっとる。記憶は昭和のままだ」
黒岩は静かに聞いていた。
「……そうか」
その返答が、短すぎた。
美咲はそれに気づいた。普通なら「そんな馬鹿な」と言うはずだ。しかし黒岩は疑わなかった。まるで、そうなると知っていたかのように。
やっぱり、来たか。
さっきの言葉が、また頭をよぎった。
「お前、何か知っとるか」と剛造は言った。
黒岩は目を開けた。その目に、一瞬だけ何かが揺れた。
「……昔、妙な噂を聞いたことがある」黒岩は言った。「国の偉い人間が、とんでもない研究をしとると。人間の何かを、機械に入れる研究だと」
「人間の何かを」
「詳しくは知らん。眉唾だと思っていたが……」黒岩は剛造を見た。「お前が目の前にいる今、その噂が本当だったのかもしれんな」
剛造は黙って聞いていた。
「その研究に関わっていた人間を、知っとるか」
黒岩は少し考えた。
「一人だけ、名前を聞いたことがある。確か……桐島とかいう科学者だったと思うが」
美咲の体が、固まった。
剛造はちらりと美咲を見た。美咲は気づかなかったふりをした。しかし手帳を持つ指が、わずかに震えていた。
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「それで、何をしに来た」と黒岩は言った。
「決まっとる」剛造は言った。「この国をもう一回作り直す」
「また大きなことを言う」
「俺はいつでも本気だ」
黒岩は剛造を見た。その目に、かつての記憶が蘇っているのが見えた。昭和の激動の時代、共に泥をかぶった男の記憶が。
「……何が要る」
「情報だ。今の永田町の裏側。御堂慎一郎という男について知っていることを全部教えてくれ」
黒岩は眉を上げた。「御堂か。あの男には俺も面白くないと思っとる。裏社会にも外資を入れようとしてきやがった。金の臭いしかしない男だ」
「やっぱりそういうことか」
「ただし」黒岩は言った。「情報は渡す。だが俺の名前は使うな。竜神会が表に出たら、お前の邪魔になる」
剛造は頷いた。「わかっとる。表の闘いは俺がやる。お前は裏で見ていてくれ」
「昔と変わらんな」
「変わる必要がない」
黒岩は再び口の端を曲げた。今度は、確かに笑いだった。
「……わかった。協力する」
それから黒岩は美咲に目を向けた。鋭い目だった。
「そこの娘は?」
「記者だ。信用できる」と剛造は言った。
「記者を信用するのか」
「新潟の娘だ」
黒岩の目が、一瞬だけ細くなった。
美咲には見えなかった。しかし黒岩の目に、一瞬だけ――何かを知っている人間の光が、宿った。
「……新潟か。ならまあ、いい」
美咲は意味がわからないまま、とりあえず頭を下げた。
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帰り道、歌舞伎町の雑踏の中を二人で歩いた。
「田島さん」と美咲は言った。「黒岩さん、最初から驚いてませんでしたね」
「そうだな」
「普通、死んだ人間が目の前に現れたら驚くと思うんですけど」
「ああ」
「……なんで驚かなかったんでしょう」
剛造は前を向いたまま言った。「さあな」
美咲は剛造の横顔を見た。
この人は、何か気づいている。
そして私に、まだ言っていないことがある。
「田島さん」
「なんだ」
「隠してることがありますか、私に」
剛造は少し間を置いた。
「今はまだ、話せんことがある」
「……いつか話してもらえますか」
「時が来たらな」
美咲はため息をついた。
「もどかしいな」
「政治はもどかしいものだ」
それだけ言って、剛造は歩き続けた。
夜の歌舞伎町が、二人の背中を飲み込んでいった。
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その夜、黒岩は一人で部屋に残った。
茶碗を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。
引き出しを開け、古びた封筒を取り出した。
封筒には、一枚の写真が入っていた。
若い女性の写真だ。
黒岩はその写真を見た。
それから、今夜初めて会った記者の顔を思い出した。
「……やっぱり、そういうことか」
黒岩は写真を封筒に戻し、引き出しを閉めた。
電話を取り、番号を押した。
相手が出ると、黒岩は静かに言った。
「来たぞ。田島が来た。それと……娘も、一緒だった」
電話の向こうで、老人の声がした。
「……そうか。では、計画通りだ」
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読んでいただきありがとうございます!
少しずつ、真実が見え始めています。
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