第12話 黒岩からの電話
深夜一時。
桐島美咲は、まだパソコンの前にいた。
通信インフラの記事を書き続けて、もう六時間が経つ。目が痛い。肩が凝る。それでもペンが止まらなかった。
国民の携帯電話の基地局が、外資に買われようとしている。
書けば書くほど、怒りが出てくる。
「美咲」
剛造が背後から声をかけた。コーヒーを一杯、テーブルに置いた。
「ありがとうございます」
「無理をするな。明日も続きがある」
「でも御堂は一週間で契約を完了させようとしている。こっちも急がないと」
「焦って書いた記事は、読者に伝わらん」剛造は言った。「お前の文章は、落ち着いているときが一番いい」
美咲は少し手を止めた。
「田島さん、私の文章を読んでるんですか」
「全部読んどる」
「感想、聞いたことなかったですけど」
「言わなかっただけだ」
美咲は剛造を見た。「今、言ってもらえますか」
剛造は少し間を置いた。
「難しいことを簡単に書ける。五郎のそういうところが、お前に受け継がれている」
美咲は目を細めた。
「……それ、最高の褒め言葉です」
「そうか」
「ありがとうございます」
剛造は何も言わずに、自分の椅子に戻った。
美咲はコーヒーを一口飲み、また書き始めた。
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午前二時。
剛造のスマホが鳴った。
画面に「黒岩」と表示されている。
この時間の電話は、普通ではない。
剛造はすぐに出た。
「黒岩」
「先生」黒岩の声は、低く抑えられていた。「御堂が動いた」
「何をした」
「通信インフラの契約を、明後日に前倒しした。一週間じゃなく、明後日だ」
剛造の目が細くなった。
「情報が漏れたか」
「おそらく。先生の周辺に、御堂の目が入っています」
美咲が剛造の顔を見た。剛造は小さく手を振り、静かにしろと示した。
「他には」
「林田誠司が、今夜呼び出されています。財務省の上司から。おそらく御堂の差し金です」
「林田が潰される前に動かないといかんな」
「そうです。それと、先生」黒岩は少し間を置いた。「もう一つ、悪い知らせがあります」
「言え」
「中村誠と鈴木隼に、スキャンダルが仕掛けられています。明日の朝刊に出る予定だ」
剛造は黙った。
「内容は」
「中村は政治資金の不正流用。鈴木は女性問題。どちらも御堂が作った話です」
「証拠は」
「でっち上げです。しかし報道されれば、しばらく動けなくなる」
剛造はしばらく考えた。
「わかった。ありがとう、黒岩」
「先生、急いでください。御堂は本気です」
「ああ」
電話を切った。
美咲は剛造を見た。「聞こえました。全部」
「そうか」
「どうしますか」
剛造は立ち上がり、コートを羽織った。
「今夜動く」
「今夜? どこへ」
「中村と鈴木に連絡しろ。今すぐ会う。場所はどこでもいい」
美咲はスマホを取り出した。「わかりました。でも田島さん、もう一つ聞かせてください」
「なんだ」
「御堂の目が周辺に入っているということは……誰かが情報を流しているということですよね」
剛造は美咲を見た。
「そうだ」
「誰だと思いますか」
剛造は少し間を置いた。
「わからん。だが候補は絞れる」
「誰ですか」
「今は言えん」
美咲は剛造の目を見た。
その目が、何かを知っている目だった。
「……わかりました。急ぎます」
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深夜三時。
中村誠と鈴木隼は、新宿のビジネスホテルの一室に集まった。
眠そうな顔をしていたが、剛造の顔を見た瞬間、目が覚めた。
「明日の朝刊に、二人のスキャンダルが出る」剛造は言った。「でっち上げだ」
中村の顔が蒼ざめた。「でっち上げって……政治資金の不正流用なんて、身に覚えがない」
「わかっとる。だから今夜、手を打つ」
「どんな手ですか」と鈴木が言った。
「先手を打つ。お前たちが自分で記者会見を開く。朝刊が出る前に、だ」
二人は顔を見合わせた。
「でも深夜に記者会見なんて」
「できる」剛造は美咲を見た。
美咲は頷き、スマホを取り出した。「記者仲間に連絡します。深夜でも来てくれる人間がいます」
「朝刊が出る前、つまり夜明け前に会見を開く。でっち上げの証拠があれば、それを出す。なければ、堂々と否定するだけでいい」
「堂々と否定するだけで大丈夫ですか」と中村は言った。
「顔と声で伝わるものがある」剛造は言った。「嘘をついていない人間の顔は、見ればわかる。国民はそれをわかっとる」
中村はしばらく剛造を見た。
「田島さん、あなたはなぜそこまでしてくれるんですか」
「お前たちが必要だからだ」
「なぜ私たちが必要なんですか」
剛造は静かに言った。
「俺には、時間がない」
中村は息をのんだ。
「俺がいなくなった後も、この国を動かし続ける人間が要る。それがお前たちだ」
「田島さん、時間がないというのは」
「今は詳しく話せん」剛造は言った。「ただ、一つだけ覚えておけ。俺がいなくなっても、やることは変わらん。この国を立て直す。それだけだ」
中村と鈴木は、顔を見合わせた。
その目に、最初に会ったときとは違う光があった。
「……わかりました」と中村は言った。「田島さんの言う通りにします」
「俺の言う通りにするな」剛造は言った。「お前たちが正しいと思うことをしろ。俺はそのサポートをするだけだ」
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夜明け前、午前五時。
新宿のホテルの小会議室に、記者が七人集まった。
美咲が呼んだ仲間たちだ。眠そうな顔をしているが、目は覚めている。
中村誠が、マイクの前に立った。
「本日の朝刊に、私に関する虚偽の報道が出ることを事前に把握しました。記録を全て開示した上で、これはでっち上げであることを申し上げます」
淡々とした声だった。
しかし、その目が揺れていなかった。
記者たちは次々と質問した。中村は一つ一つ、丁寧に答えた。証拠書類を出し、数字を示し、時系列を説明した。
剛造は部屋の隅で、その様子を見ていた。
美咲が隣に来た。「どうですか」
「及第点だ」剛造は言った。「もう少し声に力があればよかった。しかし目がよかった。嘘をついていない目だ」
「国民に伝わりますかね」
「伝わる」
鈴木の会見も終わった。こちらは中村より少し力強かった。元教師らしく、言葉の選び方が上手かった。
夜が明け始めていた。
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朝刊が出た。
予定通り、中村と鈴木のスキャンダルが一面に近い位置に掲載されていた。
しかし同時に、ネットでは深夜の記者会見の映像が広まっていた。
「でっち上げを事前に知って、朝刊より先に会見を開いた議員」
SNSが、騒ぎ始めた。
「これ、むしろ御堂側がやばくないか」
「先手を打って会見するって、清廉潔白じゃないとできない」
「誰がこの戦略を考えたんだ」
美咲はスマホの画面を見て、剛造に見せた。
剛造はそれを見て、小さく頷いた。
「先手を打った。これでしばらくは動ける」
「でも御堂は次の手を打ってきますよね」
「当たり前だ」剛造は言った。「しかし今日一日、時間が稼げた。通信インフラの契約を止める手を打つ」
「どうやって止めるんですか」
「藤堂を使う。藤堂にはまだ、一つだけ使っていない人脈がある」
「どんな人脈ですか」
剛造は立ち上がり、コートを羽織った。
「総務省だ」
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その朝、御堂慎一郎は報告を受けた。
「中村と鈴木が、朝刊より先に会見を開きました」
御堂の表情は変わらなかった。
しかし目の奥に、何かが揺れた。
「……先手を打たれたか」
「ネットで拡散しています。スキャンダルの効果が、半減以下になっています」
「そうか」
「申し訳ありません。情報の漏洩があったようで」
御堂はしばらく沈黙した。
「情報を流したのは、誰だ」
「調査中です」
「急げ」御堂は言った。「田島の周辺に、こちらの人間がいる。それが逆に利用された可能性がある」
側近は首をかしげた。「逆に、とは」
御堂は答えなかった。
窓の外を見た。
夜明けの東京。
田島剛造。あなたは、こちらの情報漏洩者を知っていて、逆に利用した。
御堂は静かに目を細めた。
「昭和の怪物め」
その声に、怒りではなく――かすかな、敬意が混じっていた。
「しかし」御堂は続けた。「通信インフラの契約は、今日中に完了させろ。総務省に圧力をかけろ。藤堂義雄が動く前に」
「藤堂が、ですか。なぜ藤堂を」
御堂は答えなかった。
ただ、静かに言った。
「田島剛造の次の一手は、藤堂を通じた総務省だ。田島はいつも、人を通じて動く。それが昭和からの癖だ」
側近は驚いた顔をした。「なぜそこまで」
「田島剛造の政治スタイルは、研究し尽くしている」御堂は静かに言った。「三十年かけて」
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