第11話 外資の罠
翌朝。
田島剛造は、いつもより早く起きていた。
美咲が起きてきたのは六時だった。リビングに出ると、剛造は机に向かっておらず、窓の前に立って外を見ていた。
「田島さん、珍しいですね。ノートじゃなくて窓の外を見てる」
「考えとった」
「何をですか」
剛造は振り返った。その目は、昨夜から続いている「遠くを見る目」のままだった。
「五郎の手紙に、一つ重要なことが書いてあった」
美咲は固まった。「……話してもらえますか」
「今日話す。その前に、ひとつ確認したいことがある」
「なんですか」
「アーク・キャピタルの日本法人の動きを、どこまで調べられた」
美咲は手帳を取り出した。「先週から調べてます。港湾三か所、農地が新潟を含む五県、水道事業が二市。それと」美咲は少し間を置いた。「通信インフラにも手を伸ばし始めています」
剛造の目が鋭くなった。「通信か」
「はい。地方の通信基地局の買収を、ダミー会社を通じて進めているようです。まだ表には出ていないです」
「それが五郎の手紙に書いてあったことと繋がる」
「どういうことですか」
剛造は椅子に座り、美咲を見た。
「五郎は死ぬ前に、ひとつの警告を残していた。『外資によるインフラ買収は、経済の問題じゃない。安全保障の問題だ。通信インフラを握られたら、有事の際に日本は動けなくなる』と」
美咲はペンを止めた。
「安全保障」
「港湾を握られたら、物資が入らない。農地を握られたら、食料が止まる。通信を握られたら、情報が遮断される。これは三点セットだ。経済侵略じゃなく、静かな軍事占領だ」
美咲の手が、震えた。
「……それ、記事にできますか」
「証拠を揃えてからだ」剛造は言った。「だが今日、その証拠を手に入れる手がかりができた」
「どこからですか」
「財務省の中堅官僚だ。若手議員の鈴木が繋いでくれた」
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午後、剛造と美咲は霞が関近くの喫茶店で、一人の男と会った。
財務省主計局の官僚、林田誠司。三十八歳。痩せた顔に、疲れた目をしていた。
「リスクを承知で来ました」と林田は言った。「鈴木先生から話を聞いて……このままではいけないと思って」
「何を持ってきた」と剛造は言った。
林田はカバンから、薄いUSBメモリを取り出した。
「アーク・キャピタルの日本法人への資金の流れです。表の帳簿と、裏の帳簿。御堂幹事長の資金管理団体との繋がりも含めて」
剛造はUSBを受け取った。
「命がけだな」
「そうかもしれません」林田は言った。「でも、このデータを持ったまま何もしない方が、もっと辛い」
「お前みたいな官僚が、財務省にはあと何人いる」
林田は少し考えた。「……私が知っている限り、五人はいます。みんな同じことを思っています。ただ、動けない」
「動けない理由は」
「御堂の目が怖い。動いたら潰されると思っている」
剛造は林田を見た。
「潰されることと、国が潰れることと、どちらが怖いか」
林田は息をのんだ。
「……国が潰れる方が、怖いです」
「なら動け。五人全員に伝えろ。俺が使う」
林田はしばらく剛造を見た。
それから、深く頭を下げた。
「……わかりました」
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喫茶店を出ると、美咲は剛造に言った。
「田島さん、あのUSBの中身、本物ですか」
「本物だ」
「なんでわかるんですか。見てもいないのに」
「林田の目だ」剛造は言った。「嘘をついている目じゃなかった。追い詰められた人間の目だった。ああいう目の人間が持ってくるものは、本物だ」
「目で判断するんですね、いつも」
「人間は目に出る。昭和から変わっていない」
美咲は手帳に書きながら歩いた。
「田島さん、さっき言っていた五郎の手紙の話、聞かせてもらえますか」
剛造は少し間を置いた。
「全部は話せない。ただ、一つだけ」
「はい」
「五郎は手紙の最後に、こう書いていた」剛造はゆっくり言った。「『田島さん、あなたに頼みたいことがひとつあります。私の孫・美咲を、最後まで傍に置いてください。あの子はあなたを守るために生まれてきたのではありません。あなたと一緒に、日本の未来を見るために生まれてきた。それが私の願いです』」
美咲の足が、止まった。
「……おじいちゃんが」
「ああ」
「私は道具じゃなかった」
「そうだ」
美咲は俯いた。
目の奥が、熱くなった。
「田島さん」
「なんだ」
「おじいちゃんに、お礼を言いたい」
「死んどるぞ」
「わかってます」美咲は笑った。目に涙が光っていた。「でも言いたいんです」
剛造は何も言わなかった。
ただ、前を向いて歩きながら、小さく言った。
「言えばいい。あいつには届く」
美咲は空を見上げた。
「おじいちゃん、ありがとう」
冬の空は、青かった。
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夕方、アパートに戻った剛造はUSBの中身を確認し始めた。
美咲がパソコンに繋ぎ、データを開く。
数字が並んでいた。
剛造は黙って画面を見た。五分、十分、十五分。
「……全部見えた」
「何がわかりましたか」
「御堂の資金の流れが、三層構造になっている」剛造は言った。「表の政治資金、裏のダミー会社、そして最深部にアーク・キャピタルとの直接口座がある。これを国会で暴露すれば、御堂は終わる」
「でも、国会で暴露するには議員が必要ですよね」
「中村誠を使う」
「中村さんに、このデータを渡すんですか」
「渡す。ただし」剛造は少し間を置いた。「タイミングを間違えると御堂に潰される。準備が必要だ」
「どんな準備ですか」
「まず、メディアを動かす。国会質問の前に世論を作る。世論が先にあれば、御堂も簡単には潰せない」
美咲は頷いた。「それが私の仕事ですね」
「ああ」
「わかりました」美咲はパソコンに向かった。「どこから書きますか」
「通信インフラだ。一番わかりやすい。国民の携帯電話の基地局が外資に買われようとしている。それだけで十分伝わる」
美咲はキーボードを叩き始めた。
剛造はその横で、次の手を考えた。
御堂を国会で追い詰める。
メディアを動かして世論を作る。
そしてデータを守る。
やることは、山積みだ。
しかし剛造は、焦らなかった。
「田島さん」と美咲は書きながら言った。
「なんだ」
「手紙の他の部分には、何が書いてありましたか」
剛造は少し間を置いた。
「……いつか話す」
「いつですか」
「時が来たらな」
美咲はため息をついた。「それ、何回聞いたかわからないですよ」
「政治家は、タイミングを選ぶものだ」
「私に対してまで政治しないでください」
剛造は小さく、口の端を曲げた。
「善処する」
美咲は笑いながら、また記事を書き続けた。
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その夜、御堂慎一郎は報告を受けた。
「財務省の林田誠司が、田島側に接触しました」
御堂の表情が、わずかに変わった。
「林田か。やはり動いたか」
「処分しますか」
御堂は少し考えた。
「するな」
「なぜですか」
「林田を処分したら、他の四人が一気に動く。火に油だ」御堂は言った。「泳がせておけ。ただし、何を渡したか把握しろ」
「わかりました」
「それと」御堂は続けた。「通信インフラの件は急げ。田島が気づいている。公になる前に、契約を完了させろ」
「あと二週間あれば」
「一週間でやれ」
側近は頷いた。
御堂は電話を切り、窓の外を見た。
夜の東京。
「田島剛造……」御堂はつぶやいた。「あなたは本当に、昭和の怪物だ」
御堂の目に、静かな敬意と、それ以上の警戒が宿った。
「だからこそ、早く終わらせなければならない」
御堂は引き出しを開けた。
「Project Legacy」の封筒。
そしてその下に、もう一枚の書類があった。
タイトルには「転写実行プロトコル」とある。
御堂はその書類を取り出し、一行目を読んだ。
転写実行には、転写元の意識データと、肉体の物理的確保が必要である。
「肉体の確保……」
御堂は書類を閉じた。
「急ぎましょう、田島さん。あなたの時間も、私の時間も、あまりない」
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