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亡国の宰相 〜昭和の豪腕政治家が蘇る〜  作者: けんけん


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第10話 白髪の老人

翌朝、美咲のスマホに一通のメッセージが届いた。


差出人は非通知。しかし文面は丁寧だった。


「桐島美咲さんへ。私はあなたの祖父・桐島五郎と長年共に働いた者です。五郎さんの遺品の中に、あなたと田島さんに渡すべきものがあります。今日の午後二時、新宿御苑近くの喫茶店『まきば』にお越しいただけますか。一人で来てください」


美咲はすぐに剛造に見せた。


「また一人で来いか」と剛造は言った。


「はい」


「今度も俺が先に入る」


「わかりました」美咲は少し間を置いた。「田島さん、この人、昨夜の男とは別人ですよね」


「文体が違う。昨夜の男は若かった。これは老人の書き方だ」


「白髪の老人、ですかね」


剛造は答えなかった。


ただ、コーヒーを一口飲み、窓の外を見た。


桐島五郎と長年共に働いた者。


いよいよ、核心に近づいてきた。


-----


新宿御苑近くの喫茶店「まきば」は、古い雑居ビルの地下にあった。


昭和の雰囲気が残る、落ち着いた店だ。木製のカウンター、レコードの音楽、コーヒーの香り。


美咲が入ると、奥のテーブルに老人が座っていた。


八十代だろうか。白髪で、細い体。しかし目だけが、異様に静かで深かった。


その目が美咲を見た瞬間、老人は静かに微笑んだ。


「美咲さん」老人は言った。「五郎さんに、よく似ていますね」


美咲は椅子に座った。「……あなたは」


「須藤と申します。須藤隆三」老人は言った。「かつて防衛省系の研究機関に勤めていました。桐島五郎の、三十年来の同僚です」


「須藤さん」


「はい」


「最初から、ずっとあなたが動かしていたんですか。謎の電話も、昨夜の男への指示も」


須藤は静かに頷いた。「そうです。すべて私が動かしていました」


美咲は須藤を見た。


昨夜の男は、「桐島博士の遺志の味方」と言っていた。


「あなたは」と美咲は言った。「なぜ今まで直接会いに来なかったんですか」


「確認が必要でした」須藤は言った。「田島さんが本当に安定しているか。あなたが傍にいることで、意識が保たれているか。そして――あなた自身が、この役目を受け入れられるかどうか」


「私が受け入れられるかどうか」


「五郎さんは言っていました。『美咲には選ばせたい。強制してはいけない』と」


美咲は目を伏せた。


「おじいちゃんらしいな」とつぶやいた。


そのとき、カウンターの奥から人影が現れた。


田島剛造だった。


コーヒーカップを持ち、静かに美咲の隣に座った。


須藤は剛造を見た。


驚かなかった。


「……田島さん」須藤は言った。「お会いできて光栄です。五郎さんからは、何度も話を聞いていました」


「須藤隆三か」剛造は言った。「お前が設計の実務を担当したのか」


「はい。五郎さんが理論を作り、私が実装しました」


「プロジェクト・レガシーの全容を話せ」


須藤は静かに頷いた。


-----


須藤の話は、一時間かかった。


プロジェクト・レガシーは、昭和五十年代に防衛省系研究機関の極秘プロジェクトとして始まった。


発端は単純な問いだった。


「国家の存亡をかけた危機に、最も優れた判断を下せる人間が不在だったら、どうするか」


桐島五郎はその問いに、一つの答えを出した。


優れた政治家の意識パターンを、脳波データとして記録・保存する。そして国家存亡の危機に、保存されたデータを適切な肉体に転写して「再起動」させる。


「転写される人間の同意は」と剛造は言った。


「……得ていません」須藤は言った。「田島さんが亡くなる直前、五郎さんが独断で記録しました。あなたには申し訳ないと思っています」


「謝罪はいい」剛造は言った。「続けろ」


「プロジェクトは昭和の末期に一度凍結されました。予算が切れたこと、そして政治的な介入があったからです」


「御堂の父か」


須藤は頷いた。「御堂正一氏がスポンサーとして資金を提供していました。しかし途中から、プロジェクトの目的を歪めようとし始めた。自分の意識を転写して権力を永続させようとした」


「それは今の御堂慎一郎と同じだな」


「そうです。息子は父の遺志を継いでいる」


「五郎はその介入を知っていたか」


「知っていました。だから五郎さんはデータを守るために、プロジェクトを表向き解散させ、データだけを秘密裏に保存しました」


剛造はしばらく黙っていた。


「令和に起動させたのは、誰の判断だ」


「私です」須藤は言った。「五郎さんが亡くなる前に、一つの条件を設定していました。『日本が静かに崩壊していると判断したとき、田島を起動せよ』と」


「その判断を、お前が下した」


「はい」須藤は静かに言った。「令和六年の今年、外資によるインフラ買収が臨界点に達しました。農地、港湾、水道、通信インフラ。このまま五年続けば、日本は形だけ残って中身のない国になる。私はその判断を下しました」


剛造は須藤を見た。


「……五郎が選んだ人間だけのことはある」


須藤は頭を下げた。


「田島さん、一つお渡ししたいものがあります」


須藤はカバンから、古びた封筒を取り出した。


「五郎さんから、田島さんへの手紙です。亡くなる前に預かりました。『田島が目を覚ましたら渡してくれ』と」


剛造は封筒を受け取った。


表に、古い字で「田島剛造殿」と書いてある。


桐島五郎の字だ。


剛造はしばらく封筒を見た。


「……後で読む」


「はい」


美咲は剛造の横顔を見た。


封筒を持つ手が、わずかに震えていた。


-----


「もう一つ」と須藤は言った。「御堂の動きについて、お伝えしたいことがあります」


「言え」


「御堂は、転写に必要な設備をすでに入手しています。あとは転写元のデータと、適切な肉体だけです」


「データはどこにある」


「二か所です。一つは私が持っている。もう一つは……」須藤は少し間を置いた。「田島さん、あなたの体の中にあります」


剛造の目が細くなった。


「どういうことだ」


「転写の際、元データの一部が転写先の体内に残ります。御堂はその残留データを抽出しようとしています。田島さんの体から直接、データを取り出そうとしている」


美咲は息をのんだ。


「それは……田島さんの体を」


「害することになります」須藤は静かに言った。「御堂が田島さんを政治的に潰すだけでなく、物理的に確保しようとしている理由はそこにあります」


剛造は腕を組んだ。


「わかった」


「田島さん、怖くないんですか」と美咲は言った。


「怖くない」


「また嘘をつきましたか」


剛造は少し間を置いた。


「……少し怖い」


美咲は小さく笑った。


「正直な人だ」と須藤も笑った。「五郎さんが言っていた通りです」


「五郎は俺のことを、どう言っとったんだ」


須藤は少し考えてから、答えた。


「『田島さんは嘘をつけない人だ。だから政治家として損をすることが多かった。しかし、だからこそ国民に愛された』と」


剛造は何も言わなかった。


ただ、テーブルの上の封筒を、静かに見た。


-----


喫茶店を出ると、冬の光が差していた。


三人は少しの間、新宿御苑の塀の前に立った。


「須藤さん」と美咲は言った。「これからどう動きますか」


「私にできることは限られています」須藤は言った。「データの保護と、情報の提供だけです。動くのは、田島さんとあなたたちです」


「御堂を止める方法はありますか」


「一つあります」須藤は言った。「御堂が転写を実行するには、私が持っているデータが必要です。そのデータを、御堂の手が届かない場所に移せば、計画は止まります」


「どこに移すんですか」


「それを考えるのが」須藤は剛造を見た。「田島さんの仕事です」


剛造は須藤を見た。


「お前、昭和の官僚みたいな言い方をするな」


「五郎さんと三十年一緒にいましたから」


「あいつも、そういう言い方をした」


「そうですか」須藤は微笑んだ。「光栄です」


剛造は小さく鼻を鳴らした。


それから真顔になり、須藤を見た。


「須藤」


「はい」


「お前は令和の日本を、どう思う」


須藤は少し考えてから、答えた。


「終わっていない、と思います」


「根拠は」


「美咲さんのような人間がいる。賢一さんのような政治家がいる。中村さんや鈴木さんのような若者がいる」須藤は言った。「そしてあなたが、戻ってきた」


剛造はその言葉を聞いた。


しばらく黙っていた。


「……そうだな」


剛造は封筒をコートのポケットにしまった。


「行くぞ、美咲」


「はい」


「須藤、また連絡する」


「お待ちしています」


二人は歩き始めた。


須藤はその背中を見送った。


五郎さん。

あなたが三十年かけて設計したものが、今、動いています。


あとは――田島さんを信じるだけです。


-----


その夜、美咲のアパートで。


剛造は一人、封筒を開けた。


中には、便箋が三枚入っていた。


古い万年筆の字で、丁寧に書かれていた。


剛造はそれを読んだ。


一行目から、最後まで。


読み終えると、剛造は便箋をゆっくりと折りたたんだ。


そして窓の外を見た。


令和の夜景。


「……わかった、五郎」


剛造は静かに言った。


「お前の気持ちは、受け取った」


その目が、かすかに光った。


何が書かれていたのか、美咲には聞こえなかった。


しかし翌朝、剛造の目が変わっていることに、美咲は気づいた。


いつも前だけを向いていた目が、少しだけ――遠くを見ていた。


まるで、昭和と令和の両方を同時に見ているような目だった。




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