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セーラー服を脱がせて  作者:
本編

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2/17

セーラー服を脱がせて side 駿太

 宮原みやはら結衣ゆいは、いつも俺の少しだけ斜め後ろを歩く。


 毎朝、玄関のドアを開けると、当たり前のように結衣がそこにいる。校則をきっちり守ったセーラー服姿。ピンと伸びた背筋。


 俺はわざと大股で歩いて、結衣が小走りで追いついてくる。その小さな歩幅の差が好きだった。


 昼休み、俺の机の周りには、いつの間にか人だかりができている。正直、誰が誰だかよくわからない。


 適当に相槌を打って、笑って。

 でも、俺の目はいつも、少し離れた席で静かに教科書を読んでいる結衣を探していた。


 他の女子みたいに馴れ馴れしくしてこない。その距離感が、俺を安心させ、同時にもどかしくさせた。


 結衣のセーラー服は、あいつを守る鎧なんだと思う。

 真面目で、少しだけ不器用で、本当はすごく優しい。そんな結衣の本体を、あの紺色の制服が守っている。俺は、その鎧ごと、結衣の全部が好きだった。


「結衣ー、これ、今日の分のプリント」

「あ、うん、ありがとう」


 俺はわざと女の子たちの輪を抜けて、結衣の席まで行く。それが、俺にできる唯一の意思表示だった。


「部活、今日長引くから、先に帰ってていいぞ」

「わかった。あんまり無理しないでね。はい、これ、あんたの分の麦茶」


 結衣が差し出す水筒。

 俺はそれを受け取ると、少しだけ反抗するように、結衣の頭をくしゃっと撫でた。


「わーってるって。世話焼きだな、お前は」


 本当は、世話を焼かれるのが嬉しいなんて、口が裂けても言えない。お前が俺のことを見てくれている、それだけで、俺はなんだって頑張れた。

 でも、その言葉はいつだって、「幼馴染」という便利な言葉に飲み込まれて消えていく。


 放課後、体育館の熱気の中でボールを追っていると、時々、視線を感じることがあった。図書室の窓。そこに、結衣の姿が見える時がある。


 その小さな人影を見つけるたびに、俺の心臓は馬鹿みたいに跳ね上がった。

 結衣が見てくれている。ただそれだけで、シュートの精度が格段に上がる気がした。


 でも、そんな俺の気持ちをかき乱す存在もいた。 マネージャーの、西野まどか先輩。


「東堂くん、お疲れ様!」


 休憩中、甲斐甲斐しくタオルやドリンクを渡してくる先輩に、俺はいつも曖昧に笑って会釈するだけだった。

 先輩の好意には気づいていたけど、応える気は全くない。むしろ、その積極的なアプローチが、図書室の窓から見ているかもしれない結衣の目にどう映るか、そればかりが気になって仕方がなかった。


 結衣は、きっと誤解している。俺が誰にでも優しいと。誰にでも笑顔を振りまいていると。


 違う。

 俺の本当の笑顔は、結衣の前でしか出てこないのに。


 このもどかしい関係を、どうにかして変えたい。でも、もし今の関係を壊してしまったら?  結衣が俺の前からいなくなってしまったら?  そう思うと、足がすくんで動けなくなる。


 夏休みを目前に控えた、ある日の放課後。 俺は決めていた。今日、結衣を夏祭りに誘う。二人きりで、と、ちゃんと言葉にして。


 部活を早めに切り上げて、教室に戻った。でも、まだ図書委員の仕事をしているのか、結衣の姿はなかった。


 あいつを待っているうちに、練習の疲れが一気に襲ってきて、俺は机に突っ伏したまま眠りに落ちてしまった。


 ふと、スマホの着信音で目が覚める。姉ちゃんからだった。


「……うん。ああ、そうなんだ。へえ、すごいじゃん」


 くだらない世間話に相槌を打ちながら、俺の頭は結衣のことでいっぱいだった。


 どうやって誘おうか。どんな顔で、言えばいいのか。


「夏祭りの日? ああ、うん。……楽しみにしてる」


 姉ちゃんが、夏祭りの日に、一人暮らし先から実家に戻って来るという。楽しみだ、と口では言いながら、俺が本当に楽しみにしているのは、結衣と行くつもりの夏祭りだった。


 電話を切ると、入り口に結衣が立っていた。

 泣きそうな顔で、俺を睨みつけている。


「おう。結衣、おつかれ。待ってた」

「え……?」

「一緒に帰ろうと思って」


 俺の言葉は、あいつの心に届かなかった。それどころか、結衣の瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちる。


「……なんでよ」


 その冷たい声に、俺は心臓を掴まれたような衝撃を受けた。


「なんで、待ってるのよ……。夏祭り、西野先輩と約束したんでしょ!? 先輩と帰ればいいじゃない! きっと、その方が楽しいでしょ!?」


 違う、と叫びたかった。

 でも、結衣の勢いは止まらない。


「もう、嫌なの!」


 結衣の叫びが、教室に響く。


「『いい子』でいるのも、『世話焼きな幼馴染』でいるのも、もう疲れた! 本当は、私も、あの子たちみたいになりたい! スカート短くして、駿太に『可愛い』って思われたい! でも、できないのよ、そんな勇気ないから……っ!」


 俺は、なんて馬鹿だったんだろう。結衣が、こんなにも苦しんでいたなんて。

俺の鈍感さが、あいつを追い詰めていたんだ。


「……馬鹿野郎」


 俺は一歩、また一歩と結衣に近づき、震えるその体を力強く抱きしめた。


 耳元で、俺はありったけの想いを込めて囁いた。


「俺が好きなのは、他の誰かみたいに着崩したお前じゃねえよ。毎朝、誰より早く来て勉強してて、俺の怪我に誰より先に気づいてくれて、きっちりセーラー服着てる……そんなお前が、ずっと、好きなんだよ」

「……え」


「さっきの電話は、姉ちゃんだよ。夏祭りの日、実家からこっちに来るから、楽しみにしてるって言ってただけだ。西野先輩の誘いは、断った。……お前と、二人で行きたかったから」

「……うそ」


「俺だって、怖かったんだ。部活しかねえ俺が、お前の隣にいていいのかって。お前が俺のこと、ただの世話が焼ける幼馴染としか思ってなかったらって……」


 顔を上げると、夕日を浴びた結衣の瞳から、綺麗な涙がまた溢れてくる。でも、それはさっきまでの悲しい涙とは違う、温かい涙だった。


「俺は、本当のお前が見たい。俺にしか見せない、結衣を」


 俺は結衣の唇に、自分の唇を重ねた。初めて触れた結衣の唇は、俺が思っていたよりもずっと柔らかくて、甘かった。

 長いキスが終わると、お互いの額をこつんと合わせたまま、どちらからともなく笑い合った。


「……好きだ、結衣」

「……私も、好きだよ、駿太」


 もう一度、今度は触れるだけの優しいキスをする。

 夕日が沈みきって、教室が薄闇に包まれる中、結衣が俺の瞳をまっすぐに見つめてきた。


「……ねえ、駿太」


 結衣は少しだけ勇気を出して、俺の制服の裾をきゅっと掴んだ。


「私の、このセーラー服を脱がせてくれる?」


 その言葉の意味を、俺はすぐに理解した。

 結衣がずっと着ていた、臆病な心の鎧を、俺に脱がしてほしいと、そう言っているんだ。たまらなく愛おしくて、胸が張り裂けそうになる。


 俺は何も言わずにこくりと頷くと、震える指で、結衣のセーラー服のスカーフにそっと触れた。

 その結び目を、ゆっくりと解いていく。


 するり、と紺色の布が首元から離れ、結衣の白い喉が露わになった。


 俺は、そこで動きを止めた。


 自分の顔に、一気に熱が集まるのがわかる。

 これ以上は、ダメだ。今、ここでじゃない。


「……残りは、また今度な」


 耳元でそう囁くと、俺は顔を真っ赤にしながら、もう一度、今度はさっきよりもずっと強く結衣を抱きしめた。

 腕の中で、結衣が小さく頷くのがわかった。


 スカーフを解かれただけのセーラー服。二人だけの教室で始まった、新しい物語。その最初のページの、甘い余韻に浸っていた。




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