完璧なデートプラン
「結衣が行きたいところに行こう」
口ではそう言ったものの、俺の頭の中はバスケの作戦会議よりもずっと複雑なことで埋め尽くされていた。
――ちゃんとしたデート。
その言葉の重圧が、ずしりと肩にのしかかる。
夜、自分の部屋で、俺はスマホと睨めっこしていた。
雑誌のデート特集、ネットの口コミサイト。
どこに行けば、結衣は喜んでくれるだろうか。
あいつ、普段あまり自分のしたいこととか言わないから、好みが全然わからねえ。
ロマンチックな場所……水族館、とかか?
画面に映し出された、青く光る大きな水槽の写真。
これなら、涼しいし、天気も関係ない。
それに、暗い場所なら……自然に、手を繋いだりできるかもしれない。
俺は、一人で顔を真っ赤にしながら、当日のシミュレーションを何度も繰り返した。
待ち合わせの時間、電車の乗り換え、昼飯の場所、そして……その後のことまで。
完璧なエスコートをして、結衣を絶対に楽しませる。
それが、彼氏になった俺の、最初の使命だった。
そして、デート当日。
駅の改札前で結衣を待つ数分間が、試合開始のブザーを待つよりもずっと長く感じた。
何度もスマホで時間を確認しては、ガラスに映る自分の服装をチェックする。
白いTシャツに黒いパンツ。これで、変じゃないだろうか。
「ご、ごめん、待った?」
振り返ると、そこに立っていたのは、俺が今まで見た中で、一番綺麗な宮原結衣だった。
ふわりと揺れる、水色のワンピースを着ている。
いつもより少しだけ大人びて見えるその姿に、心臓を鷲掴みにされたみたいに、息が止まる。
練習してきたはずの気の利いたセリフは、全部どこかへ吹き飛んでしまった。
「んーん、今来たとこ。……その服、すげえ似合ってんじゃん」
俺は、なんとかそれだけを口にした。
結衣が、はにかむように笑う。
その笑顔だけで、昨日の夜、必死で計画を立てた苦労が、全部報われた気がした。
水族館の中に足を踏み入れると、結衣は「わぁ……」と小さな声を上げて、目を輝かせた。
その表情を見て、俺は心の中でガッツポーズをした。
ここを選んで、正解だった。
「うわ、すげえ……」
俺は、結衣以上に、子供みたいにはしゃいでしまったかもしれない。
でも、格好つけることなんて、どうでもよくなっていた。
結衣が、楽しそうに笑ってくれている。
ただそれだけで、俺も心の底から楽しかった。
一番奥にあった、クラゲの展示室。
薄暗い空間で、俺は計画通り、結衣の手をそっと握った。
びくり、と震えるその小さな手。その反応が、たまらなく愛おしい。
俺たちは、どちらからともなく、一番大きな水槽の前に置かれたベンチに腰掛けた。
巨大なジンベイザメが、ゆったりと目の前を横切っていく。
水槽から漏れる青い光が、結衣の綺麗な横顔を照らし出していた。
「……なあ、結衣」
「ん?」
「なんか、変な感じだな」
「なにが?」
「いや……こうやって、二人でどっか出かけるの。今までも、当たり前だったけどさ。全然、違うっていうか」
俺は、繋いだ手に、きゅっと力を込めた。
「すげえ、どきどきする。結衣が、俺の彼女なんだなって思うと」
その、あまりにもまっすぐな言葉に、結衣の瞳が潤んだのがわかった。
「……私も、同じだよ」
その言葉に、俺は満足して笑った。
そして、計画の最終段階。
水槽の光に照らされながら、ゆっくりと顔を近づける。
周りの喧騒が、遠くに聞こえる。
世界に、俺たち二人だけしかいないみたいだ。
そっと重なった唇は、俺が思っていたよりもずっと柔らかくて、甘かった。
水族館を出ると、外はもう綺麗な夕焼けに染まっていた。
俺たちは、どちらからともなく、また手を繋ぐ。
「楽しかったな」
「うん、すごく楽しかった」
結衣は、心の底から嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見て、俺は最後の計画を実行する覚悟を決めた。
家の近くまで来たところで、俺はわざと足を止めた。
「なあ、結衣」
「どうしたの?」
俺は、ごくりと喉を鳴らすと、少しだけ真剣な声で言った。
「今日、うちの親、二人ともいねえんだ。だから……」
俺は、繋いだ手に力を込めて、結衣の瞳をまっすぐに見つめた。
「……寄って、かねえ?」
俺の言葉の意味を、結衣はすぐに理解したみたいだった。
その顔が、夕焼けよりもずっと赤く染まっていく。
結衣は、しばらく俯いて黙っていたけど、やがて、俺の手をぎゅっと握り返すと、蚊の鳴くような声で、でもはっきりと、こう言った。
「……うん」
完璧なデートプラン。
その最後の仕上げは、これからだ。
俺は結衣の手を引いて、自分の家の玄関のドアを開けた。