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セーラー服を脱がせて  作者:
本編

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1/17

セーラー服を脱がせて

 東堂とうどう駿太しゅんたの周りには、いつも誰かがいる。


 毎朝、鏡の前で私は自分の姿をチェックする。校則で決められた長さのスカート。きちんと結ばれたスカーフ。染めていない黒髪。

 宮原みやはら結衣ゆいという人間は、この寸分の隙もないセーラー服によって構成されている。

 それは私を守る鎧であり、同時に、がんじがらめの窮屈な檻でもあった。


 昼休み、駿太の机は、まるでカフェテラスみたいに賑やかだった。きらきらした女の子たちが集まって、楽しそうに笑い合っている。


 短くしたスカートから伸びる綺麗な足。緩められたリボン。手首で揺れるお揃いのシュシュ。

 そのどれもが、私には眩しすぎた。


 彼女たちは、いとも簡単に駿太の肩を叩いたり、腕に触れたりする。そのたびに、私の心臓は針で刺されたみたいに痛んだ。


 私は少し離れた自分の席で、教科書に目を落とすふりをしながら、その光景を盗み見る。

 私のセーラー服は、校則通り。それが、私という人間の鎧であり、同時に、越えられない壁のようにも感じていた。


「結衣ー、これ、今日の分のプリント」

「あ、うん、ありがとう」


 駿太がひらひらとプリントを手に、私の席までやってくる。


 女の子たちの輪から抜け出して、私の前に立つ駿太は、ただの「幼馴染」の顔をしていた。そのことに、少しだけ安心して、同時に絶望的な気持ちになる。


「部活、今日長引くから、先に帰ってていいぞ」

「わかった。あんまり無理しないでね。はい、これ、あんたの分の麦茶」


 私は水筒を差し出す。

 駿太は「サンキュ」とそれを受け取ると、私の頭をくしゃっと撫でた。


「わーってるって。世話焼きだな、お前は」


 その優しい手つきも、声も、私だけのものではない。駿太はまた太陽の輪の中へと戻っていく。その背中を見送りながら、胸の奥がちくりと痛んだ。


 世話焼きな幼馴染。駿太にとって、私はそれ以上でも、それ以下でもない。

便利な、お母さん代わりの存在。


 放課後、バスケ部の練習を見に行くのが、私の密かな習慣だった。図書室の窓からなら、体育館がよく見える。

 汗を流す駿太の姿は、教室にいる時よりもずっと格好良くて。目で追っているだけで心臓がうるさくなる。


 ユニフォームから伸びる逞しい腕。真剣な眼差し。仲間と交わす笑顔。

 私の知らない駿太が、そこにいた。



 でも、そこにはいつも、あの人がいた。 マネージャーの、西野にしのまどか先輩。

 タオルを渡したり。ドリンクを作ってあげたり。その距離の近さが、私を不安にさせる。


 駿太が先輩に向ける笑顔は、私に見せるものとは少し違う、男の子の顔をしていた。

 あの人の前では、駿太もただの後輩で、一人の男の子なんだ。私みたいに、世話を焼かれるだけの幼馴染じゃない。

 嫉妬で胸が焼けそうになる。私だって、駿太の力になりたい。


 でも、私には何もない。バスケのルールもよく知らない。先輩みたいに誰にでも気さくに話しかけることもできない。

 私にできるのは、駿太が忘れた体操着を届けたり、夜遅くまで勉強を教えてあげたり。そういう「お母さん」みたいなことだけ。


 そんな私のこと、駿太が好きになってくれるはずなんて、ない。諦めに似たため息が、静かな図書室に落ちた。



 夏休みを目前に控えた、ある日の放課後。 図書委員の仕事を終えて自分の教室へと向かう廊下は、しんと静まり返っていた。


 遅くなってしまった。下校時刻はとっくに過ぎている。ほとんどの生徒はもう帰宅していて、静けさが周囲を支配していた。


 夕暮れの教室に戻ると、そこに駿太がいた。一人で、窓の外をぼんやりと眺めている。その手にはスマホが握られていて、誰かと話しているようだった。


「……うん。ああ、そうなんだ。へえ、すごいじゃん」


 楽しそうな、弾んだ声。私の前ではあまり聞かない種類の声色だ。

 きっと、電話の相手は……。


「夏祭りの日? ああ、うん。……楽しみにしてる」


 その言葉が、私の心臓に突き刺さった。


――夏祭り。


 西野先輩が、誘っていたんだろうか。楽しみにしてる、なんて。

 私の淡い恋心は、音を立てて砕け散った。


 駿太が電話を切り、こちらに気づいて振り返る。そして、いつもの屈託のない笑顔で言った。


「おう。結衣、おつかれ。待ってた」

「え……?」

「一緒に帰ろうと思って」


 その、あまりにも当たり前のような一言が、私の心のダムを、いとも簡単に決壊させた。

 砕け散ったはずの期待のかけらが、鋭い刃物になって心を傷つける。積もり積もった憧れも、嫉妬も、諦めも、全部が濁流になって溢れ出した。


「……なんでよ」


 自分でも驚くほど、冷たい声が出た。ぽろり、と涙が一粒、頬を伝う。


「なんで、待ってるのよ……。夏祭り、西野先輩と約束したんでしょ!? 先輩と帰ればいいじゃない! きっと、その方が楽しいでしょ!?」


 駿太が、驚いた顔で立ち上がる。


「結衣、どうしたんだよ、急に……電話、聞いてたのか? あれは、」

「もう、嫌なの!」


 私は叫んでいた。駿太の言い訳なんて、聞きたくなかった。


「『いい子』でいるのも、『世話焼きな幼馴染』でいるのも、もう疲れた! 本当は、私も、あの子たちみたいになりたい! スカート短くして、駿太に『可愛い』って思われたい! でも、できないのよ、そんな勇気ないから……っ!」


 駿太は何も言わず、ただまっすぐに私を見つめていた。


 その瞳から、逃げ出したかった。でも、足は床に縫付けられたように動かない。


「……馬鹿野郎」


 駿太は一歩、また一歩と私に近づき、私の目の前で立ち止まると、力強い腕で、私の体を抱きしめた。

 耳元で、駿太の掠れた声がする。


「俺が好きなのは、他の誰かみたいに着崩したお前じゃねえよ。毎朝、誰より早く来て勉強してて、俺の怪我に誰より先に気づいてくれて、きっちりセーラー服着てる……そんなお前が、ずっと、好きなんだよ」

「……え」


「さっきの電話は、姉ちゃんだよ。夏祭りの日、実家からこっちに来るから、楽しみにしてるって言ってただけだ。西野先輩の誘いは、断った。……お前と、二人で行きたかったから」

「……うそ」


「俺だって、怖かったんだ。部活しかねえ俺が、お前の隣にいていいのかって。お前が俺のこと、ただの世話が焼ける幼馴染としか思ってなかったらって……」


 顔を上げると、夕日を浴びて、駿太の瞳が潤んでいるように見えた。信じられない言葉の数々に、涙がまた溢れてくる。


「俺は、本当のお前が見たい。俺にしか見せない、結衣を」


 駿太の顔が近づいてくる。

 私は、そっと目を閉じた。

 唇に触れたのは、今まで知らなかった、熱くて、少しだけ強引な駿太のキスだった。


 長いキスが終わると、お互いの額をこつんと合わせたまま、どちらからともなく笑い合った。

 今までずっと言えなかった想いが、やっと通じ合った。


「……好きだ、結衣」

「……私も、好きだよ、駿太」


 もう一度、今度は触れるだけの優しいキスをする。


 夕日が沈みきって、教室が薄闇に包まれる中、私は駿太の瞳をまっすぐに見つめた。もう、鎧はいらない。


「……ねえ、駿太」


 私は少しだけ勇気を出して、彼の制服の裾をきゅっと掴んだ。


「私の、このセーラー服を脱がせてくれる?」


 それは、新しい関係の始まりを告げる、私からのお願い。

 駿太は一瞬だけ驚いたように目を見開いたけど、すぐにたまらなく愛おしそうな顔で微笑むと、何も言わずにこくりと頷いた。


 その大きな手が、私のセーラー服のスカーフに、そっと触れる。

 

 カタン、と椅子が倒れる小さな音だけが、静寂に響いていた。




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