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セーラー服を脱がせて

東堂とうどう駿太しゅんたの周りには、いつも誰かがいる。


毎朝、鏡の前で私は自分の姿をチェックする。

校則で決められた長さのスカート。

きちんと結ばれたスカーフ。

染めていない黒髪。


宮原みやはら結衣ゆいという人間は、この寸分の隙もないセーラー服によって構成されている。

それは私を守る鎧であり、同時に、がんじがらめの窮屈な檻でもあった。


昼休み、駿太の机は、まるでカフェテラスみたいに賑やかだった。

きらきらした女の子たちが集まって、楽しそうに笑い合っている。


短くしたスカートから伸びる綺麗な足。

緩められたリボン。

手首で揺れるお揃いのシュシュ。

そのどれもが、私には眩しすぎた。


彼女たちは、いとも簡単に駿太の肩を叩いたり、腕に触れたりする。

そのたびに、私の心臓は針で刺されたみたいに痛んだ。


私は少し離れた自分の席で、教科書に目を落とすふりをしながら、その光景を盗み見る。


私のセーラー服は、校則通り。

それが、私という人間の鎧であり、同時に、越えられない壁のようにも感じていた。


「結衣ー、これ、今日の分のプリント」

「あ、うん、ありがとう」


駿太がひらひらとプリントを手に、私の席までやってくる。


女の子たちの輪から抜け出して、私の前に立つ駿太は、ただの「幼馴染」の顔をしていた。

そのことに、少しだけ安心して、同時に絶望的な気持ちになる。


「部活、今日長引くから、先に帰ってていいぞ」

「わかった。あんまり無理しないでね。はい、これ、あんたの分の麦茶」


私は水筒を差し出す。

駿太は「サンキュ」とそれを受け取ると、私の頭をくしゃっと撫でた。


「わーってるって。世話焼きだな、お前は」


その優しい手つきも、声も、私だけのものではない。


駿太はまた太陽の輪の中へと戻っていく。

その背中を見送りながら、胸の奥がちくりと痛んだ。


世話焼きな幼馴染。

駿太にとって、私はそれ以上でも、それ以下でもない。

便利な、お母さん代わりの存在。


放課後、バスケ部の練習を見に行くのが、私の密かな習慣だった。

図書室の窓からなら、体育館がよく見える。

汗を流す駿太の姿は、教室にいる時よりもずっと格好良くて。

目で追っているだけで心臓がうるさくなる。


ユニフォームから伸びる逞しい腕。

真剣な眼差し。

仲間と交わす笑顔。

私の知らない駿太が、そこにいた。



でも、そこにはいつも、あの人がいた。


マネージャーの、西野にしのまどか先輩。


タオルを渡したり。

ドリンクを作ってあげたり。

その距離の近さが、私を不安にさせる。


駿太が先輩に向ける笑顔は、私に見せるものとは少し違う、男の子の顔をしていた。

あの人の前では、駿太もただの後輩で、一人の男の子なんだ。

私みたいに、世話を焼かれるだけの幼馴染じゃない。


嫉妬で胸が焼けそうになる。

私だって、駿太の力になりたい。


でも、私には何もない。

バスケのルールもよく知らない。

先輩みたいに誰にでも気さくに話しかけることもできない。


私にできるのは、駿太が忘れた体操着を届けたり、夜遅くまで勉強を教えてあげたり。

そういう「お母さん」みたいなことだけ。


そんな私のこと、駿太が好きになってくれるはずなんて、ない。

諦めに似たため息が、静かな図書室に落ちた。



夏休みを目前に控えた、ある日の放課後。

図書委員の仕事を終えて自分の教室へと向かう廊下は、しんと静まり返っていた。


遅くなってしまった。

下校時刻はとっくに過ぎている。

ほとんどの生徒はもう帰宅していて、静けさが周囲を支配していた。


夕暮れの教室に戻ると、そこに駿太がいた。

一人で、窓の外をぼんやりと眺めている。

その手にはスマホが握られていて、誰かと話しているようだった。


「……うん。ああ、そうなんだ。へえ、すごいじゃん」


楽しそうな、弾んだ声。

私の前ではあまり聞かない種類の声色だ。

きっと、電話の相手は……。


「夏祭りの日? ああ、うん。……楽しみにしてる」


その言葉が、私の心臓に突き刺さった。


夏祭り。

西野先輩が、誘っていたんだろうか。

楽しみにしてる、なんて。

私の淡い恋心は、音を立てて砕け散った。


駿太が電話を切り、こちらに気づいて振り返る。

そして、いつもの屈託のない笑顔で言った。


「おう。結衣、おつかれ。待ってた」

「え……?」

「一緒に帰ろうと思って」


その、あまりにも当たり前のような一言が、私の心のダムを、いとも簡単に決壊させた。


砕け散ったはずの期待のかけらが、鋭い刃物になって心を傷つける。


積もり積もった憧れも、嫉妬も、諦めも、全部が濁流になって溢れ出した。


「……なんでよ」


自分でも驚くほど、冷たい声が出た。

ぽろり、と涙が一粒、頬を伝う。


「なんで、待ってるのよ……。夏祭り、西野先輩と約束したんでしょ!? 先輩と帰ればいいじゃない! きっと、その方が楽しいでしょ!?」


駿太が、驚いた顔で立ち上がる。


「結衣、どうしたんだよ、急に……電話、聞いてたのか? あれは、」

「もう、嫌なの!」


私は叫んでいた。

駿太の言い訳なんて、聞きたくなかった。


「『いい子』でいるのも、『世話焼きな幼馴染』でいるのも、もう疲れた! 本当は、私も、あの子たちみたいになりたい! スカート短くして、駿太に『可愛い』って思われたい! でも、できないのよ、そんな勇気ないから……っ!」


駿太は何も言わず、ただまっすぐに私を見つめていた。


その瞳から、逃げ出したかった。

でも、足は床に縫付けられたように動かない。


「……馬鹿野郎」


駿太は一歩、また一歩と私に近づき、私の目の前で立ち止まると、力強い腕で、私の体を抱きしめた。


耳元で、駿太の掠れた声がする。


「俺が好きなのは、他の誰かみたいに着崩したお前じゃねえよ。毎朝、誰より早く来て勉強してて、俺の怪我に誰より先に気づいてくれて、きっちりセーラー服着てる……そんなお前が、ずっと、好きなんだよ」

「……え」


「さっきの電話は、姉ちゃんだよ。夏祭りの日、実家からこっちに来るから、楽しみにしてるって言ってただけだ。西野先輩の誘いは、断った。……お前と、二人で行きたかったから」

「……うそ」


「俺だって、怖かったんだ。部活しかねえ俺が、お前の隣にいていいのかって。お前が俺のこと、ただの世話が焼ける幼馴染としか思ってなかったらって……」


顔を上げると、夕日を浴びて、駿太の瞳が潤んでいるように見えた。

信じられない言葉の数々に、涙がまた溢れてくる。


「俺は、本当のお前が見たい。俺にしか見せない、結衣を」


駿太の顔が近づいてくる。

私は、そっと目を閉じた。

唇に触れたのは、今まで知らなかった、熱くて、少しだけ強引な駿太のキスだった。


長いキスが終わると、お互いの額をこつんと合わせたまま、どちらからともなく笑い合った。


今までずっと言えなかった想いが、やっと通じ合った。


「……好きだ、結衣」

「……私も、好きだよ、駿太」


もう一度、今度は触れるだけの優しいキスをする。


夕日が沈みきって、教室が薄闇に包まれる中、私は駿太の瞳をまっすぐに見つめた。

もう、鎧はいらない。


「……ねえ、駿太」


私は少しだけ勇気を出して、彼の制服の裾をきゅっと掴んだ。


「私の、このセーラー服を脱がせてくれる?」


それは、新しい関係の始まりを告げる、私からのお願い。

駿太は一瞬だけ驚いたように目を見開いたけど、すぐにたまらなく愛おしそうな顔で微笑むと、何も言わずにこくりと頷いた。


その大きな手が、私のセーラー服のスカーフに、そっと触れる。

カタン、と椅子が倒れる小さな音だけが、静寂に響いていた。






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