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刺客を次々送り込んだ

作者: 吉田ルネ



「すまないな」

「ごめんねぇ」

 おかしいな。目の前にいるのはわたしのカレシのはずなんだけど。アリスは首をかしげた。しかもランチタイムの食堂である。

 学園の。

 大賑わいの。

 今アリスの目前にすわっているのは、カレシのトーマスと幼なじみのカーラである。どうしてその2人がならんですわっているのか。どうしてぴったりとくっ付いているのか。その上、手をつないでいるのはどうしてか。

 やっぱり訳が分からなくて、アリスはさらに首をかしげた。このままでは、肩に頭がくっついてしまう。


 だまったままのアリスにしびれを切らしたのか、アリスの首を心配したのか、トーマスはイライラと言い放った。

「だからさー、おれはカーラと付き合うことになったから、おまえとは別れるんだ!」

「えっ!?」

 アリスははじめて声を出した。首の心配じゃなかった。

「ごめんねぇ」

 カーラは上目遣いに目をぱちぱちと瞬いた。あ、あざとい。……ちっとも謝られている気がしない。


 制服は置いといて、アリスと同じハーフアップのヘアスタイルに同じような紺のベルベットのリボン。ごていねいにリボンの幅まで同じ。同じ靴下。同じ靴。同じハンカチ。ここにはないけれど、きっとカバンも似ているはず。なぜか背格好まで似ている。

 髪の色まで同じだったら、後ろ姿はそっくりそのまま。区別がつかないだろう。

 よかった、髪の色が違って。アリスは地味なブラウン。カーラはブロンド。ブロンドにはあこがれるが、カーラと違うなら地味なブラウンでもかまわない。

「だってトーマスがわたしのほうがいいって言うんだもの、仕方がないわよねぇ。アリス、わかってくれるでしょう?」

 いや、わかんねぇわ。

 ああ、そっか。またやられたのか。アリスは自分の迂闊さにやっと気づいた。


 この自分に似た身なりのカーラにカレシを盗られたのは、2回目だ。1回目は半年前。一学年上のチャーリーとなんだかんだで仲良くなり、告白されて付き合うことになったのだが。

 それを嗅ぎつけたカーラが、ぜひ紹介してくれとしつこく頼んでくるから、しかたなく! 気乗りはまったくしなかったのだが、しかたなく紹介したらば! その1週間後には今と同じ状態になったのだった。

 そのときもカーラはやっぱり、目をぱちぱちと瞬いて「ごめんねぇ」と言ったのだった。


「チャーリーはどうしたの」

「はじめはよかったんだけどねぇ、ちょっと気が合わなくってぇ、別れちゃった、うふ」

 はあ? 「うふ」ってなんだ。人のカレシ盗っておいて。

 そういえばトーマスも、カーラに押し切られて紹介したんだった。

 なんだ、2回も同じ手に引っかかったのか。バカだな、わたし。




 カーラはいわゆる幼なじみだ。ご近所同士。アリスもカーラも貴族とはいっても下っ端なので、それほどしつけに厳しくない。最低限のマナーは教わるけれど、割と自由に育てられた。親も子どもも行き来自由。

 アリスはカーラがあまり好きじゃなかった。小さいころからずっとカーラには絡まれている。アリスの持ち物にとにかく興味を示す。

「それ、かわいいわね」

 それで済めばいいのだが

「わたしも欲しいな」

「えっ?」

「だって、アリスはほかにもかわいいリボンを持っているじゃない。わたしは持っていないもの。ひとつくらいくれてもいいじゃないの」

 と言い出すようになった。どんな理屈だ。


 はじめは大したものじゃなかった。部屋に飾っていたお花や庭で拾ったきれいな小石とか鳥の羽とか。母のマネをして、ひもを使ってネックレスに見立てたものや、髪飾りに仕立てたものとか。

 もとはガラクタだから、気軽にあげていた。だから調子に乗ったのか、プレゼントの箱についていたきれいなリボンとか造花もほしいと言い出した。さすがに渋った。だって、かわいいから取っておいたのに、なぜあげなくちゃいけないのだ。わたしだって気に入っているし。


 そう言ったらカーラはあろうことか、アリスの母にチクった。しかも「意地悪をする」とか「仲間はずれにした」とか、あることないこと言いつけたのだ。結果アリスは母に叱られた。

「それくらい、あげなさい。かわりにこっちをあげるから」

 いいや、これがかわいいのだ。結局カーラはアリスの母を味方につけ、目的のものを手に入れる。新品の服をちょうだいと言ったときには、さすがに母に言いつけた。

「これはアリスが気に入って買ったものだから、あげられないの。ごめんなさいね」

 母はそう言って断ったのだが、いや、なんであやまる。アリスは不愉快だった。悪いのはねだったカーラで、断ったわたしは悪くないはず。

「言葉の綾よ」

 母は言ったが、子どものアリスにはわからなかった。


 略奪に失敗したカーラは、それからアリスのマネをするようになった。ヘアスタイルに始まって、服や靴、バッグにハンカチやブローチなどの小物類に至るまで、アリスが新調した翌日にはもうカーラが身に着けている。

 もうどっちが先なのか、わからない。挙句に「あらやだ、またわたしと同じのを買ったの?」なんてまるで、カーラの方が先に買ったみたいに言う。

 さすがに母親もカーラには眉を顰めるようになった。わかってくれてよかった。


 学園に入学したのを機に、うまいこと距離を取っていたのだけれど、とうとう初めてのカレシを略奪されたのだった。


「また、やられたの!?」

「そうなの」

「呆れた女だわね」

「もう、がっかり」

 学園の帰り道、アリスは親しいシンシアとジュリアをカフェに誘った。誰かに話を聞いてもらわないと、とてもじゃないが耐えられない。上級貴族のみなさまは馬車での送迎が当たり前だが、下っ端貴族のアリスたちはそんなものなんてあるわけなく、徒歩で通学している。よって、寄り道もし放題。カフェでティータイムとか雑貨屋でお買い物とか。

 そういうときは、下っ端貴族でよかったと思う。


 ミルクティーとカップケーキを前に、アリスの嘆きが始まった。

「どうしてあんなのに、コロッと引っかかるのかしら」

「ほんとよねー。アレのどこがいいのかしら」

「あのわざとらしさに気づかないのが不思議よね」

 わいわい、きゃいきゃい、カーラへのバッシングが止まらない。カーラはほかの女子にも嫌われているのだ。

 ただアリスにとっては、この行先不明の会話が心地いい。結論なんてどうでもいいのだ。ぐだぐだとカーラとトーマスの悪口を言っているだけで、ささくれた気持ちが穏やかになっていく。

 ありがたい。きっと家に帰るころにはだいぶすっきりしているはず。もしかしたら、ベッドの中で泣かなくてもすむかもしれない。


「カーラはほんとうにトーマスが好きなのかしら?」

 そんな疑問を口にしたのはシンシアだ。当然の疑問だ。チャーリーだって好きになったと言って略奪したのに、すぐに別れたんだから。

「あの子はわたしの持ち物が欲しいだけなのよ。昔っからそうだったもの」

 アリスが答える。

「そうよね。ヘアスタイルからペンまで全部同じだものね。そんなにアリスが好きなのかしら」

「まさか」


 アリスは指についたカップケーキのブルーベリーをぺろりと舐めた。

「たまたま目に入ったものが欲しくなったんでしょう?」

「それこそ、まさかよ」

 今度はジュリアが言った。

「あの子、アリスになりたいのよ。そうじゃなけりゃ、あんなにアリスのマネをするわけがないもの」

「そうそう」

 シンシアも同調する。

「あらそう? 単純に欲しかったわけじゃないの?」

「ちがうわよ」

 シンシアとジュリアが同時に言った。

「ええー」

 ……気持ち悪い。アリスは思ってしまった。マウント取りたいのはわかっていたけれど、その裏にそんな気持ちが隠されていたとは。そんなに執着されると怖いんですけど。


「あっ!」

 シンシアがなにかを思いついた。

「当て馬よ!」

 勝ち誇ったようにシンシアはこぶしを突き上げた。

「当て馬?」

 アリスとジュリアは同時に首をかしげた。


「そう! 当て馬! 誰か適当に見繕った男子を仕込むのよ。アリスと仲良くして、それでまたカーラが略奪するのならそういうことでしょう? 2,3人試してみましょうよ。そうすれば確率が上がるわ」

「ええー、なんでわたしがそんなことを……」

 なるべくならカーラにかかわりたくないのだが。

「それでカーラが気づいたら笑ってやればいいのよ。そうしたら、もうやらなくなるんじゃないの?」

 ……そんなにうまくいくかなぁ。

「そもそも、仕込みって誰よ。誰かに頼むの? それとも仲良くなったふりをしてだますの?」

「まさか、そんな鬼畜なことはしないわよ。もちろん事情を話して頼むのよ」

「そんなの、まともな人は請け合わないわよ」

「まともじゃない人に頼めばいいでしょ」

 ……そんな人いるかなぁ。

「いるじゃないの、もってこいの人たちが!」

「はっ!? もしやチームチャラ男」

「そう! それよ! ぴったりじゃない」


 チームチャラ男。

 それは同じクラスの男子3人組である。

 学園のクラスは階級によって分けられる。つまり上級貴族のクラスと下級貴族のクラス。はっきりと線引きされている。

 アリスたち3人は子爵家の娘だから下級クラス。

 その下級クラスにいる、ダニエル、ザカリー、マイケルのウェイウェイした3人を人々は「チームチャラ男」と呼ぶ。誰それと付き合っているとか、別れたとかの浮いた話もひとつやふたつではない。三つや四つや五つや六つ。その相手は学園の中には収まらず、街の女給や売り子、果ては既婚のご夫人にまで及ぶ。という噂だ。

 あまりにも突飛すぎてアリスには理解できない。いったいどこまでがホントなのやら。


 まあそんな彼らだから、学園の中でも目立つことこの上ない。たしかに3人とも見た目はよろしい。背も高いし、騎士団への入団を目指しているらしく、鍛えてもいるから体つきも非常によろしい。

 髪もちょっと乱れ気味(本人たち曰く無造作ヘア)で、首元のタイもゆるめ。隙間からちらりとゴールドの細いチェーンが見えたりする。噂によると肩にはバラのタトゥーが入っているとかいないとか。先生には服装の乱れを指摘されるのだが、そんなのはおかまいなし。

 

 上級クラスの男子のように近寄りがたい雰囲気もなく、気さくに声をかけられる感じ。逆に気さくにあいさつもされる。軽口もたたける。ちょっとくらい失礼があっても、笑ってゆるされる感じ。

 まあ、庶民の女の子とも仲良くするのだから、そうなんだろう。

 そんなチャラさに眉をひそめつつも、目で追ってしまうカッコよさは否めない。ちょっと悔しい。負けた気がする。


「ヤツらなら、うってつけじゃない。喜んで引き受けてくれるんじゃないかしら?」

 喜んで引き受けたら、それはそれでどうかと思うが、鬼畜な仕込みも頼めそうではある。

「あっ、ほらあ」

 シンシアが窓の外を指さした。なんというタイミング。件の彼らが3人そろって道路の向こう側を歩いていた。

「これは、ご神託よ」

「あらあら」

 良くも悪くも人目を惹くヤツらだ。庶民の女の子からは熱いまなざしを集め、大人の紳士淑女からはひんしゅくを買う。が彼らはそれをはねつけるように堂々と歩いていく。

 あそこまで「ゴーイングマイウェイ」を貫けるのはすごいな。

「ほら! 行くわよ!」

 シンシアが立ちあがった。

「えっ? 行くの?」

「もちろんよ!」

 マジですかー。


 急いでお会計をして、お店を飛び出して彼らを追いかけた。こんなにバタバタと歩いたら、親や先生に叱られるなー、と思いながらアリスは速足で歩いた。ぎりぎり走る手前。

 チームチャラ男の3人は、ダラダラと歩いていたからすぐに追いついた。

「ねえ、ちょっと!」

 話しかけたのはシンシアだ。ためらいがない。すごい。

 3人は振り返った。

「おや、これはこれはお嬢さん方」

 ダニエルが胸に手を当ててお辞儀をした。なんかふざけてるだろ。

「なんの御用かな。デートのお誘い? いいよー、どこでも行くよ」

 パチン、とウィンクをする。やっぱりふざけてるな。あなた方はこんな風に声をかけられることなんて日常茶飯事なんでしょうけれど!

「いいえ!」

 アリスはちょっとムッとしながら答えた。

「相談、というかお願いがあるのよ」

「相談? お願い? おれらにできることなら協力するよ?」

 ダニエルはへらっと笑って、手を差し出した。

「じゃあ、行こうか」

「どこへ!?」


 立ち話もなんだから、とダニエルたちが連れて行ったのは路地裏のカフェだった。

 表通りからどんどん奥へ入っていくチームチャラ男に、アリスたちは尻ごみをしたのだが。

「健全なお店だからだいじょうぶだよ」

 それ、信じていいんですかね。まさかクラスメイトに不埒なマネはしないと思うけれど。

「きみたちに手を出すほど、女の子に困っていないから安心してね」

 そうですか。よかったです。

 連れ込まれた(?)カフェは、ふだんのアリスたちなら絶対に足を踏み入れないエリアだ。馬車も通れないような狭い道。「あそこに行ってはいけません」と言われるような通り。

 が、案外人通りは多い。そしてカフェにパブ、花屋や洋服屋がならんでいた。

「貴族たちは治安が悪い、というけど庶民はここらへんで買い物したりするんだよ。昼間はだいじょうぶさ」

 ちょっとビビっているアリスたちにダニエルは教えてくれた。夜はダメなんだ。


 5分ほど歩いて、ダニエルたちは一軒のドアを押した。

「さあ、どうぞ」

 中は薄暗くて怪しい雰囲気で……、なんてことはまったくなくて、ごくふつうのカフェだった。店内は広くはない。4人掛けのテーブルが5つ。それからカウンターにイスが5つ。清潔でセンスのいいインテリアだ。

 チームチャラ男は、6人が座れるように壁際のテーブルを勝手に移動して2つをくっつけた。手慣れている。常連なんだな。


「それで、相談だかお願いっていうのはなにかな?」

 注文した紅茶とスコーンが運ばれてくると、ダニエルは聞いた。

「ええーと」

 どこから話したらいいんだろうな。アリスは考える。

「カーラのことなのよ」

「……ああ、アリスもどき?」

 アリスもどき?

「アリスのマネをしている子だろう?」

 プッとシンシアとジュリアが吹き出した。

「あの子、そんなふうに思われているのね」

「よかったじゃない、アリス。わかってくれる人がちゃんといたわ」

「……ええ、そうね」

 アリスは苦笑いだ。

「いくらマネをしたって、しょせんまがい物。オリジナルのアリスにはかなわないのにな。みじめになるだけだろう」

 案外ダニエルはまじめに言った。「オリジナルのアリス」アリスはそのことばが、ちょっとうれしかった。盗られてしまったら、こっちのほうが偽物みたいな気持ちになっていたから。

 顔をあげたらダニエルと目が合った。

「自信持てよ。きみの方がかわいいから」

 ……やっぱりチャラい。

「で、あの子がどうしたの?」


 アリスは今までの出来事をかいつまんで話した。

「へえ、そんなことまでしちゃうんだ。えげつないな」

「でしょう?」

 シンシアが言った。

「わたしは、アリスの物を盗りたいだけだと思うのよ。きっとトーマスもチャーリーも好きになってはいないのよ」

「おれもそう思うな」

 チャラ男たちも口々に言った。

「そこで当て馬作戦の発動よ。次のカレシも横取りしたら確実にそうでしょう?」

「そうだね」

「それから種明かしをして笑いものにしてやるのよ。そうすれば、もうやめるんじゃないかと思うのよね」

「それもエグいね。アリスもそう思っているの?」

「わたしにかかわるのをやめてくれるんなら、どんな手段でもいいわ」

「なるほどねー」

 ダニエルたちはしばらく考えていたけれど、やがて「よし」とうなずいた。

「引き受けるよ。やってみよう」


 1番手はダニエル。まあ、それも3人がじゃんけんで決めたのだけれど。2番はザカリー、最後がマイケルだ。

 そして翌日のランチタイム。

「アリス、行こう」

 ダニエルは堂々と誘ってきた。

 ざわざわざわ。教室中がざわめいた。それも当然。どちらかというとおとなしめでまじめで清楚でかわいいお嬢さんのアリスがチャラ男のダニエルと一緒にランチ? 本人は知らないけれど、実はお嫁さんにしたい女子No.1である。

 まじめではあるが決して堅苦しくはなく、シンシアとジュリアと一緒の時は、たくさんおしゃべりをするしよく笑う。それを盗み見ている男子は多い。


「じゃあ、いってらっしゃーい」

 シンシアとジュリアは手を振って見送った。しかも2人で行くの!? どういうこと!? 付き合ってるの? いつから? アリスとダニエルは教室中の視線を背中に浴びながら廊下に出た。さくさくと刺さる音が聞こえるようだ。

 うわー、こんな感じになるんだ。アリスはすでに汗がだくだくである。

「手、つなぐ?」

 ダニエルはいたずらっぽく笑った。そんなことするわけないだろ! アリスは恨みがましく睨んでやる。が、彼はちっとも意に介することなく、へらっと笑う。

 食堂でもやっぱり注目を集める。ダニエルは慣れていて、まったく平気なようだが、アリスはぜんぜん平気じゃない。汗だくになりながら本日のランチプレートAを食べる。


 メインはグリルチキンだが、きょうのチキンはどうしてこんなに切りにくいのだろうな。フォークとナイフがやたらと音を立てる。

「それ、おいしい?」

 ダニエルが聞く。彼が食べているのはランチプレートBの白身魚のフライである。こくりとうなずいて魚のほうがサクサクと切りやすかったかなー、なんて思っていると

「はい」

 とダニエルが一口大に切り分けたフライをアリスの皿に乗せてくれた。

「そっち、一口くれよ」

 ……………………え?

 ダニエルの顔をまじまじと見つめてしまった。

 ええー!? 世の恋人たちとは、こんなことするものなんですかー!?

「ね?」

 ダニエルが小首をかしげる。

「ははははいー」

 アリスはあわててチキンを一切れ、ダニエルの皿に乗せた。たぶん、顔が真っ赤になっている。どうしよう、恥ずかしい。もう、料理の味なんかわからなかった。顔も上げられず、ひたすら手と口を動かす。

 ようやく最後の一口を呑み込んで、ほうーっと息を吐いた。ふと目を上げたらダニエルと目が合った。

「うまかったな」

 にこ。やめてください。破壊力が半端ありません。こういうことに免疫がないんですぅ。

 トーマスもリチャードも、もっと大雑把だった。こんなに細やかに話しかけてこなかった。うう、恐るべしチャラ男。

 這う這うの体で教室に戻りイスにすわったら、もう動く気力も残っていなかった。

 まだ「一緒に帰る」というミッションが残っているというのに。


 放課後デート。世間ではそういうのだろうか。

 さあ行こう、と誘われて、アリスは目抜き通りをダニエルと並んで歩いている。とくに目的はない。ショーウィンドウを眺めながら、たまに立ち止まって店の中をのぞいたりしながら、ぶらぶらしている。

 目新しい体験だ。アリスは下級とはいえ一応貴族子女。繁華街を出歩くのはあまりよろしくない。出かけるとしたら親と一緒。シンシアたちとは何回か来たことはあるけれど、目的のお店にまっしぐら。買い物が終わったら即行帰る。ぶらぶらなんてしたことがない。ましてや、デートなんて言わずもがな。

 こうやってみると、知ったお店も新鮮に見える。

 せっかくだから新しいペンを買おうかな。そう言ったらダニエルは小さな文房具店に案内してくれた。

「ここはね、小さいけれどいいものだけをそろえているんだ。もし壊れても修理もしてくれるよ。店主のじいさんは頑固だけどね」

 ダニエルはそう言って笑った。

「くわしいのね」

 チャラ男と頑固な店主の文房具屋。なんか似合わない。

「この辺はわりとくわしいよ。なんでも聞いて」

「へえ、どうしてくわしいの?」

 ダニエルは、ニッと笑っただけだった。え、秘密ですか。


 店主のおじいさんは頑固さを見せることもなく、お手頃な値段で地味だけれどとっても使い勝手のいいペンを買うことができた。ほかにも、カリグラフィー用のペン先とかいろんな色のインクもたくさんあった。ノートの種類も豊富。見ているだけで楽しかった。

「いいお店だろ?」

 外に出るとダニエルは自慢そうに言った。

「ええ、とってもいいお店。また来るわ」

「おう、いつでも案内するよ」

 ……あれ? また一緒に来るの?

「1人で出歩いたら危ないだろう?」

 ……来るときは、シンシアとジュリアが一緒だと思うけど。

「遠慮なく言えよ」

 決定事項みたいです。アリスは曖昧にうなずいた。

 それから道端のジューススタンドでリンゴジュースを買って飲んだり、雑貨屋でアクセサリーを見たり。馬車が来たら、ダニエルが腕を引いてかばってくれたり。

「危ないよ」なーんて。

 えー、ほんとにデートみたい。アリスはデートなんてしたことがなくてあこがれていたけれど、ほんとのデートもこういう感じなんだろうか。ちょっとドキドキする。

 いやいや、これは「当て馬作戦」の一環なんだから。相手は百戦錬磨(?)のチャラ男だ。だまされちゃいけない。


「じゃあ、そろそろ送るよ」

 ああ、もうそんな時間か。あっという間に過ぎちゃったな。

「うん、ありがとう」

 残念な気持ちを呑み込みつつ歩いていたら、1人の少年が走ってきた。

「おにいちゃん!」

 おにいちゃん!?

「この前は助けてくれてありがとう!」

「おう、この前の坊主か」

 庶民の子どもみたいだ。

「おかげでかあちゃんに叱られなくてすんだよ」

「よかったな!」

「うん、またね」

 少年はニカッと笑うと、またあっという間に走り去った。

 そういえばさっきも「見習いのにいちゃん」と声をかけられていたな。アリスがじっと見つめると、ダニエルは照れくさそうに頭をかいた。

「休みの日は騎士団の雑用をしているんだよ。それでね、あちこちで手伝いをしたりしているのさ」

「えっ、そうなの?」

 チャラチャラしているんじゃないんだ。ちょっと意外。

「騎士を目指しているヤツはみんなしているよ。ザカリーもマイケルも」

 そうなんだ。知らなかった。見くびってた。ごめんなさい。

「見直してくれた?」

「あ、うん。みんなに感謝されてすごいね」

 ダニエルが真っ赤になってしまった。あれ、どうしよう。見てはいけないものを見てしまった。かな。

 もしかしてこんな外道なことをお願いして悪かったかな。




 そうして4日目に敵は動いた。

「ねえ、アリス」

 来た。カーラが話しかけてきた。

「ダニエルと付き合っているの?」

 シンシアとジュリアも「引っかかったな」と笑いをこらえる。

「えー? ああ、うん。まあ?」

 非常にわかりにくい答え。

「紹介してよ。わたしたち友だちじゃない」

 よく言うなー。シンシアとジュリアはくるっと後ろを向いてしまった。肩が震えている。ずるい。わたしも笑いたい。

「ええー、でもー」

 アリスは返事を渋る。


「二度あることは三度あるっていうじゃない」

「えー、なにそれー。意味わかんなーい」

 カーラはへらへらする。おいコラ、ごまかすな。許してないからな!

「紹介するくらいいいでしょう。減るもんじゃないし」

 いーや、あんたに紹介すると減るんだよ。

「ダニエルがいいって言ったらね」

 アリスは返事も聞かずに向きを変えるとすたすたと歩き去った。


 そして放課後。

 今後の対策を練るため、この前のカフェで6人が集まった。アリスはダニエルと一足先に向かい、ほかの4人が後から合流した。

「直接接触してきたぞ」

 6人がそろったところで、さっそくダニエルが言った。

「えっ? 直接?」

「ああ。紹介してもいいと返事をしてほしいってさ」

 はあ!?

「紹介してくれ」の意味は?


「なんで同じパターンでくるかな」

 アリスはぎゅっと眉間にしわを寄せた。

「素直に紹介するわけないのに」

 全員がこくりとうなずいた。

「だからおれに直接言ってきたんだろう」

 ダニエルが言った。

「わたしも甘く見られたものだわ。見てなさい。ぎゃふんと言わせてやるから」

 アリスはこぶしを突き上げた。

「……ぎゃふん」

 チームチャラ男が遠い目になったのは無視だ。

「では明日からはダニエルはカーラの誘いに乗ってください。そして来週からはいよいよザカリーの出番です」

「おう」


 ザカリーは返事をしたが、ダニエルは不満そうである。

「あら? なにか不都合でも?」

「いや、せっかく仲良くなったのに残念だな」

 あらあら、まあまあ。シンシアとジュリアがニマニマと笑う。

「そこはほら、この件が片付いたらごゆっくりと」

 ごゆっくりとって、なんだ。

「おう」

 なんの返事だ。

 ん“ん”っ。アリスは咳払いをした。

「とにかく! ダニエルはカーラとうまくやってくださいね。ザカリーは来週からよろしくお願いしますね」

「おう、まかせろ」

 最初の刺客が放たれた。




 翌日、教室の中の空気は一変した。

 朝からダニエルにベタベタとまとわりつくカーラ。「紹介して」はすっ飛ばしたらしい。ダニエルもそれらしく見えるように、それでも必要以上の接触はうまく避けてやっている。さすが、手慣れている。


 カーラはにやにやしながら、アリスを見る。アリスと目が合うと、わざとらしくダニエルの腕に絡みつく。

 うっわー。

「あ、あれ? どうなってんの? アリスは?」

 そんなセリフがかすかに聞こえて来るけれど、アリスに聞いてくる猛者はいない。標的になったのはシンシアとジュリアだ。

「さあ? よくわからないわ」

 2人はしらばっくれる。下手にほのめかしてミッションがバレても困る。みんなが首をひねっている間に、ランチタイムに突入。カーラはダニエルを連れて食堂に行ってしまった。よし! 作戦はうまくいっている。ちょっと胸がチクッとしたのは気のせい気のせい。

 そしてアリスたち女子3人とチームチャラ男の2人は、木曜金曜とそれぞれにランチをとることにした。


 週末をはさんで迎えた月曜日。

「アリス、行こう」

 ザカリーがアリスを誘った。

「うん」

 アリスが席を立った。

「あ、あれぇ? どうなってんの?」

 みんなの目が点。ニヤニヤしているのはアリスを除いた3人だ。

 アリスとザカリーがいっしょに食堂に入っていくと、またもやざわざわし始めた。

 誰と誰がどうなってんの? みたいな。その中で一番びっくりしていたのはカーラだ。

 盗ってやった、と喜んでいたのに、もう別の男といっしょにいるとか! びっくりした後はものすごい形相でアリスを睨んでいる。


「わたし、そんなに恨まれることしていなんだけどなぁ」

 思わずアリスはつぶやいた。

「そういうことじゃないと思うぜ」

 ザカリーが言った。

「嫉妬っていうか、やっかみ?」

「……なんで」

 だからそういう覚えはまったくないのだ。

「アリスはかわいいから気に入らないんだろ」

「え……。そんなつもりはないんだけど」

 ほんとうに訳が分からん。


「みんながそう思っているから、それが悔しいのさ。理屈も道理もないよ」

「え、理不尽」

「そうだな、まったくの理不尽だ」

「やだな」

「執着なんてそんなもんだよ」

「……ザカリー先生」

 つい、言ってしまった。

「先生じゃねえよ。まあ、あいつはホイホイ乗ってくるみたいだから、一気に畳みかけようぜ」

「はい! 先生!」




 月曜火曜水曜とアリスはザカリーと一緒にランチタイムと放課後を過ごした。2人で寄り道をしたり、ジューススタンドでジュースを買って飲んだり、健全な過ごし方だ。

 そして木曜日。

 ザカリーの隣にはカーラがくっついていた。またもや、にやにやしながらアリスを見るカーラ。目が合うと、見せつかるようにザカリーに体を摺り寄せる。よし、行け! 刺客2号!

「あ、あれぇ?」

 クラス中がまたもや疑問符だらけである。そして解放されたダニエルはマイケルの元へと戻っていた。

 実は朝のうちにザカリーから「カーラから接触があって、今日から任務に就く」と連絡があったのだ。


「やれやれ、やっと解放された」

 ダニエルが言った。

「長い一週間だった」

「おつかれさま。けっこう楽しんでいたんじゃないの?」

 アリスがちろりと横目で見る。

「いーや。あいつ、アリスの悪口と自分の自慢ばっかりできつかったわー。苦痛でしかなかったよ」

「あらまあ。週末はどうしていたの? デートに出かけた?」

「まさかー。誘われたけど断ったよ」

 そう聞いて、アリスはちょっとだけほっとした。休日まで一緒に過ごしているなんて嫌だと思ってしまった。悪口言われるのも嫌だけど。

「アリスだったら楽しいのになー」

 ダニエルはにこりと笑う。

「やっやっやだっ。もうっ」

 どぎまぎしたアリスは赤くなったり青くなったり。それを生ぬるい笑みで見守るシンシアとジュリア。


 なーんてやり取りがあったりして、第3フェーズに進んだ。

 翌週の月曜日、3番手のマイケルの出番だ。例によってランチと放課後をマイケルと一緒に過ごす。カーラは相変わらずすごい目つきで睨んでくる。そして木曜日にはマイケルの隣にはカーラ。刺客3号出動!

 そしてやっぱり、にやにやしながらアリスを見る。目が合うとここぞとばかりにマイケルの腕に胸を押し付ける。


 このころになると、誰しもがこのからくりに気づいた。

 アリスと仲良くなると、カーラが出てくる。よって、アリスはフリだ。そしてチームチャラ男も「カーラはチョロい」とそちらこちらで言って回る。


 アリスと仲のいいふりをすれば、カーラとヤれる。


「あなたたち、そんなこと言ったの!?」

 アリスはダニエルたちに食って掛かった。さすがに見過ごせない。

「そこまで言っていないよ。噂がまわりまわってそういうことになったんだろう。そもそもカーラがとっかえひっかえするから、そんな噂をみんなが信じるんだよ。自業自得さ。おれたちだって、そこまで鬼畜じゃないよ」

 ダニエルは言った。そう言われればそうか、なんてアリスたちもちょっと納得する。

「そうそう、悪いのは次々男に声をかけるカーラなんだよ」

「じゃあ、いっか」

 正直なところ、めんどくさい。アリスはカーラをぎゃふんと言わせればそれでいいのだ。

 来週になったら種明かしをしてカーラを笑ってやろう。これだけ大恥をかいたら、さすがにもうアリスに構うことはなくなるだろう。

 そう思って、アリスたちは安心して気を抜いたのだった。




 マイケルでミッションが終わるはずなのに、クラスの男子のひとりがアリスに話しかけてくる。まさか、例の噂を実践しているんじゃないだろうな。

「わたしもう、カーラと関係ないからね」

 アリスはたしかにそう告げた。

「いいからいいから。ちょっと話すだけでいいからさ」

 嫌ですよ。巻き込まれたくないし。実際、しつこくつきまとわれたわけじゃない。教室や食堂で話しかけられて、ちょっとの間話をしただけだった。

 それなのに。




 月曜日、マイケルはカーラから解放されて戻ってきた。じゃあ、種明かしをするかとカーラに目を向けたなら、彼女は先週のあの男子と一緒にいた。カーラはやっぱり勝ち誇った顔でにやにやしていた。

「あ、あれ? どうなっているの?」

「どうやら当て馬作戦はおれたちの手を離れて、独自に継続中らしい」

 マイケルが言った。

「ええー、さすがにダメだよ。わたし止めてくる」

 アリスはカーラのところへ向かった。「まじめだなぁ」ダニエルのつぶやきが後ろで聞こえた。


「カーラ」

 アリスが話しかけた。

「なあに? せっかく仲よくしてるのにじゃましないでくれる?」

 カーラはつんっとあごを上げて言った。

「そうじゃなくて……」

「うるさいわね!」

 カーラは途中で遮った。

「カレシ盗られたからって、文句つけないでよ。みんな、わたしのほうがいいんだって。あんたは選ばれなかったの! 選ばれたのはわたし! ほんと、モテて困っちゃう。わかったらじゃましないでよね」

 ……どうしよう。カーラが暴走している。となりで例の男子がうすら笑っている。

「あっちに行きましょう! ほんとにドンくさくって嫌になっちゃう」

 カーラは彼の手を取って、教室から出て行ってしまった。


「放っておこうぜ。カーラがそうしてほしいって言うんだからしかたがない」

 ダニエルが冷たく突き放す。なんとなく、クラスも全体的にそんな雰囲気だ。思いの外、カーラは嫌われていたようだ。

「そ、そうなのかなぁ」

 アリスは2人が出て行ったドアを、呆然と見つめた。


 それからのカーラの男性遍歴はクラス内にとどまらず、学園全体にまで広がってしまった。頼みもしない刺客が次々にやって来る。女子の嫌悪感も半端ない。もはやアリス抜きでことは進んでいく。「ヤリマン」なんて不名誉なあだ名までついてしまった。

 気づいていないのはカーラ本人だけだ。気づいた上で、そ知らぬふりをしているのかもしれない。もしかして、引くに引けなくなっているんじゃ……?

「どうしよう。ここまでするつもりじゃなかったのに」

 アリスは何度かカーラと話をしようとしたのだが、そのたびに拒絶され、それどころか逆に罵倒されたりもした。結局「当て馬作戦」について、説明できていない。

「向こうが拒絶したんだからしょうがないだろう」

 ダニエルは相変わらず冷たい。ほかの4人もやっぱりしかたがないと言う。

「そうよ、カーラがそう望んで喜んでいるんだから、いいじゃないの。わたしたちのせいじゃないわ」

 アリスは釈然としないまま、遠くから見つめるしかなかった。




「アリス」

 昼時になるとダニエルが誘いに来る。

「飯に行こう」

「あ、うん」

 結局、この6人でつるむことが多くなった。放課後はダニエルと2人のこともある。なんだかんだで押し切られるアリス。生ぬるく見守るシンシアとジュリア。


「なんで、わたしなのぉ?」

「好きに理由がいるのか?」

「ええー?」

 押し切られる。うん、まあ、嫌いじゃないけど。

「だって、お付き合いしている女の子、たくさんいるでしょう?」

 そういう噂だったし、大勢の中の1人なんて嫌だし。

「お付き合いなんかじゃないよ。みんな、ただの友だち。ザカリーとマイケルと一緒にお茶しに行っただけだよ。もう行かないし。一緒に出掛けるのはきみだけにする」

 ほんとかなぁ。

「あなたモテるじゃない。あなたを好きな子から嫌がらせを受けたりしないかな」

「そんなことは絶対にない。たとえ、なにかがあったとしても、この世の悪からおれがきみを守るから」

 ダニエルからチャラ男が消えた。大まじめだ。いや、チャラ男が仮の姿だっていうのはうすうす気づいていたけれど。最近は無造作ヘアは封印して、首元のタイもきちんと締めている。ちゃんとした子息に見える。

「がんばって訓練して、勉強もたくさんして、きみを守る騎士になるよ。だから、おれと付き合って」

 ひえーーー。破壊力半端ありません。降参です。




 これから男女別の授業である。男子は剣術。女子はお作法。2クラスの合同授業だ。下級クラスではお茶のおいしい淹れ方なんかも習うのだ。

 席について授業が始まるのを待っていると……。

 机の端からにゅっと手が出てきた。その手がうろうろと机の上を探っている。アリスとシンシアとジュリアはその手をじっと見つめる。やがて手は目的のものを探り当てると、ぴたりと動きを止めた。そして、すうーっと引いていく。

 がしっ!

 アリスはその手を掴んだ。

「ぎゃっ!」

 なんだかネコを踏んづけたような声がした。

「ちょっと」

 アリスが声をかけると、そおーっと手の本体が机の向こうから姿を現した。隣のクラスの女子だった。

「このハンカチ、どうするつもり?」

 そう、彼女が持っているのはアリスのハンカチだ。

「え、えーっと」

 彼女はもじもじしている。

「はっきり、おっしゃいな」

「はい! お守りにします!」

「お守り? なんでわたしのハンカチがお守りなのよ?」

「えーっと」

 またしても、もじもじする。

「はっきり、おっしゃいな!」

「ここ恋のお守りなんですぅ」

「恋!?」


 略奪女を撃退したばかりか、あのチャラ男のダニエルを手懐けた女アリス。ダニエルがチャラさを放棄し、わき見もせずにアリスにまっしぐら。すごい。さすがお嫁さんにしたい女子No.1だ。これはもはや女神だ。ぜひあやかりたい。そうだ、アリス関連のものを持っていれば、自分のカレシも浮気することなく一途になるんじゃなかろうか。

 そんな理由でアリスの持ち物がお守りとして珍重されているらしい。

「マジですか」

「はい。アリスさんのものならばたとえ消しカスでも」

「それは、なんかやだ」


 この間から、やたら物がなくなると思っていたのだ。ハンカチもだし、ペンとか、それこそ消しゴムとか。ダニエルと一緒に買ったペンは無事である。さすがに真新しいものを盗るのは罪悪感があったのか。

 アリスは大事なペンをこっそりポケットにしまった。こんな調子じゃ、いつ盗られるかわかったものじゃない。

「明日代わりのハンカチを持ってくるから、これください」

 物々交換か。

「さっき、手を拭いたヤツだけどそれでもいいの?」

「はいもちろん。むしろ効果が上がるというか」

 なんか、それもやだな。っていうか、なんの御利益もないと思うが。

「そんなことはないわよぅ。絶対あるものぉ」

 彼女は胸の前で両手を組んでアリスに祈りをささげる。


「やめてよ。カルト教団の教祖みたいじゃないの」

「アリスさま」

 ほんとにやめて。

「わかったけど、だまって持っていかないで。なくなると困るから」

「わかったわ。これからはちゃんと申告します」

 それも違う気がする。

「じゃあ、わたしが代理人になるから、アリスのお守りが欲しい人はわたしを通してくださいね」

 ジュリアが名乗りを上げた。なんだ、代理人て。


 翌日アリスは、ジュリアの命令(笑)でありったけのハンカチを持って来た。するとジュリアはそれにサインをしろと言う。

「なんで」

「付加価値よ。教団のマークも決める?」

 わけがわからん。言われるままに、アリスはペンでハンカチに名前を書いた。

「これが欲しい人は、自分のハンカチと交換ね」

 ジュリアは言った。あっという間になくなった。

「……売れるかもしれない」

「霊感商法、ダメ絶対。壺じゃなくハンカチも売っちゃダメです!」

「儲かるのに」

 アウトです。

 それからしばらくの間、ハンカチの物々交換は続いたのだった。




 カーラが学園に来なくなった。

 来なくなって2週間がたつ。

「どうしたのかしらね」

「あんまり噂がひどいから来られないんじゃないの?」

「どうしよう、わたしのせいだ」

 アリスは青ざめる。こんなつもりじゃなかった。ただ「ぎゃふん」と言わせたかっただけなのに。

「気に病むなよ。きみのせいじゃない。やめようと思えばいつでもやめられたのに、続けたのはカーラの意思だ」

 ダニエルがアリスの手を握って、すりすりとさすっている。

「また、そうやってイチャイチャする……」

 シンシアとジュリアが遠い目をしている。付き合うとなったらダニエルのゲロ甘が止まらない。それがアリス信仰に拍車をかける(笑)。


 ざわっ。

 教室が一瞬どよめいた。

「みんな、ひさしぶりー」

 カーラだった。アリスはがたんっと音を立てて立ちあがった。

「カーラ」

 カーラはアリスを無視して教室の中へ入ってきた。なんかもう、身なりが学生とは違っている。最先端モードのドレスに、くるくると巻いた髪。花飾りのついたつば広の帽子にハイヒール。くっきりとしたアイラインに真っ赤なリップ。


「わたし、退学するの」

 どよめきが一層大きくなった。アリスは目を見開いたまま、青ざめていく。


 そんな、どうしよう。「ぎゃふん」と言わせたら終わるはずだったのに、こんな大事になってしまって、人1人の人生を狂わせてしまった。取り返しがつかない。さすがにシンシアもジュリアもことばを失くした。ダニエルがアリスに寄りそう。


「やあねぇ、辛気臭いわ」

 彼女はそう言うと、もったいをつけるようにたっぷりと間をとって、それから大仰に腕を広げた。


「わたし、女優になるの!」


 ……………………なんですと?

「スカウトされちゃったのよぉ。ほら、わたしってかわいくて目立つじゃない? たまたま劇場の前を通りかかったら演出家に声をかけられたの。きみなら主役になれる。ぜひうちの劇団で女優をやってくれないかって。もう、あんまり熱心で断れなくってぇ。うちの両親もはじめは反対したんだけど、劇団の偉い人たちが毎日通ってくるものだから、とうとう折れちゃってぇ。その辺のしがない下っ端貴族に嫁に行くより楽しそうじゃない? うふっ」

 カーラはペラペラとまくし立てると、こてんっと小首をかしげた。……へえ。男子たちがしょっぱい顔をする。このクラスにいるのは、その「しがない下っ端貴族」の子どもたちなんだが。

「今日はね、退学の手続きとみんなにごあいさつしに来たのよ。みんな、ぜひ見に来てね。おーほっほっほ」


 カーラは高笑いをすると、花の香りを振りまきながら、嵐のように去って行った。もうアリスなんか眼中にない。

「よよよよかったわね、楽しそうで」

「そそそそうね。よかったわ、元気そうで」

「なんか、心配することもなかったのね」

「そ、そうだな、よかった。うん、よかったよ」

 いちおうみんなは、ちょっとした罪悪感を持ってはいたのだ。だから、みんな「よかった、よかった」と呪文のように唱えたのだった。カーラに幸あれ。


 カーラの役はセリフのないメイドさん。

「で、でも、これから人気の女優さんになるかもしれないし」

「そうね、きっとそうよ」

「そのうち、セリフもつくわよ」

「そうね、きっとそうよ」

 カーラに幸あれ。




「アリス、帰ろう」

 放課後が待ち遠しいダニエルである。

「うん、帰ろう」

 2人で手をつないで学園を出て行く。

 ゲロ甘継続中である。アリスが放った刺客のダニエルは、無自覚刺客のアリスにしっかりと仕留められた。

 「ミイラ取りがミイラになる」ってこういうことなんだな。下級クラスの面々はそう思った。

 毎日が楽しそうでなによりである。



    おしまい


カーラはほんとうにヤリマンだったのか。

誰も恐ろしくて聞けませんでした。

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