7話 1章-3④二次試験終結~ルイ、暴走~
タクトの射るような目がルイに突き刺さる。タクトはゆっくりと高く膝を上げた。
「おい。なにをするつもりだ。」
レオは細い崖に追い込まれたように震えた声を出す。タクトはルイの右腕を地面を揺るがす勢いで踏み抜いた。
「うわぁぁぁぁぁ!」
ルイの悲痛な叫びが暗い森に響き渡る。
そして、間髪入れず左腕も踏み抜かれた。両腕はひしゃげて、折れ曲がっている。脳が痛みを、そして現実を拒絶するようにルイはパタッと気を失った。
「くそ。くそ。くそ!」
レオは友を助けられなかった非力さに顔を歪め、指の関節が砕けるほど拳を握りしめながら地面を叩いた。
「てめぇはおれが殺してやる。」
潤んだ目に燃えるような復讐心が宿る。タクトはそんなレオを横目でじっと見つめた。
「力なきものはすべてを奪われる。己の弱さを恥じろ。」
と切りつけるように語りかける。そして、レオたちの方にゆっくりと近づいていった。
ルイの両腕は壊され、友を傷つけられ、夢を踏みにじられた。身体、そして心までを理不尽に潰された。
―頑張ったよね―
ルイは心の奥底に閉じ籠った。冥暗たるポツンと寂しい場所。ここに光は届かない。うなだれ膝を抱える。まるで捨てられた紙屑のように。
ーなにもできなかった・・・レオたちが連れていかれちゃう・・・ー
ー苦しい・・・痛い・・・ー
はぁっとため息がひとつこぼれ落ちる。すると、生気がするりと抜けて落ちていった。
ーもう疲れた。だれか変わってくれー
その時、大きな目玉が1つ、薄く暗闇の中でルイを覗いた。それは血紅色をしており、不気味な赤黒いもやを纏っている。
ーお前は弱いなぁ。小僧ー
ゆっくりとしたドスの聞いた低い声。ルイは大きな赤い瞳に反射した自分の姿を確認する。小さい子供のように膝を抱え、前髪が視界を覆っている自分を見て、
ーあぁなんて惨めなんだー
ルイは悟ったかのように少し口角を上げ、また顔を伏せる。
ー弱いか・・・でももういい。それでいいよー
大きな瞳が三日月の形になる。まるでルイを嘲笑っているかのように。
ー諦めるか。それもまた選択だなー
それがゆっくりゆっくりとルイに近づいてくる。
ーお前をこんな目に合わせたのは誰だ?ー
ゆったりとした口調で語りかける。それを纏う赤黒いもやがルイの身体を包んでいく。
ー誰?あぁ。あの男だ。あの男がみんなを痛めつけたー
ルイの瞳にそれの色が赤く反射する。徐々に赤黒く染まっていく。
ーお前はどう思った?なにを感じた?ー
ーどう思った?憎い。あいつが来なければ。あいつがいなければ・・・ー
ルイの柔らかな髪は逆立ち、力の入った身体がワナワナと震える。赤黒いもやが完全にルイを覆い尽くした。
ー奪われるぞ。お前の大切なものがー
怒りと憎しみに侵食されていくルイをじっくりと楽しそうに眺めている。
ー許さない。許さない。許さないー
ルイの息が荒くなる。胸が身体が燃えるように熱い。全身の血液が沸騰するような感覚。
ーお前はどうしたいー
と笑みを含ませるような口調で問いかける。
ーあいつを・・・絶対に・・・ー
ー殺してやるー
レオは今にも飛びかかりそうな眼差しでタクトを見上げていた。遠くに見えるルイの姿とタクトを交互に目で追う。心が激しく揺さぶられている様子を見てタクトが口を開く。
「これ以上痛い目にあいたくなければ抵抗はするな。今からお前たちを連れていく。」
淡々と感情のない口調でただレオを見下ろす。レオが苦虫を潰したような顔をしていると、フラッとルイが起き上がるのが見えた。ひしゃげた腕をだらりと伸ばし、がくんと首を折るようにして頭を下げている。タクトはその場でため息をこぼす。
「お前・・・その根性は認めてやる。」
捨て犬を見るような哀れみの眼差しを向ける。
「ルイ。もういい。そのまま倒れててくれ!お前死んじまうぞ!」
とレオは肩を震わせ、声を張り上げた。
ルイは不気味にゆっくり一歩、また一歩とタクトに近づいていく。折れ曲がった両腕が歩くたびに振り子のような運動をする。タクトとの距離が半分ほどになったとき、
「聞く耳を持たないか。自分を恨めよ。」
と引導を渡すように呟いた。
タクトは瞬時に距離を詰め、大きく腕を振りかぶる。
その時、赤黒い邪悪な大きな目玉が脳裏に飛び込んできた。薄い刃物で背をなでられるような戦慄が走る。攻撃を中断し、ルイの頭上を飛び越えた。
ーなんだ・・・今のは・・・ー
鋭い目付きでルイを睨み付ける。
不気味なほど静かな森の中。心臓の音がドクン、ドクンと体内に響き渡る。
ルイはだらりとタクトの方を振り返る。その背中をレオは物憂げな眼差しで見つめる。レオはルイを心配する気持ちとなにか釈然としない違和感を交えていた
「ルイ?」
と声をかけた時、折れ曲がっていたルイの右腕がミミズのようにのたくりまわり、パキパキと音をながら修復した。
レオとタクトがギョッと驚くと、ルイがその腕をブン!と振り上げた。
衝撃波がタクトを襲う。タクトは反応が遅れ、間一髪横に転がって回避した。衝撃波がぶつかった木がドン!となぎ倒された。
「バカな・・・」
とタクトが息をのむように呟く。
「ルイ?なのか・・・」
とレオは怯えた声を上げる。
ルイは振り上げた腕をゆっくり下ろすと拳を握ったり開いたりしていた。まるで力加減を確認するように。その後、視線は折れ曲がったもう一方の腕へ。再び不気味な動きと音を立て腕は修復した。身体中にあった傷はシューっと煙を立て塞がっていった。次の瞬間、
「ウオオオォォォ」
と空に向かって地の底からわき上がるような低い咆哮を発した。大地が揺れ、あたりに突風が吹き荒れる。ルイの髪は逆立ち、瞳がボーッと怪しげな緑色に光る。
「なんなんだ。お前は・・・」
タクトは何か言いたげな眼差しで剣を抜いた。
ルイは両手を高く上げ、タクトに向けて勢いよく振り下ろした。
地を砕くような衝撃波
それが土煙を巻き上げ迫ってくる。
バン!正面から剣で受け止め、グッ!と声を漏らす。
のけ反る身体。全身に力が入る。
「ハァァァ!」
衝撃波を空へ打ち返した。
ルイは不思議そうに首を傾けた。
そして足に力を溜める。
ドン!と地面を揺がし、襲い掛かる。
「こい!」
激しい衝突。
ドン!ドン!ドン!
ルイに押し込まれる。
背中で感じる木は次々となぎ倒された。
一瞬ルイの力がふっと緩んだので、力で押し返そうとする。
目の前からルイの姿がない。
次の瞬間、力任せに頬を殴り飛ばされた。
「ぐぉあ!」
弾丸のような勢い
ドカン!
木に激しく衝突した。背中にズキッとする痛みが走る。
タクトは顔を歪め、息を荒くする。口元から垂れている血をグイッと拭う。その時、空が暗くなり、狼の遠吠えのような音が響き渡る。
「怒り轟け。ヴァンガルド」
紫雷がタクトの剣に降りそそぐ。ミアを倒した勇ましい姿に変わった。
少し遠くに見えるルイの姿に鋭い眼差しを向ける。
タクトは稲妻のように距離を詰め、襲い掛かる。
大剣を振り回す。
切れのいい重たい攻撃。
その攻撃が空を切る。
ハァッ!と強く息を吐く。
振り下ろした剣が地面をえぐる。
ピシャ!
青白い雷が襲い掛かる。
焦げ臭い匂い。
しかし、効かない
ニヤッと笑みがこぼれた。
タクトの腕をガシッと掴む。
ブン!ブン!と自分を軸にしてタクトを振り回す。
ピュン!
タクトの身体が空を裂く。
近くの大木に当たりそうなとき
フワッと足で衝撃を吸収。
その場に着地した。
仁王立ちでルイを睨みつける。フーッと息を深く吐く。
大剣を両手で握り、剣先をルイに向けた。
カッと眼を開く。
大剣の刀身に青白い雷が纏う。
目をつぶってしまうほどの光。
「これで終わらせる!」と掠れた声で呟く。
タクトが地面を強く蹴り、ルイの懐へ。
「ボルティス・スパーダ!」
横に振りかぶっている大剣がバヂヂヂと音を立てる。
雷を纏った大剣
タクトの渾身の一撃
その一撃を両手で剣を抑え込む。
何本もの凶暴な雷撃。強襲!
身体がビリビリと痺れる。身体が動かない。
「うぉぉぉぉぉ!」
タクトが大剣を振り抜く。
ドォォォォン!
凄まじい力で大きく吹き飛ばされた。
ビリビリと痺れ、身体がうまく動かせない。
ドクン!ドクン!
鼓動が大きくなり、胸がビクン、ビクンと跳ねる。
レオが眉をしかめて険しい表情をしているとザッザッと足音が聞こえる。タクトが地面を踏みしめるようにしてこちらに歩いてきた。
「おい。ルイはどうした!」
と声を荒げる。
「それよりも何だあいつは?あれは異常だぞ。」
恐ろしく真剣な顔つきで歩いてきた方向を眺めた。
「知らねぇ。あんなのみたことねぇ」
レオの眉をしかめ、なにかを考え込んでいるようだった。
「でもあれはルイじゃねぇ。そんな気がする。」
澄んだ力のある眼差しで遠くを見つめる。
「なに意味わからないこと言ってる。じゃああれはなんだ。」
眉間に皺をよせ、得心のいかないような顔で問う。
「わからねぇ!でも俺がそう感じてんだ。あれはルイじゃねぇ。」
レオは目をぎゅっと瞑り、首を大きく横に振った。
「グオオオォォォ」
遠くでルイの咆哮が聞こえる。さっきよりも怒り狂う危険な気配を感じる。
「まだやるか。このまま終わってくれれば殺さずには済むが・・・」
ドン!と空から何かが落ちてきて、大地を揺るがした。あたりに土煙が立ち込める。浅いクレーターのような痕でルイがゆっくりと立ち上がる。ルイのまわりをヘドロのようなものが飛び回っている。それはまるで意思を持っているかのようだった。いつもは優しそうな面影のルイに反し、今は目や口は吊り上がり邪悪さを感じさせる。ルイの手には、人間とは思えない凶暴なモンスターのような大きな鋭い爪が生えている。眼全体がボワッと緑色に光っていた。
「前言撤回だ。やっぱりお前は今ここで殺す。」
とタクトが大剣を構える。
レオの心に恐怖と不安が稲妻のように一気に通り抜ける。ごくりと喉を鳴らす。
タクトが獲物を狩るかのように飛びかかった。
大剣を思いっきり振り下ろす。
ガン!と鈍い音
ルイを一刀両断するつもりで振り下ろした大剣をルイは腕で受け止めた。
ルイがゆっくりと手を上げ、トンッとタクトの脇腹を小突いた。
ズガァァァン!
クッと声を漏らすタクト。
衝撃で身体が吹き飛ぶ。
タクトとルイの距離が離れる。
「ちくしょう。本当にこれで終わらせる。」
刀身に青白い雷が纏わせ始めた。
ルイはぼーっとタクトを見ると、なにかを掴もうとするように手をタクトへ向ける。
タクトの大剣が纏う雷がさっきよりも大きくなった時
タクトは首をルイに掴まれた。ルイは一歩も動いていない。
気づかぬうちにタクトの身体はルイの手の中にあった。
「ぐぉ!くそ・・・」鋭い爪がタクトの首に突き刺さる。
必死に力を入れ、首をつぶされないように耐える。
ガンッ!ドンッ!ドゴッ!
ルイはそのままタクトを地面に何回も叩きつけた。
「ぐわぁ!」
タクトの痛々しい声。
ルイがパッと手を離す。
時が止まったようなスローモーション。
ルイは悪魔のような笑み。
そして、浮いているタクトを連続で殴りつけ、空に向かって蹴り上げた。
ドゴッ!ヒュン!
ーくそ。わけがわからんー タクトは顔を大きく歪める。
ドン!
ルイが上に向かって飛び上がった。
空中にいるタクトを思いっきり蹴り飛ばした。
力のない人形のように吹き飛び、ドガン!と森に衝突した。
レオの中に不安は消え去った。それよりも、あの強者を一方的に蹂躙した力に総毛立つような思いであった。
ルイがきょろきょろとあたりを見渡している。ある一点でパッと動きが止まった。ルイの目の先には気を失っているエマたちがいた。一歩また一歩とエマたちに近づいていく。
「おい。なにしてる!エマたちに近づくな」
レオは急いでエマたちに駆け寄ろうとするが、足が震え動けない。ルイがエマたちの前で止まり、ゆっくりと凶暴な手を伸ばす。
「やめろぉぉぉぉ!」
と必死に腕を伸ばし、声を荒げた。
激しく動き回る赤黒いもやが膝を抱えるルイを覆っている。瞳は赤く充血し、殺気立った表情。
ー殺す。殺す。殺すー
ー僕がみんなを守る。みんなを守る。守る。ー
ーあいつは絶対に殺す。絶対殺す。殺す、殺すー
ーみんなを。みんなを。みんなを。ー
ーみんな殺すー
その時、ルイの胸のあたりからぽわっとした白い光が現れる。光がパァンと強く輝くとルイを覆っていた赤黒いもやがそれを嫌がるように消えていく。
ーちっ!まだ時間はかかるのによー
ー俺はいつでも代わってやるぞ。俺は・・・お前の・・・ー
何かを言い残す前に大きな赤い目玉は消えていった。
ーあぁ。温かい。ー ルイはゆっくりと瞼を閉じ、意識が途切れた。
凶暴な手があと少しでエマに届きそうなとき、神々しい白い髪の女性がルイを後ろから抱擁した。その瞬間、ピタッと動きが止まった。
「止まった・・・」
レオはトンと座り込んだ。
女性はルイをゆっくりと優しく地面に横たわらせる。すると凶暴な爪や邪悪なもやが消え、元のルイの姿に戻った。彼女はレオをじっと見つめると、人差し指を唇に当てた。レオは首を縦にふり、この光景は誰にも話してはいけないことを理解した。彼女はニコッと微笑むとスーッとその場から煙のように消えた。
「なにが起きたんだ・・・」
夢を見ているかのような顔つきをしていると、ハッとしてルイに駆け寄った。
「ルイ・・・」
ルイは疲れを全て忘れたかのように安らかに眠っていた。服はぼろぼろになっているが、外傷が全くない。レオはルイがルイであることにほっと胸を撫で下ろした。
「おい!そいつを渡せ。今すぐ息の根を止めてやる。」
レオが振り返ると、腹部を抑え顔を歪ませたタクトがいた。服はボロボロになり、額、首から血を流している。レオは意を決したような面持ちでタクトの前に立ちはだかる。
「ルイは殺させねぇ。俺の命に代えても」
剣を構える拳にはしっかりと力が入っている。
「お前も見ただろ。そいつを生かしておくと後々面倒なことになる。お前も殺されてしまうかもしれんぞ。」
眠っているルイに剃刀のように鋭い視線を浴びせる。
「うるせぇ!うるせぇ!うるせぇ!」
語尾に力が入るように声を荒げる。
「喚くことしかできない弱者が・・・」
と目を細め冷ややかな声をかける。
「そんなこと俺が一番わかってんだ!でもな・・・」
「友達一人守ろうとしないやつが。最強になんてなれるわけねーだろ!」
レオは全身を震わせ、喉が崩壊しそうなほどの大声を張り上げた。綺麗な澄んだ瞳の奥が炎で輝いているようだ。
「そのとおりだ!よく言ったぞ!少年。」
頼りがいのある伸びやかな声が後ろから聞こえた。ザッザッと地面を踏みしめる音をさせ、紅色の髪をなびかせる。試験監督のハンナがレオの前に割って入る。
「お前の意思。それは大切な強さの種だ。そのまま進め。」
と背中を押すような強さと柔らかさが入り混じったように語り掛ける。
「今は私が代わるけどな。」
とレオに振り向き、いたずらっぽくニカっと笑いかける。
「負傷者の手当を!ここは私が引き受ける。急げ!」
と大きく手を振り、勇ましい声を上げる。
後方でバタバタと救護を行っている中、タクトとハンナはお互い何も発することなく剣を構えたまま動かない。
「ハンナ・・・」
前に立ち尽くしているハンナは敵であるはずだ。しかしタクトは眉に皺をよせ、酸いも甘いも噛み分けたような顔つきをする。
「タクト。今度こそお前を捕まえる。大人しくしてくれ。」
とまるで子供を諭すように語り掛ける。数名の試験官たちがタクトの周囲を取り囲む。タクトはハァと息をこぼすと
「まだその変な話し方してんのかよ。変わっちまって。」
見下すような冷笑を浮かべた。するとハンナの目にキッと力が入る。
「私は私の仕事をまっとうしているだけだ!」
語尾が強くなる。タクトはぎらついた野蛮に燃えた瞳をハンナに向ける。
「協会の犬に成り下がりやがって。」
凄まじい威圧の波があたりに伝播する。
ハンナの髪が揺れなびく。試験官たちは一瞬気圧されるも、剣を構えなおした。タクトは瞳だけ左右に動かす。
ー今は部が悪いなー
タクトは空を見上げると、ピーっと指笛を鳴らした。空から何かが降ってくる。
「総員距離をとれ!」
ハンナの掛け声で試験官が後方に退避した。
凄まじい風圧で土煙が巻き上げられる。ハンナは猛烈な風圧に顔を覆い隠した。
視界がぼやける中、無理やり目を開ける。「なんだと・・・」と目をぎょっとさせる。
目線の先には中型モンスターのブリッツホークにまたがったタクトがいた。ブリッツホークは雲の覆われるような高山に生息する全身白い羽毛で覆われた獰猛な鳥型モンスターである。
ーブリッツホークを手懐けている?人を乗せるモンスターなんて聞いたことがない・・・ー
ハンナは虚をつかれたようにただ立ちすくんでいた。タクトはそんなハンナを曇った目でただ見つめていた。ゆっくりと目を閉じ、カッと鋭い目に置き換わる。
「次会うときは殺し合いだ!」
「じじいにも伝えておけ。お前たちは俺がつぶすと。」
タクトは殺気を帯びた声でそう言い残すと、空へと飛び立った。
「待て!」と試験官の一人が叫ぶ。ハンナは手を試験官の前にかざす。
「ハンナさん!また取り逃がしますよ!今やらないとあの男は・・・」
ハンナは情を含んだような、少し悲しそうな目つきで空にタクトを眺めていた。
「相手が相手だ。こちらも準備が足りない。負傷者は少ない方がいい。」
思いつめた顔をするハンナに試験官たちはこれ以上何も言わなかった。ハンナがスーッと息を吸い
「総員!周囲を捜索せよ!まだ敵がいるかもしれない!」
といつものように伸びやかに声を張った。
ハンナはレオの肩にポンっと手をおき、
「よく無事でいてくれた。君のその勇気。我々も受け取った。
」凛とした目を細め、温かく語り掛ける。レオは目を逸らしバツの悪そうな顔をした。
「ここに来るまで早いじゃねーか。キャンプから結構遠いだろ。」
「あぁ。それはあの少年のおかげだ。」
ハンナの視線の先には、試験官におぶさったケイがいた。顔が少し青みがかって、ぐったりとしている。
「あの少年がここを教えてくれた。」
ケイがタクトに吹き飛ばされたとき、緊急事態だ!そう思いキャンプに向かって全速力で走っていた。息が切れ、肺がつぶされそうになっても走り続けた。自分にできることは一刻も早く試験官たちに伝えること。そう感じていた。徐々に顔が青っぽい紫色に変わる。そして、息ができず倒れこんでしまった。その時、すでに異変を感じて森に入っていたハンナたちと遭遇したのだ。ケイは必死に手を伸ばし、囁くことしかできなかったが涙を流しながら必死に状況とルイたちの場所を伝えていた。
「根性あるやつじゃねーか。」
レオとハンナは真っすぐにケイを眺めていた。
「あぁ。ああいう子は将来化けるぞ。」
ハンナが晴れやかな色を顔に浮かべる。その後、目を細めながら周囲を見渡す。腕を組み、顎に手を沿わせた。
「聞きたいんだが・・・この惨劇はなんだ?」
荒れ果てた森をじっと眺めた。
「あの男とまともに戦えるやつがこの中にいるとは思えん。誰かきたのか?」
少しまくし立てるようにレオに問いかかた。レオは言おうか言わまいか、心が揺れ動く。タクトと戦っていたのはルイのようでルイじゃない者。エマたちに手を出そうとしたこと。そして、白い髪の女性がそれを止めたこと。口を開けば楽になれるが、理性が口を閉ざす。胸にむず痒さを感じ、顔は俯いていた。
「まぁいい。言いずらいこともあるだろうが・・・」
ハンナは組んでいた腕をほどきレオの顔を覗き込むようにしゃがんだ。
「あまり一人で抱え込むな。その重さはいつか反動がくるぞ。」
レオは唇を噛みしめ、ハンナと目を合わせなかった。ハンナは鼻から小さいため息をこぼす。
「ハンナさん!周囲に敵の姿はなし!」
「森の中にいた負傷者も運び、手当は済んでいます。気を失っていますが、致命傷はありません。」
タクトにやられたレオのパーティメンバーのルナとロイ、リュウのパーティメンバーのガルとエミリもここに運び込まれた。
「わかった。総員キャンプへ帰還!試験を続行する。」
ハンナが立ち上がり声を張る。レオに背を向けキャンプへと帰還しようとしたとき、
「おい。一つ聞きたい。」
「あんた。あいつとなんか関係あんのか?」
レオは探りを入れるような目つきで問いかける。ハンナの歩みはピタッと止まり、下唇を噛んだ。
「ここでは言えない。」
と喉に何かが絡まったような掠れた声で答える。キュッと握られた拳をレオは横目で見つめる。
「あぁ。そうかよ。試験監督さんよ。」とふてくさったように口を尖らせた。
「今日の夜。アラン村へ行く。カルマの家だ。聞きたいなら来なさい。」
そう言い残すとハンナと試験官たちはキャンプへ帰っていった。
「うーん・・・うーん・・・」
寝ているルイの眉間に皺が入る。ルイは夢でタクトに腕を破壊される情景を見ていた。タクトがゆっくりと膝をあげ、踏み抜こうとしたとき
「うわぁぁぁぁぁ!ってあれ?」
ルイは息を荒くし、夢から覚めた。自らの目で両腕が正常に動いていることに目を丸くしていた。
「目が覚めたかよ。」
レオは胡坐をかき、考え事をしているかのように遠くを眺めていた。
「レオ・・・」
ルイはレオと腕を交互に見ていると、アッ!と声を張りパッと立ち上がる。
「あ!あいつは。あいつはどこにいった?」
ファイティングポーズを取り、あたりをきょろきょろと警戒した。
「もう終わった。あいつはいねぇよ」
と低く平らな声で答えた。
「そうか・・・」
そういうとルイはその場に膝を抱えるように座り込んだ。
「あんなに力の差があるんだね。まったく歯が立たなかった。」
目を細めぼんやりと地面を眺め、身体を前後に揺らした。
「お前。なんにも覚えてないのか?」
横目でルイを見ながら曇った声を発した。
「なにが?」
「いや。なんでもねぇ」
レオは森に刻み込まれた激しい戦闘の跡を鋭利な眼差しで見つめた。その後、大きく深呼吸をしスッと立ち上がる。
「それより全員起こせ。試験が終わっちまう。」
ルイたちはここにいるすべての志願者たち起こした。ルイたちはサイモンたちから獲得したバッチの予備があったので、レオのパーティとリュウのパーティに渡すことにした。
渡そうとするとレオは死ぬほど嫌がったので、ロイに渡した。リュウはすんなりと受け取ってくれた。
ルイ、レオ、エマ、リュウの4つのパーティは無事にゴールへと到着した。
波乱万丈だった僕たちのハンター試験はこれにて終了した。しかし、彼らの降り注ぐ脅威は始まったばかりであった。
人々が寝静まっているような時間。空は厚い雲で覆われ、星々の輝きが遮られる。地上がいつにもまして闇に閉ざされる。その闇の中、ブリッツホークに乗ったタクトはどこかを探すようにゆっくりと首を動かした。真っ暗な渓谷の中にぽわっと光る場所を見つける。タクトはブリッツホークの首筋をポンポンと軽く叩くとそこに降下していく。
「おい!タクトさんが帰ってきたぞ!」
と夜陰の中、松明を持った男は声を張った。
地上に着陸したタクトは地面に足をつけるとガクッと膝を折り顔を歪めた。額には汗が浮き出し、呼吸は浅く短い。
「タクトさん!大丈夫ですか!?セナ!手をかせ!」
その声を聞いた金髪の青年が持っていた松明を投げ捨て急いでタクトに駆け寄った。
「タクトさん!すぐに手当てを!」
セナの黄色い瞳が動揺で揺れ動き、しゃがれた太い声に熱がこもる。
「いや。必要ない。少し休む。」
タクトは顔をしかめ、腹部を抑えながら洞窟の中に入っていった。背中が丸まり、いつもの勇ましさを感じられない。
「セナ。あんなぼろぼろのタクトさん。初めて見たな。」
「あぁ。そんなに凄いやつがいたのか……」
セナは心持ち釣りあがった目を細めタクトの背中をぼんやり眺めた。
洞窟の中には多くの人が生活をしていた。タクトは彼らに声をかけられるたびゆっくりと手を上げた。彼らに心配させまいと無理して背筋をのばし、気を張っているようだった。
布で仕切られた部屋に入ると、ドスン!と椅子にもたれかかった。手を額に置き、呼吸を繰り返す。暗い天井をぼーっと眺める。そして、何かを思い出すようにギリッと歯ぎしりをし、椅子をドン!と叩いた。ふと正面を向くと、布越しに小さな影が見える。
「イヴか。なんだ?」
と低い声を出す。部屋に入ってきたのは場違いな刺繍、レースが細部まで装飾された黒いドレスを着た少女だった。イヴが無表情のままスッと両手を伸ばす。手の上には薬のような瓶が乗っている。
「いらん。」
と吐き捨てるように呟き、目を背ける。イヴは赤い瞳でジーっとタクトを見ながら薬を差し出す。だんだんと距離が近くなる。
「わかった。受け取っておく。」
とタクトが薬を受け取ると、イヴが微笑んだ。大きなウェーブのかかった耳上ハーフツインを弾ませ、タクトの部屋を後にした。
タクトは薬の匂いを嗅ぐと、顔を歪めた。机の上に薬をコトッと置き、眠りについた。
男たちが火を囲んでいるとトコトコとイヴが走ってきた。
「タクトさんに薬渡せたか?」
セナが腕を組み、眉を顰めながら問いかけると、イヴはコクコクと頷いた。
「そうか。よかったな!」
口角を上げニカっと笑った。セナを含めた男たちがひどく神妙な顔つきで炎を見つめる。セナの目に力が入る。
「全員集めろ。」
と低い力のある声をあげる。セナの黄色い瞳は赤を煌かせながらゆっくりと燃えている。
洞窟の奥に人々が集結する。セナは手に持っている松明を油臭い大きな木の枠の中に放り込む。ぶわっと火が大きくなり、洞窟内が明るく照らされる。
そこには屈強な男、女性や子供が大勢いた。洞窟の入り口までは灯りは届かないが、洞窟の入り口の方からぞろぞろと人が入ってくる。セナは壇上へと駆け上がる。
「タクトさんが帰還した!しかし、かなり大きなダメージを負っている。」
しゃがれた声が洞窟内をこだまする。一瞬沈黙が広がった後、人々はざわざわと声を交わす。
「タクトさんはしばらく休養が必要だ!」
セナは彼らを真っすぐな瞳で見渡した。目の前にいる人々の視線がセナに集中する。
「タクトさんが休んでいる間おれたちは何をする。何ができる。」
歯をギリッと食いしばり、力をいれた拳が震えている。
「いつも通りってわけにはいかねぇよな!みんな!」
胸の内に溜め込んだものを吐き出すかのように声を張った。そして拳を上に突き上げる。
「タクトさんの意思は我々の意思だ!」
その声は洞窟の入り口の方まで遠くに聞こえるようだった。セナの拳を見上げる人々は仇を討つような形相へと変わった。
「全員気を引き締めろ!死ぬ気で鍛えろ!」
手を大きく振り、彼らを鼓舞する。ざわざわとする声が次第に熱を帯びていく。
「あの時のこと。あの日のこと。やつらに踏みにじられた日を忘れるな!」
胸が燃えるように熱くなり、瞳の奥には火が灯された。
「いつかくる決戦の日!臆することなく!必ず成し遂げるぞ!」
洞窟内は熱気に包まれ、ウォォォォという人々の魂の声があたりに響き続けた。