1話 プロローグ
ーだれか助けてー
小さな体は限界を迎えていたが、がむしゃらに足を前に進めた。呼吸をすれば喉の奥で砂を擦るような高い音。蒼黒の瞳に映るのは、地獄のような火の海。いたるところに人やモンスターの亡骸が散乱している。飛び交っていた人々の悲鳴やモンスターの咆哮は燃えさかる炎に飲み込まれていった。
黒く淀んだ空の下。炎だけがあたりを照らしている。少年は必死に物陰に隠れた。手で口を覆い、小さな音さえも立てないように。心臓の鼓動がうるさく頭に響き続けていた。
「小僧。そこにいるのはわかっている。早くでてこい」
太く恐ろしい声が地鳴りのように周囲に響き渡る。背筋が凍るような赤黒い恐怖を思い出す。少年はピタッと息を止めた。
ーどっかいけ、どっかいけ、どっかいけー
ギュッと目を瞑り、心の中で神に願う。しかし、その願いは神に届くことはなかった。少年は急な爆風により、瓦礫と共に大きく吹き飛ばされた。地面に這いつくばり、かすむ目を開く。青黒い肌と大きな黒漆の翼は人とは思えない異形な姿。ゆっくりと近づいてくる。
全身がガタガタと震え、恐怖がじわじわと心に侵入してくる。
「さぁ。早くその力をよこせ。」
異形の手が迫ってくるそのとき。ドカァン!大きな衝撃波が異形を大きくのけ反らせた。
少年は瞬く間に異形から離れ、きょとんとした顔つきをする。その出来事はあまりにも早く、音すら追い付かないほどだった。異形がニチャッと笑う。まだ遊べるおもちゃをみつけたかのように目を輝かせ、
「おいおい。まだ生きてやがったのか。」
どこか甘ったるい気味の悪い声を発した。
少年は女性に抱き抱えられていた。目を横にやると男性がフーッと安堵の息を漏らし、
「ルイ!1人にさせてわるい!」
と声を張り上げた。荒々しいが、その中に優しさと頼もしさを感じさせた。
「もう大丈夫。安心してね」
女性の声は春のような温かさに溢れていた。その声は全てを包み込むような、誰よりも安心する存在であることを感じさせた。
彼らが纏う緑色のオーラは、生命力そのものが具現化したかのように光輝いている。
緊張と恐怖でピンッと張りつめていた糸がプツンっと途切れる。ルイは気を失った。
そのとき、どこからともなくフッと白いロングヘアの女性が現れる。その顔はまるで絵画から抜け出したかのように完璧で美しい。
「レイア様すみません。この子をお願いします。」
女性はルイをレイアにそっと渡した。レイアはぼんやりと無表情。しかし身体をふらふらさせ、立っているのが辛そうである。
異形はにやついた表情から一変し、歯をギリッと噛み締めた。怒りに満ちた目でレイアを指さし、低く唸る。
「おい。お前。今すぐ消してやる。」
獣が獲物を狙うかのように、足に力を溜める。
ぐぉぉぉぉ!と大きな唸り声をあげ、ルイを抱いているレイアに飛びかかった。
ドォン!
衝突!
男性と女性は異形を食い止める。
ビュゥゥン!
ぶつかった衝撃であたりに突風が吹き荒れる。彼らが纏うオーラが異形の凶暴な手を押し返していた。しかし、異形の圧に押され、彼らは地面を擦るように徐々に後退していく。
「お前の好き勝手にはさせないぞ!」
と男性は噛みつくように声を張り上げ、全身に力を込める。
グググッと異形を押し返す。
「じゃあ。これはどうかな」
異形の手に小さな太陽のような輝き
ドガァァン!
地を揺るがすような爆発。
彼らは吹き飛ばされ、地面に激しく叩きつけられた。力なく倒れこむ二人。
異形は女性に近づくと、片手で頭を掴んで持ち上げる。女性はグゥッと顔を歪めた。
「どうせ滅びゆく運命だ。いま楽にしてやろう。」
とせせら笑うような口調で言った。
次の瞬間、女性はフフッと笑い、異形の額に手かざす。女性の手がぱぁっと光り輝き、何かが女性の身体に取り込まれた。
「ぐうぅぅぅ。なんだこれは。なにをした。」
地面にガクッと片膝をつき、呼吸が荒くなる。異形は女性を嫌がるように、凄まじい勢いで遠くに放り投げた。
「危ない!」
と男性は疾風のごとく駆け寄り、女性を抱きかかえた。
「ゴミどもが・・・」
と異形の声が怒りに震えている。膝をついたまま、彼らの後ろにいるレイアを睨みつける。
二人がレイアのもとに駆け寄る。レイアの腕の中にいるルイはすべてを忘れたように深い眠りに落ちていた。その天使のような寝顔はこの殺伐とした空間を一瞬だけ忘れさせてくれた。
男性と女性は互いに顔を合わせ、小さく微笑む。そして、彼らはじっとレイアを見つめた。言葉にしなくても意思疎通が取れるかのように。レイアは焦るように首をきょろきょろとし、切なそうな訴える目が地面に落ちる。彼らはレイアの肩にそっと手をのせ、コクンと頷いた。レイアは赤く潤んだ目で暗澹の空を見上げる。ゆっくりと静かに瞼を閉じる。涙が一滴。ポチャンっとルイの頬にこぼれ落ちた。
次の瞬間、まばゆい光が三人を覆った。星々が一斉に輝きだしたかのように。
「いつかまた会えるからね。」
と女性が優しい口調で寂しげに伝えた。
ルイの額に優しいキスをする。レイアが何かを唱えているが、言葉は聞き取れないほどに複雑だ。まるで異次元の言語のように感じられた。
「まさか。くそぉ!やめろぉぉぉ!」
と激情をはらんだ叫び声をあげながら、迫ってきた。これまで見たことのない焦燥感。
「どうか幸せに。この世が滅んでも。ルイあなただけは生きて。愛してる。」
一筋の光が暗々の雲を貫いた。次の瞬間、まばゆい光がすべてを飲み込んだ。