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短編

嫌がらせに全振りした男爵令嬢の話

作者: 猫宮蒼



 エイミは最近平民から男爵令嬢になった少女である。

 かつて母がとあるお屋敷でメイドをしていて、その時に次期当主でもあるエイミの父と結ばれ――というか手を出され、そうして生まれたのがエイミである。

 だがしかしエイミからして腹の立つ事にエイミの父は母について遊びであったらしく、エイミの母はそれを薄々察知していた事もあり、子ができたとわかった途端屋敷から逃げたのだそう。


 逃げなきゃいけないくらいヤバかったって事? とエイミは物心ついたあたりで母から聞かされた話に戦慄した。

 これが平民同士ならまだしも、相手が貴族というだけで最悪邪魔になったら殺される事もあり得ると言われてしまえばエイミも貴族って怖い、と思うしかない。人の命を何だと思ってるんだ。


 というか、あのままお屋敷でメイドとして働いていたならまだ生活に余裕を持てる程度に稼ぎもあったはずなのに、お屋敷から逃げ出してそうして王都からも離れた寂れた小さな町で暮らしているのが現状である。

 小さな町だけならともかくいかんせん若い人間はほとんどが都会に出ていってしまって、限界集落一歩手前といっても過言じゃないくらいの寂れた町。

 雰囲気的には町というのもおこがましい。村か、集落か。一応建物とかそれなりにあって見た目だけはそれなりにどうにか体裁を保ってる感があるから町って言っても許されてそうな部分は否めなかった。


 ともあれ、そんな寂れた町で仕事がマトモにあるか、と問われればあるはずがない。

 外からくる旅人だとかもこんな所に来る酔狂なのはいないし、そうなればレストランだとか食堂だとか、そういったところで働くにしても店がまずない。


 メイド時代のあれこれをどうにか活かして針子として働くようになった母の稼ぎは、屋敷にいた時と比べとんでもなく下がってしまった、らしい。


 いかんせんエイミは母がお屋敷で働いていた時代の時まだ生まれてすらいなかったので、母から聞いた話だけしか知らないのだ。


 母と娘の二人きり。

 若い人間はほとんど出ていってしまったために、町に残っていたお年寄りはなんだかんだ二人に色々と親切にしてくれていた。それもあったからこそ、低い稼ぎでも親子二人、どうにか生きていけたと思っている。

 人々の親切によって生かされている……!


 エイミは幼いながらも確かにそう実感していた。



 さて、そんな中、今までの過労や心労が祟ってしまったのか母が倒れた。

 医者に見せようにもいるのは小さな町医者のおじいちゃん先生。

 しかも結構な御年でマトモな会話が成り立つかも疑わしいくらいのよぼよぼなお爺ちゃんである。

 お母さんが倒れた事を伝えに行って、それでも先生を連れて戻ってきてみればその頃には母はすっかり手遅れであった。おじいちゃんがもっと移動を俊敏にできていれば、もしかしたら助かったかもしれない。だが流石にいくらお母さんが危険だからといっても、足取りもおぼつかないような老人を急かして今度はおじいちゃん先生が倒れたら元も子もない。


 エイミにとってはその時できる最善の事をしたつもりであっても、結果は決して最善でも最良でもなかったのである。


 まだ二桁にもなっていない年齢から、エイミはたった一人になってしまった。町の人は親切だけれど、流石に何もできない子の面倒を黙って見てくれるわけがない。今までは母が針子としていくつかのお仕事をしていたから、それもあって面倒を見ていてくれただけだ。


 孤児院もないような寂れた町に一人でいても、先はない。

 どうにかして孤児院がある程度には大きな町へ行くべきだろう。


 エイミは常々もし母がいなくなったら、というもしもの話を母から聞かされていたので、今後について何をすべきかよく理解していた。聞いていた時は縁起でもない事言わないでと思っていたが、聞いていなければどうしていいかわからずに右往左往して、そうして最終的に何もできない役立たずとしてこの町で疎まれていたかもしれないのだ。

 決して多くはない荷物を纏めて、売れる物は売って路銀の足しにする事にした。まだ幼いエイミ一人で町を出るのは無謀かとも思われたが、しかしその直前で待ったがかかったのだ。


 それが、かつて母に手を出した父である。

 彼の家ではその後、どうにか跡を継いだ父が当主となったのだけれど、直後に病気に罹り数日寝込んだ結果、なんと子が作れなくなってしまった事が判明したのだとか。

 病気に関しては既に薬があったので、罹ったとわかった時に早々に薬を飲んだにも関わらず、それでも三日程高熱にうなされていたというのだ。そしてそれが原因で子が作れない身体になったと医師に説明されたのだとか。

 実際そうなる人はいないわけじゃないが、それでも薬もなかった昔に比べれば大分少なくなっていたらしい。つまり、この男はその少ないカテゴリに不幸にも入ってしまったわけだ。


 子が作れないのでは結婚した妻も跡取りを生む以前の話であって。

 そもそも種がないのだ。

 親戚筋から……と考えても困った事に男爵家の親戚筋の大半は女系家族かというくらい女性が多く、かろうじている男性は年を取りすぎているか、まだ幼いかの極端な二択でしかなかった。


 このままでは家の跡取りに困るのは言うまでもない。


 そうして男爵は、必死になって何か、どうにかできる手段や方法がないかと調べていくうちに――かつて自分が手を出したメイドの事を今更のように思い出したのである。


 当時はまだまだ元気で子も作れる身体だった。

 そして彼女は急にやめて屋敷を出て行った。

 もしかして、子が出来ていたのではなかろうか。

 そんな三段論法でもって、男爵はエイミの母を探し始めたのである。


 そして居場所を突き止めた時には既にエイミの母は死に、娘だけが残されていた。


 男爵からすれば母親と話し合う必要もなく娘を引き取れる事もあって、なんて運がいいんだなんて思ったりしていた。内心で思うだけであっても、ほんのり表情に出ていた事もあってエイミは父親の事が好きではない。


 男爵家の跡取りとして、というよりは婿に優秀な貴族の次男か三男あたりを迎える事ができればいい。

 父親はそんな考えだったし、その妻もエイミに特にこれといった期待はしていないようだった。

 ただ、最低限貴族令嬢としての礼儀作法だとか必要な知識だとかは無いとお話にならないので、そこらへんだけきっちり教育するように、と夫に進言していたし、妻もできる事は手を貸していた。


 だがしかしエイミはもう一度述べるが、父親である男爵の事は好きではないし、ついでに言うならその妻に対しても好意があるか、と問われれば特にない。

 一応貴族令嬢として最低限の体裁を整えようと思って教育をするようにと家庭教師だとかを手配したり、妻自ら教えてくれたりした事に関して若干の感謝がないわけでもないが、しかしそれは別段エイミを思ってした事ではなく、あくまでも男爵家のためだ。


 そもそも男爵が子供が作れない身体にならなければ、エイミはここにはいなかった。

 利用できる道具としてしか見ていない事をハッキリと理解していたので、エイミはどこまでも冷めた目で男爵夫妻を見ていたのである。



 そもそも養子として迎え入れられたエイミだが、元は平民として暮らしていたのだ。

 そんな娘に早々に婚約者などできようはずもない。

 まぁ、だからこそ貴族令嬢としての教育に力を入れていたというのもあるのだけれど。


 ある程度形になってきたあたりで、エイミはこの国の貴族たちが通う学校へ通う事になってしまった。

 お屋敷で家庭教師にお勉強は教わっているのに、更に学校に通えと? と思ったがどうやらある一定の年齢になれば貴族たちは通わなければならないらしい。

 ほぼ同年代の生徒が通う学校は、つまり出会いの場でもある。

 婚約者が決まっている者も勿論いるが、そうでない者たちもそれなりにいる。そういった者たちは学校で相手を探したりすることもあるのだとか。

 勿論結婚相手を見つけるためのものではなく、将来的に人脈を広げるためのものでもあるのだが男爵はエイミに学校で相手を見つけてこいと言い放った。


 もう一度言っておこう。

 エイミは父親の事が嫌いである。


 母にした事で自分が生まれたのは事実だが、それ以外で感謝できるべき部分は正直ほとんどないと思っている。

 こっちの意思を無視して養子として引き取った事だとか、更には学校に行くのはどうやら義務らしいので仕方がないけれど、しかしそこで自分の結婚相手を見つけてこいとは……

 エイミの事など都合のいい道具だと思っているであろう父親の事をエイミが尊敬できるはずもなければ好きになれるわけがない。


 だからこそエイミは。

 父親の思い通りになってたまるか、と内心で思いながらも学校に通うようになったのである。


 そうしてエイミがした事といえば。


 元々平民だったから貴族のマナーとかわからなくってぇ、なんて言いながら、それはもう色んな男に声をかけ誰彼構わず魅了していったのである。


 エイミが引き取られてから数年は経過している。決して数か月などではない。年単位だ。

 そしてそこで、最低限の礼儀作法だとかを習得しているにも関わらず、エイミは「貴族の事ってわかんなーい」をやらかしたのである。

 勿論実際エイミは貴族としての最低限の礼儀は弁えている。だからこそ、平民のような近しい距離での接し方にそこそこ良い家で生まれたお坊ちゃんたちが慣れていないだろうと思っていたし、実際その読みは当たっていた。


 とはいえ、近しい距離で接するとは言ってもエイミは一線を超えるような真似はしなかった。

 親しい友人にハグをするような感覚で接する事はあっても、恋人のような接し方は一切していなかったのである。

 そこに恋愛の色が混じっていない事を、エイミが近づいた令息の婚約者たちは薄っすらと気付いていた。だが、それはそれとして馴れ馴れしく近づくエイミの事を良く思えというのも無理な話。

 令息たちはエイミに関してまだ平民としての常識が強く実際不慣れなのだろう、と生温かく見守る派と、物珍しさから構い倒す派とに分かれた。

 最初は珍しい動物扱いだったと思う。

 だがその動物が人懐こく、愛嬌もあるのであれば案外絆されるのは早い。


 もっと露骨に擦り寄るような事をしていたならば、令息たちもそれなりに警戒心が働いただろう。

 けれどもエイミは別段恋愛をお望みのようでもなければ、金銭を目的として近づいた様子もない。

 中にはそれでもそこら辺がわからずにエイミに気付けばずぶずぶとハマってしまった令息や、本人が遠慮しているのに貢ぎ始めた者もいるようではあったけれど。


 エイミはただとても愛想良く接しているだけだ。

 あわよくばこの人の妻に、だとかそういう空気を出した事すらない。

 それもあるからこそ、少々不愉快であっても令嬢たちは様子を見る事にしていたのである。

 自分の婚約者を篭絡しようとしていたならばこんな悠長に構えていたりはしなかっただろう。


 勝手に篭絡されていった令息たちの婚約者でもあった令嬢は、あんなハニートラップにもならないものに引っかかるとか、本格的なハニートラップを仕掛けてくる相手がいたらどうなるのかしら、と不安を抱き婚約の見直しを親に進言する事になったようではあるが、だからといってこの時点でエイミに令嬢たちからのお咎めはなかったのである。



 さて、そんなこんなでエイミは令息たちに親し気に近寄って、そうしてにこにこ愛想を振りまき時に相手に寄り添うような言葉をかけ、それはもう令息たちからすれば癒しのような存在になった。

 笑顔を絶やさず自分の話を興味深く聞いてくれて、それでいてちょっと弱音を吐いたとしてもそれを叱責する事なく優しく寄り添う言葉をくれる。


 令息じゃなくたって、例えば心が弱っている女性であったとしてもエイミのやり方はきっとうまくいっただろう。

 一緒にいて嫌な気持ちにならなくて、それどころか安息を覚えるのだ。

 もっと話を聞いてほしいし、褒めてほしい。

 令息たちの大半はエイミに対して恋愛感情を持ってはいなかったが、だからといって彼女に何も思っていないというわけではなかった。

 幼い頃、まだ自分が貴族としての自覚を持つ前。ただただ親から愛されて肯定されるだけの、甘く優しく穏やかな世界。そんな、もう随分と遠い思い出になったはずのそれらが、今こうして目の前にやって来たのだ。つい、疲れた心を癒そうとエイミを近くに置いたとしても、それは決して疚しい気持ちからではなかった。



 そうしてエイミは気付けば学校に通う王族にも目をつけられた。

 第一王子オスカーは将来王になるとされている。それ故に重圧も当然あるし、だからこそ、ちょっとした癒しを求めてエイミに近づいてみたのである。

 そしてその結果、ずぶずぶにハマった。

 キャバに貢ぐ男性やホストに貢ぐ女性なんて比べ物にならないくらいあっという間に沼にはまり、常に近くに置くようになったのである。

 流石に他の令息たちは自分たちの癒しを取られた事に思う部分がなかったわけでもないけれど、しかし相手は王子だ。仕方なしに諦めた。

 婚約を見直そう、とか思われていた令息たちはともかくそうじゃない令息たちはそんな落ち込んでしょんぼりしたところを婚約者たちに慰められ、心の隙間をまんまと埋めた令嬢にこれまたコロッといったのである。

 男って単純、とは言うなかれ。

 エイミが女性で近づいたのが令息たちだったからこうなっただけで、エイミの性別が男性であったならこの逆パターンが起きていた可能性は充分に高いのだ。


 エイミは決して恋人のような振る舞いはしなかった。

 ただただ優しく、時として幼き頃の母のような、はたまた穏やかで優しい姉のような、そんな存在として在ったのである。


 だがずぶずぶにハマった王子は自らの婚約者よりエイミを妃に迎えようと考え始めていた。

 王子とその婚約者とは国が定めた政略結婚である。

 王子の一存で婚約を無かったことにして、新たに結べるものではない。エイミの素晴らしさをいくら説いたところで、彼の父でもある王がそれをおいそれと認めるはずもないというのに、王子はそれでもエイミなら、と思っている節があった。



 エイミは女性に対して態度を変えて接する、というところまではしていなかったが、まぁ婚約者のいる男性に近づく女だ。正直令嬢たちの方がいい気分ではなかったので距離を置いていた。

 何か言っても貴族の常識ってまだわからなくってぇ、とあからさまな嘘を吐く女と真っ向からやりあうのも面倒だった、というのもある。

 令嬢たちが距離を取っていたのもあって、お友達が中々できなくて……やっぱり私が元平民だからかしら……なんて思ってもいない事をしゅんとした様子で言って令息たちの同情心を擽ったりしてもいたくらいだ。

 令嬢たちからすればこの女随分とまぁ強かですこと、と思った事だろう。


 だが、流石に将来王となる男の妻の座を、それも正妻の座を狙っているというのであれは放置しておくわけにもいかない。


 オスカーの婚約者である令嬢、ルーミアは流石にこの状況を放置しておくわけにはいくまい、とエイミを呼び出す事にした。



 まるで市井に出回っている平民の夢を詰め込んだ小説のような展開になってきたわね……とルーミアは思っていた。小説というが、そもそも平民の中には文字を読めない者も多く、それもあって文字というよりは絵の方が多いものも中にはある。ルーミアは勉強の息抜きにそういった物を娯楽として見る事もあったので、そういった内容に詳しかった。


 平民から貴族になった少女。

 貴族の常識がわからず戸惑っている所を親切にされて、そうして親切にしてくれる男性と仲良くなっていく。その仲良くなった相手が王子や公爵家という身分が上の存在で、少女の心に触れた男は彼女を愛するようになり、元々いた婚約者との距離が開いていく。

 少女に嫉妬した令嬢たちが嫌がらせをするものの、しかし少女はそれにも負けず最終的に少女を虐げていた令嬢たちの悪事は暴かれ少女は愛する人と結ばれハッピーエンド。

 まぁ途中の展開が異なる事はあっても、大体そんな流れだ。


 今日こうして呼びだした事も、もしかしたらエイミにとっては言いがかりをつけられる、もしくは嫌がらせを受ける切っ掛けになるとでも思われるかもしれない。

 けれども、ルーミアもまた何もしないわけにはいかなかったのだ。


 王子が道を踏み外すかもしれないというのを分かった上で放置するなど、婚約者として、将来の妃になる女としてやってはいけない事だ。

 それでなくとも王子や自分には密かに影がつけられている。だからこそ、余計に。


 形だけでも自分はきちんとやりました、というポーズをとっておくのはルーミアにとって必要だったのだ。打算塗れであるが、勿論ルーミアはそれを否定なんてしない。



 てっきりエイミは自分の事を悪役令嬢か何かを見る目で見てくるかと思っていたのに。


「実は、男爵家を潰そうと思っていて」


 一体どういうつもりかと問いかけた時にこたえられた言葉にルーミアは、

「思っていたのと何か違う展開ね……?」

 となったのである。


 将来この国を背負って立つ女、王の隣に並ぶ事を許された妃となるべき娘。

 そんな実質国のトップも同然だろう相手に声をかけられたエイミは、よっしゃ! と内心ガッツポーズを決めた。

 これはもう数々の男性に言い寄った事に対するお叱りに違いないとすら思っていた。

 思ってたよりも声がかかるのが遅かったが、まぁ結果オーライ。


 そう思って、エイミは自らの計画をしれっと暴露したのである。


「男爵家が潰れなくとも、私があの家にいられなくなればそれでよかったんです」



 そう、エイミは何度だって断言できるが父親が嫌いなのである。思春期拗らせての反抗期だとかではなく、純粋に人としてその存在を嫌っていた。あれの血が半分でも流れているという事実だけで一生嫌える。それくらい嫌いであった。


 だからこそ、あの家潰そう、と割と短絡的な事を考えてしまったのである。

 そもそもだ、あの男が子供を作れなくなった事に関してはまぁ、ざまぁとしか思っていない。お前の遺伝子ロクでもないから神様が子孫作んなって言ってんだよ、とか素で言いそうになった事も何度だってあった。

 言えば多分あの男の事だ、後先考えずカッとなってエイミの事を殴りつけただろう。それがわかっていたからこそ、エイミは思うだけにして口には出さなかった。

 殴られるならその事実を有利に使える状況でなければ痛い思いを無駄にするだけであるので。


 だがまぁ、そんな男の妻になった夫人に関してはちょっとだけ、指先程度に同情しなくもない。一応貴族としての教育だとか面倒を見てくれたのは何だかんだ夫人であるし。

 あの男の血を引いた娘がロクでもない事をして男爵家に痛手を負うような事になれば、離縁だってできるのではないだろうか。あの夫人はあんな男の妻でいるのは勿体ないと思う。いやまぁ、多少の恩を感じてはいるけど別にエイミは夫人の事は好きではない。ただ比較対象が父であるので、相対的に好意的に思えるだけで。


 父の事は殺していいなら殺す程度に嫌いだけど、夫人の事は別にそこまで嫌っているわけではない、といったところか。


 なのでまぁ、学校でエイミが男の尻を追っかけて迷惑を振りまく存在になれば、そのうち男性の婚約者である身分の高い令嬢が実家に苦情でも入れてくるかと思っていた。そうしたらそんな恥さらし、学校においておけるはずもない。エイミは学校から退学という形で家に連れ戻され、そこで恐らく叱責されるだろう。どういうつもりだと。

 それに対してエイミはしれっとお父様が結婚相手を見繕ってこいと言ったので、と答えてやるつもりだった。

 家の方針に従っただけで私何も悪くありませんよ、のツラをして父のメンツをつぶしてやろうと思っていたのだ。実際そう言ったのは父であるし、子は従順に従っただけ。その結果がコレである、という事実に父が何を思うだろうか。まぁ自分の事は棚に上げてエイミが悪いと決めつけるだろう。お前が上手くやらなかったから! と。


 次に考えられるのは、貴族の中でも身持ちの悪い男の後妻あたりか、はたまた家ではきちんと対処しましたよと苦情を出してきた貴族の家に対するポーズかで、修道院行きか。

 まぁ家を出られればどうでもいい。

 その後の事はどうとでもなる、とエイミは思っていたので。


 エイミはルーミアに、馬鹿正直に今までの事を話した。誰に伝わろうともエイミには何も問題はなかったのだ。平民の血を引いている事を恥と思った事はない。母は、聡明な女性であった。エイミが恥だと思っているのはあくまでも父の存在である。だから、男爵家の名が地に落ちようとそれはエイミにとっては何を思うでもないものなのだ。


「いっそこんな不出来な娘を学校に放出した、という不名誉な事実と共に社交の場で笑いものにでもなって外を歩けなくなればいいと思っているのですが、正直ちょっとインパクトが薄いかなと思っていたのです」


 ルーミアは顔にこそ出さなかったが、脳内ではとんでもなく色んなことを思案する羽目になった。


 思ってたのと何か違う。


 てっきり娯楽本のように将来はぁ、お妃さまになって綺麗なドレスや宝石に囲まれていっぱい贅沢して暮らすのぉ、キャッ☆ みたいな頭の悪い反応がやってくるかと思ったのに贅沢のぜの字も出てこなかった。

 むしろ考えた上であの行動だった。誰だ頭の中お花畑だって陰で言ったの、とルーミアは思ったくらいである。

 貴族というのは周囲から侮られたら割とおしまいである。舐められたら負け。そんなアウトローの世界でも通用してそうなものが普通にあるのだ。

 相手に侮られ下に見られるようでは貴族としてはやっていけない。確かに身分の上下こそあれど、それとは別の意味で下に見られるようになってはおしまいなのである。

 エイミは自分の力だけで相手に打撃を与えられるとは思っていない。だからこそ周囲を巻き込む事を選んだ。男爵家という貴族の中でも下位の存在が、上位貴族の不興を買えばそれだけで男爵家は簡単に終了してしまいかねない。


 そもそも私平民だったから貴族の常識ってまだわからなくってぇ、なんてのたまっているが、正直エイミは授業を真面目に受けているし普段はできない振りをしているが礼儀作法も下位貴族としてならばマトモにできているのである。

 本当に躾も礼儀もなっていない野猿のような存在であったならもっと早くにそれぞれの家の令嬢が動き出していたに違いない。

 できるのにできない振りをしている、というのもあって、どこかの家が送り出してきた刺客か何かを疑った令嬢もいたのだ。まぁ調べたところでエイミそのものに後ろ暗いものはなかったのだけれど。

 だがそのせいで、余計ちぐはぐな印象を受けてしまったからこそ令嬢たちはじっと様子を見る事に徹していた。距離を置き、離れたところから冷静に。



 エイミの話を聞いたルーミアとしては、まぁ気持ちはわからなくもありませんわ……と思える部分はあった。

 そもそも、甘ったれた贅沢がしたいだけの頭の足りない女であったなら、令息にコナかけた時点でとっくに身体の関係も持っていた事だろう。けれどもそういった接触は一切無かった。誰が調べたところで意味もなく身体を密着させたりするような触れ合いはなかったのである。

 手を握るくらいはしていたようだけれど、仲の良い友人相手である、というのであれば手をつなぐくらいなら騒ぎ立てるものでもない。むしろその程度で騒ぎ立てていたならば、随分と嫉妬深いのですねと騒いだ方が逆にちょっと言われていただろう。


 娯楽本の中に出ている元平民が王妃の座を狙った話の少女は大抵贅沢はしたいがそれ以外の辛く苦しく面倒な事はしたくないというタイプで、また頭もそこまでよくはないので王妃教育で躓くだろう事がわかりきった存在であった。王道のシンデレラストーリーと呼ばれるような、それでも幸せに暮らしましためでたしめでたしで終わる内容のものもあるけれど、そうじゃない派生した話では最終的に多くを望みすぎた結果破滅しました、なんてものもある。

 分不相応に王妃の座を夢見た少女はしかし王妃としての器はなく、という話も出回っていて、夢を見るには見るけれど、やっぱ地に足つけた生活が第一だよなと平民たちは教訓として笑い話にしているくらいでもあった。


 まぁ、中にはそれでも夢を――というか幻覚を――強く見過ぎた夢見がちな者もいるのだけれど。


 だからこそルーミアはエイミはそういう人物なのかもしれない、とちらっとでも思っていたのだ。まぁその割にきちんとしているところがあるので、何かおかしいなと思っていた部分もあるのだけれど。


 だがしかしエイミの話――それこそ生い立ちから何から何まで聞かされた――を知った後では、むしろ納得してしまったのだ。あぁ、だから令息たちに接近していても露骨に身体を密着させたりだとかのはしたない事はしていなかったのね、と。

 何故って別にエイミは男を漁りにきているわけではなかったので。確かにそう見える行動をとったけれど、実際の目的は父親である男爵の家をどうにかする事だ。実際に令息たちをそそのかしたり騙したりしてはいない。


 何故ってよりを戻すようになった婚約者の令嬢経由で聞いた話は聞けば聞く程ただお悩みだとか愚痴をこぼしたりしただけで、そしてエイミはそれらに寄り添い特にこうすべきだとかの行動を決めたりはしていないのだ。ただその心に寄り添って、そうして令息たちにまた頑張ろうとやる気をださせるだけのもの。


 まぁそれは、王子も手元に置いておきたくなるでしょうねぇ……とルーミアは思った。

 将来的にも今から重責しかない立場で、けれど弱音などルーミア相手でも見せられるはずもない。勿論ルーミアとしては見せてくれても構わないのだが、王子のプライドがそれを許さないだろう。

 そこに立場も何も気にした様子の無い女がうんうんと話を聞いてくれて、自分を否定せずにいてくれる。努力を認めてくれる。自分は自分のまま進んでいいのだと、そう背を押してくれるというのは弱った心にはよく効いた。

 それこそ砂漠に降る雨のように。


 けれどもエイミは王子の事などこれっぽっちもなんとも思っていないのである。

 むしろルーミアが男爵家にちょっとあれこれ言ってくれないだろうか、というためだけに王子の隣にいたようなもの。

 王妃だとかの分不相応な事を思っていなければ愛妾あたりであれば……とルーミアも考えていたのだが、エイミはそんな立場すら望んでいない。

 むしろ平民に戻りたい、という雰囲気すらあった。



 とはいえ、確かに生まれた時は平民で今も気持ちはそれくらいであったとしても、一度貴族として迎え入れられたという事実はどこかからか噂として流れるだろう。そうなると、場合によってはエイミは色々と面倒な事に巻き込まれかねない。

 わたくしが許すから今日から平民に戻っていいわ、と気軽に言えるようなものでもないのだ。


 一度は貴族と繋がりがあったのであれば、何らかの恩恵に与れるのではないかと思ってすりよる者も多いと聞くし、そうでなくともまた貴族に戻る可能性があるかもしれないとなれば、ただの平民は彼女を自分と同じ平民だと受け入れないかもしれない。

 スイッチを切り替えるように身分を簡単に変える事はできないけれど、それでももしまた貴族の養子、または愛人、妻などという立場としてエイミがそうなれば下手な扱いはできないのだ。


 平民落ち、という罰として平民に戻って来たのであれば貴族に返り咲くと思われる事はないが、罪人としての印象がついてしまう。そうなれば、エイミの立場は以前の平民だった時よりもぐっと低くなるだろう。



 少し話して思っていたけれど、エイミは決して考えなしにやらかすタイプでもない。

 むしろよく考えた上でやらかすタイプだ。しかも今回の事がおおごとになれば、間違いなく男爵家は大きな痛手を負っただろう。死なば諸共でエイミも勿論痛い目を見ただろうけれども。


 ルーミアは考えた末に、よし、彼女はうちの派閥に引き込んでしまいましょうと決めた。

 エイミの了承を得る前にそう決めた時点で、彼女の意思を無視しているしそれを強行すればエイミはルーミアを敵とみなすかもしれない。だが――


「エイミさん、耳寄りなお話があるのだけれど」


 この話は彼女にとっても悪い話ではない。

 だから、話を聞いて彼女に決めてもらおうと思ったのである。



 ――さて、一方のオスカーはといえば、自分自身を見てくれる、それでいて自分が王子という立場であろうとなかろうと気にした様子のないエイミといっそ将来もずっといられたら……と思うようになっていた。

 エイミだってきっと自分が望めば頷いてくれる。そう信じて疑ってすらいなかった。彼女の口からお慕いしておりますだとか愛していますだとか好きですという言葉を聞いた事はないが、それでもオスカーは嫌われていないと思っていたし、自分から彼女を望めば彼女も応えてくれるだろうと信じていた。


 残念ながらエイミは王子の事をなんとも思っていないけれど。なんとも悲しいすれ違いである。

 正直エイミは男爵家の、父親の貴族としての社会的生命をぶち壊す事ができればそれでよかったので、なんというか近づく男に関しては誰でも良かったのだ。別に恋愛関係に持ち込むつもりもなかったし。婚約者がいる相手で、その婚約者が確実に苦情を入れてくれそうな相手ならなおの事良し、としか思っていなかった。

 仮に何かあったとしても自分はそこまでするつもりじゃなかったんですぅ、と無知な平民装っておけばいいかなとも思っていた。大体多少身体に触れる事はあっても、仲の良い友人相手ならまぁ、これくらいの接触はあるよな……程度だ。別段色仕掛けをしているわけじゃないし、必要以上にべたべた触るわけでもない。


 腕を組んでしなだれかかったりだとか、挙句胸を押し付けたりだとかといった事はしていないのだ。


 精々がちょっとどこかに移動する時に「行きましょう」とか言って手を繋いで歩き始め、それから数歩もいかないうちに「……あ」と気付いてちょっと照れた振りをしてそっと手を離すとかである。

 抱き着いた相手もいないわけではなかったが、どちらかというと嬉しくて咄嗟に、みたいなリアクションでやっていたのでパッと抱き着いてスッと離れていたくらいだ。

 それこそ小さな子が両親に大好き! と言いながら抱き着くような感覚で。


 まぁある程度は大袈裟な事もしておかないと、常識の範囲内での関わりしかしないと苦情が来ないというのもあるからだが。


 さておき、オスカーはそんな自分の事をなんとも思っていないエイミの事をそうと気付かないまま、告白しようと思っていた。彼女が自分の妻となり妃となってくれたなら。きっと自分は今まで以上に王として相応しく在れる。そう信じて。


 現在の婚約者であるルーミアは、確かに優秀な女性である。だが、二人の間にエイミとの関係のような熱はない。あくまでも国のために、というただそれだけの繋がり。

 正直な話、将来的に子を産んでもらうためだけであるならばそれは別にルーミアでなくとも構わないし、むしろ自分とくっつかなければ彼女は彼女で家の方を盛り立てて行く事だろう。それもまた一つの国のため、という形になる。


 オスカーはそんな風に考えていたし、話せばルーミアはきっとわかってくれると思いたかった。


 脳内が割と自分の都合の良いように運ぶと信じて疑ってすらいない。


 けれども、話して分かってくれるだろうけれど、それはそれで自分よりも身分が下の女を選んだという事実はきっとルーミアにとって面白くはないだろう。もし、彼女がエイミに何か手を出すような事をしていたら……いや考えすぎだ。だが、無い、とも言いきれない。


 もしエイミに手を出すようなことをしていたら、いっそそれを理由に彼女との婚約は破棄する事が――



 オスカーの王族としての評価は、悪い人ではないし優秀ではあるんだけど、ちょっと思い込んだら一直線なところがある――というものであった。

 だからこそ妻として選ばれたのはオスカーを上手く軌道修正できる女性でもあるルーミアだったのだが。

 生憎と自分の評価というものは自己と他者とでは大きく異なる事もある。オスカーは周囲から自分がどう思われているかなんてこれっぽっちも考えた事がなかったし、だからこそ自分の行動を顧みようともしていなかった。




 エイミの姿を見かけなくなったオスカーは、ルーミアが何かしたに違いないと思っていた。

 あれ以来エイミの姿はどこを探しても見つからないのだ。まさか、こうも早く自分に近づく女性を強制的に排除するとは思ってもいなかった。精々まずは忠告から入ると思っていたのに……!!

 おのれルーミア……!! とオスカーは真実がどうであるとまだ決まったわけでもないうちから怒りを募らせていた。こうなったら直接出向いて何をしたか情報を引き出さねばなるまい。


 側近に聞けば今ルーミアは学内サロンにいるとの事。だからこそオスカーはその場へと乗り込んだのだ。


「ルーミア!!」








 さて、既に分かり切った結末であるけれど。

 ルーミアはエイミを害したわけではない。

 あまりの剣幕と勢いで友人たちとサロンで談笑していたルーミアに迫ったが、その後オスカーは塩でもかけられたなめくじのようにしょんぼりとしながらサロンを後にしている。


 平民が貴族になりまた平民へと戻る。

 この状況は別に全くないわけではない。例えば商人が爵位を金で買う事もあるし、その後破産して再び平民へと戻るなんて話もないわけじゃないのだ。まぁそんな事は本当に滅多に起こらないのだが。


 それ以外だとどうしても何かやらかして身分を剥奪されたのだ、という認識が強い。たとえ何かの問題を起こしたわけでなかったとしても。


 なのでエイミを再び平民へと戻すとなると、周囲がない事ない事噂してさぞ肩身が狭くなる可能性がとても高かった。エイミが今まで暮らしていた土地から離れた場所であろうとも、噂というのは時としてどこまでも駆け巡るもの。平穏が脅かされる可能性は常に含まれている。


 だからこそ、ルーミアは彼女が男爵令嬢であるままで、とある家への嫁入りを勧めた。男爵家に何の話も通さずこちらで勝手に決めたものではあるが、そもそもロクな力を持っていない男爵家がルーミアの家に文句を言えるはずもない。それにエイミに勧めた結婚話は、男爵家の目から見ても決して悪い話ではないのだ。


 ルーミアの家との繋がりの強い伯爵家。諜報活動なども行っている家であるけれど表向きは地方の領地で細々と暮らしている事になっている。

 エイミが嫁いでいった家は男爵家がある場所から随分と離れているために、そう簡単に会いに行ける距離でもない。けれどもその名は王都にも知られていた。細々と暮らしている、と言われているが貿易などにも手を出しているので細々と言ってもエイミを引き取った男爵家より余程いい暮らしをしているのは確実なのだ。


 エイミは事後報告になりますが、と手紙でさらっとその家に嫁いだ事を実家――と本当は呼ぶのもイヤだ――へ知らせた。

 元平民の娘にしてはとんでもなく大物を捕まえたと男爵は思うだろう。


 まぁ、男爵家へ何かメリットがあるか、となると全くないのだが。仮に何らかの援助を男爵が娘に言いつけたとして、家の事は旦那様が取り仕切っておりますので……などとしおらしく言ってのらりくらりと躱せばいい。エイミの旦那となった男もルーミアから話を聞いているので、男爵家には援助どころか施しすらしないだろう。



 身体を使う事なく令息たちをある程度虜にできたその手腕をルーミアは買っていた。

 学校で令息たちばかりといたのはその方がヘイトを稼ぎやすく男爵家に痛手を負ってもらえるだろうという判断からで、別に女性と仲良くできないわけでもない、というかエイミはどちらかといえば同性の友人たちと楽しく過ごしたいという思いがあったくらいだ。ただ、あれこれ天秤にかけてその上で男爵家を潰す方に傾いていただけで。


 いくら親しくなった友人の頼みとはいえ自分の家を潰してほしい、という願いを叶えてくれる令嬢は滅多にいないだろう。というか、最低限人の心を持っていたら政敵の家を潰す事に躊躇いはなくとも、友人の家を頼まれたといえ潰すのはやはりちょっと……となる者はそれなりにいる。


 実際ちょっとお茶会にエイミを参加させて様子を見ていれば、するっと相手の懐に入り込み茶会が終わる頃にはある程度の友人関係を築き上げていた。

 バカの振りをしていたエイミであったけれど、決して頭が悪いわけではないのだ。というか馬鹿の振りをするのって結構匙加減が難しいので振りをするつもりで単なる愚かさを周知する事にだってなり得てしまうことを考えると、エイミのその匙加減はまさに絶妙だったと言える。

 エイミはそうとは気付かせずに人をよく見ていた。それくらいは将来家の事を取り仕切る貴族の夫人ともなれば当然であるのだけれど、エイミの生まれは平民である。いくら男爵家に引き取られたといったってそういうものは簡単に身につくものでもない。


 最初から貴族の令嬢として生まれていたならば……と惜しむ部分もあったけれど、だがエイミはきっとこれでいいのだ、とルーミアは思っている。

 人として脅威に思われない無害そうな雰囲気。場にすっと溶け込めて、誰からも警戒されないというのは実際冷静に考えるととんでもなく恐ろしい事ではあるのだが、それをそうと感じさせない。


 気付いたら茶会でお話をしていた令嬢が色んな情報を暴露していて、しかもそれをマズイ事だと思わせる事なく別の話題に移っている。

 他国からの間諜であったならと想像するだけで怖ろしい。きっとあの令嬢たちは茶会を終えて帰宅してからマズイと思って顔を青ざめさせるのだろう。まぁ、悪用するような情報はないのだけれど。


 令嬢たちですらこれなのだから、そりゃあ令息たちがコロッと転がされてもおかしくはなかった。


 エイミ……とんでもない逸材ね……とルーミアですら感嘆したのだ。

 ちなみにエイミが嫁いだ先は伯爵家ではあるものの割と平民との距離も近いので、彼女は貴族令嬢だとか夫人として振舞う事もあるけれど、常にというわけでもない。時として平民たちの中に紛れ込む事もあるだろうから、男爵家にいるよりは思い切りのびのびと過ごせる事だろう。

 そこら辺はきちんと話し合ってエイミも合意を得ての事なので、ルーミアはいい相手を紹介できたわと思っている。エイミにも、伯爵家の当主にも。

 何せ件の伯爵家、身分だけの令嬢よりも実力重視な部分もあったので中々嫁が決まらなかったのだ。家柄は充分に問題なくともお飾りの妻を抱える余裕はない。身分がなくともあの家でやっていける実力があればもう平民でも構わないのではないか、とか密かに悩んでいた程だ。


 しかもかの伯爵家の領地は隣国との貿易だとかで人が多く出入りする。目を光らせていてもそこに紛れ込んだ間諜全てを見破って捕まえるなんてできないし、であればその分他からやって来た相手からいかに情報を引き出せるかがカギとなる。武力で鎮圧できずとも、情報で相手を叩きのめす事は決して不可能ではない。



 エイミにかわってルーミアが男爵家をじわじわと弱らせていけば、後は勝手に男爵家も潰れていく事だろう。夫人の方に猶予を与えても夫には与えなくていいとエイミが強く望んでいたので、それくらいの願いは叶えるつもりである。というかルーミアからすれば片手間でできてしまう程容易な事だ。



「しかしまぁあの男爵も人を見る目のないことね……」


 ルーミアは自室でお気に入りの紅茶を淹れてもらって、それを飲んでからふと呟く。

 確かに良い相手を見つけて来いと言っていたが、結果として嫁入りして二度と男爵家に戻ってこないなどあの父親は思ってもいなかっただろう。確かに家柄は充分。男爵家の娘、それも元は平民が捕まえた相手と考えれば破格である。だがそれが、結果として男爵家が衰退していく原因になるときっとあの男爵は思いもしないだろう。

 かつて遊びで手を出した女の産んだ娘。どこまでいってもそう認識し見下してすらいただろう。

 だが、エイミから聞いた話では彼女の母は平民だったけれど決して愚かな人間ではなく、生まれが貴族であったならさぞ優秀な娘となっていただろう事が窺える。そしてその母に育てられた娘であるエイミもだ。


 持ち得た優秀さがあまり重視されない環境にいたからこそそれが目立たなかっただけで。


 娘の事をもっとよく見ていたら、もっとちゃんとした貴族教育に力を入れてそうしてお披露目の場を用意できていたなら、男爵にとってマシな未来になっていたはずだ。

 まぁ、全て自分の都合よくいくと何故だか思っていたようなので、結果として娘を学校に通わせて自由に行動させるという悪手を選択してしまったようだけれど。


「ま、あの男爵家にそこまでできる余裕はなかったのだから、仕方のない話ね」


 できていたならば、というどこまでいっても仮定の話だ。




 ルーミアの婚約者であるオスカーはといえば、エイミが早々に結婚相手を決めて学校を自主退学していったことをしってそれはもう落ち込んでいた。

 エイミの悩みを聞いたルーミアがいいお相手がいるので紹介しますわ、なんて言って巡り合わせた結果、二人は見事に恋に落ち早々に結婚を決めたのだという話は落ち着いて考えれば突っ込みどころもあるのだが、恋に燃え上がっている人なんてそんなものですよと言われてしまえば返す言葉もない。

 実際オスカーだって一方的にのぼせ上っていたのだから。


 最初は勿論無理矢理ルーミアがエイミを遠ざけるために仕組んだのではないかと疑ったりもしていたようだけれど、後から後から聞こえてくる二人の夫婦の話からは不幸な結婚なんて微塵も感じさせず、どころか幸せそうな話が聞こえてくるのだ。もし不幸な結婚であったならどんな手段を使ってでも彼女を自らの手元に置いておこうと考えてもいたようだが、愛する二人を引き裂くなんて事をしたら王子こそが悪役となってしまう。


 そんなわけで失恋で落ち込む王子に、ルーミアはそれはもういい笑顔を浮かべて慰めた。

 暗に馬鹿やらかす前で良かったな、というのも大量に含まれていたけれど。

 ついでにそれを理解できる程度には頭が良かった王子はその意味に気付いて顔を真っ青にしていた。

 生涯尻に敷かれる未来が確定した瞬間だった。



 もしエイミが王子に恋をしていたならば。

 家のためというのも口実に王子と結ばれようと思っていたならば、こんな結末にはならなかっただろう。

 きっとオスカーはルーミアに婚約破棄を突きつける茶番を繰り広げただろうし、王命での婚約に異議を唱えたとされてエイミはきっと処分されていた。

 その場合男爵家は娘をサクッと切り捨てて自分たちも被害者ですという態度をとっただろう。


 エイミが王子や他の令息たちをひたすらに色恋のない目と態度で接していたからこそそうはならなかったけれど、もし近づいていた誰かに恋でもしていたら、待っていたのは破滅であったに違いない。


 そこら辺を踏まえて考えると――


「このわたくしを味方につけてしまうのだから、エイミさんの一人勝ち、ですわね」

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[一言] 上手くやらなかったからとか言ったら、自分が命じましたって言ってるようなもんだろ…… まぁ父親はそれに気付けるほど賢くないんだろうな。
[良い点] エイミさんの能力の凄さも、それを見抜いたルーミアさんの広い視野の素晴らしさも良かったです。 あと皮肉が通じる程度には知能がぎりぎりある王子で良かった。 [気になる点] エイミさんは良い男と…
[一言] 面白かったですけど遺伝子、って言葉が出てきたのはちょっと違和感を覚えました。
2023/10/04 12:56 退会済み
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