超意識集合体
「犬人の集合意識……」
わたしは呆然とつぶやく。リュントくんは、言葉なく青い球体を見つめていた。
ここ大嘉彌神宮は犬人の魂の故郷である、とわたしに説明してくれたけど、それはあくまで比喩であって、ほんとうに犬人の霊魂をまとめたものがあるとは知らなかったようだ。
この世界に住むほとんどのひとは、人類の全体意思が実体をもって存在しているとは思っていまい。
わたしのことを捕まえようと、蒸気自動車に乗ってきた一団は、このことを知っているのかもしれない。
そしてグトウザさんも。グトウザさんの場合は、さまざまな事業を展開している実業家として、各地を開発する過程で、以前の文明の遺物を見つけて分析と推定を重ねたのかも。
犬人たちの魂の集合体を前に、竜人の巫女であるアルシャエディリスが、第三者の証人となるべく召喚された猿人代表であるわたしへ説明をつづける。
「もちろん、ここだけに存在するわけではない。かつて犬の神は、この星系すべてのみならず、犬人が進出した他世界をも支配していたわけじゃからな」
「この惑星の主要な各地に、神殿や寺院のかたちで安置所が点在しているだろうってのはわかるわ。ほかのみっつの惑星にもあるの?」
「そのとおりじゃ。もし環境が激変して、100年ごとの移住に適しなくなった場合、伝えることができるようにな。そして、犬人に支配されていた各他世界にも、ひとつずつは端末がおかれている」
「どうして? 撤去できないの?」
動かそうとすると爆発するとか?
「通信装置として便利だからじゃ。次元の壁を隔てて交信する方法として、いまだにこれ以上のものはないのう。各世界の神は、犬人の現況を把握し、それぞれの世界間の同盟関係の継続を確認するのに、この超意識結合体を用いておる」
「あー……わたしの役目、なんとなくわかった」
神々め、第三者に面倒くさいことさせる!
アルは感心しているような、面白げというか、そんな顔でわたしを見た。
「ほほう、わかるかえ? 当ててみるがいいぞ?」
「この犬人の超意識集合体の、通信以上の高次機能にアクセスする権限を持っているのは、100年に一度の祭儀に合わせて召喚された地球人だけ、そういうことでしょ」
「おー。見た目によらずめちゃくちゃ賢い上に推論が鋭いのう、チサト」
「最強だった犬の神と多次元帝国を実現した超技術の遺産、だれかが好き勝手に使えたら、そいつがつぎの支配者になってしまう」
「お見事、そのとおり。歴代の犬人の、自らの神に対する叛逆を成功させた勁き精神と、多くの経験と知識が集積された叡智の結晶じゃ。便利な通信機として以上の利用を自由にさせるわけにはいかん。だれぞ、個別の神が掌握すれば、それこそ犬の神の再来となりかねんからの」
「自分の神さまと音信不通だけど、“人類”としてはあきらかにほかよりぶち抜けて強大な竜が管理を任されてるって時点で、なにかリミッターがあるとは思ってたわ」
そして、犬人の超意識体へ直接アクセスする権限があると聞かされた地球人がよからぬことを謀んだ場合、ほかの種族の巫だと出し抜かれてしまうかもしれないけど、竜人なら阻止できる。
「裏も読めておるようじゃな、チサト。ならば、だいたい予想もできていようから、地球人の御使いは具体的になにができるか説明しよう。これまで22回行われてきたのは、犬人の超集合意識へ、あらたな参加者を加えることじゃ。逆に、超集合意識から、知識と経験を書き出すこともできる、犬人へならば、な」
「ちょっとまって。……リュントくんってこと? 超集合意識への参加にしろ、超集合意識からの書き出しにしろ」
「そうでなければ、犬人の一員がこの場にいる必要はなかろう?」
アルはごく当然、といった口調だ。リュントくんは、いまひとつわかっていない顔をしていた。それはそうだろう、これは21世紀の日本人であったとしても、中学1、2年生には難しい。
しかし、これはそういう問題ではない。
「もしかしたら……って思ってたけど、やっぱり生贄の儀式なのね!」
「個別の肉体は失われるが、超集合意識へ溶け込むことは、死ではない。叡智の書き出しを選択するなら、個体としてのリュントが失われることもない。誕生するのはこれまでの全犬人の知識と経験を兼ね備えた“超人”であり、あらたな導き手となる。犬人に科せられている刑期も終わりというわけじゃな」
「どっちにしたって、リュントくん個人は失われるってことじゃないの!」
いままでこの世界へ招かれた22人の地球人は、魂のるつぼへ、犬人の子を投げ込んできたっていうの?!
おかしいでしょどう考えても!!
「まってくださいチサトさま。御使いのかたへ選択の責任を押しつける、そんな仕組みにはなっていないはずです」
リュントくんがそういって、わたしの袖を引っ張った。完全に頭に血が上っていたけど、すこし冷静になれた。
そもそも、犬人の文明リセットがはじまった最初のころ、2000年前の地球から御使いとして選ばれて連れてこられたひとは、前提となる多次元帝国や銀河文明の話なんか意味不明だっただろう。何ヶ月もとどまって理解に努めたかもしれないが、それでも限界はある。
「わたし……地球人はあくまでも執行するだけで、選択は犬人の超意識がしているのね?」
「わらわにわかっておるのは、超集合意識にアクセスした御使いはそのまま地球へ帰り、犬人の子は戻ってきたことがない、それだけじゃ。しかし、御使いが一切選択権を持たぬなら、わざわざ地球から招くのは迂遠じゃと思うが。多次元帝国を構成していたいずれかの世界から、ランダム、ないし輪番で執行者を出させればすむことじゃろう?」
アルはいかにもシステム管理者といったふうに、情を差し挟まない話しぶりだった。
「……いまの言いかただと、ここでアルとはお別れ?」
「次元の壁を隔てて通信ができる、すなわち情報のやり取りができるということは、実体としてのこの青い球体は、次元間で物体を転送する門としても機能しうるということじゃ」
「よくわかんないけど……短いあいだだったけど、ありがとうね。お茶でも飲みながら話したかったわ」
「地球の技術の発展具合によっては、また会う機会があるやもしれんぞ」
握手したアルのてのひらは、ひんやりすべすべでさわり心地がよかった。
……でも、もしアルと再開することがあったりしたら、それは地球文明がやらかして銀河竜連合に思いっきり怒られてるときだと思うな。
リュントくんはアルヘ一礼。アルはチャオのハンドサインで応じる。
わたしとリュントくんは、どちらからともなく腕を伸ばして手を握り合った。犬人の超集合意識だという青い球体へわたしが右手を触れると、視界が切り替わる。
+++++
上も下もない一面空色。わたしとリュントくんは青い世界の中に浮かんでいた。
周りというか、ここに満ちているすべてが魂だということがわかる。
犬人たちのこれまでの歩みが、直接わたしの心に流れ込んできた。
その苦悩、葛藤、信念、過誤、後悔、絶望、不屈――
わたしは犬人たちの魂へ訴えていた。
その罪はたしかに重い。しかし永久にひとつの時代を繰り返すことはできない。そろそろ前を向く時期がきているのではないか。
言葉でなき応えが返ってくる。……ここの魂たちは悲観的だ。無理もないけど。
100年に一度では足りないのかもしれないと思う。もっと多くの、平穏を知る最近の犬人の魂を多く参加させることで、超集合意識全体の思考を変えていけるのかも。
〈わたしにはたぶん、ここの魂たちの反対を押し切って現状を変える権限がある。リュントくんに一度戻ってもらって、すこし祭儀の方式を変更してもらうってのはどうかな?〉
となりでやはり多くの魂にまとわりつかれているリュントくんへ、わたしは思いついたことを提案する。リュントくんをここの魂の一員としておいていくというのは、やはりあまりよい発想ではない気がする。
〈チサトさま、あなたを連れ去ろうとしたという、巫女さまがおっしゃっていた「復古派」のことを覚えていますか?〉
〈あいつらが、どうかした?〉
〈彼らはおそらく、この超意識につながっている端末のひとつを確保しているんです。御使いを連れ去り、彼らが保持している端末からここへアクセスさせて、超文明時代の犬人の知識を彼ら自身へ書き込ませようとした。その力で、神を解放するつもりだったんです〉
リュントくんの理解力が大幅に上がっている。同じ犬人だから、わたしよりも超意識からはっきりと情報を受け取ることができるのだろう。
〈でも、犬人の代表として指名されたのはリュントくんだし。ほかのひとはここに入れないでしょ〉
〈いいえ、ここへきてはっきりわかりました。超意識は、ぼくのことを冷水リュントとして、個別に認識はしていない。代表者として、現在の犬人世界は、ひとつの時代を何度もループさせられている、そのことに気がついている者の息子をよこせ――たぶん、そういう指定のしかただったんだと思います。巫女さまたちが、該当者を調べて、ぼくを選んだ〉
〈ありそうではあるけど……〉
超意識に直接接触したリュントくんの直感なのだから、まあそのとおりなのだろう。
……しかし、そうなると、つぎの御使いは復古派にとっ捕まってもおかしくないぞ。わたしが仮にグトウザさんよりさきにあいつらに見つかってたとして、グトウザさんくらい理路整然と説明されたら、それが大ウソだったとしても疑わなかっただろうし。
復古派が超意識の端末をひとつ確保してるってのがほんとうなら、だいぶまずいんじゃ……。
〈ここで23回目のリセットをかけて、となりの惑星へ移動すれば、復古派の運動もまた1から……いえ、だれかが世界のループや神の幽閉に気がつかなければ、そもそもはじまることもありません〉