超展開きたわ……頭こんがらがる
大嘉彌神宮本殿内は、薄暗かったけど目が慣れれば歩くのに困るほどではなかった。そういえば、グトウザさんのビルは中も明るかったな。
エレベータにも使うだろうし、ラジオもあったところからして、市街地には確実に電気が供給されている。ここまでは引かれていないのか。
檜のものとは違う芳香がする。沈香が焚かれているのかな。
ここまではわたしより半歩うしろにいたリュントくんが、わたしを先導するようにすこし前を歩いていた。
地球の犬は、人間より色彩感度や解像度が低いけど、闇目が効く。犬人の文明の産物を見る限り、犬人たちの色を見分ける能力は高そうだけど、すくなくとも暗いところではわたしよりよく見えているみたいだ。
本殿の建物の中央には太い柱があって、そこからわたしたちが入ってきた扉側に向けて壁が伸びていた。これはたしか、古い神社の構造だったはず。わたしは大社と呼ばれる大神宮の本殿内には入ったことないけど。
ようするに、柱と壁で仕切られ、本殿内はコの字の形になっている。
太い柱を回り込んで、御神体が安置されているだろう最奥へと近寄っていくと――毛氈が敷かれ、御簾がかけられている空間があった。御簾は開かれていて、袴が紫だけどおおむね巫女さんの格好をしたひとが端座していた。
犬人でないのはわかっていたけど、その顔は、地球人類のものでもなかった。白面の、すべらかで鼻づらが長く、大きく黒ぐろとした目をした……蛇……いや、角が生えてるから、竜?
竜頭の巫女が、わたしたちそれぞれへ視線を移しながら、口を開く。
「冷水リュントと、今回の地球代表じゃな。わらわはアルシャエディリス。長いから、アルか、エディとでも呼ぶがいいぞ」
「お召しにより参上しました、冷水リュントです」
「犬飼ちさとです。ええと、アルさん……でいいですかね、あなたから説明を受けるようにとしか聞いてなくて、わたしは事情がまったくわかってないんですけど」
「タメ口でいい、チサト。そなたとわらわは、いずれも神が指名した、この世界の外部からやってきた者であり、立場として対等じゃし、いちいちへりくだった会話をしていたのでは面倒じゃ」
アルシャエディリスと名乗った白竜の巫女は、そういうと座布団をふたつ取り出した。
たしかに長い話になりそうだし、つっ立っていると疲れそうだ。アルと向かい合いに、リュントくんと並んで座る。
黒ぐろとした竜の目が、ずっとこちらを見つめていて、なんか落ち着かない。
なんでまばたきもしないの? と思っていたら、一瞬だけ目の色が薄くなったように見えた。薄暗くてわかりづらいけど、瞬膜があるのか。鳥や爬虫類が持っている、まぶたとはべつの眼球保護シャッターだ。
特に他意があってのガン見というわけではなくて、慣れるしかなさそう。
「なにから聞きたいかの? わらわは、たいていのことには答えられるじゃろう」
わたしもリュントくんも黙っていたので、アルが再度口を開いた。それにしても美声だなあ。昨日の晩から、声がいいひとにばっかり遭遇する。
竜という存在に関するわたしの先入観が間違っていないのなら、アルはかなり長生きで、100年に一度だという祭儀を何回か経験しているのだろう。
たいていの質問に答えられる、というその請け合いに、期待してもいいはずだ。
「ええと、ありすぎて、なにから聞けばいいかもわからないけど……。どうして犬人の世界に、わたしやあなたのような、違う世界の人間が関与しなければならないのか、しかも、かなり重大そうな役目を負うことになったのはどうしてなのか、知りたいかな」
「そもそもの最初から、ということじゃな。長くなるが、チサトが聞きたいと思うのは当然じゃ。リュントにも知る権利がある」
そう言いおいて、アルシャエディリスは壮大にして凄絶な、犬人たちの歴史を語りはじめた――
〜〜〜〜〜
かつて、犬人たちは非常に高度な文明を築いた。
いまのこの世界からは想像もつかぬほどの、現在の地球をもはるかにしのぐ、母星から宇宙へ繰り出してひとつの恒星系すべてを手中に収め、よっつの岩石惑星に居住し、大型ガス惑星から実質無尽蔵の水素をエネルギー源として汲み出す超文明じゃった。
だが……その文明にはひとつ大きな断絶があった。
社会階級の差が極めて大きかったのじゃ。犬という生き物の本性に近いといえばそうなのじゃが、特定人種のみが特権を持ち、劣るとされた人々は、知的業績、あるいは技術的成果をどれほど挙げても、その実益をすべて支配階級に奪われてしまう、構造的搾取が社会を厳格に覆っていた。
本来の犬は、強く優れたものがボスの地位に就く、血縁・世襲制ではない社会じゃから、自然の状態からはいささかの逸脱があるといえるな。
……うむ、チサト、そのとおりじゃ。現在の犬人たちはあえて文明レベルを抑制し、両親がどのような外見的特徴を持っていようとも、子世代に直接遺伝することがないように自分たちを作り変えておる。支配と被支配の階級差が発生しなくなるようにな。
だがそれはもうすこしさきの、結果じゃから、いましばらく順を追って話すぞ。
犬人の超文明をもってしても、恒星間航行を実現し、銀河に生息圏を広げていくことは難しいように思われた。そこで犬人たちは、空間的な移動ではなく、次元の壁を突破し転位する方法を考えた。
観測可能範囲の外側、事象の地平線の向こうへの跳躍は、本質的に並行宇宙への転位と変わらない、という話は地球の大衆科学読本にも書かれておることじゃな。
……なに、知らない? そうか。ブラックホールの中には並行宇宙があるかもしれんという話は? ネットニュースの科学記事で読んだことあるかも? そのくらいの認識があればよろしい。
まあ、犬人の異世界進出は成功したんじゃ。そして別天地を支配した。
その事業を主導したのは、特権階級の支配から独立することを考えた被支配人種の一員だったのじゃが、そやつは自分がやっていることの矛盾に気づいた。これでは、暴君たちと同じだ、と。
……いいや、それは違うぞチサト。社会のうちのひとつの党派が自分たちのあやまちに気がついた程度で、文明すべてが反省し、身にすぎた力を手放して封印するなどということは起こらないのじゃ。わかるじゃろう?
つまり、まだまだ話にはさきがある。つづけるぞ。
犬人たちの異世界進出――いや、侵略じゃな、それはひとつの事例にとどまらなかった。
複数の勢力が相次いで次元転位技術を実用化させたのか、最初に実行し、その行為の愚を悟った者の手元からだれかが持ち出しのか、いずれにせよ、当時の犬人社会の有力な主権国家は、軒並み異世界にも植民地を持つことになった。
銀河帝国は建設できなかった犬人じゃが、代わりに多次元帝国を築くことができるかに見えた。
……だが、向かうところ敵なしと思われた犬人の異世界進出を阻む、強大な存在が現れる。
われら竜族じゃ。
次元に穴を穿って、そのさきに生存可能な世界が見つかった場合は、そこに住む生き物ごと支配する――そんな単純な犬人のやり口では、いずれ自分たちと同等以上の文明と衝突する運命は免れえなかった。
われらの宇宙では、人型化選択以前の時点で、源竜がその頑健な肉体と長命を活かして、複数の恒星系に生息範囲を広げていた。竜人は、移植先の惑星のひとつで選択された、亜種族の一形態にすぎん。
知能としては源竜も竜人も大して変わらんが、それでも手先が器用なのは便利じゃから、竜の文明圏すべてで細かな作業仕事を担うようになっていた。
われらも次元超越の技術について可能性には気づいていたものの、理論的研究にとどめて、実用化には舵を切っていなかった。
恒星間空間を移動できる、頑丈さと寿命の長さに恵まれていたというのもあるし、となりの恒星系なら移住の前に観測してその可否を検討できるが、となりの次元となると、観測にしろ移住にしろ穴を開けるしかなくて、危険な存在に出くわしてしまうリスクを考えてのことじゃった。
そこへやってきた犬人による襲撃じゃ。われらのほうが強いことに気がついて、すぐに尻尾を巻いて逃げていったが、こちらとしても放っておくわけにはいかなくなった。
まずひとつ、理論的には示されていたが、実際に宇宙空間ではなく次元を乗り越える形態で移動をする文明種族が確認されたこと。
ふたつ目に、最初から制圧を目的とする攻撃的侵入であったこと。
第3の、そして最大の点として、侵入の尖兵として使われていたのは、主導している種族とは異なる知的生物であったこと。現に、捕虜の口からは、犬人が主人であり自分たちは隷属していると証言がえられた。
われらは直接交信可能なみっつの星系の代表者のあいだで討議し、複数の次元にまたがる覇権帝国の建設は掣肘されなければならないと、仮の結論に達した。
リアルタイムでの通信ができない遠く離れた星系には仮決議が送付され、まず手はじめに、こちらの世界に対する攻撃の尖兵に使われていた鳥人を、犬人から解放するための作戦が実行されたのじゃ。