違和感と可愛さと
わたしを正座で迎えてくれたのは、派手さはないが上品で、上質なことも間違いない藍染の着物をまとった妙齢のゴールデンレトリバーと、学ランを着た中学生くらいの黒柴の男の子。
予想どおりというか、グトウザさんがこういう。
「家内のロクランと、倅のリュントです。――こちら、御使いのチサトさまだ」
「ロクランです。どうぞよしなに、チサトさま」
「リュントです。チサトさま、よろしくおねがいします」
「かしこまらないでください。わたしはなんにも偉くないんで。神さまが適当に選んだだけの存在ですから」
ロクランさんとリュントくんへ、拝まないでと手を振りながら、わたしは根源的な違和感の理由に気づいていた。
この世界の住民たち犬人の外見に、犬種の統一性がない原因はこれでわかった。親子で形質が遺伝しないのだ。
だが……そんなことありえるだろうか?
もちろん、地球の遺伝学の常識がこの世界にも通用するとは限らないが……しかし、この世界の生き物にも性別があって交配で子孫を残し、環境に選別されて興亡を繰り返してきたのなら、受け継がれる特質があるはず。
仮に犬人の祖先たちが、それぞれ個性的な外見を持っていて、地域ごとの生息数に大きな偏在がなくて均等に混じり合っていたとしたら、世代を重ねるうちに個性は希薄化してしまうはずだ。
外見だけが、わたしの目にもはっきり判別できるほどに地球上の犬種と類似性を持ちながら、その発現が完全にランダムで、親子のあいだですら共通点がないだなんてこと、起こりえない。
この世界……すくなくとも犬人たちには、人為的な干渉がおよんでいる。その操作レベルは、地球でいうなら西暦1900年からプラスマイナス20年ほどの科学力水準である、この世界の自前技術ではとうてい不可能な域だ。
それを維持することが神さまたちの目的なの? わたしはいったい、なにをさせられるんだろうか。
「リュント、チサトさまに大嘉彌神宮をご案内するように。まず、上から全景をご覧になっていただくのがいいだろう」
頭の中でめんどくさいこと考えはじめたわたしをよそに、グトウザさんがご子息に指示を言いつけていた。
「はい。チサトさま、どうぞこちらへ」
リュントくんが立ち上がり、わたしをさし招く。
利発で忠誠心高そうなぱっちりとした目の黒柴! かわいいなあ。……いや、この考えかた失礼なのはわかってるけど。“人類”としては対等なんだからね。この世界の住民を犬人というなら、わたしたち地球人類は、先祖から1字取って猿人か。
「オオカミ神宮っていうのが、巫女さんがいらっしゃるとこなんですか?」
グトウザさんに訊ねてみると、
「左様です。チサトどのをこの世界へお招きしなければならなかった理由となるものもある。あとは直接見聞きして、チサトどのご自身が下される判断にお任せいたす。この先は、そのリュントがご案内いたしますゆえ」
との答え。ここで案内役が交代する理由はなんだろう。御使いの力を私利私欲のために独占するつもりではない、という態度の明確化なのか。
わたしとしては、案内役がダンディマスティフでもキュートな少年黒柴でもかまいませんけど。
リュントくんのあとについて、ビルの外壁、窓ぎわのほうへ行ってみると、見事なパノラマが広がっていた。
この建物の高さ自体は60から70メートルくらいってところだろうけど、ほかに高層建築がないので、感覚的には東京の超高層ビルの展望台と同等以上の眺めだ。
たぶん30キロ以上の範囲が見えてる。
市街地は点在していて、巨大都市圏にはまだ達していない。街と街のあいだには田畑や森が広がっていて、木造であろう平屋がところどころにまとまって集落になっている。
さっきまでわたしがいた赤レンガ街も見えた。わたしの安直な発想のとおり、さらに向こうには海が広がっていた。グトウザさんにとっ捕まらなかったら、わたしはたぶんあっちのほうへ行っていただろう。
街と街を結び、山野を縫って鉄道の線路が伸びている。煙を吐きながら汽車が走っていた。この街にターミナル駅があって、放射状に路線が広がっているようだ。
まだ敷設途上らしく、線路が行き止まりになっている路線もあった。沿線に建物が並んでいるのが開通路線で、まだ建物が見あたらないのは工事中か。
まさに近代黎明期の光景だな。
ガラス張りの外壁ぞいに、南から西まわりで(地球と東西南北の概念が同じなら、だけど)フロアの中を3/4周し、東のほうが視界に入ってきたところで、このビルからもほど近い、街中に大きな森があるのが見えた。
というか、市街地は森を囲っていなかった。森のかたわらに街が造られた、というような感じだ。
森は大部分が茂るに任されているようだが、参道があるのははっきりとわかった。社殿であろう、平屋だけど立派な建物も見える。
「あれがオオカミ神宮?」
「はい。巫女さまがおわし、そしてぼくたち犬人の魂の故郷でもある聖域です」
「あなたのお父さんが、巫女さんはこの世界の人じゃないっていったけど、あなたたちの聖域なのに、どうしてなのかしら?」
質問してみると、リュントくんはえへへ、と笑った。
「それはおいおい……というか、ぼくもよく知らないんです」
「あ、そうなんだ」
グトウザさんはなんか知ってるぽかったけどなあ。巫女さんに会うまでは予見のないように、っていう方針には合ってるか。
ところが、リュントくんの話にはつづきがあった。
「ただ……ぼくは召されています。今年は100年に一度の祭儀の年なんです。われらが犬人の大いなる意志が指名する代表者を、巫女さまが伝える。今回はぼくが犬人の代表を務めることになったそうです」
「ええっと……リュントくん、どんどんこんがらってきたんだけど。要するに、あなたたちの神さまの指名なのに、伝えるのはなぜかこの世界とはべつのところからやってきた巫女さんで、どうしてさらにわたしまで必要なの?」
「すみません……ぼくに詳しいことはなにも……」
「ごめん、リュントくんを問い詰めるのは筋違いだね」
耳としっぽまで申しわけなさそうに伏せるリュントくんへ、わたしは反射的に謝った。すくなくとも、この子はほんとうになにも知らない。理由はないけど、それは確実だとなにかがわたしに告げていた。
しかし……これは裏があるぞ。表向きの話すら一切聞かされてないのに、裏もなにもあったもんじゃないか。
いくらか穿って考えると……生贄の儀式だ。最悪の発想に立てば、わたしも犠牲にふくまれる。
そこまでではないとしても、神宮の巫女や、わたし、つまりこの世界の外からやってきた者の役割は、犬人が自らの神へ捧げる供犠の執行人……あるいは見届人ではないのか。
グトウザさんは、自分の息子に白羽の矢が立ったことを知り、地球から送り込まれてくるはずの儀式遂行人をいち早く確保しなければならないと探し回って、わたしを捕まえたのかも。
……動機は?
祭儀を止めてリュントくんを助けてくれ、というわけではないみたいだ。わたしを捕まえた時点で、どうにでもできたのに、拘束したり始末しようとするそぶりはまったくない。
そんな血なまぐさい儀式は存在しない、わたしの考えすぎ――だといいんだけど。
あるいは、犬人の代表者になる資格を持つ子は複数存在していて、その家族にはなんらかの恩恵がある。さきほど蒸気自動車で追いかけてきた一団は、べつの候補者を擁している競争相手とか。
これはありえるかもしれない線だな。
どのみち、オオカミ神宮とやらに行って、巫女さんから詳しい話を聞かないことにはなにも判断できない。
「上から見てるだけじゃわからないし、さっそく行ってみたいんだけど」
リュントくんへそういうと、
「そうですね。では、ご案内します」
くるりと窓ぎわからきびすを返し、あっさりエレベータホールのほうへ向かっていく。リュントくんに時間稼ぎや引き延ばしの意思はまったくないみたいだ。
……よくよく振り返ってみれば、グトウザさんも寄り道は最低限だったし、リュントくんもオオカミ神宮へ出向く必要があると考えれば、引き延ばしなんかしてなかったのかな。
……と、ビル外周の展望回廊からグトウザさんち――冷水邸というべきなのかな――に戻ってきたところで、なんだかいい匂いがしてきた。